第6話 4



 乃和はゼロナと共に、博士の悲鳴が聞こえた場所……ろ過装置のある部屋まで、歩みを進めていた。

 ろ過装置の前には、藍星や蓮を含めた人々が集まっており、ざわざわと緊迫した空気が流れている。

 ろ過装置の前に力なく座り込んでいるのは、セナ博士。

「どうしてこうなってしまったのっ……こんなはずじゃなかったのに……!」

 セナの表情はまるで絶望そのもののように思えた。

 乃和の今まで目にしたことのないような、大きく歪んだ表情。

 そして、乃和はあることに気付いて息をのむ。

 すでに、心の情報のろ過は完全に終了していた。ろ過装置の下部分に溜まっているのは、黒色に煌めく液体。

 ……それには、見覚えがあった。

「心っていうのは、バグのことだったの!?」

 セナはそう泣き叫ぶと、床に身を埋める。

「バグなんてよく発生してるじゃない!あたしが欲しいのはこんな情報じゃなかった、もっと純粋で夢と希望にあふれて温かくて……」

「博士、落ち着いてください」

 蓮がセナの隣に座り込み、彼女の背中に手を置く。

 それでもセナは、俯き肩を震わすことを止めなかった。

「人間の代わりをする魔法使いたちは、完璧でなくちゃいけなかったのよ。もちろん、あたしたちよりも……でももうこれで、あたしの理想とする完璧とはまるで異なってしまった……心の情報の正体が、これ、じゃあ意味がない、全くね……」

 セナはただ静かに涙を流す。

 その様子を、乃和たちはただ茫然と見守ることしかできないでいた。いつも冷静なセナとは対照的な今の姿。ただただ戸惑った。

「こんな気持ち悪いセカイでこれから生きていくなんて、耐えらないわ。また失敗だった、あたしの人生……何度繰り返したらたどり着くの」

 セナは顏を上げる。それは涙でぐちゃぐちゃに歪んでいた。彼女は、唇を噛みしめ蓮を見据える。

「蓮、あたしを殺して。こういう時のために……あなたを作ったの」

「……」

「どうしたの、蓮。これは命令よ?」

 蓮の表情は無のまま固まっていたが、その青みがかった瞳にはわずかに波紋が広がっている。

 蓮はしばらくの沈黙のあと、瞳を伏せた。

「どうやら体がフリーズしてしまったようです」

「!」

「博士の命令に背いてしまい、申し訳ありません……」

「どうしてよっ……蓮もあたしを裏切るの!?」

セナは蓮の肩を力強く掴み、勢いよく揺さぶる。

 蓮はそれに対抗する様子なく、ただ静かにセナのことを見据えていた。

「なんならあなたのことを壊してあげてもっ……」

 セナの言葉にはっとした乃和は、気付いたら足を踏み出していた。

「博士!やめて!兄さんにそんなこと言わないで!」

 セナと蓮の間に無理やり割って入る。

「乃和……」

 蓮の動揺した声が背後から聞こえたが、振り返ることを我慢し博士のことを見た。

「乃和、生意気よ?邪魔しないでちょうだい!」

 セナは刺すような目で乃和を見る。

 乃和はそれも怯まずに、

「でも、博士……っ」

「邪魔するな邪魔するな邪魔するなっっ!」

「っ……」

 気付いた時には、セナの首にかかったカードを奪い取っていた。そして、乃和はそれを彼女の額にかざす。

 一瞬時が止まったかのようになったセナ。ゆっくりとまぶたが降りていく。

 乃和はとっさにカードをそこから離した。同時に、セナは床に倒れ込み意識を失う。

 乃和の手の中に収まっているカードは、青白く光っている。それは、確かに「効果」があった証だ、そう思った。

「……これだけで本当に記憶が消えたの……?」

 乃和が言葉を漏らしても、辺りはただた静まり返っているだけだ。

 すると、藍星がゆっくりと乃和の方へ歩みよってくる。

「……ふふ、その発想はなかったなぁ~。まさか博士の記憶を消しちゃうんなんてね。あたしたちじゃ、考えもしなかったことだよ……」

 藍星は口元をつり上げる。その目には、暗い影がおちていた。

「ねぇねぇ乃和、これから博士のことどうするの?そのカードさえあれば、思う存分仕返しできるんじゃない?」

「えーと……わたしは、別にしなくてもいいかな……こんなカードももういらないし」

 乃和はカードを頭の上に掲げると、「ゼロナお願い」と言った。

 ゼロナはこちらに歩みよりながら頷くと、杖を向け光の筋でカードを破壊する。

 ……粉々に砕けたカードは、乃和の手の中で消え失せた。

 乃和のその行為に、藍星や他の研究員たちが動揺したのが分かった。

 自分は間違ったことをしてしまったのだろうか、いや、そんなことはないはずだ。乃和はそう自分に言い聞かせる。

「ねぇ藍星、みんな。もう「魔法使いの箱庭」は完成してたってことでいいんだよね?だからもう研究はやめよう」

「……」

「わたしはね、博士の引き継ぎ体質を治したいの。次はその研究がしたい。その体質が治せれば、博士はわたしたちのことを信じてくれると思う。博士一人の存在で、数少ない人間たちがギクシャクするのは、もう嫌だよ」

 乃和は必死になってその言葉を並べた。

 冷や汗が額に滲んでくる。

 未来の世界にきてからずっと持っていた違和感を、違和感と思えるうちに、それを正しいと信じているうちに何かを変えなくてはいけないんだ。

 きっとこの感覚は、心の自由が当たり前のように存在する過去の世界で育った自分にしかない感覚だから。

「ふふ、やっぱり乃和はいつも突拍子もないなぁ。びっくりしちゃった」

「……藍星」

 藍星は微笑む。

「あたしはね、乃和に協力するよ。君の新しい感覚が、ここの世界を変えてくれるそんな気がるするしね?みんなもそう思うよね?」

 藍星は、周囲の研究員に問いかける。彼らはそれに小さく頷いた。

「……ありがとう」

 乃和は絞り出した声で、そう呟くことしかできなかった。






 数か月後。

 相変わらずこの世界は、夜が明ける兆しがなく窓から見える景色はまるで時が止まったかのようだった。

 けれど、確かに何かが変わり始めている。

「兄さん、セナ博士の調子はどう?」

 廊下ですれ違った蓮に、乃和はそう声をかけた。

 蓮はそれに困ったように笑うと

「以前よりはだいぶ落ちついているよ。そろそろ仕事場にも復帰できると思うぞ~」

「なら、よかった……」

 乃和は目を覚ましたセナに、記憶を消したこと、心の情報の正体のこと全て話したのだ。それに、カードを破壊したことも。

 セナは事実を確認すると、大きく取り乱したが蓮や乃和の説得で何とかその場をおさめることができた。「引き継ぎ体質」を治す、そう宣言したことが大きかったのかもしれない。

「……なぁ乃和。過去の世界に帰らなくていいのか?」

 蓮は少しだけ気まずそうに、乃和の顏を見る。

「うーん、どうだろ。帰りたくないわけじゃないけど、やるべきことを見つけちゃったしな……あと、兄さんやみんなと一緒にいられるから、きっともう十分なんだと思う……」

「そっかそっか」

「……」

 けれど、ふとした瞬間に寂しさが心を満たす。

 過去の世界においていた沢山の大切を、自分はもしかしたら裏切ってしまったのかもしれない。

 自分の居場所はここだと感じると同時に、自分は過去の居場所を捨てたのだ。

「乃和~~そんな悲しそうな顏するなって!な?」

「えー、わたしそんな顏してた?」

「してたぞ?ほんと、分かりやす奴だよなー乃和は」

「うんうん、ほんと分かりやすいよねぇ」

「!」

 その声に振り返ると、そこには藍星が立っていた。

 藍星は手に持った紙袋を乃和に押し付けると、

「ね、これ誕生日プレゼント!受け取って」

 乃和はそれを反射的に受け取ると、

「え?今日だったっけ?」

「ふふ、正確には明日だけど渡すの待ちきれなかったんだよ。乃和に似合いそうな服選んでみたから」

「そうだったんだ!ありがとう」

「もう一年経つんだなーここにきて」

 蓮が関心したように呟く。

「またケーキ作りたいけど、材料が揃わないな、ここじゃ」

「はは……気持ちだけで嬉しいから大丈夫だよ」

 乃和は苦笑する。

「え!ケーキってよく絵本ででてくる、あの?」

「そーだよ。昔の世界は……」

 蓮と藍星の雑談の様子を眺めながら、乃和は思う。

 藍星は、いつも何を考えているのだろう。乃和はどうしようもなく不安だった。

 セナのことを恨んでいるはずの藍星。どうして自分の意見に賛同してくれたのだろう。

 その気持ちを直接言葉にする勇気を、まだだせずにいた。

「本当にありがとうね、藍星……」

「え?うん」

「……」

「いつかあたしのことも救ってね」

「え、なんて言ったの?」

 藍星がボソリと呟いた言葉を、乃和は聞き取ることができなかった。

「ふふ、秘密だよ秘密」

「えー……」





「まーた、あいつのところに行くのか!ゼロナ」

 ゼロナが街の一角にあるショップで、何色のクッキーを購入するか悩んでいると、後方からそう声をかけられた。

 そこにはシルクハットの魔法使い、ニーナが立っている。

「え、どうしてわかったんですか?」

「そのショップのクッキーを買う時はいつも、決まってあいつのところへ行く!オレはずっと前から知ってるんだからな!」

「ずっと前から?一体いつから私のことを観察してたんですか?キモイですよ?」

「べ、別に観察してたわけじゃねー。たまたま目に入っただけだっ。どんだけ自意識過剰なんだよお?」

「はーウルサイですね」

 ゼロナはビン入りの星型クッキーを購入すると、そのショップから離れる。このクッキーは人間でも食べることが出来る数少ないアイテムの一つだ。

 バグの正体が解明されてから、この街には確かな変化があった。

 バグつきでも、差別の目を向けられることはなくなったし、街中を堂々と歩けるようになった。

 心地よいこの感覚はとても久しぶりだ。

 それに人間たちとの交流も増えた。

 研究棟へ出入りは自由になり、人間たちも偵察以外の目的でこの街へやってくる。

 人間と魔法使いの区別は、ほぼほぼなくなりつつあるのだと思った。

 ゼロナは研究棟へ向かう途中、ふと空を見上げた。街から離れたこの場所は、星がよく見える。

「今日は雲一つなく、星がよく見えますね。キレイです」

 ゼロナがそう呟くと、隣を歩いているニーナは眉を寄せた。

「キレイ?オレには理解不能だな」

「ニーナにもバグがついたんですから、そのうち分かるんじゃないですか?」

「はー?別にオレには必要ねーよ」

「ホントつまらない奴ですね、あなたは」

 ゼロナは微笑む。


 ……研究棟はもう目の前だ。




end

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魔法使いの箱庭 夕菜 @0sora

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