第5話 3





 蓮に案内された部屋に入ると、そこにはセナがいた。

 彼女は壁際の本棚の前に立ち、本を開いている。

「乃和、紙の本は過去の世界では当たり前にあったってどこかできいたけど、本当にそうなの?」

 セナは振り返えると、微笑む。

「うん。そーだよ」

 乃和はしぶしぶそうこたえる。

「まぁ素敵ね。今はここの本棚にある分で全部よ」

「……」

「乃和、座って」

 セナは窓際にあるテーブルのイスをひく。

 乃和がそこに腰掛けると、セナは向かい側の席に座った。

「その格好は藍星が?」

 乃和が黙っていると、隣に立つ蓮が「そうだよな」と言ったので仕方なく頷く。

「かわいいわ~~。やっぱり若い女の子はこーでなくっちゃ!」

 セナは幸せそうに表情を歪ませる。

「……ってかこれ何?」

 乃和はそんなセナから視線を外すと、テーブルの上に置かれているビンを指差す。

 その中には色とりどりのカプセルが詰め込まれていた。

「あ、食べてもいいのよ。これはこの時代の食事。一粒食べれば、一日分の栄養を摂取できるわ」

「……ごはんとパンとか普通の食べ物はないの?」

「今の時代にはあるはずないじゃない。歴史の本の中だけの存在よね?蓮」

「そうですね」

 蓮は頷く。

「信じられない。こんなの食事じゃないよ……」

 食事は生きるうえでの楽しみの一つであって、栄養をとる行為だけではないはずだ。少なくても乃和にとっては。

 しかし、今の時代はいろいろな常識が思ったよりも違うらしい。

 セナはビンから一粒黄色みがかったカプセルを取り出すと

「これは昔でいう卵かけごはんの味を再現してみたの。乃和は本物食べたことあるのよね?」

「……あるけどさ~」

「本物の味と比べての違いが知りたいわ~。食べてみて?」

「え、やだ。まずそうだし」

「いいじゃない~それっ」

「!」

 博士は乃和の口の中に無理やりそれを、押し込もうとする。

 思わず口の中に入れてしまったそれは、乃和の口の中で砂糖のように一瞬でとろけた。

「……」

「どう?どう?」

「なんか違う……」

 ただただ甘じょっぱいだけだった。

 そもそもカプセルで、完全に、卵かけごはんが再現されたとしても食べたいとは思えない。

「残念ねー。まだまだ改良の必要がありそうだわ」

「そんなことより、わたし会いたい人がいるんだけど……探してきていい?」

 乃和が思い切ってそう話を切り出すと、セナは不服そうに眉を寄せた。

「あら、誰なの?それは」

「ゼロ……ID0778の魔法使い」

 過去に帰ることができなかったとしても、ゼロナにまた会えれば希望も持てるかもしれない。

 まるでここは牢屋の中みたいだ。少しでも抜け出し現状を変えるきっかけがほしかった。

「理由は知らないけど、ダメよ。あなたにはやるべきことがあるんだから」

 セナは表情に影を落とし、低い声色でそう言った。

「!」

「乃和。母さんに、「心の情報」を頂戴。あなたの左目に全て記録されているはずよ」

 セナは乃和の左目に手を伸ばす。

「その情報を分析すればこの世界「魔法使いの箱庭」に心を宿らせることができる。そうすれば、この世界はもっと豊かになる」

「っ……」

 乃和は思わず立ち上がった。

「嫌に決まってるじゃん!」

「乃和、これは仕事よ?」

「この心はわたしのものだよ!そもそも情報じゃないし、誰にも渡さない!」

 そして乃和はその場から駆け出し、部屋を飛び出した。



 セナは部屋からでていった乃和のことを目で追うと、

「……どうしたの?蓮。捕まえて」

 目の前に立ち尽くしている蓮にそう言う。

「……はい」

 蓮はそう返すと、乃和に続いて部屋からでていった。



 乃和は後ろを振り返る余裕もなく、必死になって廊下を駆け抜ける。

 たしか、蓮とここまでくるまでに外へ出られる扉があったはずだ。

「あれだっ」

 乃和はその扉を見つけると、取っ手に手をかける。

 外は厚い雪が積もり、凍える寒さだろう。

 しかし、ここから出なければきっとゼロナと会う手段はない。

 乃和は覚悟を決めて、扉を開け放つ。その途端、身を切るような冷たい冷気が体に突き刺さった。

「寒っ……」

 積雪はかなりあったが、魔法使いの街までは一本道が続いていた。人間が使うための道だろう。そこだけは雪かきがされているらしく、ギリギリ走れそうだ。

「……う」

 息を吸い込むたび、肺の中に冷気が入り込む感覚がする。苦しい。

 そうだとしても、乃和は出来る限り早く足を動かし前へと進む。

 その時、背後から衝撃が走った。

「!」

 乃和は勢いよく地面を転がり、そのまま力なく横たわる。

 体に力が入らない。

「そんな格好で外にでたら死ぬぞ?」

 乃和のことを追ってきた蓮は、そう呟き、横たわっている乃和の傍らに立つ。

 右手が機械に変形し、青白い光を発している彼はやはり乃和の知っている蓮ではなかった。

「これぐらいじゃ……死なないから!」

「いや、死ぬって。お前は人間だし」

 蓮はやれやれというふうにため息をつく。

「なぁ乃和。どうして親のいうことがきけないんだよ。この世に生み出してくれたことに報いることをすべきだ。オレみたくな」

「に……兄さんと同じにしないでっ……わたしは、ロボット、じゃないんだからっ……」

「そっか。だよなぁ……」

 蓮は機械に変形した手で乃和の体を強く抑え込む。

 抵抗しようとしたが、全く身動きが取れない状況だった。

「ごめんな。乃和」

 乃和のことを覗き込む蓮の悲しげな表情が目に入る。

 視界が掌で覆われたと同時に、乃和は意識を手放した。





「博士データの抜き取り完了しました」

 外から戻ると、出入口に待っていたセナに蓮はそう言った。

「ありがとう」

 セナは微笑むと、乃和の左眼球を蓮から受け取る。

 蓮が抱きかかえている乃和は、ぐったりとしておりしばらくは目を覚まさないだろう。

「乃和のことは、これからどうするとお考えですか?」

 蓮がきくと

「そうね。眼球を抜き取った時点で、記憶喪失になっているでしょうから、まず基本的な教育から……」

「それはオレのことも忘れてしまっているということですか?」

 蓮の口から思いもよらぬ言葉が漏れた。それに、表情が「動揺」へ切り替わったのが分かる。

 自分の発言と表情の変化に戸惑っていると、セナは不快そうに眉をよせる。

「どうしたの?蓮。故障?さっきメンテナンスしたばかりよね?」

「申し訳ございません」

「もちろん乃和は、あなたのことを忘れると思うけど、何か問題ある?」

「……ありません」

 蓮の体を構成している歯車の動きが、一瞬鈍ったような気がしたが気のせいだろう。

 乃和のことを育て上げるというプログラムは問題なく実行されたのだ。乃和が自分のことを忘れたとしても、何の問題もない。

「そうよね。あとはこの眼球を、準備していたろ過装置に入れて……あ、蓮は乃和のこと部屋に運んでおいて頂戴。藍星の部屋の隣よ」

「了解しました」

 そしてセナは上機嫌な様子で、この場を立ち去る。

 蓮はその様子を見届けると、乃和のことを抱えたまま歩きだした。

 ……歯車からの不快音がやまない。ギシギシ、ギシと、今にも動きを停止してしまいそうだった。



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