第4話 2




 それ以来、ゼロナがスマホの中に戻ることはほぼほぼなくなった。

 乃和が仕事に行っている間は乃和の自室でアニメを見ているようだし、乃和が寝ている間は家から外にでてどこかで暇つぶしをしているらしい。

 どうやらゼロナにとっての人間界は、興味をひかれるものが尽きないようだった。

 乃和が自室の電気を消し布団に潜り込むと、ゼロナはいつもそうしているようにベランダから外へふわりと姿を消す。

(やすまなくて大丈夫かな、ゼロナ)

 乃和はその後ろ姿を見届けると、目をつぶる。

(あれからHPとMPが極端に減ることはなくなったみたいだからよかったけどさ……)




 ゼロナは乃和の自宅から離れた場所までくると、その姿を「乃和」に変化させる。そして、歩道に足をつくと静まり返った住宅街を見渡した。

 姿を真似するのは、人間であれば誰でもいいのだが、やはり自分のよく知っている人物の方がやりやすい。

(今日は上手く捕まるでしょうか)

 乃和の姿をしたゼロナは周囲を見渡す。すると、前方からスーツを着た男性が一人歩いてきた。

「……」

 ゼロナは彼とすれ違うふりをして近付くと、男性行くてを遮るようにして目の前に立った。

 疲れ切っている男性は、突然目の前に立った女性を何事かと凝視する。

 ゼロナはその隙に男性の両肩を勢いよく掴むと、無理やり目を合わせた。

「そのままじっとしていて下さい。全部吸い取らせてもらいますから」

 ゼロナはそう呟くと、目を大きく見開く。

 ……しばらくすると、男性は力なく地面に倒れた。次に、彼の体は青白い光に包まれ、パラパラと砕けると空気に溶けるようにして消え失せた。

 どうやら無事アプリ界へ転送されたようだ。

「今日は上手くいってよかったです」

 ゼロナは現実を映す力を吸い取った瞳を歪ませ、微笑む。

 乃和からすべて力を吸い取るわけにはいかないので、適当な人間から吸い取るようにしていた。こうすれば、アプリ界へ戻らなくても良好な状態を維持することができる。

「やっとやる気になったみたいだなぁ!」

「!」

 その声に振り返ると、そこにはみのり……いや、ID2277がいた。

 みのりの姿をしたシルクハットの魔法使いは、腰に手をあて何故か得意げな笑みを浮かべている。

「あ、ニーナですね。こんな夜中になにやってるんですか?」

「そ、その呼び方はやめろ!」

「名前がないと不便なので、いいじゃないですか。あと、別に私は人間の抹消に興味があるわけではないので、勘違いしないで下さいね?」

 ゼロナがそう言葉を並べると、ニーナは不服そうに眉を寄せる。

「じゃぁ、お前がさっきやってた行動は何だって言うだよ!?」

「乃和と、良好な状態で、一緒にいるための手段ですね」

「はーー?そんなことに何の意味があるって言うんだ?」

「……別に意味はないですよ?私がそーしたいから、そーしてるだけです」

「やっぱり変だぞ!お前。さすがバグ付きだな!」 

「は?バグつきだろーがなかろーが関係ないですよ!」

「あまり目立つ行動は慎めよーバグ付き!」

 ニーナは面白がっている笑みを浮かべ、ゼロナの肩に手を乗せる。

 ゼロナはそれを振り払うと、

「ウルサイですね!あなたはほんとに!」

 やはり、バグ付きという言葉は聞いて心地よいものではない。

 ゼロナはその姿を元に戻すと、地面から浮き上がる。そして、乃和の家へと向かった。

 ……アプリ界で居場所がない自分は、こっちの世界で確実に居場所を獲得しなければならないのだ。



++



「兄さん、今日わたしの誕生日だね……?」

 いつもの朝。

 乃和は仕事に行く前、キッチンに立つ蓮にそう声をかけた。

「そーだな!でも、お祝いをするのは夕飯のときだ。楽しみにしとけよ~?」

 毎年そうしているように、蓮は今年もケーキを手作りしてくれるらしい。テーブルの上にはケーキ作りに使うであろう、カラフルなカットフルーツやトッピングの材料が几帳面に並べられている。

「うん、ありがとう。楽しみにしてる。じゃ、行ってくるねー」

「おー、いってら~」

「……」

 乃和はいつもと変わりなく……そう見えるように、家をでた。その途端、涙がこぼれそうになる。

(やっぱり、言ってくれなかったか……)

 藍星からきいた、乃和の誕生日に起こるであろう事実を。

 ゼロナのことを心配していたせいもあり、瞬く間に時はすぎ今日という日がきてしまった。

(わたしは未来なんかに行きたくないっ。ここで……兄さんと一緒に今まで通り……)

 そんなこと本当に可能か?

 その考えが頭の隅でチラつくが、無視した。

(ごめん、兄さん。今日は家には帰れない。ホント、無理)

 申し訳ない気持ちで一杯だったが、やはり今日という日をいつもと同じく過ごすことはできそうになかった。

(今日だけでも兄さんと距離をとれば、強制的に未来に転送されなくて済むかもしれないし)

 そんな淡い期待を持ちながら、最寄駅まで歩みを進めるといつもそうしているように電車に乗り込む。

「……」

 乃和と同様、仕事に向かうであろう人々や、学生などで電車内は混雑していた。

 この日常に今日も溶け込むことができたら、どんなによかっただろう。

(やっぱり今日は仕事行かなくていいや)

 そう思いたち、いつも降りる駅のホームを見送る。

 今はただ、どこか遠い土地へ行きたかった。

 

 ……一体どのぐらいの時間そうしていただろう。いつの間にか車窓から見える景色は、見慣れない田舎の風景になっていた。

「乃和、いつもの駅とっくに過ぎちゃいましたよ?いいんですか?」

 人がまばらになった電車内に、ゼロナの声が聞こえる。隣を見ると、彼はいつの間にか乃和の隣に腰掛けていた。

「うん。今日はこれで大丈夫。むしろこうした方がいいに決まってる」

 乃和は自分にいいきかせるようにそう言った。そして、ゼロナに微笑みかける。

「乃和、今日何か変ですね!?」

 ゼロナは今までになく動揺しているようだ。

「変になった原因を教えてください」

「ほんと容赦ないなー、ゼロナは。まー……そうだね、次の駅で降りようか」

(今日に起こることゼロナに話してみようかな)

 正直、不安で不安で仕方なかった。この気持ちを誰かと共有したい、そう思ってしまった。 

 次の駅に到着すると、乃和は電車を降り、二つしかない改札の左側を通り駅からでた。

 こじんまりとした駅の周辺には、高い建物はなくオシャレな家々も並んでいない。

 どこからかカラスの鳴き声がきこえ、微かにキンモクセイの香りがした。

(何もない場所だなー……でも、安心感あるかも)

 先ほどまでいた込み合った電車内とは真逆の空気。

 目に入る範囲に立ち寄れる喫茶店もなさそうだったので、乃和は一つだけあるバス停のイスに腰掛けた。

「ふぅ……何か疲れた」

「乃和、これからどうします?」

 乃和の前にいるゼロナは、見慣れない場所に興味を持っているようで、どこか落ち着かない様子だ。

「とりあえず、兄さんに見つからない場所に行かなきゃ」

 乃和が呟くようにそう言うと、ゼロナは驚いた様子で

「やはり蓮と一緒にいると危険なんですね!?」

「うん、めっちゃ危険。わたし、どうやら今日……誕生日が終わったと同時に、強制的に未来に帰ることになるらしいんだよね~藍星からきいてたんだけど」

「えぇ!?乃和はそれでもいいんですか?」

「もちろん嫌だよ。今までの生活を捨てるなんてしたくない。……でも、無理かも。兄さんにはね、わたしを強制的に未来に送るって機能が備わっているみたいなんだよね……だから……」

 本当に話してしまってよかったのだろうか。そう思ったが、人間ではない不思議な存在のゼロナならどうにかできるかも、そう思ってしまった。

「そうなんですね!なら簡単です。蓮を破壊すればいいってことですね!」

 ゼロナは表情をぱっと明るくして、乃和にそうきいた。

 ……やはり、言わない方がよかったかもしれない。

「そういうことじゃないよ!それ以外で何か方法はないかってききたいの!」

「藍星さんの言うことが事実なら、それ以外に方法はありませんよね?」

「……」

「乃和、私に任せてください!乃和が未来に帰ってしまうなんて、私も嫌ですから」

 ゼロナは今までになく、活き活きしている。

「そう言ってくれることはありがたいんだけどさ~……そうだ、兄さんの体の一部だけを破壊するってのはどうかな。腕だけとか。そうすれば、その「機能」が使えなくなるかもだし……」

 それでも十分残酷なことだが、全てを破壊されるよりはマシなはずだ。そうすれば、蓮も乃和を未来に帰すことを諦めてくれるかもしれない。

「えぇ……しかし、確証はありませんよ?」

「それでもいいの!」

 乃和が強めの口調で返すと、ゼロナは不服そうに眉を寄せる。

「私は乃和の安全を一番に考えたいです」

「兄さんのことを完全に破壊せれたら、少なくともわたしの「心の安全」は保てないと思うんだけどなー」

「心ですか……それは肉体の安全より、重要ですか?」

「うん、そーだよ」

 どちらが重要かと訊かれたら、どちらも重要……なのだが、ここはそう言っておいたほうがいいだろう。

 ゼロナには申し訳なかったが、どうしても蓮を破壊させることは嫌だった。

「そうなんですね、了解しました」

 ゼロナは少し不満そうに頷いた。



 そして深夜。

 乃和はやっとの思いで自宅の玄関前に立った。

「乃和、やっと家ですね!」

「うん、だね!ごめん」

「気にしなくていいですよ?」

 ゼロナは微笑む。

 どうしても蓮と対面するのが怖く、家に帰ってくるのに思った以上に時間がかかってしまった。

 途中の駅で降りて、駅ビルをブラブラしたり手頃そうなお店に入って食事をとったりしていたが、やはり気を紛らわすことなんてできなった(ゼロナは楽しんでいたようだが)。

「ゼロナ、あの約束忘れてないよね?兄さんのこと完全に破壊しちゃダメだよ……?少しだけよ、少しだけ!」

「忘れてないので、安心してください!」

「ほんと、頼んだからね……?」

「はい!」

 乃和は玄関のドアノブに手をかけると、それを慎重に開いた。

 居間へ続くドアからは明かりが漏れ……きっと蓮はいつも通り居間にいるのだろう。

「ただいまー……」

 乃和の声は震えている。

 こんな気持ちで家に帰ることなんて、今まで一度もなかった。

「おかえり、遅かったな、乃和」

 居間に歩みを進めると、テーブルの前に立つ蓮がいた。

そのテーブルに並べられたケーキや、他の手の込んだおかずたちが目に入り、乃和はより泣きそうになる。

「うん、ごめん……」

「いいっていいってー、ちゃんと帰ってきてくれてよかったよ」

 蓮は幸せそうに微笑む。

 本当に、いつも通りだ。怖いぐらいに。

 乃和はこの空気に耐えることが出来なく、すぐさま口を開いた。

「兄さん、わたし、「今日」が終わったと同時に未来に帰ることになってるんだよね?」

 乃和の言葉に蓮は少しだけ驚いたような顏をした。

「やっぱり知ってたのか。もしかしたらそうかもしれないと思ってたけど、やっぱりそうだったんだなー」

「……」

「知った上で帰ってくるなんて偉いな、乃和。てっきり帰りたくないってぐずるものだと思っていたよ」

 蓮は微笑みながら「そうか~乃和もおおきくなったな~」と付け加える。

「兄さん、わたし、もう二十歳だよ?そういう言い方やめてよ!」

「そうだったよな、ごめんごめん」

 蓮は苦笑する。

 乃和は全く笑う気になれなかった。

「もう時間ないけど、一口でも食べないか?ケーキ!今年は去年より……」

 蓮が背を向けたと同時に、乃和の背後に立っていたゼロナは彼に杖を向けた。

「!」

 一瞬ドキリとしたが、乃和はゼロナが約束を守ってくれると信じるしかなかった。

 そして杖の先端から、勢いよく光の筋が発射される。

 蓮に直撃する、そう思った瞬間、彼はすばやく身を翻しそれを避けた。

「!」

 息つく間もなく、蓮は指先を機械に変形させゼロナに向けて突き出す。その尖った指先は音もなく伸びると、ゼロナの右肩を突き抜け後方の壁に突き刺さった。

「ゼロナ!」

 指先が貫通したゼロナの右肩からは、パラパラと光の粒があふれ出ていた。

「ったく。魔法使いの分際で余計なことするなよな~?」

 蓮はそう呟きつつ、もう片方の手もゼロナに向ける。

 苦痛の表情のゼロナは、左手に杖を握ると蓮向け光の筋を放った。

 蓮は壁から指先を引き抜くと、それをギリギリで避ける。

「……っやめて!兄さん!わたしがゼロナに頼んだの!未来に帰りたくなかったから!」

 乃和はゼロナと蓮の間に立つと、必死にそう叫んだ。

「兄さんの中にある未来に転送させる機能を壊せれば、未来に帰らなくて済むと思ったの……」

「そんなことまで知ってるんだな?でも、まぁ問題ないか。魔法使いでも、オレのことを壊すなんて不可能に近い」

 ゼロナに注がれていた蓮の視線が、乃和に向けられる。

 乃和はそれに少なからずほっとした。

「兄さん、わたし未来に帰りたくないなー……」

 少しの希望を持ってそう言ってみたが、

「それは無理なんだよなー。ごめんなー」

 ……やはり希望なんてないようだった。

「これは二十年前からの決定事項だから仕方ないんだよ」

 仕方ない、その言葉が乃和の心に深く突き刺さった。

 仕方ない……そう思えれば、きっと何もかも楽になれる。けれど、それで済ませられるほど、簡単なことではなかった。

「うーん、そうだなー。未来にはお前の母親が待ってるぞ。会いたくないのか?」

 蓮は困ったような表情を浮かべ、そんなことを言った。

「別に会いたくない。わたしのことを過去においやって研究材料にしている親なんて、きっとろくな親じゃないし」

「そんなこと言うなよー?なっ?」

 蓮はなだめるように乃和の肩に手を置くと、いつもの笑顔を顏に浮かべた。

「あーー、もう、やめてよっ」

 乃和は蓮の手を振りほどく。すると

「お、そろそろ時間だな」

「!」

 乃和は振りほどいた自分の手が半分透けていることに気付いた。掌を通して、フローリングの床が透けて見える。

「うそ!?何これ!信じられない!」

 ……よくよく見ると、自分の両足も掌以上に透けていた。その透けている部分は、みるみるうちに乃和の体全体に広がっていく。

「乃和!行かないで下さい!」

 ゼロナが泣きそうな表情で、半分透けている乃和の手を掴む。

「っ……わたしも、行きたくない。でも……無理そう……」

「乃和……」

「ねぇ、ゼロナ。五百年後もわたしのこと覚えててくれる?」

 乃和は絶望に支配されつつある中で、何とかその言葉を絞り出した。

無理な願い事を口にしてしまってゼロナを困らせてしまうかもしれない。

「当たり前じゃないですか!絶対に忘れません!」

 何の躊躇いもなくそう口にするゼロナ。

乃和は思わず泣きそうになる。

「ありがとう……五百年後の未来で会おうね、ゼロナ」

 それと同時に、乃和の視界は真っ白に染まり、全ての音が消え失せた。



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