第5話 2
乃和は、無言の藍星に続いて「チェックルーム」の中に足を踏み入れた。
中は想像していた部屋と違って、大きなモニター二つ、向い合せに並べて設置されているだけだった。よく職場や学校でおこなった健康診断をやる部屋とは全く違う。
そんなことを考えていると
「はーー。やっと二人きりになれたねっ。乃和」
振り返えると、藍星が嬉しそうに微笑んでいる。
「ほら、博士がいなくても他の仲間がいるからさっ。誰が聞き耳たててるか分からないからないしねっ」
「藍星……よかった」
やはり、彼女は乃和のことを助けてくれた藍星だ。そう実感できた。
「ふふ、ごめんね?けっこう肩身せまいんだよ、ここ。ね、乃和今から抱き着いていい?」
「え」
藍星は乃和が返事をする前に、乃和のことを抱きしめる。
「やっと会えて嬉しい。あの時、幼い妹が過去に連れていかれて、でも何もできなくて辛かった……乃和の体あったかい……しばらくこーしていたいなぁ」
「……わたしもまた会えて嬉しいよ」
「ふふ、ありがと」
柔らかい細い髪と、きしゃな体。今にも藍星は崩れ落ちてしまいそうだと思った。
「……あのさ、セナ……博士が言ってたことって嘘だよね?」
乃和がそう訊くと、藍星は乃和から離れ困ったように笑う。
「……まぁね。うん」
「?」
「あたしの記憶ではね、乃和の時代に仕事で行ってはいたけど、乃和には会わなかったんだよね。でも、乃和がそういうならきっとあたしは、君に会ってたってことなんだと思う」
「うん、会ったよ!藍星はわたしのこと助けてくれた」
「ふふ、そうなんだー。やるじゃん、自分。でも、忘れちゃもともこもないね」
「博士に記憶を消されたってことだよね?何でそんなことできるの?」
「ここには、そういう便利な道具があるんだよ。博士が開発したんだけどね~」
「そうなんだ。ってか人の記憶を勝手に消すなんてありえないよ!」
乃和が半ば叫ぶようにそう言うと、藍星は目を見開き驚いているようだった。
「そういえばそうだよね、そういう感覚すっかり忘れてた……」
「!?」
「なんだろうねー?この世界では博士の意識に逆らうことができないから、自然とそうなっちゃうみたい。きっと今までも知らない間に何度も記憶を消されてきたんだと思う。他の仲間もそうだから、その場面を何度も見てるからあたしもきっとそう」
「……」
「きっと何度もそんなことを繰り返してるうちに、これが正しい形だって思い込んでいたのかもしれない。どうせ反発してもまた記憶を消されてなかったことになる。それってとても虚しいし、疲れることだからね。もう疲れ切ることをあたしの脳が拒否してるってことかもね?」
「藍星……大丈夫?じゃないよね」
あまりにも藍星が淡々と話すので、乃和は動揺した。
やはり、このセカイはおかしい。
「……ふふ、乃和もこうならないように気を付けて」
「こんなとこ抜け出して、わたしと一緒に暮らそうよ。またどうにかすれば過去に戻れるかもしれないし」
「過去に戻るか。乃和はもともとここの人間だし、戻ることなんて無理なんじゃないかなぁ」
「!」
「でも、その言葉は嬉しい、ありがとね」
「藍星さ、何で諦めちゃうの?藍星、あの時わたしに自由に生きてって言ってくれたよね。その言葉そのまま返すよ」
「あたし、そんなこと言ったんだ。ふふ……いいやつじゃん」
「今度はわたしが藍星を助けるよ。サイテーなことしてる博士の命令なんてきかくていいよ」
助ける方法なんて正直分からない。しかし、言わずにはいられなかった。
不自由が当たり前になっているこのセカイの常識を少しでもいいから、壊してしまいたかった。
「嬉しいこといってくれるね~」
藍星は表情を幸せそうに歪ませる。
「……でも、これは呪いだから」
「?……え?」
「まー取りあえず、そのスクリーンの真ん中に立って。体をスキャンすれば、すぐに健康チェックは終了!あとは、そうだね~疲れてるだろうし、お風呂入ってキレイな服に着替えようか!」
どうにかして藍星のことを説得できないだろうか、そう考えながら乃和は彼女と共に「風呂場」へ向かっていた。
今、乃和のいる建物はとても広いようでまるで一つの大きな街のようだ。
乃和のよくいくショッピングモールと少し似ている。外にでなくても生活できるようなシステムなのだろう。ただ違うところは、全てがシンプルなデザインと配色で、華やかさがまったくないところだ。
「えーっと、体はどこも悪いところないみたいだね。よかったよかった」
藍星は乃和の少し前を歩きながら、掌の上に広がるスクリーンを指で操作する。
「……ねぇ、ここで働いてる人達は人間なの?」
乃和はすれ違う人々のことを横目で見つつ、藍星にそう訊ねる。
もしかしたら、蓮と同じアンドロイドかもしれないし、ゼロナたちのように魔法使いかもしれない。
「人間だよ。というか、基本身内しかいないよ、ここ」
「えっ……」
「名前知らない人もいるけど、みんな兄弟かいとこかはとこか、そんなもんじゃないかな。ちなみにアンドロイドは君のお兄さんだけ。魔法使いたちは、外の街で暮らしてる。今は魔法使いたちの数の方が圧倒的に多いんじゃないかなぁ」
過去の世界でも藍星から人間の数が少ないとはきいてきたが、ここまでとは思わなかった。
「信じられない。やっぱり人間って絶滅するんだね?」
「するんじゃない?近いうちに」
「言い方軽すぎるんだけど!?」
「ふふ、その時のために魔法使いの箱庭があるわけだよ」
藍星は微笑む。そして、スクリーンを閉じると
「ついた。ここだよ、風呂場。どうする?一緒に入ろうか?」
「え?一人で入れるし!」
「ふふ、そう?君のこと赤ちゃんの頃から知ってるから、まだそのイメージが拭えないんだよね。昔はよく一緒に入ってたし」
「はぁどんだけ昔のこと言ってるの……」
そのとき、目の前の扉がゆっくりと開いた。
そこに立っているのは幼い女の子。
「乃和さまですね?お待ちしておりました」
女の子は深々と頭を下げる。
「緑星。お疲れさま。さっき連絡した通り、乃和は博士の特別な娘なの。丁寧に接待してあげて」
藍星は乃和の背中を押すと、中へ入るように促す。
「この子子どもなのに、働いているの?」
乃和がとっさに訊くと、藍星は困ったような笑顔で、
「んー母親によるかな。ちなみにこの子の母親はあたしなんだけどね」
「!」
「あたしも、博士の娘ってこともあるし子どもの頃から働いてた。乃和もそうでしょ?過去で情報収集してたわけだしね?」
「わたしは違……」
「まーまー、ゆっくり疲れとってきてよ。貸切にしてあるからさっ」
藍星は乃和に向かって手を振る。そして、踵を返すと、この場から立ち去ってしまった。
「はー……こんなんでいいのかな」
乃和はそう呟きつつ、脱衣所に用意されていた服に着替える。
お風呂は天井の吹き抜けから星空が眺められる仕様で、とても気持ち良かった。
本当はこんなところでくつろいでいる場合ではないのだが。
乃和は脱衣所の大きな鏡に映った自分の姿を眺めると、ため息をついた。
(こうしてみると、わたしもちゃんと未来人なんだな)
心の情報が記録されているという左目は、以前より青みがかってきているし、それに今着ている服。藍星や博士たちと同じ、和風デザインのワンピースだ。
(いいように流されないようにしないと……)
お風呂場からでると、藍星が乃和のことを待っていてくれた。
「おつかれっ。お風呂どうだった?」
藍星は微笑む。
「うん、気持ちよかった~」
「ふふ、よかった。あ、服着替えない?かわいーの買ってきたよ~」
藍星は手に持つ紙袋を胸にかかえると、ウィンクする。
「あと、髪もセットした方がいいね。それはあたしにやらせて!可愛くしてあげるからっね?」
「ちょ、ちょっと待って!何でそこまでしてくれるの?意味わからない」
少し言い方がきつかっただろうか。乃和は心配になったが、藍星はその穏やかな表情を崩さなかった。
「博士の娘の十年ぶりの帰還だよ?これぐらいのことはしないとっ。これから人前に立つことも増えるだろうし。あ、十年って言ったのは、過去に比べてここは少しだけ時の流れが遅いからで……」
「あのさ、藍星。わたしはそんな特別な存在じゃないし、普通に接してほしい」
「ううん、君は特別。このセカイの誰よりも」
「それは、わたしじゃなくて、この左目の情報のことなんじゃない?」
乃和は自分の左目に手を添える。
そうか、この左目がなければ博士の研究とやらは完成しない。
……しかし、自分の左目をくり抜き破壊する勇気は……なかった。
「うん、そうかもしれないね?でもどちらにしろ乃和は、あたしのたった一人の妹だから、特別ってことには変わりないよ~?」
「……」
「だから、お願い。少しでも博士の機嫌とっておきたいの。つき合わせちゃってごめんね、乃和」
「あーっ……もうっ。仕方ないな!」
もし断ったら藍星が辛い目にあわされるかもしれない、そう考えると彼女の頼みを断ることはできなかった。
乃和は服を着替えて髪をセットしてもらうと、藍星の自室をでた。
どうやら、ここの建物には、職場の区間とは別に、個人個人に割り当てられた部屋が集まっている区間があるらしい。
「うんうん、かわいい。似合ってるよ」
藍星は今の乃和の姿を幸せそうに見つめる。
髪はツインテールにセットされ、服はやけにひらひらした白色のワンピース。
全く乃和の趣味ではなかった。
「はー……こんな格好今までしたことない」
「ふふ、博士がこーいうの好きなんだよ。たまにはいいでしょ?」
「はぁ……」
「ねぇ写真撮っていい?」
藍星は指先で四角い窓を作り乃和へ向ける。
「恥ずかしいからやめてよ……」
「いいじゃない~一枚だけ!それっ」
藍星がそう言うと、彼女の爪が青白く光る。どうやらそれで写真をとったことになるようだ。
「はーー、もう……」
ふと窓の外を見ると、遠くに街の明かりが見えた。
「ねぇ、あれは街の明かり?」
乃和が訊くと
「だね!魔法使いたちの街だよ。外の環境は過酷すぎてあたし達には無理だけど、魔法使いたちは大丈夫だから」
「そーなんだ……ゼロナどうしてるかな」
「?ゼロナって誰?」
藍星は首をかしげる。
……やはり、覚えてないのか。
「ううん、何でもない」
ここでそのことに触れても、何の解決にもならないだろう。
乃和にとっては、つい最近のことだが、ゼロナと離れてから五百年の歳月が流れているのだ。
ゼロナが今どうしているのか、それに自分のことを覚えてくれているのかそれさえも分からない。
(生きてはいるよね、人間じゃないし……)
「あ、お兄さんきたよ」
「!」
藍星の声に窓から視線を外すと、蓮がこちらに向かって歩いてきているのが見えた。
「……乃和、変わった格好してるなー?」
蓮は乃和の姿を隅々まで観察するように見る。
「藍星に着せられたの!わたしの趣味じゃないからね!?」
「そーいうことか。一瞬誰かと思ったよ。まぁでもお似合いだぞ」
「ふふ、よかったね、乃和」
「よくないし……」
乃和は俯く。
顏が赤くなるのを感じた。
「じゃー蓮。あとはお願いね」
藍星は蓮に向かってそう言うと自室へ戻って行った。
「じゃ、行くぞ。乃和」
蓮は乃和の腕を掴む。
まるで逃げられないようにしているみたいだ。
「……兄さんは知ってるの?博士が藍星や他の人達の記憶を消して、都合のいいようにしてるってこと」
「あー……そうだな。知ってるよ」
蓮は一瞬眉を寄せるが、すぐにそれは無の表情になる。
「それがどうしたんだ?」
「っ分からないの?それってすごくサイテーなことだよ」
「情報として理解はしているよ。前、乃和に言われたしなぁ。でも、共感はできないんだよな」
蓮は強く乃和の腕を引く。
乃和はよろめくと、仕方なく蓮の後に続いた。
「乃和こそ、知っているか?博士がそういうことをする理由」
蓮は歩みを進めながら、乃和に問いかける。
「知らないし、知りたくもないよ……」
蓮は乃和の言葉に、悲しみの表情を浮かべる。
……蓮は、乃和と同じように感情豊かだ。アンドロイドとは思えない。
「博士はな、人間を一切信用していない。もちろん、お前のことも」
「!」
「これはオレだけが知っている情報なんだけどな、博士は「引き継ぎ体質」だ」
「引き継ぎ体質?」
「まーつまり、前世の記憶を引き継いだまま生きている人間ってことだよ。口ぶりからするとおそらく、引き継いでいるのは一回だけじゃない。その前の前も引き継いでいる」
「だからって……」
そんな体質があることに驚いたが、だから何だというんだ。
博士の行為が許せないということには、変わりない。
「だから博士は誰よりも知識と経験が豊富なんだよな。でも、それだけじゃないと俺は思っている」
「……」
「引き継ぎ体質になりやすい人間ってのは、死因が自殺か他殺が多い。きっと博士もそうだろう」
「!」
「セナ博士は、生まれ変わるたびに辛い人生を背負わされた人間だ。人間を完全に信用できなくなるぐらいにな」
「……」
「乃和、これで博士の行為に共感できるか?」
「……できないっよ……」
「そうか」
「うん」
そして蓮と乃和は無言で歩みを進める。
博士の事実を知ったからと言ってその行為が正当化されるわけではない。
わざわざそのことを乃和に話す蓮は、乃和に何を望んでいるだろう。
「ねぇ兄さん、わたしにそのこと話してよかったの?博士に怒られるんじゃないの?」
乃和の発言に、蓮は「はははっ」と笑う。
「なんだー?心配してくれてるのか?大丈夫だよ、博士はオレのことは信用しているから」
「……ならいいけど」
すると蓮は立ち止まり、乃和を見た。
「乃和、これからお前にとって不都合な事態が起きたとしても大人しくできるよな?」
蓮の言葉は、乃和のことを一気に絶望へと突き落した。
「不都合な事態って……何っ?」
それに蓮は苦笑する。
「ただのオレの予想だよ。乃和はいつだって非合理的な行動を起こそうとするからな。体にいいのににんじんを食べようとしなかったり」
「それは昔の話でしょ!?」
「オレにとっては、つい最近の話だよ」
乃和は昔のことを思いだして、思わず泣きそうになる。
確かに乃和は蓮と一緒に暮らし、成長してきたのだ。確かにそこには、当たり前のような平穏な日々があった。
それが全て、仕組まれていたことだったなんて思いたくなかった。
「……ねぇ兄さん過去に……もとの世界に帰ろうよ。また一緒に当たり前の日常に戻りたい」
いつの間にか、乃和の目から涙が零れ落ちる。
「ごめんな。オレにはそうは思えない」
蓮は微笑みを絶やさず、あっさりとそう言った。
「っ……何で!?どうしてそんなこと言えるの?やっぱり「心」がないからっ?」
「どうだろうな。オレが乃和の体を健康的に育てあげるっていうのを実行できたのは、そのプログラムを組まれていたからだ。博士にな」
「!」
「でも、乃和が成長するにつれオレもいろいろなことを学んできたんだと思う。プログラム以外の何かを」
蓮はその微笑みを口元からかき消すと
「まぁそうだとしても、オレにとってプログラムが全てだ。それを実行することが生きる意味に近い」
「わたしには分からないよっ……」
「だよな。だから、しゃーない!」
蓮はニカッと笑うと、手の伸ばし乃和の涙を拭う。
「ほら、泣くなって。な?」
「っ……」
そういえば昔はよくあった。子どもの自分は思い通りにいかないことがあるとよく泣いていて、その度に蓮は涙を拭ってくれた。
怒鳴り散らすこともなく「泣くなって」といつも笑顔だった。
そして、蓮は乃和の手をひいて歩きだす。
乃和の手をひく手も、涙を拭ってくれる手も、あの頃と同じ。
けれど、残酷な現実に気付いてしまった今、その手をあの時と同じ気持ちで握り返すことは、乃和にとって難しいことだった。
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