第34話 今までと、これからのシオネ

 十五年。

 侍女であることをやめてから、今までのことを一言で表すのならば、私にとっては充実で済む。

 人生なんてものは、大きな騒動や事件が起きないものだなあ、と思う。

 侍女をやめる時には、ニーニャ様の手を借りたら、すんなりと意見が通った。ただし条件として、ニーニャ様との繋がりは必ず残しておくこと。

 だから、冒険者としての仕事以外にも、それなりに公務の手伝いなどもした。住んでいた家も、ミュア様がニーニャ様と一緒に出てから――卒業後だ――私が管理をするようにもなった。

 今も、管理というか掃除はやっている。来客もあるし、一応は住んでいるから。


 今日は良い天気だ。日差しが心地よい。


 街道から外れて歩くのは、三人。

 私と、ニーニャ様と、そして私の旦那様だ。


 久しぶりに会って上機嫌である。

 背丈は私よりも高く、王城勤めの騎士であるため、全身が白色の服。装飾もあって、階級によって違うのだけれど、大隊長付きの副長の立場を、齢三十にして得ているので、それなりに派手だ。もちろん、それだけの腕もある。

 自慢の旦那様だ。

 イェールの街を出てから、ほとんどずっと、右腕を抱いている。

 もう付き合いも長いのに、歩き方がぎこちないのがまた可愛い。この人は本当、こういうことに慣れないから。

 でも状況に流される人でもない。服を脱いでいざ誘おうとしても、きちんとした理由がなければ、何もしないから。

 浮気をする度胸もなさそうだけれど。

「――あら、どうなさいました、ニーニャ様」

「べっつに」

 じゃあ何故、そんな不満そうなのか。

「あの、シオネ」

「はい、なんでしょう旦那様」

「ぼくの右腕にね? その、抱き着かれると、いざという時に剣が抜けないんだ。街道からも外れたから、危険もあるんじゃないかと」

 ああ、私があまりにもくっつくから、ニーニャ様も文句があるのか。文句というか、目障りというか。

「よろしいですか、旦那様」

「うん」

「旦那様は、ニーニャ様の護衛です」

「そうだね」

「私は遊撃です。仮に有事となった際に、最初に動くのは私です。つまりその時には、右腕が自由に使えます」

「ああもういいわ、ウカワ。どうせシオネには勝てないんでしょ」

「恥ずかしながら、ぼくは勝てた試しがありません……」

「……? よくわかりませんが、このあたりはもう慣れた道ですので、大した脅威もありませんよ。魔物も私の気配に近づいてきませんから」

「そう」

 向かっているのは、クロ様の住居だ。

 といっても、私もほとんど、こちらで過ごしている。昔にナツメ様が言っていたよう、挑戦者募集の看板を立てて、生活しているのだ。

 ただナツメ様と状況が違うのは、冒険者に限らず、旦那様のような騎士や、兵士なども自由参加にしていること。

 つまり、王室の黙認があるのだ。

 向かうところ敵なし――と、言いたいところではあるが。

 私やクロ様も、まだ、負けることがある。

 世界は広い。

 こう言ってはなんだが、掘り出し物は見つかるのだ。

「だったらなんで、うちの錬度は上がらないのかしら」

「戦闘で得られるものの差は、目指すべきものと、自覚が必要ですから。旦那様は王城での訓練を退屈だとは思われませんか?」

「そう……だね。やはり、自主訓練が多くなるのは、仕方がないことかな」

「あら、私に配慮しなくてもいいわよ? 実際に、出産後に軽く運動を初めても、私の相手だって少ないんだもの」

 そう、四年ほど前にニーニャ様はご出産なされた。

「お子さんのことは良いのですか?」

「ここ数年は、視察も誰かに任せていたし、そろそろ一度はこっちに来ておきたかったのよ。娘もだいぶ手がかからなくなったし、フタナナが面倒を見てくれてるから」

「今ではフタナナも、専属の乳母ですか」

「そう、あの子いつの間にか上手くなってて。聞いたら、寝てる間に前任者に聞いたとか」

 ――ああ、幽霊の乳母様。

 そうか、もしかしたら経験として培ったものを、誰かに教えたかったのかもしれない。

 まあ実際にいるかどうかもわからないので、事実はどうか知らないが。

「それにしたって、あんたはちょっと強くなりすぎでしょう? 敵なんているの?」

「敵という表現はともかくも、私より強い方はいくらでもいますよ。ただ、私を殺せる相手は、ほとんどいないかと。旦那様ならできるかもしれませんね」

「それは戦闘じゃなく、ぼくには隙や油断を見せるからと、以前に聞いたよ」

「はい、その通りです」

 最低限の常時展開術式までは消さないけれど。

 ちなみに旦那様は剣術を扱う。私やクロ様にとっては知らない体術になるが、そこはそれ、嫌というほど使い手は見ているし、躰は人間と変わらないのだから、基本は教えられるし、応用も利く。

 そういった理由で、私たちと付き合いがある時点で、専属騎士くらい、戦闘技術だけなら充分になれる。

 今なら言えるけれど。

 スキルだって、捨てたもんじゃない。ようは使い方次第だ。

「でも」

 少しだけ、申し訳なさそうに。

「娘に逢える時間がなかなか取れないのは、父親としてどうなのかな」

 そう、実は仲間内で一番早かったのは私だ。

 娘は今、七歳。

「あら、三歳になるまではずっと一緒だったじゃないですか」

「それはそうだけど」

「大丈夫ですよ、私もあの子も、我慢するくらいなら逢いに行きます」

「うん……そうだったね……」

「だからって式典に潜り込むのはどうかと思うわよ……?」

 そんなこともあった。去年の話だ。

 しかも邪魔されて娘が怒ってた。あの子には術式やら体術やら、望むがままに教えてしまっているので、ちょっとした騒ぎにもなってた気もする。

 私にとっては微笑ましいくらいの実力でも、比較基準が兵士たちでは、錬度に差がありすぎる。


 いや、むしろ。

 ――クロ様の娘に、対抗意識を燃やしているのだ、あの子は。


 一つ年下の、いわゆる幼馴染になる、クロ様の娘は、人間との子であるのにも関わらず、黒狐の種族だった。おそらく触れられざる者イントッカービレの称号が影響していると思われる。

 スキルが使えない。

 けれど、誰かと比較するのではなく、クロ様の傍にいることで、あの子はそれが当たり前のものとして受け入れ、劣等感もなく。

 そして私やクロ様の戦闘――というか、挑戦者を相手にするのを見て、すさまじい吸収力を見せている。

 つまり、私の子にとっては、既に背中しか見えない状況なのだ。

「あの子には、いろんなことに目を向けて欲しいんですけれどねえ」

「まだ目が離せないわよね。というか離さないように。――シオネは、これから先のこと、考えてる?」

「そうですね、昔のようにあちこち出歩く理由はもう、それほど強くありません。必要ならばそうするかもしれない、程度のものですね」

「シオネ、よく考えてちょうだい。あのクロが、一ヶ月くらい出かけると言い出したら?」

「はい、訂正します。クロ様次第ですね」

 なんの心配もないだろうけれど、けれど、あの人がふらりと姿を消して数日いないなら、ともかく。

 あえて私にそう言うのならば、ついて行くしかない。

 得るものはあるだろうし、何より、放っておくと無茶をしかねないから。

 前例もある。

「二人だからといって、無茶をしないとも限らないのよね……」

 はい、それも前例があります。

 私がブレーキ役なわけでもなし。

「子供ができたら落ち着くと思ってたのに」

「あら、落ち着きましたよ?」

「ウカワ」

「ぼくは仕事ばかりで、あまり。それにシオネは、それくらいの方が見ていて楽しいです」

 この人はもう、そうやって嬉しいことを言ってくれるから。

 ほんとう、捕まえておいて良かった。

「まったくこいつらは……」

「ニーニャ様は旦那様にご不満でも?」

「うちの? んー、嫌ってほどお見合いさせられて、選んだ相手だけど、不満はないわね。ただそれほど仕事に意欲的でもないから」

「それはニーニャ様も同じでは?」

「そうだけど……」

 やるにはやるけれど、少なければそれで良いし、すぐ片付ける。そういうニーニャ様をずっと見てきた。

 成果を上げようとかは、あまり考えない。

 似た者夫婦なのだろう。

「それでも、一人でこちらへ向かうのは、いささか強引でした」

「なによ。ウカワがいるなら、充分でしょ。普段はネールゥに任せているのを、あんたに変えたんだから」

「まあ、ぼくがこちらへシオネと戻るのを、ご存知だったんでしょうけれど」

「タイミングは合わせたけれど、邪魔ではないでしょ?」

「ええ構いません。――まあ」

 ただ、そう。

「クロ様はどう思うか、わかりませんが」

 言えば、ものすごく嫌そうな顔をしてこちらを見た。

 せっかくのデートを邪魔されたのだ、このくらいは良いだろう。



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