第一話 星の鳥、黒の空へ(2)
王城の領内に辿り着いたジークは、すぐに騎竜管理舎の方に向かった。
あれを既に認識している以上、それを確認しに行く必要はない。そもそもあれだけの異常事態を監察局が見逃しているとも思えなかった。今はたとえ独断であろうとも、あの鳥を白の連中に奪わせないことが先決だ。
「クーロン! いるか?」
騎竜管理舎の扉を勢いよく開け放つと、中は何やら騒がしかった。
「おお、ジーク様! 大変なことが起きました。白軍の飛竜騎兵が――」
ジークの姿を認めて、飛竜管理舎の局長クーロンが駆け寄ってくる。壮年に近づいている顔に明らかな狼狽の色が見て取れた。
「わかっている。リュークを貸せ。あの鳥の状況を見てくる」
「お、お待ちください! ジーク様お一人でですか?」
息巻くジークを、クーロンは諫めようとした。だが、ジークは止まるわけにはいかなかった。
「どうせ兵が行動するにはまだ指示が行き届いていないのだろう? うかうかしていてはあの鳥を白の奴らに取られかねん!」
「で、ですがあまりに危険すぎます! あそこには白竜騎兵もおります。最悪の場合、ジーク様の身に危険が及ぶようなことがあれば、私の責任が……」
「敵国本拠地への無断単機突入なんて真似を気まぐれでするやつがいるわけがないだろう! あの鳥がそれだけの危険を冒してまで手に収めるべきものなら、我々が、しかも自国の領内でみすみすと見逃すわけにはいかん! 早くしろ!」
「しかし――」
「ジークの言う通りだ。飛竜を出しな、クーロン」
熱くなっていたジークとクーロンの口論に、水を入れる声があった。
二人は、声のした戸口の方を見る。
「ヴェルクス」
そこには軍服を纏ったすらりとした長身・黒髪の青年が扉に身を預けていた。
「グラン様からの達しがあって駆け付けたんだが、ちょうどいいとこにいてくれたな、ジーク」
ヴェルクスと呼ばれた青年は、王子であるジークに屈託なさげに話しかける。ジークもそれを不敬と思わず、臣下にして親友であるヴェルクスに対等な言葉で返答を返した。
「あれのことか?」
「ああ。やはり事態は相当でかいらしい。詳細は後、とりあえず全速で飛んでくれるか。部隊の用意が整い次第増援を向かわせる。あと、無茶はするなよ。お前が死んだら俺は悲しい」
「わかった」
「ジ、ジーク様……」
流れるように交わされる二人の事後承諾のやり取りに、クーロンは心配そうな顔をしていた。それはジークの身を案じてのことでもあり、何かあった場合の自分の責任問題を危惧してのことでもあった。ジークはクーロンの胸中を察し、不安を消すように不敵に笑いかけてみせた。
「心配するな。必ず生きて帰る。今回の件で何かあれば責任は俺が取る。お前に責任をかぶせたりはしないから、安心しろ」
「ジーク様……」
王子の気遣いにクーロンは感涙でくずおれそうになった。彼は責務に忠実な以上に、ジークのことを気遣える思いやりのある人間なのであった。そしてジークもまた、臣下への配慮を忘れない、王族の人間だった。
「ヴェルクス、何かあったら父上を頼む」
「何もないことを祈ってるぜ。さっさと帰って来いよ」
ヴェルクスと出陣前の儀礼的な挨拶を交わして、ジークは竜舎に急いだ。
黒鉄色に鈍く光る双翼を大きく揺らして、ジークを乗せた飛竜は空を駆ける。
光る鳥は白竜騎から逃げるようにこちらに向かって近づいてきていた。既に力を失ったように高度を下げつつある。それも自分の意思ではないように見える。どうやら傷を負っているらしい。
このままでは、と思う間に、光の軌跡を残し、鳥はついに森の中に墜落した。
(近い……!)
白竜騎が迫る前に、ジークは黒竜を落下地点へと全速で向かわせ、先に辿り着いた。
暗い森は閉ざされたように静かで、虫の鳴く声すらも聞こえなかった。
ジークは着地した黒竜の背を降り、夜気の中に微かに残る光の跡を追った。
そしてその先に、奇妙なものを見た。
墜落したはずの光の鳥は忽然と姿を消していた。
代わりにそこに倒れていたのは、金色の髪をした、かすり傷だらけの一人の少女だった。
ジークは少女の下へ駆け寄った。
「おい、大丈夫か?」
呼びかけながら跪き、倒れている少女の体を抱き起こす。少女は気を失っていて唇は青ざめており、さらに一枚の衣服も纏っていなかった。
ジークは自分の羽織っている漆黒のマントを脱いで、少女を包んでやった。照らすもののないこの黒夜の地域の気温は非常に低い。裸で外にいようものなら凍死しかねない。
(どういうことだ? あの鳥は、どこに行った?)
少女に応急処置を施しながら、ジークは見つかるはずのものが見つからず、見つかるはずのないものが見つかったことに困惑していた。だが、周囲を見渡しても、あの鳥の気配はない。
だが、ジークはそこで気づいた。微かながらその少女の身を光が取り巻いていたことに。
(…………)
ジークは冷静に判断した。なぜ鳥を見失ったのかはわからないが、光を纏い傷ついたこの少女は、果たして無関係だとは思えなかった。仮に何か関係しているなら、ここはこの少女を回収して事情を訊くのがいいかもしれない。
それに、この少女も体中に傷を負っている。ジークは目の前で罪のない命が消えるのを見過ごせるような人間ではなかった。
その時、
「う……っ……うあああっ……」
少女は突然、苦悶の声を上げた。ジークは少女の体に、黄金色の紋様が浮かび上がっているのを見た。それと同時に、体中が揺らめく白金色に色を変えていた。
そして、それに呼応するように、自分の中に宿るモノがざわめきを見せているのを感じた。
(何だ……一体、何が起きている?)
ジークは戸惑いつつも、現状を判断して自分の取るべき行動を正確に把握し直し、少女を担ぎ上げようとした。
だが、さらに悪い状況が重なる。
「いたぞ! あそこだ!」
何者かの飛ばす声を耳にし、ジークは心中で舌打ちした。
すぐに、鎧を着て武装した兵が二人、こちらに駆けてきた。その鎧の色は、闇の中においても光を感じさせる、輝く白だった。
どうやら、競走には勝ったらしい。だが、少々部の悪い状況だった。
「貴様! その娘を引き渡せ!」
先に出た白い鎧の騎士が、兜の下から高圧的な声をかけてくる。どうやらジークのことを知らないか、認識できていないらしい。ジークはさも呆れたかのような声を返す。
「敵国の領土に勝手に乗り込んでおいて、随分な口の利きようだな。こちらが先に手に入れたものを、そう易々と渡せると思うのか?」
「黙れ、黒の蛮人め! その少女は我々の手の内にあったもの。それを奪い取る貴様こそ、所有を乱す無法者だ!」
白騎士の傲慢な物言いに、ジークはヒヤリと頭が冷徹になるのを感じたが、すぐに目の前の「蛮族」に対する対応に意識を戻した。
「へえ。だが、あの鳥はお前たちから逃げているように俺には見えたがな」
「ぐっ、そ、それは……」
「あの鳥がどういうものなのか、俺はよく知らないが……恐れられ、見限られた上に、自由を求めて逃げ出した者をなお自分の手元に縛り付けようとするとは、なかなか見上げた精神だな」
皮肉をたっぷりと込めて白を揶揄するジークの挑発に、白の兵は頭に血を昇らせた。
「う、うるさい! 引き渡さなければ、事は国際問題に発展するぞ! お前達の世界なぞ、踏み潰されてしまうぞ! それでもいいのか!」
重要任務を任されている割には随分と口の軽い将校だとジークは思った。ある程度予想はできていたとはいえ、やはりそんなにもこの少女は大事だということか。
(……ん?)
そこまで考えて、ジークははたと重大な事実に思い当たった。
あの光る鳥を追ってきた白が、この少女を渡せと言ってきている。
それが意味するところは――、
(やはりか……どうやら、連れ帰ってから色々と面倒なことになりそうだな……)
ジークは自分の中である程度思考をまとめた後、白の騎士に向き直った。
「事情がどうあれ、この少女をこの地で先に捕捉したのは我々だ。それに、この少女は相当負傷している。手当を施さねば危険かもしれない。そんなに大事なものならば、後日時を改めて直接交渉に来るといい。そちらの権利が明確であるならば、こちらとしても無理を通すつもりはない」
「っく……知ったような口を……!」
「敵の領土に進軍してきた時点で、貴様に有効な発言が通ると思ったか?」
断罪の宣告のようにジークはとどめの一言を放った。
それが、白騎士の逆鱗に触れたらしい。
「――ふ……っ! かくなる上は!」
白騎士はサーベルを構えた。腐っていてもさすがは重要任務を任された将校、隙だらけとまではいかない構えだったが、ジークの心を揺らすには至らなかった。
「これが最後通告だ。その娘を引き渡せ。さもなければ、貴様の命を頂くぞ!」
脅しのように剣を構え、傲然と白騎士は言い放った。やれやれ、とジークはため息をつきたい気分だった。白の国の兵とはこうも礼儀知らずな奴らばかりなのだろうか。
「面白い。貴様ごときに俺がやれるかな」
「なっ、なに……」
嘲笑うように悠然と返された言葉に、敵兵はたじろいだ。ジークはそれで敵将の底を見た。
「それに、貴様は我らの国と民を侮辱し、あまつさえ目の前の怪我人の命をもないがしろにしようとしている……黒夜の国の王族として、国民として、そして人として、許してはおけん!」
「お、王族……?」
ジークの言葉の一部に、後ろに控えていた弓士が反応した。だが、それを指摘する間もなく、
「く……このぉぉっ!」
怒りに我を忘れた剣士が斬りかかってきた。自分を見失った突撃ほど御しやすいものはない。
ジークは敵の動きを見切り、大袈裟から振りかぶってきた斬撃を右方向に踏み込んで、担いだ少女の身柄ごと回避、既に抜いていたサーベルで敵の左籠手を打ち、兜を貫く勢いで掠めた。視界を貫かれた白騎士は泡を吹いて剣を取り落とし、崩れ落ちた。
「ふ……語るほどもないな」
「き、貴殿は……?」
一連の様子を遠くから見ていた弓士が、恐る恐る声をかけてきた。声のかけ方といい先程の気づきといい、どうやら少しは状況を見る力があるらしい。
「俺は、黒夜の国の王グランヴァール・ヴァイルベルトの嫡子、ジークヴァルツ・ヴァイルベルトだ。任務を遂行する気があるならば、戻って上司に先程の旨を伝えろ。この地でのこれ以上の勝手な狼藉は、この俺が許さん」
「…………」
弓士は、あまりのことに言葉を失っている。それを呆れたように見ながら、ジークは言葉を足した。
「大丈夫だ。俺はかすり傷一つ追っていない。貴様を告発するつもりはないから安心しろ。――それに、その男は死んでいない。気を失っているだけだ」
「え……あっ」
「来い、リューク!」
呼びかけに答えて、黒い騎竜リュークが翼をはためかせてジークの下へ降りた。
「余裕があれば貴様らの上司に伝えておけ。この少女がいかな重大な価値を持った存在だとしても、傷を負いながら逃げる無辜の少女を追いかけまわすのは、人間としてどうかと思うと、黒の王子が言っていたとな」
少女を抱えて騎竜に跨ったジークは呆然とする白騎士にそう言い残し、空へと舞い上がった。
一拍遅れて、焦りから慌てて弓を番える弓士の姿が見えた。
最後の追撃であった力のない矢をジークは剣で払い落とし、上空へと加速していった。
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