逃げる

決行当日。


この日は鵜飼一人の勤務だった。

スタッフ全員見送った。


その30分後、飯塚は来た。


『嘘だろお前。』

季節は冬。飯塚は上こそ黒のダウンジャケットだが下はいつも愛用しているベージュのチノパンだった。

いつものリュックサックも忘れていない。


『なんすか?』

『いや普通黒でまとめねえ?』

『鵜飼さんの制服も厳密には紺色ですよ?』

『そっ…。まあ、もういいや。やるか?』

『やりましょう!』


店内に侵入するのは簡単だった。

飯塚は合鍵を持っていた。


(こいつ実は優秀なのか?)


鵜飼は飯塚の周到さを見て印象を改めかけた。


『これで警報鳴らないんだからお粗末ですよね?』

飯塚は笑っている。

『鳴ると思ってた…。』

『俺もです。』

『え?』

『ん?』

『鳴らないの知ってて開けたんじゃないの?』

『そんなん知るわけないじゃないすかー!』

飯塚はまた高笑いした。

優秀ではない。無鉄砲なのだ。


鵜飼は不安がこみ上げた。


『店長の部屋…店長の部屋…』

飯塚は独りごちる。



バックヤード。店長の部屋とは言え札には「STAFFONLY」とだけ書かれている。


『ここホントはただのモニタールームなんすけど、店長が私物化してんすよね。』

確かに、部屋と言うよりモニタールームだ。

監視カメラのモニターがあるだけの縦長の部屋にデスク、キャスター付チェア、鉄製の棚には店長のものと思しきカップ麺やパンなどの備蓄がある。


『よく内部のこと分かるよな?』

『俺伊達さんと付き合ってんすよ。』

『ええ!?』

鵜飼は驚きのあまり大声をあげた。


この飯塚に彼女?それも年増のグラマラス伊達を落としたのか?



伊達とはこのパチンコ店にパートタイムとして勤務する37歳のシングルマザーであり、

170センチの長身と、鵜飼の目測だがFカップの巨乳を携える美熟女である。


鵜飼と飯塚はつい最近「伊達さんて顔は松雪泰子に似てね?」との話題で盛り上がったことがある。


(何故あの時言わない…飯塚め!!)


鵜飼は歯嚙みした。



『今日子さんなんでも教えてくれるから─』

『仕事に集中しろ!!』

鵜飼はおよそ通常の職務中には一生言う機会がないであろう言葉を吐いた。


二人は店長の部屋を漁った。  


『あった!!これそうでしょ!!』


飯塚が歓喜の声を上げる。


飯塚の目線の先は、カップ麺の山の裏、鉄製の棚の奥。如何にも安っぽい60センチサイズの段ボールと同等のサイズの持ち運び可能な小型金庫があった。


『これ!?』

『これっすよきっと!!』


金庫は上にパカッと口を開くタイプの様で、嚙み合わせの部分に金色の摘まみと鍵穴が見える。


『鍵は!?』

と飯塚。

『いや知らん。てかここにはないだろどう考えても。店長んちじゃないか?』


『じゃ店長の家に──』

『馬鹿!!』

鵜飼は飯塚の言葉を遮った。


『鍵くれっつって寄越すと思うか?それとも銃で脅すか?それよりもこれをとりあえず持ち出してそれから考えた方がいいだろ!』


『んー、あー、はい。』

飯塚は納得いったのかいっていないのか分からない返答をした。



コンコン



一瞬心臓が止まりかけた。



『おい…』

鵜飼は小声で言う。

『誰だ…?』


『さぁ…?』



コンコン


またノック


そして


ガチャ


『のわっ!!』


三人の叫びが重なった。


店長。


胸騒ぎでもしてか、舞い戻ってきたのだ。


『おい!!』

店長は狼狽えながらも声を上げ威嚇する。


『なんなん、な何を君たちは!!』


『いや、違う!違うから!』

鵜飼はもっと狼狽えている。


『おい店長!鍵何処だ!』

この状況で狂っているのは飯塚だけだった。


『飯塚くん!』

『鍵!?なんの鍵だ!?』


『これのだよっ!』

飯塚は金庫を掲げた。


『それは……ないっ!』

店長は言い切った。


『無いことはないだろう!無きゃどうやって開けるんだテメー!』

飯塚は強気だ。こんな飯塚を、鵜飼は初めて見た。



『…ここには無い!家にはある!』


『じゃ持って来いよ!!』

飯塚が言う。


『いや待て、持って来させるのは危ねえって!一緒にいくしか─』


『ウチには今ヤクザがいるぞ!』

店長は、見よ伝家の宝刀をと言わんばかりに言い放った。


『は?』

鵜飼は言った。

『なんでヤクザが出てくる?』

『マネロンの件か?』

飯塚は知ってるぞと言わんばかりに突き付けた。


『…なんで知ってる?まあいい。今日は別にその回収にきてるわけじゃない。個人的な借金の回収で来てるんだ。』


『こんな夜中にか?まあそれはいいとして、借金返済に裏金充てるのはまずいんじゃないか?』

鵜飼が言った。


『それは裏金じゃない!それは売り上げをコツコツコツコツちょろまかして─』


『裏金じゃねーか!』

鵜飼が突っ込んだ。


『マネロンにも手ぇ貸して売り上げもちょろまかして、お前自分の店に愛情ねえのかよ?』

鵜飼は自らを棚上げして正論を言う。


『俺は所詮雇われだ!年収だって400万ちょっとなんだぞ!?』

年収200万ちょっとの鵜飼飯塚に言う言葉では無かった。


『ごちゃごちゃうるせー!とりあえず車のキーよこせ!運転してってやるからよ!』

飯塚は何処から出したのか、果物ナイフの様な物を構えた。


『ちょっと待て。これ本当に裏金じゃないの?あんたの小遣い?』

鵜飼は気付けば冷静になっていた。


『…そうだよ。』


『なら、裏金は何処?』


店長は沈黙する。


『何処だ!』

ついに鵜飼は声を張り上げた。


『…あの金はまずいってぇ……』

店長は泣き出しそうだ。


『いいから。ここで死ぬよりいいっしょ?』

鵜飼は銃を取りだした。


『…………くそっ!!どけ!』

鵜飼はモニターが設置してあるデスクの下に潜った。

鍵を取りだし、床を開けた。

そんなところに隠し戸があるのは二人とも気付かなかった。


『ほら……!』


促され、床下を覗くと輪ゴムで留められた札束が乱雑に投げ込まれてあった。


一束は恐らく10万から30万ほどだろうが、数が半端ではない。


桁は間違いなく千万単位だろう。


『いよっしゃああああ!!』

飯塚は歓喜する。

『ここっ、これに詰めて詰めて!』

リュックサックを広げる。


鵜飼と店長は、飯塚が広げるリュックサックに札束をどんどん投げ入れた。

見る見る重くなり、結局入りきらなかった。


『なんか袋ねーの?』

と飯塚。

『袋だ!?ビニールしかねーよ!』


『ビニールかよ…、まぁしょうがない、いいか!』


二人は景品用特大ビニールに札束を詰め込み、キツく結んだ。


リュックサックとビニール袋3つ。

かなりの重量である。


『よし!店内に台車あるからそれで外までいきましょ!』


飯塚の目は輝いている。

鵜飼もだった。


『おい、キー!』

鵜飼は項垂れている店長に言った。



『…あ?』


『いやキーだよキー。逃げんだからよ俺ら。早く。』


『くそっ!!』

店長はキーを乱暴に放った。



『よしゃっ!それから携帯も!』

最早店長は無抵抗である。


二人は台車を押し店を出、台車ごと店長の愛車エルグランドに載せた。



『年収400でエルグランド買えるんすか?』

『中古中古。』

鵜飼はエルグランドの顔を指す。

型は前期型。

店長はまだ三十代だろうから発売当初は十代、見栄で中古を買ったのだろうとの読みだ。


『そっすか。じゃ、とりあえず出発しましょう!』

と言って飯塚は助手席にノリコム。



『え、俺運転?てか二台で逃げるんじゃないの?』

駐車場には鵜飼のオンボロの初代ムーブが停まってある。

エルグランドで二人で逃げるとなればムーブは置いていかなくてはならない。


『俺免許ないですし。』


『おまっ、どうやって逃げるつもりだったの?』


『鵜飼さんの運転で。』



『俺の車に金積みきれなかったらどうするつもりだったの?』


『いやー、そこは嬉しい誤算でしたね!こんなに金あると思わなかったですし。車まで頂けちゃって!』


こいつを一瞬でも優秀かもしれないと思った自分を殺したい。


鵜飼は思った。





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