第32話 ご老体の川流れ
一応、殺さないように。
適当に素材を剥ぎながら。
話が通じる相手がやってきたのは、八匹目を終えてからだった。
「拍子抜けですね……」
「うん、まったく手ごたえがないね。最初の一匹、まだ生きてる?」
「うむ、まだ生きておるぞ」
「もう少し試したいこともあったのですが、残念です」
「この程度で何を偉そうにしてんだか……」
「わしを見るでない!」
案内している人型のトカゲは、無言を貫いている。やや警戒に似た空気を出しているが、知ったことじゃない。
私だって、この程度だとは思ってなかった。
「――あ。もしかして、荒れてるトカゲが危険視されてんのかな?」
「ああ、その可能性はありました。しかし、ブレスを吐くなら顔を、手足も同様に、尻尾なら切断したら良いのでは?」
「お主ら、威圧という言葉を知っておるか?」
「知ってる」
「試しにやってみましょうか?」
「嫌じゃやめい! お主ら二人が訓練中にやったのを、間近で感じたのはまだ覚えておる!」
うん。なんか離れてるのに、ギルドから文句も来てた。
そんなつもりなかったのに。
「あの時は思いのほか、白熱しましたね」
「うん、魔術領域の陣取り」
お互いの魔力で区切りを作り、その領域を取り合う訓練。先生からは一般的な戦闘で使われると聞いていたから、シオネ相手ならちょうど良いと――まあ、やったわけだけど。
人の気配が自然に漏れた魔力ならば。
その魔力を強化して拡散、あるいは相手を押しつぶそうとするだなんて、まさに威圧だ。
あれはあれで、威圧をしたかったわけではないんだけど。
「――ここだ」
「どーも」
「ミエラ・イズール。話がある」
「先に言っておくが、文句は言うでないぞ? わしは連れてこられただけじゃ、こやつらがついて来たわけではない」
「それも含めて、だ」
「大きな声で、たっけてーって泣きつくんだよ?」
「その時に余裕があったら、駆け付けるかどうか考えますので」
「ええいっ、お主らはとっとと行け!」
岩影に隠れた、おもいのほかきっちりとした平屋。
というより、岩棚を改造したようなかたちだ。しかし、人の気配は裏手にあるため、シオネと視線を一度合わせてから、迂回するかたちでそちらへ向かう。
――ああ。
「訓練場があったのかー」
「随分とお待たせしたかもしれませんね」
中に入ると、禿頭の老人が待っていた。
「よう」
背筋に悪寒が走り、すぐに冷たい汗が流れ落ちるのを感じる。
細い、という印象が強い。男性にしては小柄だし、顔にある皺が証明するよう、高齢なのだろう。
だが、この人は。
「入口付近で遊んでたのを掴んでいたが、随分と遅かったじゃねえか」
「うん、トカゲが邪魔してたから」
言えば、老人は笑った。
「ははは、トカゲか! そりゃいい――おれも同感だぜ」
軽く一歩、前へ出る。
「聞いてたぜ、黒狐。いや待ってたと言うべきか、おれがくたばる前にツラを見せてくれりゃ、それでいい。だが」
前へ出たと思った直後、老人は私の目の前にしゃがんでおり、その両手を、あろうことか私の胸へ当てていた。
「こりゃ成長の見込みねえな」
クソ老人め。
「おっと」
蹴りを回避したと思えば、もうシオネのおっぱいを掴んでいた。
「お、お前さんはもうちょいイケるな!」
「――」
あ、怒った。でも我慢してる。殴ろうとしたけど。
「はっはっは、まあガキが相手じゃあどうしいようもねえ。三十を過ぎてからだなこりゃ。さあて、あの女が言っていた通り、まずは手合わせをするか。――安心しろ、お前さんらに後れを取るようなおれじゃねえよ」
「あ、私の尻尾触ったら、全域巻き込んで殺すから」
「そりゃおっかねえ」
――踏み込む。
私の視界には、天井が映っていた。
……へ?
投げられた? え? 踏み込んだだけで、ほかの何も感じなかったけど!?
慌てて起き上がると、目の前にシオネの背中があって、すかさず回避。
「慣れてねえなあ、おい」
確かに。
「あんまり投げられたことはないけど……」
投げられたことさえ、わからなかったぞ?
何度も投げられた。
踏み込み、攻撃。
この間に相手の投げが完成する。
つまり私やシオネの踏み込み、あるいは移動、それ自体が投げを成立する要因となっていて、相変わらず、するりと空を掴むような感覚と共に、投げられたことを実感する。
私の動きを利用しているのは、わかる。
だが、どう利用しているかがわからない。
感覚を最大に広げてても、このすり抜ける感じがなくならないのは、どうしてだ。
考えろ。
考えるのをやめるな。
現実から目を反らすな――。
お?
シオネがちょっと対応を始めてる?
――流れの掌握か?
というか、たぶん合わせがめちゃくちゃ上手いんじゃ? 流れを作るんじゃなくて、こっちの流れに合わせて、ちょっとばかり方向を変えている、というか。
ん? だったら、合わせなければいいんじゃないか?
中尉殿がよくやってたみたいに、細かいズラしを繰り返せば……フェイントじゃなく、ズラせば結構いける気がする。
結論から言えば、成功だった。
踏み込みからズラす。相手ではなく自分を、つまり最大威力が出る踏み込みではなく、それこそ最悪の、子供じみた、何の効果もない、ただ距離を縮めるだけに足を出し、重心を崩すような二歩目。
見失わず、相手の動きが見えて、やっぱり正解だった――のだが。
「攻撃に、当たりに来てどうするよ」
わき腹のあたりに添えられた手、そこから後ろ側への踏み込み。
手と足が直線になる――つまり、私は、勢いをそのままに、巨大な棒にわき腹からあたりに行ったのと同じく、躰の軋みと共に吹き飛ばされた壁にぶつかった。
痛い。
泣きたい。
「けほっ、けほっ」
あーやっぱりわき腹とか、肺の近辺に良い打撃喰らうと呼吸がなー。
でもわかった。
そもそも、投げられたのがわからないのも頷ける。
私は、投げられたかのよう、自分で動いているのだ。
本当に、ご老人がやっているのは、それこそ一割くらい。九割は自分で動いて勝手に転ぶよう跳んで投げられてる感じ。
けれど、その一割が重要だ。
流れの方向を決めるための一割――軽く触れて、ちょいと動かすだけなのに、中心を持っていかれる。
しかも、それを自分でやっていると勘違いするくらい、自然に。
川の流れを変える岩どころではない。
印象としては、川そのものだ。
繰り返す。
今度はズラしを小さく、流れをせき止めることもできないなら、僅かでも変えるため、小石を投げるように。
波紋を起こす。
――ああ、そうか。
印象としては、シオネの魔術認識に近いから、対応が早かったのか。
何かにぶつかったと思ったら、シオネだった。
息が上がっている。
十五分? もっと?
攻撃を避けられるよりも、喰らうよりも、掴みどころがない状況は心身ともに疲労は強い。
でも、きっと。
いつも通り、私は、笑っている。
だって相手が強いと、楽しいじゃないか。
「――よしっ!」
「はい」
準備運動終わり! 最後!
……あー投げられたー。
受け身! 動かん! 駄目!
「よくやるなあ、おい」
どこか嬉しそうな声と、タオルが投げられ、受け取る力もなく。
しばらく私たちは、そのままだった。
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