第6話 3




 体の破損が回復してきたゼロナは、研究棟へ歩みを進めていた。

(完全に修復するのに、六十五日もかかってしまいましたよ……)

 あの日、自力で自宅へ帰ったはいいものの、全くと言っていいほど動くことができなかった。

 その代わり、HPも消費することはないので、自然に体が修復されていくのを待つ日々だった。

「……」

 振り返ると、煌びやかな街の明かりから、だいぶ遠ざかっているのが分かった。

(ニーナには気付かれてないですよね、よかったです)

 その場合またやっかいなことになるので、わざわざ鉢合わせしないであろう時間帯を選んだのだ。

 そんなことを考えていると、乃和がいるはずの研究棟はもう目の前だ。

 ゼロナは乃和の記憶が入ったビンをしっかりと握りしめ歩みを進める。たとえ乃和が忘れてしまっていたとしても、これさえあればきっと大丈夫だ。

「!」

 ゼロナは研究棟の窓に研究員が通りかかったのを見て、思わず体勢を低くする。そしてそのままの姿勢で研究棟の壁に身を寄せた。

「うーん、どうやったら見つからずに潜入できるでしょうか」

 乃和と再会できずに削除されるのは避けたい。

「うーん……あ!」

 ゼロナはとあることをひらめき、自分の姿を先ほど通りがかった研究員のものに変化させる。

「よし、思ったより上手くコピーできました!これである程度は誤魔化せるでしょう」

 自分の姿をくまなく確認すると、ゼロナはほっと溜息をついた。

 所々情報のほつれがあるが、よく観察しないと分からない程度だ。

 ゼロナは体勢を低くしたまま、中に入れそうな扉を探す。すぐ見つけると、周囲に人がいないことを確認してからすばやく中に入った。

(よし、楽勝ですね!)

 そしてゼロナは、この場から何事もなかったように歩きだした。何食わぬ顏をしていれば、何も怪しまれることはないだろう。

 研究棟の中は、魔法使いたちの街と違ってすべてがシンプルな構造になっているように見えた。配色も白かグレーか黒で、華やかさがほぼほぼない。

(とりあえず乃和のことを探さないとですね)

 研究棟の何処にいるのか見当もつかないので、探しまわる他ないだろう。





 ゼロナは暫くの間、通りがかった部屋の中を覗いたり、歩きまわったりしたが一向に乃和を見つけることは出来なかった。

「んー仕方ないですね。誰かにきいてみましょう」

 今まで何度も人とすれ違ったが、特に怪しまれることはなかったので、話しかけてもおそらく正体がばれることはないだろう。

 そんなことを考えていると、手前の部屋の中からざわざわと騒がしい人々の声がした。

(何かあるんでしょうか)

 ゼロナは部屋を覗き込む。

「あと数分でろ過がおわるぞ」

 大きな機械の前でそんな言葉を誰かが発しており、周囲に人が数人集まっている。

「ロカ……?」

 聞きなれない言葉にゼロナは首をかしげる。

「!」

 その時、その人々の中に乃和がいることにゼロナは気付いた。

(乃和!)

 叫びたい気持ちを抑えて、ゼロナは早足で乃和に近付く。そして、後方から乃和の腕を掴んだ。

 乃和は弾かれたように振り返り、ただ不思議そうにこちらを見つめている。

 ゼロナはその顏を間近で確認した。

 間違いなく乃和だ。研究服に身を包み、すっかりこの世界に馴染んでしまっているが彼女は、五百年会うことを待ち望んでいた人物で間違いない。

 ゼロナは声を発したいのを堪えて、無言で乃和の手をひく。

 戸惑いながらも乃和は、ゼロナについてきてくれた。

「え?一体なんの用?」

 廊下にでたところで乃和にそう言われたので「あとで話します!」と返すと、ゼロナは人気のない廊下まで乃和を誘導する。

 そしてゼロナはコピーを解除し、乃和の方へ振り返った。

「乃和!私です、ゼロナです!分かりますか?」

 乃和は姿が変化したゼロナのことを、食い入るように見つめていた。

「っ……あなた、魔法使い……?こんなところにいて大丈夫なの!?」

「乃和……」

「それに、その包帯、あなたバグ付きだよね?ここにいちゃ危ないよ!早く街に帰った方がいい!」

 乃和が自分のことを覚えていないはショックだったが、想定内だ。

 ゼロナは記憶の入ったビンを握りしめる。

「ご心配ありがとうございます、でも引き返すわけにはいかないんです……」

「え、何言ってるの……?ってかどうしてわたしのこと知ってるの?」

 その時、後方から人の気配がした。

 振り返るとそこには、ゼロナの知る顏が、険しい表情を浮かべて立っている。

 確か、彼女の名前は藍星。彼女とも五百年ぶりの再会だった。

「乃和、その子から離れて!バグ付きだから、何するか分からないよ!」

 藍星は腕を真っ直ぐゼロナに向ける。その手の爪が青白く光ったかと思うと、手の中に拳銃の形状をした光の塊が現れる。

 藍星はそれを力強く握りしめた。

「ちょっと藍星さん?あなたは私たちの味方ではなかったんですか!?」

「ふふ、そのパターンか。でも、残念だね、あたし博士のカードで記憶を消されたから、何も覚えてなんだよね」

「は?じゃぁ乃和の記憶を消したのも、その博士なんですか?」

「……君さぁ、乃和がきいてる。あまりそういうこと言わないで」

「……」

「……藍星さん!思い出してください!あなたは……」

「思い出すなんて無理だよ。だから諦めて」

「あなたはほんと勝手な人ですね!助けておいて今度は、攻撃しようとするなんて」

 ゼロナは舌打ちをすると、手の中に杖を現しそれを藍星に向けた。

 それと同時に、藍星の手の中の銃が光の筋を発射する。

 避けきれない、そう思った瞬間

「危ない!」

 乃和の叫び声が聞こえたと同時に、ゼロナの背中に衝撃が走った。そして、そのままの勢いで床に倒れる。

 どうやら乃和の後方からの体当たりのお蔭で、藍星の攻撃を避けることができらしい。

「乃和、大丈夫ですか!」

「うん、わたしは大丈夫……」

 乃和は体を起こしつつそう言った。

 藍星はそんな二人をただただ、驚いた様子で見下ろしていた。

「乃和、どうして……そんなことできるの?」

「どうしてって……」

 ゼロナは二人の会話など耳に入っていなかった。

 とあることに気付いて、絶望していたからだ。

手に持っていたはずの記憶の入ったビンはいつの間にか床に転がっていた。

 そして、それは無残にも、割れてしまっていた。

「あぁ……」

 もちろん、中に入っていた乃和の記憶も跡形もなく消えている。

「せっかくこれで乃和の記憶を戻せると思ったのにっ……あぁ……」

 あと、少しだったのに。

 五百年待ち望んだチャンスが、一瞬にして無になった。

 包帯の下のバグがうずく。とても不快だ。今までにないくらいに。そして、その気持ち悪さはもう抑えることができなかった。

 その「バグ」は包帯を突き破り、黒い電撃のようになってゼロナの周囲を暴れまわる。壁や床を大きくえぐり、壮大な音を立て……既にゼロナでは対処仕様のない状態だ。

「うぅ……」

 抑え込もうとしても、全く言うことをきかない。それに、視界が歪み意識が遠のく感覚がした。

「ふふ、やっぱりこうなったか。乃和離れて」

 藍星の声がする。

 やはり自分は、削除されてしまうのだろう。

 薄れゆく意識の中でそう思うと、耳元で乃和の声がした。

「落ち着いて!大丈夫だから!」

 それに、抱きしめられる感覚がする。

「乃和……離れてくだい……私のバグが何をするか分かりません……」

 それでも乃和はゼロナから離れることをしなかった。しっかりとその手はゼロナの背中にまわっている。

 そして、暴走するバグは乃和の体に突き刺さった。



 いつも寂しげな表情の藍星、初めてみる蓮の悲しそうな顏。

 それに、泣きそうな顏で自分に会いに来てくれた魔法使い。

 きっと自分は大切な何かを忘れている。

 そう信じることにした。

 ここの世界は違和感で溢れていて、誰もそれを気にも留めない。気付いているのは自分だけだ、と必死に言いかせていたことが、やっと救われた気がした。

 ゼロナのバグが乃和の体を突き抜けた瞬間、乃和は全てを思い出した。

 そう、今までの違和感を確信できたのだ。

「ゼロナ!落ち着いて!」

 乃和は必死になってゼロナのことを抱きしめる。

「五百年の間、覚えててくれてありがとう。また会えて嬉しい」

「の……わ……?」

 乃和はゼロナから体を離すと、彼の顏を見据える。バグが滲んだその顏は痛々しかったが、そんなことは気にならなかった。

 またゼロナに会えた。思い出すことができた。

「乃和っ思い出してくれたんですね……っ」

「うん、思い出したよ、全部」

「よかったです……うぅ」

 ふと気づくと、乃和とゼロナの周囲は、藍星を含めた研究員たちに取り囲まれていた。彼らの手には藍星と同じ形の拳銃が、握られている。

「乃和、そこどいてほしいな。バグ付きを処分できない」

 藍星は低い声でそう言うと、静かに微笑む。

「藍星、待って。お願いだからやめて!ほら、もう大丈夫じゃん。ゼロナのバグはとっくに落ち着いてる」

 いつの間にか周囲を暴走していたバグは、ゼロナの体の中に治まっていた。

 あたりを満たしているのは、緊迫した空気だけ。

「もしかして乃和、思い出したの?」

「……うん」

「ふふ、すごいなぁ。乃和は。あたしなんか全然思い出せないよ、大切なこと全部忘れちゃった、悲しいな」

 藍星は銃口を真っ直ぐゼロナに向けたまま、唇を噛みしめる。その瞳にはうっすらと涙が溜まっていた。

「藍星……」

「ここの世界にね、生まれちゃった時点で不自由なの。楽しいも悲しいも大切も判断するのは、みんな博士。だからあたしたちは感情を捨てた、そうするしかなかった。でも、乃和はきっとこれからも自由だよ、きっと何があっても。いいなぁ」

「そんなことっ……」

 その時、遠くの方から誰かの叫び声が聞こえる。

 それは乃和のきいたことのある声だった。

 藍星はそれに顔色を変えて呟いた。

「博士?」

「ろ過装置のある部屋の方からだ、行くぞ」

「……えぇ」

 そして、藍星と他の研究員たちは慌ただしくこの場から離れて行った。

 ……そして周囲は静まり返る。

「はぁ……とりあえずよかったー……」

 乃和は危機が運よく去ったことに、ほっと胸をなでおろした。自分だけはゼロナのことを守り切れる自信はない。

「乃和、ありがとうございます。お蔭で削除されずに済みました」

 振り返ると、ゼロナは弱々しく微笑んでいる。

「いや、わたし何もしてないよっ?」

「それは違いますよー。乃和の言葉がなかったらきっと私はバグに負けていました」

「……大げさだなーゼロナはいつも」

 乃和は苦笑しつつ立ち上がると、

「ゆっくり話たいとこだけど、さっき博士の悲鳴がきこえたのが気になるな。何かあったのかな……」

「いってみます?」

「うん」

 乃和はゼロナの言葉に頷いた。




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