1話 「猫」
マグロの刺身が皿に盛られて隣の猫に出される。それに対して、僕にはほんの少しキャットフードが投げられるだけという待遇の違い。
しかも、これは隣の猫が選り好みして食べなくなったおこぼれだ。しかしまあ生ごみを食べさせられたり、何にも食べさせてもらえない日があることを考えたらご褒美か。
隣の猫が美味しそうに目を細めながらマグロを頬張っていて、それを飼い主が愛おしそうに撫でながら何か言っている。
唇の動きから推測するに恐らく「お前はほんと可愛いなぁ~」とか、そんなとこだろう。きっとこの飼い主にちゃんとした人間の子供がいたらこんな感じで今も可愛がっていたのだろう。
僕は羨んで横目に見ていてもマグロがくることはなく、くるとして腹への蹴りだといういことを今までに重々思い知らされてきたので、床に散らばったキャットフードに目線を戻し、ただ黙々と食べる。昨日顔を蹴られたせいか、少し血の味がする。
口の中が切れているのであまり早く食べられずゆっくり食べていると、しばらくして不意に脇腹に衝撃が走って床に倒れてしまう。どうやら蹴られたみたいだ。起き上がり、飼い主の方を見ると怒っていて、何か怒鳴っている。飼い主の手にあるカバンを見て、ああ「行ってきます」を言ってたのかと僕は理解した。
痛む脇腹を我慢しながら、僕はいける範囲まで見送りに行く。隣の猫は飼い主が出かけるのが悲しいのか、飼い主の足につかまって甘えている。そしてそれを見て、飼い主が表情をほころばせながらその猫を撫でている。
その猫に手を振りながら飼い主が出ていく。僕の方は一度も見向きもしない。それならなぜ、わざわざ蹴ってまで僕を見送りに出そうとするのか。
玄関のドアが閉まり、カギも閉まり、あの人はいなくなった。ただし、あの人がいなくなったからといって、「自由だ、なにしよう」とはならない。っていうかなれない。
なぜなら、僕の首には首輪がついていて、鎖で壁につながれているからだ。動けて半径三メートル程度といった感じか。
そもそもどうして、僕とあの猫でこんなにも待遇に差ができたのだろうか。後から来たあの猫がどうしてあんなにも愛されているのだろうか。
このことは、もう何百回と考えてきた。答えはもうでている。ただそれだと、どうしようもならないから認めたくないだけだ。
「耳が聞こえないだけでどうしてそんなに愛せなくなるのか?」
僕はもともと耳が聞こえていた。その頃は僕も順当に愛してもらっていた。
しかし、確か六歳だったと思う。急に耳が聞こえなくなった。はじめは病院などにも連れてってくれて、治そうとしてくれていたが治らないとわかった瞬間……あの人は僕への興味を失った。
次の日から僕は鎖に繋がれ、ご飯もまともにもらえない日々が始まった。
さらに次の日には、僕の代わりとしてあの猫がうちに来た。そして、今までの僕への愛情がその猫に注がれるようになっていった――。
*
強い風で目を覚ます。気づいたら寝てしまっていたようだ。窓の外を見ると、空は橙色に染まりながら、鬱々と雨を降らせている。夕立だ。
横を見ると、珍しくあの猫が僕の横で寝ていた。もしかしたら、僕の悲しみを感じとって一緒に寝てくれたのかもしれない。
あらためて僕とこの猫との違いを観察してみる。
聞こえない耳はそうとして、つやつやの毛並み、愛くるしい仕草……。挙げだしたらきりがない。
なんか今日はいつもよりも辛い……。あぁ、お腹減ったなぁ、やっぱあんな少量のキャットフードじゃ足りないや……。
――――――――――
「お疲れ様でしたー」
残業している同僚にそういって私はオフィスを後にする。
今日も仕事はもちろん疲れた。OLは過酷だ。しかし、その疲れも忘れさせてくれるほどのことが家に帰ったらある。
ミーたんが私を待ってくれているのだ。四年前から飼いだしたが、これが可愛くて可愛くて仕方がない。
仕事のストレスなんかは、もう片方のできそこないにぶつければいいし。あぁ、ミーたんを早く抱きしめてあげたくてたまらない。雨も気にならずに、自然と帰り道が早歩きになる。
私のアパートが見えてきた。ミーたんは今日もドアの前で待ってくれているかな、なんて考えると自然と笑みがこぼれてくる。アパートまでの数百メートルさえもがもどかしい。
ようやくドアを開けられる。少し息が切れているが問題ない。ミーたんがいつも通りドアの前で待っていてくれてることを期待してドアを開ける。
「ミーたんただいまー!」
しかし、いつもはいるミーたんが今日は待っていない。寝ているのかと思いつつ、できそこないもいるリビングへとむかう。
「ミーたんただいまー!」
もう一度そう言って私はリビングの扉を開く。
――が、目の前にいたのは起きているミーたんでもなく、寝ているミーたんでもなかった。
「ミー……たん?」
目の前にいたのは皮と骨と内臓とが分離されていて、床を自身の液体で赤く染めたミーたんだった。そしてその傍らにはその内臓を貪り食うできそこないがいた。
できそこないが私に気づいてこっちを向く。顔の下半分をミーたんの血で真っ赤に染め、口からはもともとミーたんの一部だったものが覗く。そして、発音が崩れながらもこう言った。
「どうして、こんなできそこないを産んだの? お母さん」
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