第5話

あれから二年もあたしはタクミに恋している。

 ドキドキと、いつもより速く動く心臓に気づかないふりをして、いつも通りを装って、あたしは学校にむかう。いつも通りのその道も、あたしの目には何も映らず、ただ後ろに流れていった。

「おはよう」

 下駄箱での突然のタクミの声に、あたしはドキッとした。

「お、おはよう」

 少しつっかえてしまったけれど、あたしはもう慣れた作り笑いで、今日の決意を隠す。

「今日は暑いな。まだ、春なのに」

 あっちー、とタクミは呟きながら、ワイシャツの袖をまくりあげた。

「そうだよね。あ~あ、あついの嫌だな」

「りんは、夏嫌いだもんな」

「そうだよ~。いつも夏バテするんだもん」

 はやく冬こないかな、と呟くあたしに、タクミは苦笑いしながら、「きたばっかじゃん」と、つっこんだ。

「でも、本当にりんは暑さに弱いよね」

 にかっとタクミは笑って靴を下駄箱に放り込むと、あたしの方を振り返ってそう言った。

 その笑顔が、決意をしたせいなのか、いつも以上に輝いてみえて、不覚にもザワザワっとあたしの胸がざわめいた。

 タクミがあたしと並んで歩いても、あたしより背が高くて足の長いタクミの歩幅と、身長の低いあたしの歩幅はあうはずもなく、タクミは気を遣ってあわせてくれてはいるけれど、結果的にタクミがあたしよりも一歩先を歩いているようになる。

 そのまま教室までタクミは、昨日の夜におきたお姉ちゃんにムカついた事や、何日か前に、寝ぼけてドアにおもいっきりぶつかって、頭にコブをつくった事を、身振り手振りをまじえて、楽しそうに話しながら教室のドアを開けた。

 それと同時に、おはよう、という友達の元気なあいさつがあたし達をむかえた。

「おはよう」

 あたしもタクミも元気に応えた。

 席に行こうとした時、あたしは友達につかまり、タクミも友達に呼ばれてどこかに行った。

「りん、昨日たつや出てたよ、テレビ」

「え!?うそ!?」

「知らなかったの?だったらメールすればよかったね。見てると思ってさあ」

「見忘れた・・・」

「私も見た!」

「うわあ・・チェックしてなかった・・・・」

「まゆが、撮ってるって。借りれば?」

「ほんとに!?まゆ、かして!」

 他愛もない会話をして、ゲラゲラ笑って、あたしの一日が始まった。

 話がとりあえずひと段落したので、あたしはうすっぺらなカバンを机に置きにいった。

 前のタクミの席には、カバンが無造作におかれていて、黒板の近くからタクミの笑い声が聞こえた。さりげなく周りを見渡すと、タクミは仲のいい友達に囲まれて、ワイワイ騒いでいた。

 朝から元気だな、と思いながら、その姿が子供っぽくてなんだか微笑ましくって、ニヤニヤと一人で笑っていた。それに気づいて、あたしは慌ててその事を誤魔化すように、カバンの中のほとんど入っていない教科書をとりだすフリをした。

 二年生の時はタクミとクラスが離れてしまったけれど、高校最後の今年は偶然にもまたタクミと一緒になれた。秘かに願っていた想いが届いたのかもしれない。それに、幸いにも、あたしとタクミの間に入る人は誰もいなくて、また一年生の時と同じ並び順。運命だ、なんてちょっとだけ思ったんだ。

 そんなことをしていたら、チャイムが鳴って、みんながガヤガヤと自分の席に着き始め、タクミも途中、友達に捕まりながら戻ってきた。

 タクミがちょうど席に着いたとき、先生が教室に入ってきた。

「おはようございます」

 朝から疲れるぐらい真面目な声で学級委員長があいさつすると、その後に、みんなの適当な声が続いた。

 中腰で立っていたあたしは、すぐにストンと腰をおろすと、タクミが少し声をおさえ、斜め前をむきながら、顔だけあたしの方を振り返って話しかけてきた。

 先生が今日一日の連絡をする声が聞こえる。

「また、あつし遅刻じゃん?」

 ククッと笑いながら、タクミは自分の席から斜め二個前の席を見ながらそう言った。

「ほんとだ。また先生によびだしくらうんじゃない?」

 あたしも少し体を横に傾けて、あつしの席を笑いながら見た。

「よくあれで三年にあがれたと思うよ」

「ほんとだよ。遅刻、早退は一番多くて、ほとんど赤点だったのにね」

「あいつ、アホすぎ」

 そして二人で笑った。

「お昼まで来なかったらラインしてみる」

 そうタクミが言った。けれど、最後の方は、またちょっとイラッとする学級委員長の、起立、と言う声と、その後のガラガラというみんながイスを引く音にかきけされた。

 あたしはほとんど立ち上がらず、先生が礼をしてホームルームが終わると、すぐにまた崩れるように席についた。

 教室は朝のようにざわめきをとりもどした。

 それとは反対に、あたしの胸のざわめきだけは怖いほど落ち着いていて、妙に静かだった。

 いつも通りの時間が流れていて、決意を忘れてしまいそうなほど、なんだか自分にとって特別な日だとはどうしても思えなかった。今日一日、良いことがありそう、という予感もしないし、決意とはうらはらに現実味のないフワフワとした感覚だった。

 でも、授業中、タクミの背中をボーっと見ていると、たまに思い出したように、不安と恐れが胸をギュッとつかんだような錯覚になる。

 今日でこの関係が崩れてしまうかもしれない、と思うと自分の決意がしぼんでくる。考えないようにしていても、心の片隅にはずっと、この関係が崩れてしまうかもしれないという一番の恐怖が渦巻いていることにきづいてしまう。

 それでももしかしたら、タクミの世界にはいれるかもしれない、という確信のないグラグラした期待があたしを奮い立たせる。

 一日はゆっくり過ぎればいいのに、と思えば思うほど、時計の針の回転は速くて、あっという間に今日の最後の授業になった。

 授業そっちのけでながめる時計が、刻一刻と、あたしとタクミの関係を大きく変えようとしている。

 落ち着いていた胸も徐々に騒ぎ出し、ドクンドクン、という音がタクミにも聞こえてしまうのではないかと思うくらい、大きく動きだした。

 不安や怖さは、逃げ出してしまいたいぐらい大きく膨れ上がるばかりだけど、それでもあたしの決意がゆらがないのは、やっぱりきっとタクミが好きだから。

 友達でいるのはもう終わり。

 タクミ、あたしをその世界に入れてよ。

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