第26話 本当の別れと、この先に
一時間やった。
一発も当たらなかった。
落ち込んだ。
「くっそう……」
邪魔だったトカゲを蹴ってどかす。文句は出ない。というか動かない。
「あ、シオネありがと」
「はい?」
「食事」
「ああいえ、お疲れかと思いましたので」
「そうとも、まったく、できないことを頑張る姿を見ていると、思い切り笑ってやりたい気分だが、それに付き合う私はとても疲れたとも」
「ぬう……」
「ははは、貴様に一撃食らうほど
そりゃまあ、そうだろう。
一発殴れたのなら、それは、一撃で殺せたことになるのだから。
でも悔しい。
息も上がってないし。
「言ったでしょう? クロは速成した。そうね、太い紐を一本通したようなものよ。だったら次は、その紐をほぐして自分のものにしなくちゃいけない。成長はそれが終わってから」
「うー……」
「なあに、貴様が三十になる頃には、そこそこだろう。だが世界は広いぞ? 思わず私が本気になって遊ぼうかと思った場所もある」
「お陰でこっちの予想が外れていたけれどね。――悪い方に。それ以上にこいつを止めるのが大変だった」
「何を言う、自制したとも。さすがに本気で貴様とやり合うと、次は大規模になるからな」
「これからもやらないでちょうだい」
「それは貴様の心掛け次第だ」
「あんたの思い付き次第でしょうが!」
「わかっているなら止めるのは貴様だろう?」
あーやっぱり先生の方が負け気味だ。
「あだっ」
「なんで殴らないの」
「自分ができないからって私に押し付けないで!」
「何を言う。適度に殴ってストレスが発散できるのが、クロの良いところだろう?」
「……反論したいけど、ちょっと頑丈で殴りやすいトカゲが身近にいるから、何も言えない」
「うむ、そうだろう」
「そういう悪い影響ばかり受けてるわねえ」
「ストレスを溜めるよりマシだ」
そう言って、先生も立ち上がった。
「クロ、何かある?」
「うーん、ありがとう……?」
「何故、疑問形なんだ貴様は」
「ちゅーいどのは、胸に手を当てて考えた方が良いと思う」
「ちっとも育つ気配のない貴様の胸を触っても嬉しくはないぞ?」
「自分の!」
「……? 何を言っているのかよくわからんが、感謝はしろ」
「アリガトウゴザイマス!」
「それでいい」
頭に手を置かれた。
「尻尾が九本になったら、可能性はあると思え。それを目指すかどうかもお前次第だがな」
「当たり前の生活ができるようになったんだから、以上を目指さなくてもいいわよ? 好きに生きて、死になさい。――ここに良い例がいるから」
「うん」
「じゃ、今度こそ本当に次はないから」
「まだまだ弱い貴様のことは心配だが、まあ上手くやれ。――ではな。楽しかったぞ」
「元気で」
そうして。
これまたあっさりと、二人は姿を消した。
どうして戻って来ていたのかは知らないが、まあ、すっきりした。
「よし、がんばるぞー……ん? どしたのシオネ」
「ああいえ、いろいろと教えていただいたので、それを反復しています」
「魔術?」
「はい、術式に関しても。どうやらしばらくは、スキルを使わない方が良さそうです」
「うん。でも、スキルとの差異から、発展するかも」
「その段階になったら相談しますね」
「ありがと」
どうしたって、私はスキルが使えないから。
劣等感はないけど、便利だよなあとは思う。
「しかし、凄い方ですね」
「そう思う。正直、どういう人生を送ってきたのかも想像できないくらい」
「人生、ですか」
「ぬ……?」
あ、トカゲが起きた。
「なんじゃ、朝か? ――いたたた、思い出したぞ、くそう、犯人はどこじゃ」
「もういない」
「お主がおるじゃろ!? 盾にもしたし蹴り飛ばしもしたのお主じゃろ!」
「うるさい、座れ」
「ぬう……」
「ところでクロ様は、どのようにしてお二人と出逢ったのですか?」
「んー、先生に発見されたんだよね。そうじゃなかったら私は死んでた」
「拾われたのか?」
「おいでって、そう言われたから。先生の理由は知らないし、ちゅーいどのは暇潰しくらいに思ってたんだろうけど、何故か断る気が一切なくて」
それしかなかったのかもしれない。
ただ、今はもう信頼しちゃってるから、理由なんて後付けだ。
「最初のうちは、午前中に先生の座学で魔術を覚えて、午後からはちゅーいどのと戦闘訓練をしてた。魔術は理屈が先で、試すのはもっと後になってから。でも訓練の方は最初から酷かった」
「それは、どのような?」
「今やってるのと変わらないよ。ナイフを木に突き刺すだけの行動を左右でやって、もう駄目だーって思ったくらいに、さあ準備運動は終わりだって」
「ああ……」
「うむ、お主はそれをよくやっておるのう」
「お陰で最初のうちは、夕食のあとはすぐ寝てた。あと、どうやって座学を長引かせようかの試行錯誤をして、失敗し続けた」
だって辛かったんだもの。
失敗したぶん内容がもっと酷くなったが。
「すぐ化け物だってことは気付いた。レベル1で35前後のステータスって聞いた時は驚いたけど、指標にもならないってすぐ飲み込めたし」
「……言っておくが、わしはまだ飲み込めておらん」
「まあミエラ様ですから」
「白トカゲだし」
「シオネさえわしに辛く当たる……!」
「半年くらいかなー、術式がだいぶ扱えるようになったの。そこからは魔物の相手をしつつ、ちゅーいどのと組手してた」
「座学の時間が少なくなったのですね」
「待て。魔物とは、――ここのか?」
「うん。黒い狼はかなり数が減った」
「シャドウキラーか……!」
「そんな名前だっけ? 図鑑に載ってなかったから、雑魚かと思って」
「ダークハウンドの上位種じゃ」
「それは途中で知った。へーって感じで」
だいたい、大きさが違うだけで形状も似ているのだから、対処だって同じでいいはずなのに、上位下位と区別する理由がよくわからん。
「そして毎朝、走っておっさんのとこまで行って、挨拶をする日課が」
「お主よう生きておったな!」
「……? おっさんは私の遊びに付き合ってくれるいいトカゲだよ?」
「こやつは……!」
なんだよう、起きてる時はちゃんと殴らなかったんだからいいじゃない。
「術式ありで戦闘したのは最後の方だけ。まだまだ扱いは下手だよ、二人には届かない」
「あの方たちが基準なのですね?」
「そう」
「目指すべき目標としては正しいかと」
「だよねー。すげー遠いけど」
「しかし、可能性はあります」
「うん。当面の目標はそこだけど、それ以外もいろいろ、やってみたい」
「はい。――ところで、クロ様にとって流れとは、なんでしょうか」
「あーそれ、先生が説明してくれた。流れはあるもの、作るもの、把握して掌握するもの。私はどうしても見切り、つまり見る方が強い癖があるから」
「なんとなく、それらはわかりますが……」
「把握まで行くと、相手の動きが事前に見えてくるんだけど、私はそこに触れてるくらい。水がわかりやすいんだけどね、シャワーとか川とか。でも一番やったのは、風かな」
「風の流れを?」
「うん、空気の流れでもあるけど、気配察知の一種かな。丸一日、何もせずただそこに居るって訓練を、何度かやってる。最初は目を閉じて、それから自然体で、最後には戦闘で。死なないなら、何でも試せる」
「風の感覚でしょうか」
「うん。障害物に当たって、風は流れるから」
「なるほど、折を見てやってみます。――さて」
飲み物をトカゲに渡して、一息。
「これからどうなさいますか?」
「あーうん、二日くらいここで過ごす予定。まだ小屋も残ってるけど、使わない前提で」
「雲行きが怪しくなっておるが……」
「降り出しにはまだ時間ある」
「竜化すれば濡れても平均なんじゃが」
「魔物の標的になってくれる? ありがと」
「ぐぬ……」
「サバイバル教練は受けています。実際に通じるかどうか、試せる機会ですね。今日はテントを使うのもやめておきましょう」
「持っておるのか!? ――あだっ」
「今日は使いません」
「シオネ、お主もついにわしの頭を叩くようになったのう!」
「わがままばかり言うからです」
「あと殴りやすい」
「頑丈ですからね」
ストレス発散、一家に一匹、トカゲの置物はいかがでしょうか。
金がかかるから、いらないか。自堕落だし、ただ飯食らいだし。
さて。
サバイバルは中尉殿から教わってるし、経験もあるけど――うん、小屋はとりあえず、後回しにしておこう。
どうせ置き土産がありそうだし……。
「んー、ここ拠点にしても面白いかな?」
私は背後、森の方を振り向く。
「可能性だけ伝えといてー」
……ん。
よし、これで魔王には伝わるだろう。
「クロ様?」
「ああうん、先生とちゅーいどのがいなくなってから、インヴィジブルストーカーが来てたの」
「なんじゃそれは。魔物か?」
「魔物にして魔物にあらず――と、先生は言ってた。透明な存在と、存在が透明の違いは?」
「わからん」
「クソトカゲには期待してない」
「さてはお主、わしを馬鹿だと思っておるな……?」
「え……? 本気で言ってる? 本気でその程度だと思ってるの?」
「んが……!」
「――なるほど、存在そのものの曖昧さが核心ですね」
ほら、シオネはちゃんと考えてるじゃないか。
「ネールゥ様などは、スキルを使って隠れ、それこそ透明にもなれますが、しかし、存在しているのは確かなものです。そこに居るが見えない、これが透明な存在となります。しかし、存在が透明となると、そもそも、そこにいるのかどうかが曖昧です」
「うん、それがインヴィジブルストーカーの本質。姿は知らない、わからない。存在も不明」
「だったら何故、それがわかるんじゃ?」
「声と視線は、現実に影響するから。――あ、内緒ね? 基本的に魔王のものだから」
「わかりました」
「むう……」
まあトカゲは放っておこう。
「雨までは二時間と少しくらい。風向きは北西から南西に変わるからね」
空を見上げれば、うん、そのくらいの時間だろう。
どれもこれも、あの二人に教わったことばかり。
だからまあ。
今生の別れでも、私にはまだこれからがあるし、いつか追いつこう。
ありがとうと、さようなら。
せいぜい楽しく生きてやる。
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