第25話 物事の流れ、侍女の視点

「――座ったら?」

 その言葉を聞くまで、私、シオネは状況が飲み込めていなかった。

 いつの間にか目の前にたき火があることも、周囲には土で作られた椅子があることも気付けず、こういう時は視野狭窄の可能性があるので、大きく深呼吸を一つ。

「では失礼します」

「魔力が濃い場所は慣れてないようね。そちらは心配していないけれど」

 その通り、まだ慣れてはいない。

 魔王の城もそうだが、驚き過ぎて麻痺している気分だ。

 地に足がついていないような。

「――クロには勝てない。そんなことを思ってる?」

「……はい」

 目を向ければ、トカゲ――いや、ミエラ様が参加したとはいえ、ともかくクロ様は速い。帯電しているようにも見えるが、たまにしか姿を見せないほどだ。

 雷のスキル。

 私はそれを、攻撃以外で使ってるところを初めて見る。

「勘違いを訂正してあげる。まず一つ目、勝ち負けなんてのは試合や練習でだけ考えなさい。現実、あるいは現場では、死ぬか生き残るか、そのどちらかよ」

「しかし、実力差があるのは事実です」

「そうね。だからそれが二つ目。あんたが追い付くのは、そう難しくはないのよ」

「失礼しました、シオネと申します」

「そう、気にしなくていいわ。どうせ次はないもの」

 次は、ないのか。

「順序良く考えると、まずは基礎。躰作りみたいなものね。次に訓練、動かし方や間合いの感覚を得る。そして戦闘で経験を積む。わかるわね?」

「はい。順当かと」

「クロを拾った時、あの子はゼロだった。私やあいつが考えるところの基礎を教えるのに、早くて三年」

「三年、ですか……」

「衝撃用法――つまり力の扱いを覚えてる最中でしょう? それだって基礎よ。けれど、私たちには時間がなかったから、一年という制限をつけた。その場合は?」

「速成……でしたら、同時進行でしょうか」

「そうね。本来なら躰を壊すのと紙一重だけれど、そのところのコントロールはお手の物だし、クロの一年は組手が中心になってる。躰を動かすことで躰を作り、同時に動かし方を覚え、それが既に戦闘となる」

 確かに、紙一重だ。

 躰作りが不十分なまま、過度な訓練で躰を壊した人は大勢知っている。

「だから、追いつける」

「何故ですか?」

「あの子、まだ12かそこらでしょ。あんたは?」

「16です」

「そう。じゃあ単純計算、10年はもう基礎をやってるじゃない。それは決して無駄になるものじゃない。一年で詰め込んだものよりも、よっぽど。指導者の存在がなくても、まあ、壊れることなく追いつくくらいは、大丈夫。ただし」

「はい」

「勝ち負けの話の延長だけれど、臆病と慎重も違うのよ。訓練で踏み込めないのを臆病、実戦で踏み込まないのを慎重。倒すより、殺すより、生き残ることが重要なの」

「……はい」

 どちらかといえば、私は臆病な方だ。

「何か訊きたいことは?」

「クロ様が扱うスキルに関してです」

「考察」

「直接聞いてはいませんが、私どもの見解として、スキルとは得るものではなく、外側に位置するものを使っているものではないかと。しかし、クロ様の場合は、内側にあるものを使っていると感じています」

「そう、間違いじゃないわよ。クロにも話したけど、この世界のスキルは効能が入った箱なの。条件を満たすと鍵を手に入れられて、魔力を使うことで箱が開く。否定はしないけれど、箱の中身は変わらないから、使い勝手は悪いわね」

「では、クロ様はその箱を作っているのですか」

「魔術と呼んでいる。行使するものを術式。本来、魔術ってやつはスキルじゃなくて、世界を知るための学問なの」

「――世界」

「難しい話じゃないわよ? 複雑かもしれないけれど、ね。んー、身近な術式は?」

「ええと、はい、こちらへ来る時に使った転移でしょうか」

「ああ、クロの空間転移ステップ。三人で来たなら式陣を利用したものね」

 どうして、この人はそれがわかるのだろうか。

「詳しくはクロに……ああ、駄目か。あの子は説明苦手だし」

 はい、そう思います。

「世界を知ることは、仕組みを知ることでもある。あんたの住んでる家は何階建て?」

「地下がありますが、二階建てです」

「じゃあ、二階の部屋の床、そして地下の地面の二ヶ所を前提として、この二つを転移すると仮定する。この二点を移動する場合は?」

「普通は歩くか、走るです」

「そうね。けれど魔術ではこう考える――なら移動する必要があるのか?」

「それは……仮に、仮にそれが同じ場所ならば、そもそも移動する、といった行為が不要になります」

「それを定義するのが魔術よ。そして定義できたものを、実際の構成にするのが術式ね」

「定義……?」

「あくまでも現実に可能な範囲で、その上で現実を誤魔化す。ありふれたものだと、材質や位置、環境情報などを同一だと定義する」

「……同じである、という前提条件を突破するため、同じものが多くあると定義して、移動という手段を誤魔化す――で、合っているでしょうか」

「合ってる。――考えすぎって言われるでしょ」

「はい、恥ずかしながら」

「いいのよ。己の内側へ潜れる?」

「――? はい、境界を知ることはできました。力の流れを感じるのに、内側へ意識を向けています」

「意識を向けるんじゃなく、潜るのよ」

 潜る?

 目を瞑れば、暗闇が訪れる。今までずっとやってきたから、肌という境界線、つまり輪郭が明確になり、外と内は区切られ、その内側は暗い。

 ――この中に、入るというのか。

 どうやって。

「意識の手を伸ばしなさい。暗闇の中で、電気のスイッチを探すように、何かあるんじゃないかと。周囲へ、奥へ、手前へ、境界の内側へ」

 それは理解できる感覚だと、意識の中で手を伸ばす――ん。

 あれ?

 これは……水?

 何もない暗闇だと思っていたものは、手を伸ばした途端、感触を伝えてくれる。

 水だ。

 慣れている。

 水場の仕事は侍女の基本――あ。

 凄い、波紋が広がる。これは雨? 降り続く雨で波紋が?

「それを、自分の外側に出してみなさい」

 ああ――それは。

「もういいわよ。クロと同じ手順だけれど、やっぱりあんたの方が早いわね」

 目を開けば、目の前にそれがある。

 波紋が広がり続けている。けれどそれは、空気の揺らぎのようにしか見えないが、ないはずなのに、私にははっきりと、それが波紋だとわかって――。

「――それが、スキルの中身、でしょうか」

「そう、術式の構成ね。ちなみにクロは糸が絡み合ってる。実際の術式行使には、こうやって構成が目に見える形に出ないから、今は私が補助している。実際にこれを使えば、水が発生するわね」

「水が……」

「得意な属性と考えていいわよ? それ以外ができないと、そう捉えるのは間違いだけれどね。あとは流動リバーも得意でしょう。構成が動く人には多い傾向ね。――さて、話を少し戻すわよ」

「はい」

「この構成が、世界における定義そのものなの。空間転移なら、転移可能な定義。けれど発想を忘れてはならない。水をここに発生させようとする、その方法は?」

「……雨を降らせる仕組みを利用する。空気中の水分を集める、です」

「もっと簡単な方法もある」

 簡単?

 水を――ああ。

「水を汲めばいいのですね?」

「そう。ただし簡単だけれど、術式の構成となると難しくはなるわね。ただ、そうやっていくつもの方法を想定することが大事。あとは、こうして構成だけを具現させること。そして中身がどうなっているのかを理解する。危険なのは魔力の逆流だけど、サーヴィスで安全装置を作ってあげる」

「ありがとうございます」

「クロの面倒も見たでしょうしね。でも、どうしてクロは衝撃用法の基本なんて教えようと?」

「錬度が低すぎて、家を守ることもできないと」

「ああ、自己防衛の一種か。劣等感を抱く必要はないわよ、それはクロにも言ってるから」

「誰かと比較しなくて構わない――ですか」

「上や下を考えるより、何を得るかが重要よ。ただ、まあ何にせよ、流れを見極めることは重要ね。おそらく意識し続ければ、どこかで歯車みたいにから」

「それは、流動が得意という、そういうことでしょうか」

「そうね。魔術の世界において流動とは、まあ基本でもあるけれど、物事に限らず、全ての流れの本質を捉える。たとえば、今のクロ」

「はい」

 見れば、まだ戦闘は続いている。

「んー、今の速度なら普通に目で追えるけど」

 追えるのか、この人は。

「トカゲはともかく、あいつはほとんど動いてないでしょう?」

「はい」

「何故かというと、単純に動く必要がないからね。速度に対して、速度で迎え撃つのは効果的じゃない――とも言えないけれど、少なくとも追いつけないなら、やらないわね?」

「やりません。速度で勝ることがあるなら、あるいは」

「それでも、やらない方を選択するようになるわよ。クロの性格もあるけれど、攻撃が直線的なのね。そうでなくとも、私たちの戦闘だと、速度重視になればもう目で追えない。ならどうする?」

「動きの気配を捉えるのでは?」

「それもあるけど、無駄ね。動きを追うことが労力の無駄――だって、攻撃は当たるものでしょう」

「はい、そうでなくては攻撃にはなりません」

「フェイントを含めても、どれかは当たる」

「ええ」

「当たる時には、必ず相手が傍にいるんだから、そこを捉えれば良いでしょう?」

 それは――。

「理屈では、そう、です」

 認めたくはないけれど。

 動体を捉える、という前提ならば、そうだ。その通り。

 実際にやれと言われれば、まず間違いなくできないが。

「戦闘にも流れがある。大きいものから小さいものまで。さて、ここで見極めが必要になる――早すぎれば、相手に対応の余地があり、遅すぎれば攻撃を喰らうことになる。――ああ、聞こえてるわね。対応を始めたわ」

 見れば。

 彼女は僅かに腰を落とし、手を使って攻撃をさばき始めた。

 さばく。

 表面を撫でるよう、軽く触れるだけで、あらゆる攻撃がすり抜けるような感じ。

「そう、感覚で捉えるとわかりやすい」

「直線で飛来するものを、ちょっと押しのけるようなものでしょうか」

「厳密には、飛来する直線の予見ね。流れを読むと、それが曲線であっても把握できる。ただし、流れの特徴は変わる点にある」

「先ほどの話ですね。早すぎれば、対応できる」

「そう。だから受ける側は二つ、流れが変わらないまで待つか――もう一つは?」

 少しだけ、思考時間を置いて。

「そうか、あえてこちらの把握できる流れに、相手を変えさせるのですね?」

「ん。魔術は世界を、現実を知ること。それが得意なら、あらゆるものの基準にしてみなさい。そしていずれ、基準をなくして見ることも視野に入れる。それが経験よ」

「はい、ありがとうございます」

 ――事実。

 私はこの会話を起点にして、いろいろな変化を迎えることになる。

 ただ予想はできなかった。

 まさか、クロ様の隣に立って、歩くことになるだなんて。



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