序章 Side:Hitori 黄昏の追走
黄金色に染まる地平と、赤く灼ける黒い闇の混ざり合う空に包まれた時の中。
わたしは、白金色の光に照らされる林道を、息を切らしながら全力で走って逃げていた。
光を残す地平から遠ざかり、向かう先は当ても知れない闇の中。
何も考えている余裕はない。ただ、あの追手達は危険だ、と、それだけはわかっていたから。
遠く、背の方で、怒鳴り声と騎馬の蹄の音が聞こえる。
あの人達が、わたしを追ってくるということは。
わたしは歯を食い縛り、胸に湧き上がった痛みを噛み殺して、ただ走った。
あの時と同じ。今は兄さんもいない。誰も助けてくれない。
今は、生きなければならない。他には何も、考えてはいられない。
背から照らす金色の光で前に落とされる大きな影を追うように、わたしは逃げた。
喉の渇きを覚えて、息を切らして、それでもわたしは逃げようとした。
途中、林に逃げ込み、追手を撒こうとし、どのくらい走っただろうか。
けれど、わたしの足では、騎馬に乗った追手の速さを振り切れなかった。
振り返らず走っていたわたしは、突然、脇腹に鋭い痛みが走って、体勢を崩した。
勢い余って、前のめりに地面に突っ伏すように倒れる。
黄金色の地平はすでにだいぶ遠く、空を覆う赤黒い闇がその濃さを増していた。
息が苦しい。脇腹を掠めた痛みと、急に走りを止められたことで、うまく息ができない。
朦朧とする意識の中に、カツカツと聞こえる軍靴の金属音と、いくつかの男の声が聞こえた。
「さんざん逃げ回りやがって、この小娘が」
「こんな娘が、世界を動かす力とは。運命とは皮肉だな」
「さっさとこいつを回収して、教皇様のところに持ち帰るぞ」
痛みと苦しさに侵される意識に、そんな声が届く。
わたしを、持ち帰ろうとしてる。
理由なら、わかる。きっとあの時の奴らと同じ。
いやだ。こんな奴らに、好きにされたくない。
父さんも、母さんも、兄さんも、部族の仲間達も、皆奪われた。
悔しさに、怒りに、哀しさに、目頭が痛いほどに熱くなる。
――嫌……お願い、だれか、たすけて……――
わたしは、むせぶように誰かに向けて祈っていた。
その時。
声に応えるように、わたしの中に眠っていた「それ」が目を覚ました。
胸の中心が熱くなり、体が膨れあがっていく。
熱い光に体と意識を呑まれた時――わたしは、人ではなくなっていた。
そこから先、しばらくの記憶はない。
ただ、夢の中のように、頭がぼんやりとして、体の感覚がなかったこと。
熱い力のような何かを食べるように体に取り込んで、傷が塞がっていったこと。
体が軽くなって、空に、あるいは光の海に浮いているようだったこと。
そんなことは、ぼんやりと憶えていた。
人ではなくなったわたしは、寄る辺もなく、どこかへふわりと飛んでいくようだった。
金色の光の反対側、空の闇の濃くなる方へと。
熱病でまどろむような意識の中、わたしは何かを見ていた。
それは、黒い人影。
熱に浮かされる意識にあって、その黒い人の輪郭は、冷たく鋭く研ぎ澄まされた、それでいて棘のない、磨かれた鉄のような優しさを感じさせていた。
誰だろう。どこにいるのか。実在するのか。それすらもわからない。
けれど。わたしはその黒い影に、導かれているように感じていた。あるいは、わたしの中に宿る「それ」――《彼女》が、それに惹かれているのを感じていたみたいだった。
『この人のところへ行こう』
誰でもない声が、そしてわたしの声が、わたしにそう語りかける。
その時見えた人の影は、光の明るさを全く持っていない純色の黒であったのに、わたしはその暗黒の彼に希望と救いを見ていた。
この人なら、きっと――わたしを守ってくれるだろうか。
寄る辺を失った心を導く一筋の光に縋るように、わたしは黒い彼の影を目指して、闇の深くなる空へと飛んでいった。
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