第一話 星の鳥、黒の空へ(5)
ヒトリが意識を取り戻し、一人で歩けるまでになったことを確認して、王城の世話係が彼女にも割り当てられた。
「終食は部屋に運ばせる。今日はゆっくり休め」
ジークはセリーヌと共にヒトリを彼女の客室まで送り、自らは終食――終日の食事、旧時代の晩餐――に向かう。
晩餐室には、父王グランヴァールに側近のヴェルクスが席に着いて待っていた。
ジークが席に着くと、控えていた給仕たちが動き出し、ささやかな晩餐が始まる。
夜麦の粉のパン、胡椒を効かせた野菜の煮込み、黒夜熊の炙り肉。
質素にまとめられた王族の食事は、ほかならぬ黒の王が提案したものだ。宮廷料理とはいえ、毎回贅を尽くせるほど黒夜の国の食糧事情は余裕がない。黒夜の国は白夜の国にもまして穀物や野菜、果物の産出が少なく、そうした食材は貴重とされている。それに比較して、厳しい生存競争を行う獣の肉や、水辺に生きる魚などが主要な食材となっている。
「ジーク。あの子が目を覚ましたらしいな」
闇葡萄のワインを一口飲んだところで、ヴェルクスが話しかけてきた。
「ああ。状態も安定しているらしい。何か気になることでもあるのか」
「そりゃあ気になるさ。王子様が女抱えて帰ってくりゃあな」
ジークはわずかに渋い顔になった。葡萄酒の渋みのせいではない。
「ヴェルクス。俺は親友であるお前に不敬罪などをかぶせるつもりはない。だが、親しき仲にも礼儀ありという
「気の置けない仲の友と語りながら飲む酒はこの世の至福、って狂歌なら知ってるぜ。カタいこと言わずに聞かせてくれよ。あの子、どんな子なんだ?」
つっかかってきているにもかかわらず、ヴェルクスの言葉や態度には厭味らしいところがない。ジークは少々辟易しながらも、話さないこともないか、と考えた。
「エルリニア地方に住んでいたらしい。やはり、黄昏の地平帯(トワイライトライン)の住人だったそうだ。身に宿った力を狙われて家族と土地を追われたらしい」
「へえ……そりゃ何とも、災難だったな」
ヴェルクスはそれを聞いて目を陰らせた。聞こえによっては軽薄にも思えるその言葉は、深く真摯な悔やみの念を込められていた。
「それで、やっぱりあの鳥とは関係あったのか?」
「あの鳥は彼女の
ジークの言葉に、ヴェルクスはううむと唸る。
「伝説の星の鳥を、まさか生きている間にお目にかかることになろうとはな」
「その気持ちはわかるが、彼女の前ではあまりその話はしないでやってくれ」
ジークはグラスを手に持ち、くいとワインを一口飲む。
「彼女は自分がその力を宿していることを快く思っていない。それが原因で家族と故郷を失ったんだ。下手に触れれば彼女の心を抉ることになる。そこは配慮してやってくれ」
「そうだな……わかった。肝に銘じておくよ。それにしても、今日一日の間に随分と知ったじゃないか。出会いはまずまずってとこか」
好奇の色を含んだヴェルクスの言葉を払い除けるように、ジークは訊き返した。
「何の話だ」
「将来の王妃候補は意外な所から出てくるかもしれないって話さ。でしょう、グラン様?」
ヴェルクスは酒を一口飲むと、ジークの父王に思惑ありげな視線を送る。グランヴァールは黒いパンを噛みちぎりながら、ふ、と小さく笑っただけだった。
ジークはお調子者の道化ぶりを首を振って流すと、父王に進言する。
「父上。彼女の――あの娘のことなのですが」
「ヒトリといったか。以降はそう呼べ。それで?」
ジークはグランヴァールに、先程の一件を話した。
星の鳥の力についての協力を頼む上で、彼女の無事と意志を最優先に尊重するという契約を。
「国益よりも自らの尊厳を選ぶか。お前らしいことだ」
興気に言って、グランヴァールは酒の入ったグラスをテーブルに置く。
「だが、あの娘――ヒトリが宿している力の大きさによっては、事はそれで済むものではなくなってくる可能性もある。白の国との抗争の種にもなるだろう。そうなった場合、お前のした契約はお前を縛り付けるものになる」
グランヴァールの試すような言葉にも、ジークは動じることはなかった。
「それは承知の上です。私はやはり多くの利益と引き換えの望まれない犠牲を認めたくはない。非力ながら、私は私の為すべきを信じます」
「そうだ。それでいい。いかなる理由があろうと、王たるもの、守るべき民の犠牲を容認してはいけない。俺の教育はちゃんと根付いていたようだな。さすがは俺の息子だ」
信念を示すジークの言葉に、グランヴァールは不敵に笑んでみせた。
「俺が在位の間は、白の連中とのいざこざは俺がどうにでもする。お前は、今お前が守るべきものを守れ。その心構えは、お前が王位に立つことになった時にも必ず力になる」
「はい」
信念を支える父王の言葉に、ジークは勇気を得た。
「俺が王位を譲った後は、お前の世代にこの国を任せることになる。このお調子者を存分に使え。頼んだぞ、ヴェルクス」
「任せてください。ジークは俺が死ぬまで見届けてやりますから」
王の言葉に、ヴェルクスは請け負うように応えた。ジークは、真剣味と茶化しが絶妙に混じったその言葉に返し方が見つからず、闇葡萄酒を呷った。
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