第7話 おおよそ三ヶ月のできごと
午前中は先生と座学で魔術について学び、午後から中尉殿と躰を動かす。夜は寝る。私にとって一日のスケジュールはそんな感じだ。
前半が天国で後半が地獄である。
何しろ中尉殿は殴るし蹴るので痛いのなんの。
「あのさー」
疑問に思っていたのは確かだが、実際には少しでも休憩の時間を引き延ばそうとした苦肉の策。
「どうして先生が魔術で、ちゅーいどのが体術なの?」
「ふむ」
私はこの、中尉殿の頷きが苦手だ。
腕を軽く組んで、頷くような一言。まるですべてを見透かされてるような気分になる。
「理由はいくつかあるが、魔術に関して
「ちゅーいどのは教えられない?」
「そうでもないが、やや偏ることになるだろう。私には扱えない術式がそれなりにあるし、使い方も特殊だ。たとえばお前が火を熾す時、小さな雷を発生させるのと似たようなものだな」
「あー」
私は雷を通さないとほかの術式が使えないって、先生が言ってたのを実感し始めたところだ。言ってることはよくわかる。
「そして、鷺城は体術を教えるのがヘタクソでなあ……」
「――ちょっと、聞こえてるわよ」
「ほう! では貴様は下手ではないと、そう言いたいのか? ならば
「いいわよやってやるわよ、クロ立つ!」
「えー」
「大丈夫よ軽くやるから!」
立ち上がって、何をするのかと思えば、目の前に拳があった。
あれ?
殴るというより、額のあたりを押されるような感じ。
上半身が反る――いや待って、なんで、この一撃、ちょっ、足が地面から離れるんだけど!
なにこれ!
視界がぐるりと回る。回る、回る。
背中にぶつかったのが木だとわかる前に勢いが止まり、私は地面に膝と両手をついた。
「……あら?」
先生! 先生! すごいね! 人間って空中で縦回転するんだね! あと縦回転でも目が回るんだね! 背中すげー痛い! ぐるぐるしてる!
「なんで避けないのよ」
避けれるか――!!
「ほれみろ、貴様は体術となると脳筋だからなあ。殴って蹴ってだけでは話にならん、しかも加減が下手」
「今のは避けれるでしょ!?」
「現実に避けていないではないか。まったく貴様というやつは、将来性ばかり見るから今が見えんのだ。今のクロが避けられる打撃をしたつもりだろうが、それが本当のつもりではなあ」
「クロもう一回!」
「嫌だああああああ!」
「あ、逃げるな馬鹿! こっち来い!」
「はははは、馬鹿の相手は大変だな!」
笑ってないで助けて中尉殿!
私はその日から、中尉殿の訓練がとても優しいことを知った。
先生とはもうやんない。
雷系術式なのだから、てっきり攻撃系を覚えると思いきや、先生にまず教わったのは防御であった。
「といっても、普通のものではないわよ。もちろん戦闘での回避にも使えるけれど、主軸としては、一般的に呪いなんて呼ばれているものへの対処ね」
「うん、呪い系のスキルはあるって聞いた。持続効果があったりなかったり」
「それを防ぐ手段よ。最悪、精神が壊れるから防御は最優先。ただ、干渉系術式の性質的に、よほどの馬鹿じゃなければ防げる。クロ、術式の完成はどこ?」
「完成は、……発動?」
「そう。あんたの場合は雷が出るまでは、完成じゃない。だったら呪いは?」
「呪いも一緒」
「それがどんなものであれ、発動するまでは術式じゃない。そして相手、誰かに影響を与える術式において、発動するまでには接触などが必要になる」
「手順」
「良いことね、考えることを止めないように。つまるところ、発動前に解除してしまえば防ぐことができる。仮に、この石をあんたとする」
地面に置かれた石の周りに、大きな円を一つ。
「まず、察知。これは術式に限らず、構成に組み込めば視線や物体でも感知するこができる警戒の初手。それが呪いなら、かけようとする術式の初動や、あるいは悪意そのものを感じられる」
円の中に、もう一つの円。
「次は対処。分析系を主体にして、感知した術式が何であるか、そしてどうすべきかを判断する領域。ここで九割以上の術式を無効化すること。できれば感知した時点で最適対応を自動化する」
「うん、どうすればいいのかはわからないけど、言ってることはなんとなく」
「そして最後」
三つ目の円は、石の傍に小さく。
「この領域が最終ライン。防御、反撃の要素を組み込む。はっきり言って、ここまで使うようじゃ話にならない」
「二つ目で九割以上だもんね」
「もちろん最終ラインを割れば、術式が発動すると考えて良い。だからその前に相手を殺す選択もでてくる」
「……先生やちゅーいどのも?」
ちなみに中尉殿はまた寝ている。
最近知ったのだが、夜間は二人とも起きていて、午前中は中尉殿、午後は先生が休み時間。私に合わせてくれているのだから、感謝すべきだろう。
「いろいろ改良を加えてるから、
「だけ?」
「感知した瞬間に対応策が浮かぶから、あとはそれを実行する時間が必要で、コンマ6秒あれば充分。まあ本気の戦闘になると別種の術式を展開するけど、常時ならそれくらい」
忘れてた。この人たち化け物だった。
「じゃあまずは気配の察知にも使う
ふわりと図形が浮かび、私はそれを見て細部を――ん?
「あれ?」
「なあに」
「構成って個人によって違うんじゃ……」
「そうよ? だから解析してあんたにわかりやすい構成を見せてあげてるの」
そりゃ助かるけど。
すごくわかりやすくて、嬉しいんだけど。
あっさりできるものじゃないはず。
「いいからとっとと作ってみなさい」
「はーい」
こうして私は、本格的に術式を覚え始めた。
うん。
本格的も何も準備みたいなものって、後で言われるんだけどね。
中尉殿との訓練は、基本的に組手と称した一方的に殴られ、避けろ避けろと笑いながら言われるのが続くんだけど。
その日からは、ナイフで木を刺す準備運動が変わった。
「右足を踏み込みとして、右手を伸ばせ。手のひらで木の表面に触れる」
「うん」
「よし。では鷺城から学んだだろう、目を瞑って己の内側を見ろ」
「わかった」
内側と外側の境界線、つまり躰の輪郭は今や意識するまでもなく、ここにあるのだと実感できる。加えて、ただ内側を見るだけでは糸の存在を知覚できないこともわかった。
「魔力ではなく、躰の動きから発生する力の移動に意識を向けろ。右手を引いて、もう一度木に触れる。この動きにおいて力はどう動く?」
「……理屈じゃなく?」
「そうだ、感じてみろ。得意なんだろう?」
得意かどうかは知らないけど、感覚的に捉えろとはよく言われるしなあ。
右手を離し、引いて、突く。
理屈を知っていたからか、三度ほどやるとすぐわかった。
「うん」
「どうだ?」
「線というか、糸が通ってる」
「ふむ、なるほどな。貴様の展開式で作られる糸が印象となって、形作ったわけか。まあいい、力そのものはどうだ」
「糸を通る感じでわかる。肩から出てきて、肘でちょっと弱くなって、手のひらから伝わる」
「ではそのまま続ける。腕を引け、今度は腰の回転を意識しろ」
「腰……」
「そうだ、あらゆる攻撃の基本は腰だ」
回転……あ、そうか、連動するんだ。
肩からじゃなく、腰からか。
腰から肩、肘、その先。
「あ、ちょっと強くなった」
「では右足の踏み込みからやってみろ」
やってみた。
「うっわ! ぐちゃぐちゃ!」
「貴様の攻撃に威力がまったくないと笑っていた事実が、ようやくここにきて知ることができたな?」
踏み込みの力が腰に行く前に手が伸びてるし、腰への意識が弱いためか、力が一気に分散してる。これでは止まった状態で殴ってるのと同じだ。
「速度を合わせることを意識するな。踏み込みの右足から、手のひらまでの直線を意識しろ」
「直線……」
「そうだ、直線だ。個別でやるのもいいが、できるだけ動きは全てやれ。そうしないと繋がりが失われる」
確認のため、何度か踏み込みをしてから、躰を動かす。
大丈夫、同じ動作の繰り返しは今までずっとやってきた。ナイフで木を刺すのと同じで、やれば覚える。
五日後くらいには、上手く直線で力を伝えることができたのだが、しかし。
「では本題だ」
これも準備だったらしい。
「踏み込みの時に使う小技を教えただろう、あれの応用だ」
「……どれ?」
「軽く重心を後ろにやってから、前へ動くあれだ」
「ああうん。あれも、力の移動だよね」
「応用だクロ、力の増幅をしてみろ」
「増幅?」
「まずはわかりやすい腰からだ。踏み込みの時と同じよう、力を溜めるような感覚を意識してみろ。ただし、溜めようと思うな」
「意識しすぎるなってことね」
とはいえ、これがものすごく難しい。
溜める、留める、止める、いずれにしても一秒や二秒という世界の話で、力というのは上手く伝えられても、止まれば霧散するよう消えるものだ。
じゃあどうするのか。
よくわからん。
すぐわかったら苦労しない。
閃きが訪れたのは、中尉殿との組手中だ。何度か殴られつつも、立ち上がれるなら向かう。もちろん正面からまっすぐなんてことはなく、いろいろと考えながら戦闘を組み立てようとするのだが、通用したことはない。
その途中、姿勢を崩された私が、強引に立て直そうとして右の踏み込みをした瞬間、それを理解する。
タイミング。
踏み込み、腰のタイミングを僅かにズラした感触。
厳密にはごくごく自然にズレた。
その一秒以下のズレを、放つ拳に乗せるため、ズレを修正する。ただし、修正もまた腰の回転の中で行う。
遅らせて、進ませる。
あとは直線。
「うむ」
避けられたが、空気を叩いた拳が破裂音を立てた。
「――は、はあ、はあ、今の! 今の!」
「見た目には普段と変わらんが、感覚を掴んだなら繰り返せ。鉄は熱いうちに打つものだ」
「うんやる! 木が相手でいいよね?」
「うむ、とっととやれ」
一度コツを掴んだら、今度はそれを忘れないうちに躰へと叩き込む。
確かに、大きな運動は必要ない。中尉殿が言ったよう、見た目では普段と変化がなかったはずだ。
だから、感覚的なもの。
止めるでも、溜めるでもなく、私としては遅らせることと、進ませること。
――で、二日後にできるようになった私に。
「では肩で更に増幅しろ」
そう言ってまた難易度を上げてきた。
大丈夫、できたからって舞い上がってなかったから。
……ちくしょうめ。
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