第一話 星の鳥、黒の空へ(3)
山脈の森を離れ、ジークは少女を抱えてリュークに乗って王城へと戻った。
追手の気配はない。さっきの二人のみであるとすれば、重要任務を任せるには白の国も随分杜撰な人選をするものだとジークは思った。
それにしても、とジークは自分の腕に抱えた少女に目をやり、思う。
かすかに金色を帯びた体はひどく細く弱弱しく、隙間から見える全身にも生傷が多く見える。どこからかはわからないが、こちら側に逃れてきたということは、大方白の軍に追い立てられた狭間の地の住人だろうと推察が付く。
だが、この少女に限っては、少々事情が違う。
先程自分が見た光る鳥の消失地点に倒れていた少女。そして、先程の白の将の残した言葉。この二つに関係性がないわけはない。そこから察するに、この少女が単なる民間人とは違う意味を持つ存在だということは、ジークにも察しがついた。
彼女の正体。そして、彼女が追われていた理由。
大事の予感がした。自分が感じた胸騒ぎはこのためか、とジークは思った。
そんなことを考えているうちに、黒夜城の威容が遠くに見えてきた。
ふと、腕の中の少女が身じろいだ。
「父さん……母さん……兄さん……」
涙の色を滲ませて家族を呼ぶそれは、うわ言のようだった。
ジークはその微かな言葉を耳にして、理由のわからない悔しさに駆られた。
胸に塩水のようにじわりと沁み込むそれは、自分が救えていない民の悲しみを直に聞いた、王位を継ぐ者としての至らなさへの悔しさだった。
城に帰還すると、少女の身柄を医務員に預け、ジークは黒の王に状況報告に向かった。出迎えた兵士達はジークが抱えた少女を見ると目を丸くしたが、負傷者だと伝えるとすぐに彼の意を汲み、対応に移った。
淡い空灯の明かりが差し込む廊下を歩き、謁見の間に入る。広い空間を、壁に据え付けられた青紫色の光鉱石の照明がぼんやりと照らしていた。
その最奥に鎮座する玉座に、黒い鎧と鴉の羽を模した羽織を纏った黒の王が待ち構えていた。彫りの深く引き締まった顔に顎を覆う髭をしており、その眼光は闇をも射抜くように鋭い。
「帰ったか、ジーク。首尾はどうだ」
黒の王グランヴァール・ヴァイルベルトは、遠雷のように重く響く声でジークに呼びかけた。
ジークは王子として、父王であるグランヴァールに任務の報告を行う。
「光る鳥の落下した現場に急行し、傷を負った少女が倒れていたので保護しました」
「少女? その鳥はどうした」
グランヴァールは訝しげに訊く。ジークは素直に答えた。
「確実にその現場に到着しましたが、鳥は見失いました。掻き消えてしまったかのようでした」
「それで、そこには代わりにその少女がいたというわけか」
はい、と首肯したジークに、グランヴァールは、ふむ、と顎に左の手を当ててわずかに考え込むと、付け加えるように訊いた。
「白の手先はどうした」
「少女を奪い取ろうとしたので、追い払いました」
もし自分が到着するのが遅かったら状況はかなり変わっていたかもしれないが、とジークは心中で戒めの言葉を自らにかけた。
「そうか」
グランヴァールはそれを聞いて満足げに口元を緩めた。息子が傷付いた人民を守るために果敢に白の敵に立ち向かったことが誇らしかったようだった。
グランヴァールは何かを考えるようにしばし瞑目した後、目をゆっくり開けた。
「ジーク」
「はい」
「金色の鳥……思い当たるところはないか」
そう訊かれて、ジークはわずかに間を置いて答えた。
心当たりならあったが、それはあまりに大きな存在だったから。
「星の鳥、ですか」
「だろうな。私も現物を見てはいないが、聞いた話から思い当たるには十分すぎる」
グランヴァールはそう言うと、黒鉄の籠手を嵌めた左の手に顎を載せた。
「そして、だとすれば、その重要性は勢力図の動きに大きく匹敵する。やはりお前に回収に行ってもらって正解だった」
「ですが、その鳥は捕らえることができませんでした」
「いや。あながち収穫がなかったわけでもないだろう」
グランヴァールはそう言って、玉座からジークを見据える。
「ジーク。お前は確かにあの鳥が墜落した現場に辿り着いた。そしてその場所にはお前が保護した少女がいた。間違いないな?」
「はい」
「そこにいたはずのものが、わずかな間に気配も残さず消え去った。ならばそこには何かしらのからくりがあるはずだ。お前はその手がかりになるものを確かに回収してきた。これは我々の確実な成果だ」
グランヴァールは事実としてを述べると、ジークに告げた。
「ジーク。ご苦労だった。回復したらその娘に話を訊いてみることにしよう。お前はその娘の元についていてやれ」
「……はい」
ジークは命令には従ったが、思ってもいなかった不安が胸を過ぎり、返事が遅れた。グランヴァールは彼のわずかな間に現れた変化を見取ると、その不安を拭い去るように言った。
「その娘は我が城の客人として丁重に扱う。事情によっては協力してもらうこともあるだろうが、ぞんざいな扱いをするつもりはない。心配するな」
ジークはその言葉を聞いて、自分の父王に対する思慮の浅さを恥じた。
「申し訳ありません」
「私を誰だと思っている。娘一人を守らないような器の小さな男ではないぞ」
グランヴァールはそう言って、凄むように、ふ、と小さく笑んだ。
謁見の間を出ると、廊下が何やら騒がしかった。
何事かと思ったジークの元に、一人の白衣を着た黒髪の侍女が駆け寄ってくる。
「ジーク様! 大変です!」
「アリアナか。何だ」
「ジーク様が連れ帰られた娘様の容体が……」
「何……!」
医務局長アリアナの言葉を聞き終わらない内に、ジークは足を前に進めていた。
「どこだ⁉」
「ご案内いたします!」
アリアナも急ぎ足でジークを先導し、二人は廊下を進んでいく。
「何があった⁉ 傷が悪化でもしたのか!」
「いえ、そうではなく……ああ、何と説明すればよろしいのか……そう、ただ」
「何だ!」
「全身が奇妙な色を発して、お体に金色の紋様が浮かび上がっておりました」
「!」
アリアナの言葉に、ジークの気持ちが逸る。
そのまま二人は部屋の前に着いた。扉の外に、二人の侍女と医務員がおろおろと立っていた。
「ジーク様!」
医務員がジークを見つけてすがるように呼びかけた。ジークは逸る気持ちで状況確認をする。
「お前達、何をしている! 何があった!」
「それが、あの方の看病をしている内に、あの方の体が奇妙な色に光り出しまして……突然、私を含めた皆、急に激しい虚脱感に襲われたのです。私達は異変を察して一旦部屋から出たのですが、近くで看病をしていたセリーヌ様が倒れられて、今も部屋の中に」
「何だと……」
ジークの焦りが限界を超えた。部屋の扉に手をかけたのを、医務員が制する。
「お待ちください! 今はまだ部屋の中がどうなっているかわかりません! 無闇に踏み込むのは――」
「黙れ!」
ジークは一喝すると、制止を振り切り部屋に飛び込んだ。
そこには、異様な光景が広がっていた。
部屋中の空気が色付き、しかもその色を変えている。まるで何か別種の空気が充満しているようだった。
部屋の奥には少女が横たわっており、その体には先程見た謎の紋様が浮かび上がり、部屋に満ちる空気と同じように色を変えている。
そして、彼女の上に凭れかかるように、セリーヌがくずおれていた。
「セリーヌ‼」
ジークはセリーヌに駆け寄る。ひどく青ざめた顔をしていた。
彼女を気付けようとして、ジークは自らも異変に気付く。
視界が、不意にぐらりと揺れた。
(――ッ?)
眩暈を感じて、ジークは現状を見る。どうやら、セリーヌを昏倒させた異常は、自分にも影響するらしい。理屈はわからないが、このままでは自分も意識を失う。
セリーヌを部屋から運び出そうとするが、意識への侵食は想像以上に速い。
現状を把握したジークは、ぐらつく頭で何とか考え、解決策を見出した。
この状況を生み出している原因。
色付く空気。色付く少女。二つの関係。
少女を助けたあの時と、同じ。
(間に合え、っ……!)
ジークは力を失っていく体を何とか動かして、少女の手を取った。理由はわからなかったが、そうするように自分の内の何かが命じているように感じた。
(頼む……止まれ!)
ジークは強く念じていた。
その時、繋いだ部分が一瞬黒く光った。
同時に、少女の体の紋様が色を失って消え、程なくして部屋に充満していた怪しい空気も薄れ、消えていった。
ジークは、朦朧としながら、どうにか事態が収まったことを認識した。
そして。
「――ん……」
小さな声を漏らして、少女は目を覚ました。
その瞳の色は、輝く玉のような金色だった。
「……っ――」
ジークは少女に何かを言おうとしたが意識が保たず、そのままその場に倒れ込んだ。
「ジーク様‼」
アリアナの悲鳴じみた声と共に、医務員と侍女が真っ青になって部屋に駆け込んだ。
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