第2話 突撃、魔王城

 両足を紐で縛り、木に吊り下げて血抜きをし、それから皮を剥ぐ。その間に先生が火を熾し、あとは肉を切り取って串に刺して焼く。

 私もだいぶ気持ちが落ち着いてきて、転がっている狼の顔を見ても鼓動が高鳴ることはなかった。

「鷺城、今日中にどこまで行ける?」

「近くに街みたいなのがあるけれど、通り過ぎた方が良さそうね。おそらく拠点となる魔王城みたいな場所は、一足飛びしなければ三日かしら」

「面倒だからとっとと行って、挨拶だけして拠点を探すか」

「日をまたぐわよ?」

「ぎりぎりなんとかなるだろう」

「……あの」

 私は肉を飲み込み、片手を上げた。

「なんだクロ、構わんぞ。言いたいことは言え」

「魔王って、あの魔王?」

「よくわからんが、私よりもお前の方が知っているはずだ。どの魔王だ?」

「魔族の王で、とんでもなく強い」

「どのくらい強いんだ」

「Aランクの冒険者が、魔族と同等って聞いたことある」

 その魔族の頂点だから、Sランク以上でも相手になるかどうか。

「その程度ではないことを祈るがな……」

「ちゅーいどの、どっちの意味で?」

「さて、どちらだろうな?」

 この人おかしい。

「先生」

「ん? どうしたの?」

 気にしてない時点でこの人もやっぱ駄目だ。

「安心なさい。私たちがいつまでここにいられるか定かじゃないけれど、鼻歌交じりに魔族くらい倒せるようにしてあげるから」

「……え?」

「スキルなんぞなくとも、どうとでもなる。世界に睨まれることもないだろう」

「まあね。じゃあ、食事を終えたら挨拶に向かいましょ。駄目そうなら逃げればいいのよ。だいたいクロは何もしなくていいんだから」

「そうだぞクロ、何もせずついて来るだけだ。文句は言うな」

「文句は言ってない」

 覚悟を決めよう。

 もうどうとでもなれ。

 ……あれ、これは諦めかな?


 食事を終えて少し休んでから、また移動した。周囲の景色が変わった先にあったのは、巨大な壁――と思いきや、よく見たら丸くなっている竜だった。

「ほう、赤色の竜か」

「クロ、この赤色は珍しいの?」

「しらない。見たことない」

「今見ているではないか」

 そうだけど……。

「門番か何かか? 意思の疎通ができれば面倒もない。おいクソトカゲ、魔王とやらは在宅か? 引きこもっているなら、甘いものでも差し入れるべきだろうが、私にそんな配慮はないぞ。しかしノックくらいはしてやろう」

 竜からの返答はない。

 寝ている。

「返事をしろ」

 このまま通り過ぎればいいのに、あろうことか、中尉殿は右手にいつの間にか持っていた槍を、竜の、金剛ですら傷をつけるのが難しいとされる竜の表皮を、その顎を上から真下まで縫い付けるよう貫いた。

「――っ!」

「おお、ようやく起きたか」

 鼻の当たりを一度蹴って、また戻ってくる。移動速度が速すぎて、私には何をどうしたのか、後にならないとわからなかった。

 すごい。

「ふむ、レベルアップはなしか」

「え? あ、うん」

「殺さねば駄目なのか? ――おっと」

 広すぎる城の庭にて、顔を縫い留められた竜が両足で大地を踏みしめれば、揺れが起きる。バランスを崩して倒れそうになる私を、先生が片手で支えてくれた。

 目を反らしていないのに、中尉殿が消える。

 大きく翼が広げられたかと思いきや、二本の槍が出現して翼の先を地面と一緒に貫く。

「疲れるわよ、慣れなさい」

「すごい……」

 これを、驚かずにはいられない。

「どんなスキルを」

「――スキルは、使えないわよ」

「え? だって」

「私も芽衣も、スキルなんて所持してないもの。あったとしても、言語くらいかしら。つまりクロ、技スキルも魔法スキルも使えなくても、この程度の相手なら、どうとでもなるわ」

「――」

 どうとでも、なる。

 いや、現実にどうとでもなっているんだけど、でも。

 嘘だ、と言いたくもなる。

 スキルが使えないから弱いなんてのは、この世界の常識なのに。

 ふいに、先生が一歩を踏み出した直後、私はレベルアップの波に躰を抱えた。

「ん」

 倒れる前に、先生がまた支えてくれたけれど、私の右側、つまり先生の右手には、大きめの尻尾――の先が持たれていた。

「レベル上がった?」

「あ、上がってる」

「こういう損傷だと経験値が入るのねえ……竜の尻尾は、火を通すと固くなるけど、臭みが少なかったけれど、この世界はどうなのかしら。食べてみる? 火の通りより、鱗を剥ぐのが面倒なのよこれ」

「ちょっと食べてみたい」

「じゃ、あとで。――芽衣、次の遊び相手が来たわよ」

「やはり玄関はノックするものだな!」

 ――玄関。

 この顔が人の三倍以上ある竜が、玄関?

 城の方から強い、私でもわかるくらい強い気配が近づいてきた。空を飛びながら、ゆっくり足を向けてこちらに着地する。

 空を飛ぶスキルなんて、聞いたこともなかったし、私はそもそもスキルに詳しくないけれど、さっき自分が体験したことなので、感想はなく。

「――俺の城に何の用だ」

「ほう、貴様が魔王か。なに、用があるのは貴様で、内容は挨拶だとも」

「挨拶?」

「しばらくこちらで生活をするから、手を出すと痛い目に遭う。それと、必要なものを街で買うから、通達しておけ。面倒なトラブルを起こすと、そこの気が短いクソ女が、地図から消すかもしれん」

「やらないわよ、そんな面倒なこと」

「地図から消すとは大きくでたな」

「うむ、まったくだ。世界のバランスを崩すような真似は控えるべきだろう」

「……なに?」

「なんだ?」

「街を消すくらいで――」

「街ではなく、貴様の領域ごと全てだが?」

「――」

「よせよせ、ステータスなんぞ見たところで、現実がわからなくなるだけだ」

「まさか、来訪者ヴィジターか?」

「どちらかと言えば渡り鳥だがな。それで? こちらの要求は通じたか?」

「……」

 あ、なんか堪えてる。睨まれると怖いけど、先生がいるので大丈夫。

「何をするつもりだ……」

「生活だが? そこのガキを育てながらな」

「黒い狐? スキルを使えない、世界から放逐された奴隷種族をか?」

 言った直後、魔王の右腕が吹き飛んだ。というか、なくなった。

「やはり気が短いではないか」

「忠告しておく。この子は私が拾ったの。いい? この子を馬鹿にすることは、私を馬鹿にすることと同じ。――今、何が起きたのか、理解なさい」

 怒っているような雰囲気はない。

 魔王が言ったことは、世界の常識だ。私たちはずっと、隠れながら生きてきた。

 否定する方がおかしいとは思うけれど、でも、先生の言葉には感謝が真っ先に思い浮かんだ。

「返事は? わかったのか、わからないのか、どっち?」

「――わかった」

「よろしい。適当な場所で過ごすから、監視は遠くからにしておきなさい。邪魔だったら潰すから」

「やれやれ、これだから鷺城は……」

「潰すのはあんたでしょ」

「鬱陶しいからな。さて、思いのほか時間も余ったことだし、とっととキャンプ地を探すとしよう。川からそう遠くない位置でな」

「そうね。じゃあまた来るわ、魔王さん。本気で私たちを排除したいなら、全滅を覚悟なさい。そちらから手出ししなければ、以降、敵になることはないわ」

「……そうしよう」

 苦虫を噛み潰したような顔を、私は現実で初めて見た。

 人間がその顔を見ることさえ難しいとされるあの、英雄譚ですら避ける魔族の王。人型であり、人間と変わらぬ風貌を持ちながらも、明らかに異質な雰囲気を身にまとうあの魔王が。

 先生と中尉殿に対し、身を引くだなんて。

 私は、この人たちに拾われたことに感謝しよう――なんて。

 これから先に訪れることを知らず、ただただ、そんなことを思った。



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