第35話 今までと、これからのクロ

 良い天気だ。

 陽光が半分くらい入る縁側に腰かけて、ぼうっと空を見上げていられる心地よさ。

 こういう時間が好きになったのは、いつくらいだろうか。

 たぶん娘が生まれてからだ。

 ……そう考えると、もう六年になるのか。早いなあ。

 ちらりと後ろを見れば、七本になった私の尻尾の上で、自分の尻尾を抱えて寝る娘がいる。隣にはもう一人、シオネの娘が半分埋まりながら寝ていた。

 苦しくはないらしい。


 私の戦闘技術において、今はナツメじーさんの影響が強く出ている。

 まあそれはシオネも一緒だけど。


 先生や中尉殿から教わったことは覚えている。顔……は、もうよく思い出せないけど。

 時間にしてみれば、たった一年。

 今にして思えば、あっという間だ。

 あとはとにかく、実戦あるのみ。挑戦者を募集して生活資金を溜めながら、戦闘もできるという……まあ、苦労はそれなりにしたけど。

 しつこい相手とか。

 寝込みを襲おうとするやつとか。

 挑戦者が多すぎて休む暇がない時もあったりした。

 最近はだいぶ減ってきて実入りがない――あ、そうでもないか。うん。

 何より、子供たちと遊ぶのは楽しい。

 私の尻尾を追いかけて、ぴょんぴょんしてるのとか可愛い。

 ――とか言うと、最近はめきめきと拳の威力が上がってきた、とかシオネに言われるし。なんか睨むし。よくわからんけど、私は遊んでるだけだ。

 昨日からシオネがイェールまで行っているので、面倒を見ているんだけど、今日くらいには帰ってくるはず。主に食料の買い出しとか――だった、ような。

 ……まあいいか。

 ちなみに私の旦那は、行商人である。

 あの野郎、あちこち行くものだから、半年に一度くらいしか顔を見せない。

 仕事なのは知ってるし、尊重するけど。

 けど。

 くそう、寂しいのは娘だけじゃないってことを、ちゃんと理解させないとなー。

 なんてことを考えていたら、娘のミカの耳が、ぴくりと動く。

「ん……」

 ぼうっとしたまま躰を起こし、私の背中を二度ほど叩いてから、埋もれていたサヤを両手を使って引っ張り出す。

「んー」

「んあ、あー、……あ? あー」

「サヤ、起きる」

「あーうん、あー……ん? あー、うん、うん……」

 両手で空を掻く。ミカの頭を抱き寄せ、なんか違うなと首を捻って。

「んー……?」

「朝は起きるのに。かーちゃんの尻尾すげー」

「手入れしてるから」

 最近は自分のベッドじゃなくなってるけどね。夜はミカが一緒に寝てるから。

「あーおはよう……」

「ん。サヤ、シオネさん帰ってきた」

「んー?」

 欠伸が一つ、ミカは靴をはいて先に外へ。

 気配を掴むのが上手くなったものだ。

「ただいま戻りました」

「おかえり」

「……あー、母さん。――あ! 父さんもいる!」

 飛び出そうとしたサヤの襟首を掴み、ちゃんと靴をはかせる。……ん、よろしい。

「ただいま、サヤ」

「父さん!」

 サヤは偉い。

 うちの旦那が帰った時、ミカは間違いなく攻撃を入れる。結構鋭いやつを。まあそれはそれで私は褒めるけど。

「なんで、ねこがいるの?」

「あらなあに、私を出迎えるのは嫌なの?」

「めんどい」

 もう身内みたいなものだし、いちいち迎えなくてもいいじゃないか。

「おいでミカ、久しぶりね」

「うん」

 頭を撫でられているが、あまり落ち着いていない。久しぶりだから、どうして良いのか、わからないのかも。

「今度は、キーニャにも逢いにきてちょうだい」

「ん、母さんかシオネさんと一緒に行く」

「そうなさい。――で、クロ」

「なに」

「あんたはもうちょっと王城に顔を見せなさい」

「え、嫌」

「即答する前に考えなさいよ!」

「ねこはうるさい。ウカワ、久しぶり。調子は?」

「久しぶりだね、クロさん。まずまず、といったところかな。最近じゃあ、戦闘を教えてくれと言われて、だいぶ困ってる。ぼくはまだ、教えられるほどじゃないからね」

「そういうやつらには、見て盗めって言えばいい」

「――そうか、それでいいんだね。あっと、シオネ、荷物はぼくが運ぶよ。サヤ、置き場所はわかる? 教えてくれないか」

 おおう、気遣いのできる男は違うね。家族サービス。偉い。

「私が出ている間に、何かありましたか?」

「なにもない」

「ミカ、どうでした?」

 何故そこで娘に聞くんだ。私が答えたじゃないか。

「うん、なにもない。――今日のお昼とか、狩りしたし」

「クロ様?」

「ちがうちがう。昨晩は二人が作るって言うから、任せたの」

 食材ぜんぶ使うとは予想外だったけど。

 味付けの基本はシオネが教え込んであるので、食べられないものはなかった。失敗もあったけれど、自覚もあったし、次はもっと上手くやるだろう。

 なんか言い合いながらやってて、微笑ましかったし。

「まったく……」

「クロはその、とにかく実践って癖を直したらどうなの?」

「ん? できないと思ってたら、ちゃんとフォローするよ?」

「それでもやらせるのよね……」

 だってやらなきゃ、本人たちはわからないじゃんか。

「ミカ、お茶ちょうだい」

「うん、ちょっと待ってて」

 縁側、隣にねこを座らせた。シオネはこういう時、座らないのは知っている。もう侍女じゃないのに。

「で?」

「本当に報告と、顔を見にきただけよ。ゾーグもナツメも、まだ元気にしてるわ。ただこっちに来るのは、ちょっとしんどくなってるみたい」

「あー寄る年波には勝てんかー」

 そりゃこっちから逢いに行かなきゃなあ。でも用事ないし、まだミカ一人が出歩くには早いし。

「だから早く来いって」

「あの二人、ミカもサヤも好きすぎるからなあ……」

 自分の孫にやれと言いたい。言ったら、もうお前さんくらいだと言われた。じゃあひ孫か。

 実際に、私よりきちんと体術とか鍛冶の理屈とか、教えてるからなあ。子供たちも楽しそうにやってるから、いいんだけど。

「ん……尻尾は七本から増えてないのね」

「うん。今はあまり気にしてない」

 触られても、ねこが相手ならそう気にしない。

「ねこの方は? 娘は落ち着いた?」

「まだ目が離せないけれど、今日はフタナナに任せてきたわ。王城にいると息が詰まるもの」

「そういえば、あのワガママ娘は?」

「私が結婚した半年後、慌てて男を捕まえて、今は王宮でハッピーしてるわよ」

 王宮……ああ、本城の方か。

「というか、そこらへん配慮しなかったんだ」

「しないわよ」

「ルーニャ様の場合、先にニーニャ様がご結婚なさらないと、焦ることもありませんから」

 あいつ馬鹿だったのかー。

「ミュアは?」

「次期メイド長になるくらいには、王城で働いてるわよ。男はいるんだかいないんだか……」

「ミュア様は、そういうところは上手く隠しますから」

「そうなのよねえ」

「たまにはこっち来るよう言っといて」

「クロが来なさいよ……」

 そこはそれ。

 ほら、挑戦者とか、いつ来るかわかんないし。

「でもまあ、子供連れて行くよ、今度」

「できるだけ早いうちに?」

「う……うん、できるだけ」

「シオネ」

「目的があれば、クロ様の行動は早いんですが、ミカを口説いた方が早いですよ」

「それはそれで難しいじゃない」

 そうかな? ミカはあれで、やりたいことはすぐ言うけど。まだ早いって私もよく言うくらいだし。

「――で、しばらくはここにいるのね?」

「しばらく?」

「先のことよ」

「え、うん、まあ、少なくとも安心するまでミカとは一緒に行動するけど」

 私の目的としては、一度、魔王と話しておきたいことはある。

 触れられざる者イントッカービレに関してだ。

 娘は持ってないから、それほど優先度は高くないけど。

「一緒にいるだけで、ここにいるとは限らないよ?」

「どっかに行く時は連絡なさい」

「なんで」

「いいから!」

「……鎮静剤いる? はいお茶」

「いらないわよ、ありがとうミカ。あと鎮静剤あるの?」

「ある。反動でちょっと半日くらい起きなくなるけど」

「それは睡眠薬とは違うの……?」

「違うよ? ――起きてるから」

「……クロ」

「なに」

「…………まあいいわ」

 だったら聞くな。

 薬物の作り方なんかも、いろいろ教わったからね、うん。

「――あ、シオネさん、呼んでる」

「はい。ニーニャ様、今日は泊まっていきますね? 夕食のリクエストがあれば聞きますが」

「美味しいもの」

「はい」

「……ねこさん、いつも美味しいもの食べてるんじゃないの?」

「高級かもしれないけど、美味しいとは別なのよ。まずくはないけれどね。こっち座りなさいミカ」

「うん」

 二人増えただけなのに、賑やかだなあ。

「あと、ねこさんはやめなさい」

「なんで? ねこさん、ねこさんでしょ?」

「クロの悪い癖が移ってるわ」

「ん? ねこはねこだから」

「ぬう……お願いだから、私の子供の前でそれを言わないでちょうだい」

 うん。

 無理だと思う。

「変わらないわね……」

「そうでもない。昔ほど焦らなくなったし」

「そう?」

「適当に生きていけるから」

 あるいは最低限の生活、か。

「ねこも、ゆっくりしてって。――挑戦者は来るかもだけど」

「ああそれも見ておこうかしら……」

「勤勉」

 かつて私は、先生と中尉殿から教わったことを、早く身に着けたくて精一杯だった。

 でもあれだって、私が生きていけるためのものだったわけで――今じゃ笑い話。

 どっかでまだ探してるのか、全部終わってちゃんと亡くなったのかは知らないけど、今の私にとっては別の話。

 まあ。

 もし一声でも届くなら――うん。

 私は。

 幸せに生きてるよって、伝えておいて。



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