第6話 2





「あとどの位で情報のろ過は終わるの?」

 乃和は目の前にある「ろ過装置」を観察しつつ、隣に立つ藍星にそう訊いた。

 ろ過装置は、背の高い砂時計のような形をしている。上部分には、ガンキュウと呼ばれる球状のものが一つ入れられており、その下部分に上から漏れ出した液体が少しずつ溜まる仕組みになっている。

 どうやら下に溜まった液体が「魔法使いの箱庭」に心を宿らせるために必要な情報らしい。

 藍星は慣れた様子で、手の上のスクリーンを操作すると言った。

「うーん、予定だとあと一週間だね。思ったより早かったかな~」

「ふぅん……」

「乃和、仕事が終わったら一緒に夕飯たべよ!あたしの部屋で」

 藍星は乃和に腕を絡めつつ、そう言って微笑む。

「えー……また?姉さんってほんとそう言うの好きだよね」

「ふふ、乃和は嫌?」

「いいけどさっ。あまり職場でくっつくのはやめてよ、恥ずかしいからっ」

 乃和はそう言いつつ、藍星を引き離す。

 藍星も含め、職場の人達はみな他人に対して好意を示さないのが普通だ。けれど、乃和に対する藍星だけは違った。

 乃和はそれが嬉しかった。懐かしい景色をみているような安心感がある。

「魔法使いの箱庭が完成したら、次の仕事はどうするんだろ」

 乃和が何気なく呟くと、藍星は

「言われてみればそうだね。セナ博士に確認してみよっか?」

「いや、いい。姉さんあの人苦手でしょ?」

「……やさしーんだね。乃和は」

「わたしも苦手だから、分かるよ……」

「ふふ、やっぱり」

 藍星は微笑むが、その表情はやはりどこか寂しげだった。

 セナは乃和と藍星の母親ではあるが、何故が近寄りがたい雰囲気がある。特に嫌なことをされたというわけではないが、やはりその嫌悪感は拭えなかった。

「誰が苦手だってー?」

 その声に弾かれたように振り返ると、そこには博士の助手のアンドロイド、蓮がいた。

「はぁ、蓮か、びっくりした……」

 乃和が胸をなでおろすと、蓮は「はははっ」と笑う。

「よかったなー。博士じゃなくて。でもそろそろこっちに巡回にくるから準備しておけよー」

「わかった。ありがとう」

 蓮は乃和の言葉に微笑むと、この場から離れ周囲の機械や人々の様子を確認しに行ったようだ。

「姉さん、蓮ってアンドロイドだよね?」

「え、そうだよ。今さら訊くこと?」

 藍星は首をかしげる。

「んー何というか、っぽくないよね。博士のプログラムが組まれているはずなのに、ふとした会話でそれを感じさせない要素があるというか」

「そうかなぁ。あたしは分からないけど」

「……」

 その時、セナ博士が部屋に入ってくる姿が目に留まる。

 ドキリとして乃和は仕事を続けた。

(博士、今日も顔色悪いな……)

 他の研究員と会話をしている博士のことを横目で見つつ、乃和はそう思う。

 何故かセナはいつも体調が悪そうだった。それでも仕事場には毎日いるし、弱音を吐いたところを見たことがない。

 その時、セナと目があった。

 セナは微笑み、こちらに歩み寄ってくると

「乃和、藍星、ろ過装置の状態はどう?」

 そう2人に問いかける。

「はい、良好です」

 藍星は笑顔を浮かべそう答える。が、乃和の頭の中は別の疑問で埋め尽くされていた。

「あの、セナ博士。体調悪いようですが大丈夫ですか?」

 乃和は、いつも感じていた疑問を思わず口にしてしまった。

 その言葉に、セナと藍星の表情が固まる。

「乃和。いいのよ、建て前は」

「……」

 そしてセナは固まったままの笑顔で踵を返すと、この場から立ち去って行った。

 乃和はそれに深くため息をつく。

「はぁ……もしかしてわたしまずいこと言っちゃった?」

「ふふ。どうだろーね。乃和はいつも感情的だからお姉ちゃん心配だよ」

「別にさっきのは、感情的じゃないと思うケド……」

「ただ博士は、あたしたちに期待することが苦手みたいだからね。あまりそういう言葉は意味をなさないというか、そんな感じ?」

「えー……期待してないって……」

 乃和は部屋からでていったセナの後ろ姿に目をむける。

 いくら苦手な存在だと言っても母親であり仕事の仲間だ。いつも体調を悪くしているようだったら、普通は気になるし心配もするものだと思うのだが。

 きっとそのような気持ちを言葉にすると、また藍星に呆れられてしまうだろう。

 藍星に限らず、みんなそうだ。ここの人達は、自分に比べて感情というものが薄いように感じる。

(むしろ蓮の方が、感情豊かな気がするけど……)

 しかし蓮はアンドロイド。

 きっと乃和の気のせいだろう。




 そして、真夜中。

 乃和は自室のベッドでふと、目を覚ました。そして、ある重大なことを思いだして眠れずにいた。

(ろ過装置の電源って入れたっけ……)

 帰る数十分前に点検のために一端電源を切ったのは覚えている。そのあと、藍星に早く仕事をあがるように急かされて部屋をでたのだ。

(絶対入れてない気がしてきた)

 ろ過装置は点検時以外、電源を入れたままにしておくことが基本だ。明日の朝、電源が切れていることが発覚したら大騒ぎになることは間違いないだろう。

(仕方ない、行くか……)

 乃和はベッドから起き上がると、静かに自室からでる。職場はこことは別の棟にあるので、移動は面倒だがそうも言っていられない。

「……」

 廊下の窓から見える空は相変わらず黒で、遠くには魔法使いたちの街が煌びやかな光を放っていた。

(いいなー魔法使いたちは)

 漠然とだが、そう思う。

 あの街に行ったことはなかったが、あの光は乃和にとって憧れそのものだった。

(きっとここより、楽しい場所に決まってるっ……)

 そんなことを考えつつ、仕事場まで行くと案の定、ろ過装置の電源はきれていた。

 乃和は電源を入れ、その砂時計に似た装置に明かりがつくのを確認するとほっと息をついた。

「……」

 ガンキュウからポタリポタリと滴り落ちる液体は、下部分のスペースに確実に溜まってきている。濃い青から淡い青色の濃淡があるその液体は淡い光を帯びており、見ていると心が安らいだ。

(この液体が心の情報?ってのらしいけど、信じられないなー……)

 完全にろ過が終わると、この液体は「魔法使いの箱庭」を完全にアップデートするために必要なものになるらしい。

(他の人に見られたら面倒だから、さっさと帰ろう)

 こんな夜中に職場にいるなんて、怪しまれる他ないだろう。

 乃和は早足で部屋からでると、自室へと向かう。その時、誰かの話声がきこえた。

「?」

(こんな夜中に、どうしたんだろ)

 乃和は歩みを止めると、明かりの漏れている部屋に近付く。そしてドアの隙間から中の様子を窺がった。

 ここはセナ博士の自室兼仕事場だ。……奥のテーブルにセナと蓮が座っているのが見えた。

「博士、今日も眠れそうにないですか?もう三日目ですよ?」

「えぇ、悪夢が酷くてね……」

「やはり「引き継ぎ体質」の影響でしょうか」

 蓮はセナの前においてあるマグカップに飲み物を注ぎつつ、そう言う。

 乃和は二人の会話に聞き耳を立て、眉を寄せた。

(博士三日も寝てないの?ってか引き継ぎ体質って……本当にあったんだ)

 確か、前世の記憶を引きついで生きている人のこと。

 昔、蓮からそのことをきいた覚えがある。

 その時、蓮がこちらに向かって歩いてきていることに気付いた。

「やばっ」

 乃和はとっさにその場から離れると、部屋から距離をとろうとする。が蓮に「乃和!」と声をかけられたので立ち止まる他なかった。

 蓮は困ったような笑顔を浮かべている。

「乃和、どうしたんよ?こんな夜中に。夜更かしは体に悪いぞ?」

「ちょっと用を思い出しちゃってさ!もう部屋にもどるよ」

「……」

 乃和が踵を返そうとした瞬間、蓮の悲しげな表情が目にとまる。

 乃和は今まで見たことのないその表情に釘付けになった。

「ねぇ、蓮って本当にアンドロイドなの?」

 思わずそう言葉がこぼれる。

 蓮はそれにいつもの微笑みを浮かべると言った。

「あぁオレは間違いなくアンドロイドだよ」

「はは、だよね」

「逆に不思議だな、そんな疑問がでてくるなんて。お前以外にそんなこと訊かれたことないぞー?」

「そうなんだ。なんかさ、蓮って職場の人たちよりもどこか人間らしいって思う。みんなわたしのことを感情的だって言うけど、それって変なことなのかな……?」

 蓮は乃和の言葉に、表情から微笑みを消す。

「記憶が消えたとしても過去で育った影響は残るんだな」

「え?何?何て言ったの?」

 蓮の声が小さすぎて聞き取れなかった乃和は、思わずそう言う。

「……別に変じゃないぞって言ったんだよ」

 蓮はニカッと笑う。

 その表情を見た乃和も思わず笑みがこぼれた。

「よかった~。蓮にそう言ってもらえると何か安心する」

「確かにここのやつらはみんな感情が薄いかもなぁ。きっと合理的な方法を選びすぎた影響だ」

「?」

「乃和はそういうふうになるなよ。合理的な方法が正しいなんて、きっともう時代おくれだ。今のおれたちに必要なのは、合理的ではない何かかもな」

「蓮、なに言ってるの……?」

「まー気にするな!」

「いや、気になるから!」

「ほら、部屋に戻れって」

「……はいはい」

 乃和はしぶしぶそう言うと、踵を返し歩き出す。

 そして考えた。

 蓮は本当は人間ではないのかって。

 ずっと昔から乃和の傍にいた蓮は、まるで家族のような存在だった。いや、間違いなく家族だった。

(どうして、そんなこと思えるんだろ)

 蓮の傍にいたのは、藍星も他の研究員たちも同じなのに。

 蓮が自分の理解できない言葉を発するたび不安になる。そして寂しかった。

 もしかしたら自分は、知らないうちに蓮のことを傷つけてしまっていたのかもしれない。

 何も知らないことは、きっと何よりも残酷だ。



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