非日常

入江 帆

0話 「非日常」――プロローグ

 朝起きて、学校に行って、勉強して、休み時間には友達と喋ったりして、部活して、塾に行って、家に帰って、風呂に入ったりして、寝る。そして、休日には友達と馬鹿騒ぎしたりする。

 勉強は学年で十番以内で、友達も多くいてクラスの中心的存在。さらに部活のサッカーでは一年からレギュラーだし、一般的に見て充実した生活かそうでないかと聞かれたらとても充実した生活だとは思う。


 だけど、僕には変わらないこの日常の繰り返しが耐えられない。

 この一連の流れが機械的に感じられて苦痛でしかない。

 このように感じるようになったのは中学に入ってからだった。その頃は高校生になれば変わるだろうと思って必死に耐えてきた。けれどそんな僕の期待も虚しく、高校に入って七ヶ月……結局何も変わらなかった。


 苦痛に耐え切れなくなったある日、少しでも日常に歯向かいたくて僕は塾の終わったあとすぐには家に帰らずそのまま帰り道の途中にある公園へと向かった。


 暗闇と静寂に包まれた誰もいない公園の中で僕はブランコへと腰掛ける。

 側にある一本の街頭と月明かりのみが僕を頼りなく照らす。そんな中で僕はぼーっとしながらただブランコに揺られていた。ブランコの軋む音が公園内に響き渡る。


 ただ無心でブランコに揺られるこの時間は、開放感に興奮が相まって「非日常」って感じがして最高の気分だった。

 しかし同時にこれがハリボテの「非日常」であることや、こんなささやかな反抗をしても日常の呪縛からは逃れられないんだよな……みたいなことを考えてしまい虚無感が押し寄せてくる。


 家出でもすれば本当の非日常へ身を投じれるのかもしれないが、どうやら僕には家出なんかをするほどの勇気を持ち合わせていないようだった。


 *


 どこかの家からか聞こえてきた犬の遠吠えで我に返る。

 腕時計を見ると時刻はすでに十一時を過ぎていた。どうやら一時間以上もブランコに揺られていたようだ。


 やばいかなと思い、スマホを取り出してみると予想通り母親からいくつもの心配した連絡が来ていた。

 これから帰って母親に小言を言われることや、明日からまた日常が繰り返されることを考えると憂鬱だったが、臆病な人間の僕にはそれ以外に選択肢がなかった。


 しかたなく、そろそろ帰ろうと思ってブランコから立ち上がろうとしたその時、すぐ近くで声がした。


「鈴木灯馬君だね?」


 突然自分の名前を呼ばれ、僕は驚いて声の方へ振り向く。

 声の方へ振り向くと、誰もいなかったはずの僕の隣のブランコに全身真っ黒な男が座っていた。

 顔は帽子をかぶっているのと暗いということもありよく見えないが確実に知り合いではない。


 驚いて何も言えないでいる僕に構わず男は続ける。


「君は今の日常に飽き飽きしている。そこで非日常を求めて家に帰らずこんなところでブランコに揺られている……そうだろ?」


 青年と言われればそう聞こえるし、老人と言われればそうも聞こえる、なんとも奇妙な声で男は僕に問いかけてくる。


「そうだけど……っていうかあんたは誰なわけ? それになんで僕の名前を知ってるんだよ?」


 ようやく平静を取り戻した僕は、疑問を口にする。

 普通なら突如現れた怪しい男に質問なんかせずに逃げ出すべきなのかもしれないが、この時の僕は後から考えると不思議なほどにこの男に対して一切の警戒心を抱かなかった。


「すまないすまない、驚かせてしまったね。私は君のように日常の繰り返しに苦痛を感じている人々を非日常へと連れ出す、そんなボランティアみたいなことをしている者だ」


「非日常へ連れ出す? それってどういうこと?」


 この男やこの男が言っていることに胡散臭さや、不気味さは感じたが、それ以上に僕は「非日常」という言葉にワクワクした。


「う〜ん、口で説明するのは難しいね……、実際に体験してもらったほうが早いと思うが、どうだい? とりあえず一度体験してみないか?」


 そういって男は二粒の錠剤と水の入ったペットボトルを手渡してきた。

 僕は少しのためらいもなくそれを受け取り、錠剤を水で流し込んだ。

 嘘でも犯罪でもなんでもいいから、日常への苦痛が限界まできていたこの時の僕にとってはこの男に縋るほかなかったのだ。


「飲んだけど、これでなにがおこ――」


 僕がそう言い終わる前に変化は訪れた。

 突然意識が朦朧とし始め、同時に瞼が重くなっていく。体に力が入らなくなり、なにも考えることができなくなる。


「ようこそ非日常こちらがわへ」


 遠ざかる意識の中で、そう呟く男の声が聞こえた。

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