第40話 必要なトラブルもある、はず

 街というよりも、イメージとしては集落だ。

 スラム街がそのまま発展したような場所で、屋根はあるものの、どちらかと言えば石造りの四角い建物が乱立しており、天幕が立てられて行商もいる。

 彼女がフードで顔を隠したのは正解だ。砂埃も多い。

「ナナク」

 彼女はそう名乗った。

 行商の多い区域は人も多い。機械部品のジャンクなども捨て値で売られている。

「貴様の警戒はわかりやすいなあ……」

「……俺の警戒にのか」

「私は鷺城と違って、そんな面倒なことはしない。だがまあ、予想は当たっている」

「逃走か?」

「だろうな」

「……なんの話?」

「気にするな」

 ナナクの先導で歩いていたが、ちょっとした人ごみになっている行商区域にて、小太りの男が近づいてきた。

「やあどうも、どうも、お急ぎですか」

「そう見えるか?」

 対応したのは芽衣だった。こっそり、ファゼットはため息を落とす。

「どうも、わたしはこの辺りで行商をしているのです。どうぞよろしく」

「ほう、行商か」

「ええ――」

 芽衣が、その握手に応えた。

「――それなりに顔も利く。訪問者ヴィジターでしょう? お困りなら手を貸しますよ」

「そうか、困った時はそれも良いかもしれんな」

 軽い握手をして、手を離そうとした男は、肩を動かしてから、不愉快そうな顔を見せる。

 芽衣が手を離していないからだ。

 その間に、ファゼットは紛れるよう姿を消す。ナナクはそれにすら気付かない。

「軍が動いたのを知っていて、その方向からやってきた三人ともなれば、軍の目的の推測もできる。そして、軍から逃げてきたのだと、そう思うだろうな」

「手を離してください」

「どうやら貴様の想像力では、私たちが軍を相手に全滅させ、ここに来ていると考えないらしい。そして、間抜けにも周囲に手勢を配置して、それに気付かないなどと思い込んでいるんだろう? ――さあて」

「ぎっ、――っ!」

 まずは、手を握る力を強める。

「指輪にネックレス、小綺麗な服はこの場には似合わん。しかし、確かに貴様はほかに顔が利くのだろう。――見せしめには丁度良い。おいナナク、まさかこいつが関係者だとは言わないだろうな?」

「言わない……」

「それは安心だ」

「きっ、貴様っ、サーベルか!?」

「さあ? 勘違いでしょ」

「おいおい、貴様が話しているのは私だろう」

「があああ!」

「どうした、まだ骨まで潰れていないぞ。痛みに我慢してよく見ろ」

「な、なにを」

 どさりと、空から人が降ってきて、周囲にいた人影が更に距離を取る。騒がしさよりもむしろ、状況に対して静かになっていく。

 三人、四人、五人と増えれば、なおさらだ。

「狙撃兵は逃がして構わんぞ」

 そして、八人目が転がってから手を離せば、小太りの男は尻餅をついた。

 その足を、芽衣は踏む。

「さて、私はどうであれ、敵対を見せるような相手に容赦はしない。知らなかった、などという間抜けな言い訳を聞くつもりもない。ところで貴様は、死ぬのと生きるの、どちらが好みだ?」

「――」

「そう怯えた顔をするな、冗談だ。そう簡単に殺しはせんとも」

 勢いよく踏み抜けば、足首から先がおかしな方向へ曲がった。悲鳴が上がるのを、芽衣はアイウェア越しに詰まらなそうに見ている。

「戻ったかエミリー、少しうるさいが、殺していないだろうな?」

「気絶させただけだ。狙撃は400ヤード」

「撃たれたら避けろ」

「わかっている。こっちが気付いてるのに、位置を変えようともしない間抜けだ」

「うむ」

 もう片方の足を軽く踏めば、男は両手を使って逃げようとする。

「や、やめろ、やめてくれ!」

「訪問者を相手に楽しい商売をしているんだろう? どんな商売か教えてくれないか。そうしないと、私はこんな嫌な作業を続けなくてはならない」

「言う! 訪問者は未だ技術の塊だ! それを一つ聞きだせば、高値で軍が買い取ってくれる!」

「ほう」

 また、芽衣は足を踏みつぶした。

「その場合、技術の塊そのものは、聞き出せるだけ聞き出して、こっそり処分せねばならんなあ。更に言えば、貴様はそういう暗黙の諒解を得た軍部の誰かと繋がっていることにもなる。――なるほど、顔は広いようだ」

「がっ、あ、ああ……!」

「いやなに、私にとって訪問者など、赤の他人だ。どうなろうと知ったことではない――が、私に手を出そうとしたのだ、それなりに――馬鹿者、手を出すなエミリー、それはナナクの連絡がかりだ」

「伝書鳩か、すまん。――行っていいぞ」

 人ごみに紛れて身をひるがえした一人の手首を掴んでいたファゼットは、そのまま解放してやる。

 ナナクは。

 その反応の良さと、この現状に対して、諦めと納得を得た。

 ――勝てるはずがない。

 確保の仕事を請けて現場に行った自分たちが、ただただ、不運だったのだ。

「最初に手を出したのは、とても残念だ。次からは気をつけろよ? こうして、見せしめにされるリスクも考えておかなくてはな。さて、――落とし前はどうしてくれようか」

「かっ、金ならある!」

「ほう! それは貴様の右腕が骨折するよりも価値があるのか?」

「か――価値……?」

「そうとも。今の私にとって金など、手に入れるかどうか迷うくらいには無用なものだ。商売人の貴様に言うのもなんだが、相手が望んでいるものが何なのかは、きちんと把握しておかないと交渉にならんぞ? 何しろ、安全ですら私はもう得ているし、これからすぐにでも得られる」

 左足で固定し、右足で軽く蹴っただけで、肩が外れた。

「言っておくが、この程度はまだまだ準備運動だ。殺すつもりならとっくにやっているし、拷問ならば――殺してくれと、そう言い出すまでやる。とはいえ、貴様から聞き出すことは……はて、あっただろうか」

「ひ、ひっ、――!」

「ははは、そう驚くな。いいか? よく聞いて返事をしろ。――二度と、私に手を出すな。わかったか?」

「わかった! わかった、もう二度としない!」

「よろしい。さ、て――そろそろ起きたらどうだ貴様。このまま状況が終わるはずがないだろう?」

 一歩、小太りの男から離れた直後、気絶していた一人が跳ね起きて距離を取った。

 ファゼットは動かない。

 両手両足で跳ね起きた男は、左手を腰裏に回して拳銃を引き抜く。着地、そして銃口を芽衣へ向けた時には、既に。

 発砲音。

 彼はきっと、自分の手に銃がないことに気付かなかった。

「動きが遅いぞ、錬度不足だな」

「――」

 そこで、芽衣の手に拳銃があることを目で見てから、銃を弾かれたことに気付いたのだろう。そこで硬直したよう動きが止まる。

 速い。

 抜いた素振りというか、拳銃を構える動きそのものが自然過ぎて、ファゼットですら目で追えていたのにも関わらず、それが銃口を向ける動きであると、脳が認識していなかった。

「この男の身内か?」

「雇われだ」

 硬直から解かれたあとの男は、姿勢を低くしたまま、即答する。小さく右手でハンドサインを出したのは、狙撃をしている仲間に撤退させるためだ。

 故に、芽衣もそれをとがめはしない。

「今すぐ前金の倍払いで仕事はキャンセルしたい気分だ」

「では前金くらいの仕事をさせてやろう――なに、警戒するな。この間抜けな男を運んでやれ、治療も必要だろう」

「……」

「なんだ、それとも真面目に仕事をするか?」

「――まさか。同業者には通達しておく」

「それでいい」

「サーベルの先遣は何人だ?」

「十一人いた、私以外は死んだ。――何もせずに」

「……そうか」

「貴様らはこれで全員か?」

「うちは小規模だからな」

「確かに、装備もそれほど整ってはいないな。不足はしていないが」

「……そうかい」

 そうして、男はゆっくり腰を伸ばしてこちらを見る。

「殺さないでくれたことに感謝を」

「だそうだが、エミリー」

「ん? いや、運が良かっただけだろ。殺すまでもない錬度だったことを、たまにはありがたいと思っていいんじゃねえのか」

「ふむ。遊び相手としては不足か」

「まあな」

「よろしい。では、私たちはもう行くが、手が空いているなら軍の撤退にでも力を貸してやれ。状況確認も含めてな」

「……そうしておく」

「うむ。さあ諸君、騒ぎはこれにて終了だ、解散しろ」

 二度ほど手を叩くようにして、観客を散らす。これもまた、いつの間にか拳銃がなくなっている――まったく、どういう錬度だ。

「……いつから気付いていたの?」

「連中のことなら、こちら側に来た時から包囲してたぜ。こっちの速度に合わせて、切っ掛けを探ってる感じもなかったから、誰かから接触があるってのは予想してた」

「そう……」

「間抜けが引っかかるのは、よくあることだ。ああやって見せしめをやれば、次に来るのは本命になる。楽しいだろう?」

「楽しんでどうする」

「貴様はそんなところまで鷺城に学んだのか? いかんぞ、状況なんぞ退屈であればあるほど、その中に楽しみを見つけなくては。――だから、鷺城を一人にはあまりしたくないんだがな」

「――そうなのか?」

「エミリー、あいつの印象を言ってみろ」

「印象? ……冷静でよく物事を考えてる。俺らの行動に関しては、どこか退屈さを持って指導していたな」

「そうだ、あの女は知識もあって経験もしているから、否応なく状況を退屈だと思う。仮に真新しいものが目の前に現れたとしよう。鷺城の場合は、それに驚きもせず、ただ、知識の中から正解を導き出す」

「正解なのか?」

「そうだ。類似性のあるものから、その理屈を見抜き、仕組みを理解し、正解を得る。つまりそれは、現れた時点で、真新しいものではなくなるわけだ。まあ、人間性を抑制していた時間が長かったのも影響している」

 数千年。

 化け物ではなく、人間としてぎりぎりのラインを保つためには、どうしたって必要だった。

 心が摩耗する前に、心そのものを箱に入れて大事にしまっておく。それはいずれ、出し方も忘れてしまうものだ。

「そういう時の鷺城は、周囲が見えなくなることがあるからな。まあ改善されているだろうが、放っておくと何をするかわからん。――どうせ面倒なことになっている」

「あんたよりか?」

「私はわかりやすいだろう?」

 ファゼットは返答を避けた。

「今、鷺城がどうしているのか、当たりはつけているのか?」

「ん? いくつか可能性は考えているが、気にするな。どうせ鷺城は、どこにいても鷺城のままだ。さぞ私がいないことに不安を抱いて、頭を抱えていることだろう」

「――おい」

「ははは、面倒だろう?」

 本気で心配しているのかと思いきや、そうでもないようで。

 ちょっとだけ、芽衣の話をする時には必ず不機嫌になる鷺花の理由が、わかったような気もした。



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