第3話 魔法スキルではなく、魔術という仕組み

 川まで1キロほどある場所の木を伐採して広間を作り、そこがキャンプ地になった。

 私の服はおせじにも綺麗とは言えないし、ぼろ布と呼んで差し支えないものだったが、中尉殿のコートにくるまっていたら、いつの間にか眠っていた。


 朝は蹴り飛ばされた。


「おはようクロ、気持ちの良い朝ね」

「いたい……!」

「はい、川まで行って躰を洗うわよー」

「いたっ、ちょっ、引きずらないで!」

「はいはい」

 聞いちゃいない。

 これはもう身を任せていいんじゃないかと力を抜いたら、そのまま放り投げられ、地面に落ちて、痛みにごろごろ転がって、今度は足を引きずられた。

「いたいいたい!」

「はいはい、どうせ水浴びするんだから汚れても大丈夫よ。頭も打った方が賢くなるし」

 ならないと思う。なってたまるか。

 川に到着すると、そのまま放り投げられた。泳ぎはそれほど苦手ではないので水面から顔を上げれば、先生の姿が遠い。

 おかしい。

 ……あれ? すげー勢いで流されてる?

 慌てて泳いで川岸に向かう。流れに逆らわないよう、どうにか陸地に手が届けば、先生の姿がもう見えない。

 ぶるぶると躰を振って水気を飛ばすと、走って戻れば、先生は腰に手を当てて待っていた。

「遅いわよ」

「え、なんで、私が悪いみたいに」

「悪いのよ?」

 駄目だ、話が通じていない。

「はい、じゃあ戻るわよ。水浴びは充分でしょ」

 なんという言い草、ひどすぎる。

 今度はきちんと歩いて戻れば、中尉殿が肉を焼いていた。昨日残った竜の尻尾だとわかると、複雑な気持ちになる。

「戻ったか」

「……竜の尻尾だけで足りる?」

「なにを言う、贅沢はいかんぞクロ。だいたいこれは、貴様のぶんだけだ。こんな硬くて臭みの強い肉など、連続で食べるものではない」

「私は?」

「貴様は食事を選べる立場か?」

「ぬう……」

「ははは、そのうちに自分で狩りができるようになる。午前中は鷺城に任せた、私は寝る」

「余計な口を出さないだけいいわね」

「ほう? いつ私が余計な口を出したと?」

「常にそうだけど?」

「それは貴様が常に求めていることだ」

「求めてないわよ!」

「貴様はどうやら鏡を見たことがないらしい。残念ながら、顔に書いてある文字を消そうと努力しても無駄だと、私から教えるまでもないようだ」

 仲が良いなと思いながら、私は顎を鍛えるための肉を噛む。ひたすら噛む。いつ飲み込めるのかわからないので、とにかく噛む。

 竜の肉なんて食べるものじゃない。


 食事を終えて一休みしてから、始めるわよと先生が切り出した。

「魔術について教えるけれど、ちゃんと自分の頭で考えなさい」

「うん」

「魔術は、世界が定めた法則の中で実現可能なものを、式を作って魔力を使うことで具現するものなの。それはこの世界でも例外じゃない」

 この世界でも。

 私は二人の口から、何度かその言葉を聞いている。

「だから具現したものを術式と呼ぶんだけれど……そうねえ、これだけで質問は?」

「えっと」

 なんか試されているような気分で、私は首を傾げる。火を囲むよう岩に座って顔を合わせているが、この岩もどこからか持ってきたものだ。それを見ていたけれど、実際に背負って運んだわけでもなく、指を鳴らしたら、いつの間にかここに出現していた。これも、先生が言う魔術――術式なんだろうけれど。

 まあ、それはともかく。

「実現可能って、どのくらい?」

「それが法則の中なら、いくらでも。ただし、それなりの構成が必要になる」

「構成」

「じゃあ、石を投げたとしましょう。座ったままでいいから、そこらへんの小石を適当に投げなさい」

 言われた通り、足元から小さい石を拾って投げれば、森の手前で落ちた。見えやすい場所の方が良いと思ったから、そうしただけで、全力投球ではない。

「石を飛ばすには、何が必要?」

「……力?」

「そうね、力が必要になる。じゃあ、力を十倍にしたとして、石はどのくらい飛ぶ?」

「十倍飛ぶ」

「うん」

 棒を使って、地面に力と文字を描いた。

「じゃあ千倍にしたら?」

「それは千倍――えっと」

 千倍の距離を飛ぶ?

 本当に?

 足元、先生が描いた字を見る。仮に千倍の力が加わったら、そんな力が――。

「――飛ばない」

「何故?」

「石が壊れる」

「その通り」

 今度は物という字が加わった。

「強すぎる力を加えれば、飛ばそうと思っていた物体が壊れてしまう。だったら?」

「……壊れないものにする?」

「そう、今度は飛ばすものの強度を考える。この力と物を、上手いバランスにして一つにまとめたものを構成として、結果的にそれが飛ばせたら、それが現実に具現した術式となる――と、これがいわゆる、魔術の流れね」

「……そっか。投げなくても、力と方向を与えて、投げたのと同じにする」

「その認識で間違ってないわ。そうやって頭をよく使って考えなさい。さて、必要になるのは魔力なんだけど」

「あ、それは知ってる。スキルに必要だから」

「クロも持ってるわね?」

「……と、思う」

「ん。じゃあちょっとスキルの話もしましょうか」

「術式とは違うんだよね?」

「同じと言えなくもないわよ。力と物、そして飛ぶ――この三つを、一つの箱に入れてるの」

「箱……」

「そう。こういった箱そのものがスキルで、世界という倉庫には、無数の箱が用意されてる。簡単な話、石を投げられるなら、このスキルを使える〝鍵〟が持てるのよ」

「その鍵を、魔力を通して使うと、箱を開けられる?」

「それがスキルを使う、ということね。つまり結果だけを見るなら、術式も同じよ。世界が用意してある箱と同じものを、自分で構成してやればいい」

「スキルってそういうものなんだ……じゃあ、どうして私は使えないの?」

「経路がないから」

「鍵があっても、届かない?」

「届かないなら、鍵を持つだけ無駄だから、そもそも鍵を持てない」

「そっか……」

 以前は、悔しいと思ってた。けれど仕組みを説明されれば、不思議と納得が腹の中に落ちる。

「その方が幸運よ」

「そう?」

「そのうちわかるわ。じゃあ――そろそろ始めましょう。今から返事はしなくていいから、私の言葉に耳を傾けなさい」

「うん」

「まず目を閉じる。――ああ、視界情報を奪うから何も見えないでしょうけれど」

 なんか怖いことを言ってるが、私は指示通りに目を瞑った。

「深呼吸を繰り返すようにして、自分の輪郭りんかくを掴みなさい」

 ――輪郭?

「躰を動かさなくても、呼吸をすれば上下する。表面、肌があるところが境界線。外側と内側の境目。外側は見えない、感じているのは肌――けれど、

 呼吸を意識して、躰の小さな動きを感じながら、肌から輪郭を得ようとするが、難しい。

「境界はそこにあるんだから、内側に潜りなさい。意識を中へ落とすのよ」

 簡単に言うなあ……。

 意識と言っても曖昧だが、私は今、座っていて、太ももに乗せた両手と、目を瞑っているためか、額のあたりに意識がある。意識というか、感覚というか。

 ゆっくりと。

 その意識を内側へ向ける。暗い視界の中でも、感覚がある場所が外だと思えば、それより内側は全て中だ。

 しばらくそうししていると、暗闇の中で泳ぐような感覚があった。なるほど、潜るとはこういうことか。

「――見えたわね? それに触れてみなさい」

 見えたけど、これ?

 なんかぶっとい縄みたいなのがあるんだけど。

 芯と呼ぶには、あまりにもゆらゆらと揺れていて、引っ張って抜けるとも思えず、手を伸ばせば――途端にその縄はほどけ、無数の糸へと変化する。

 溺れそうになったが、すぐ浮上できた。気持ち悪さもないし、気持ちよくもない。

 広がっていく。

 細かく、時には捻じれてひもになりながら、それはまた細分化されるよう糸になって暗闇を塗りつぶすよう増えていく。

 だがそれも途中で終わり、巨大な壁にぶつかって止まる。止まるというか、今度は横へ横へ。

 でも、なんでこんな大きな壁があるんだろう。

 揺れる糸たちを見ると、黒色の部分も残っている。規則性があるのかないのか、ともかくその糸は増えている――けれど。

 本当に増えているのだろうか。

 ただ、一つの縄だったものが、細かくほどけているだけなのでは?

 振り返るが、縄だった部分はもう見えない。根本もよくわからない感じだ。

 そもそも、この場所の中心がどこにあるのかも、私にはわからないのだ。

 それにしても大きい壁だなと思ったら、見覚えのある形が見えてきた。

 腕だ。大きな――いや、これは。


 


 ふわりと浮かぶような感覚と共に私は目を開き、まぶしさに目元を手で覆う。

 ふうと息が落ちたのに気付き、座っている自分を認識すると共に、足元のたき火がいつの間にか消えていた。

 顔を上げると、先生が欠伸をしていた。中尉殿は離れた場所の木陰で横になっている。

「……あれ?」

「おかえり、というのもおかしな話ね」

「えっと」

「大丈夫よ。あんたが見てきたのが、魔術回路と呼ばれるものね。それは構成でもあるし、魔力でもある」

「めっちゃ糸がたくさんあったんだけど……」

「知ってる。――さて、次のステップに進むわよ」

 いや、どうして知ってるんだ。見てたのか?

「顔を合わせればすぐわかるわよ」

 それはきっと先生だけだ。



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