第3話 アップデート




「もう朝か……」

 乃和は部屋が明るくなってきていることに気付いて、ベッドの上でそう呟いた。

 熟睡はできなかったが、心の整理は多少ついたように思える。

(やっぱりまず兄さんが何者かちゃんと確かめないと)

 それに蓮は「魔法使いの箱庭」の重要な事実を知っている、そして、それは魔法使いに現実を奪われた人々のことも元にもどすことにも繋がる……そう感じた。

(そういえば、ゼロナは……)

 乃和は枕元においてあるスマホに手を伸ばし、画面を指でタップする。が、何の反応もない。

「え、ゼロナ?」

 乃和は体を起こすと、何度もそれを繰り返す。

「おーい、朝だよー?……あ」

(もしかして、電源きれてるだけ?)

 乃和はそう気付きて、慌ててベッドからバッグの中のモバイルバッテリーを取り出した。そして、いつもと同じように充電する。

 するとすぐに、画面が明るくなった。

(よかったーってか、家に帰らないってわけにもいかないよね)

 スマホの充電もそうだが、生活に必要なものがこの部屋にはあまり揃っていないように思える。

(兄さん、いつも午前中の早いうちに買い出しいくし、その間なら大丈夫だよね?)

 蓮に対しての怒りはまだ治まっているわけではないので、なるべく顏は合わせなくなかった。

(……でも、心配してるかな)

 そんなことを考えていると、スマホのスクリーンにゼロナの顏が映り込んだ。

「あ、ゼロナ。おはよう」

「……おはようございます」

 ゼロナは少しばかり不機嫌そうだ。眉間にしわが寄っている。

 乃和はそれに苦笑した。

「もしかして、夜中に充電なくなったこと怒ってる?ごめんって、これからは気を付けるからっ」

「そーして下さい!乃和はもっと危機感を持った方がいいですよ?」

「あはは、大丈夫だよ。あのシルクハットの魔法使いはゼロナが追い払ってくれたし」

「たとえ彼が乃和のことを諦めたとしても、乃和の存在を不快に思っている魔法使いは大勢いるはずです」

「……」

「魔法使いの目的は、人間を抹消すること。しかし、乃和の左目からは何故だか現実を吸い取れません。となると、殺した方が手っ取り早いってわけです」

「ちょっと、怖いこと言わないでよ……」

 ゼロナの真剣みのある表情に、自分の顏が引きつるのが分かった。

 自分の左目の事情なんて、知らないし、今まで普通に生活できていたので、今さらどうのこうの言われても困る。

 すると、スマホの画面から光の塊が抜け出てくる。それは、乃和の前に実体を成すとゼロナの姿になって微笑んだ。

「大丈夫ですよ、私は乃和の味方ですから」

「うん、ありがとう……」

 ゼロナも魔法使いということには変わりないが、乃和に向けられた優しげな表情を信じたいと思った。

「ゼロナはさ、どうしてそんなわたしのこと気にかけてくれるの?」

「最初に言いましたよね?私は乃和と友だちになりたいんです」

 ゼロナは困ったように微笑む。

「そういえば、そうだった……うん、そうだね、友だちになろう」

 乃和が言うと、ゼロナは幸せそうに表情を歪ませる。

(……不思議だ。まるで本当の人間みたい)

「あ、そういえば、一回家に帰りたいんだけどいいかな。スマホの充電もそうだし、生活に足りないもの補充したい」

「うーん、しかし、家にはあの危険人物がいますよ?」

「兄さんは多分危険ってわけじゃないよ。どっちにしろ、兄さんの正体を確かめるって決めたから、ずっと避けているわけにもいかないし」

「そうですか……」

「ちなみにゼロナは兄さんの正体、知らないよね?」

「残念ながら……ただ」

 ゼロナはその淡いグレーの瞳を伏せ

「ずっと昔に、彼の姿を一度だけ見かけています」

「え、一体どこで?」

「そこまでは、キオクにありません。申し訳ないです」

「そうなんだ、大丈夫だよ……」

(ゼロナが見かけたことあるってことは、もしかして、兄さんも魔法使い?)

 より謎が深まってしまった気がした。

「まぁいいや、とりあえず家に戻ろう。ゼロナはどうする?」

「もちろん、一緒にいきますよ!外は何があるか分からないので!」

 ゼロナやる気に満ちた表情を浮かべ……何だかとても楽しそうだ。

 不安で仕方ない状況だが、ゼロナのその表情を見ると、少しだけ安心できた。

 乃和も思わず微笑む。

「相変わらず大げさだなーっ」



 乃和はアイカギを使って自宅の玄関を開けた。

 しんと静まり返っている室内には、人の気配はない。

(やっぱり兄さんは買い物に行ってるみたい)

 乃和は玄関に蓮の靴がないことを確かめると、ほっと胸をなでおろす。

 もしかしたら、自分のことを探しに行っている可能性もあるが……そこは考えないようにしよう。

「乃和、油断は禁物ですよ。もしかしたら、物陰に潜んでいるかもしれないですから」

 スマホからゼロナの声が聞こえたが、乃和は、「いや、そんなに警戒しなくても」と言葉を返す。

 乃和は、急いで自室まで行くと、旅行の時に使用した大きめのバッグに必要なものを詰め込んだ。そして、早足で家をでて再びカギをかける。

「とりあえずこれで安心だ」

「乃和、乃和!充電器も入れましたよね?」

 スマホから不安げな声が聞こえる。

 乃和はそれに、「持ったから大丈夫だって!」と返すと玄関から離れて、アパートへの道を引き返した。

(とりあえずは兄さんに会わなくて済んだけど、逃げてばかりもいられないよなー)

 そう思いつつ歩みを進める。一体どうしたら、蓮の正体をあばけるか……そのことについて考えを巡らせていると、後方からドサリと何かが地面に落ちるような音がした。

弾かれたように振り返ると、先ほどすれ違った女性が地面にうずくまるようにして倒れている。

「!!」

 思いもよらぬ光景に、乃和は息をのんだ。周囲に自分しか人はいない。

 ……助けなくては。

「大丈夫ですか!」

 急いで駆け寄ると、女性は目線だけを動かして乃和のこと見る。

 考え事をしていたせいで気付かなかったが、女性は青白い肌と淡い琥珀色の長い髪を持っており、日本人離れした容姿だ。それに、まだ秋にも関わらず分厚いコート。その下には着物のような変わったデザインの服を着ていた。

 一瞬、やばい人と関わってしまったそう思ったが、見捨てるわけにはいなかった。

 女性は隣に座り込んだ乃和の腕を突然掴むと、絞り出した声で言った。

「お、お腹すいた……」

「……」




「まさか空腹で動けなくなるとはねーそれにしても美味しかった!」

「はぁ」

 乃和と女性は、駅前の喫茶店にきていた(人が多い場所ということもありゼロナは、スマホの中に待機している)。

 そのほっそりとした外見とは対照的に、乃和が注文した二人前はある食事をすべてたいらげしてしまった。

 よほど空腹だったに違いない。

(ってか、これってやっぱりわたしがおごるんだよねー……)

 乃和は心の中で、深いため息をつく。

「君、ありがとね~名前は?」

 女性はメロンソーダをストローですすりながら、乃和に問いかける。

「……えっと、雪ノ乃和」

 乃和がそうこたえると、女性はうんうんと頷き

「ほうほう、いい名前だね。因みにあたしは藍星(アイボシ)」

「藍星?変わった名前だね……」

「それよりさ!このメロンソーダ、も、パスタもグラタンもほんと美味しい。感動した!」

 女性、藍星は、満足げに口元を緩めた。

「なら、よかったけど……ってかそんなによく食べれるね?」

 今いる喫茶店は、どこにでもあるチェーン店。それほどまで気に入ってくれるなんて思いもしなかった。

「長旅してきたら疲れちゃってさ~それに、この時代の食べ物って本でしかみたことなかったの、食べれてうれしーな。ほんと感動!」

「は……?」

(何言ってんの……)

 思わぬ藍星の言葉に、思わず口ごもると、彼女は面白がっているかのような表情で乃和を見た。

「ふふ、あたしのこと変な人って思ったでしょ?」

 藍星は、メロンソーダを飲み干すと、それをテーブルの上に戻し笑顔を浮かべる。

「うん、思った。ってか、初めて見た時から思いっきり変な人だったけどね?まだ秋なのにやけに厚着だし、肌も髪も変わった色してるし!」

 思わず本音を口にしてしまったが、藍星は気にする様子なく言葉を続ける。

「でも、君は、あたしのこと見捨てなかった。それって中々できることじゃないよ。ありがとうね、乃和」

「……周りに人がいなかったから、たまたまわたしが助けただけでっ」

「またまた~いいんだよ、謙遜しなくて!」

「はぁ~もう……」

 頬が赤くなるのを感じながら、乃和はバッグからスマホを取り出す。一刻も早く、今の話題から離れたかった。

 すると、藍星の顔色が変わる。

「あ、それって、スマートホンだよね?」

「え、そうだけど……」

「ほうほう、やっぱり、今の時代の人はみんな持ってるの?」

 藍星は周囲に見渡す。

 喫茶店にはスマホを見て、時間を過ごす人も多かった。

 乃和にとっては、当たり前の光景だが、どうやら彼女にとっては違うらしい。

「みんなってわけじゃないけど、持ってる人が多いんじゃないかなー」

 乃和がそう呟くと、藍星は

「ふうん。やっぱり。……乃和、今すぐそのスマートホン、捨てた方がいいよ?現実を失いたくなかったらさ?」

「!」

 藍星の言葉に、血の気が引く思いがした。

 彼女は……一体何者なのだろう。

 とその時、乃和の近くの席に座っていた男性が立ち上がり、こちらに歩みよってきた。彼は勢いよく乃和の首を掴むと

「お前だな!現実を吸い取れない人間は!」

「っ?」

(この人、魔法使い?やばいっ……)

 強い力に対抗できるはずもなく、一瞬にして息が苦しくなる。

 それと同時に、ゼロナの言葉を思い出した。

(現実を吸い取れない乃和は殺した方が手っ取り早い)

 すると、テーブルの上のスマホからゼロナが「乃和!」と声を張り上げ、飛び出してくる。

 が、彼が杖を向ける前に男性の動きが止まる。

「!」

 とっさに男性から離れた乃和は、その光景に息をのんだ。

 ……まるで時が止まっているかのようだ。

「え……うそ」

 いや、本当に時がとまっている。

 乃和、ゼロナ、藍星以外の景色から、音と動きが消え失せていた。

「乃和、大丈夫ですか!」

 ゼロナが乃和に声をかけるが、まともに返事が出来る状況ではなかった。

「そ、それより、今の状況どうなってるのっ?」

「確かに、いつもと世界の雰囲気が違いますね……余計な情報が少ないといいますか……これはよくある現象なのでしょうか」

 ゼロナは周りを見渡すと、首をかしげる。

「いや、よくないし!」

「ふふ、危なかったね~。乃和」

 藍星はそう言うと、優しげに微笑む。

「もしかして、これ藍星がやったの……?」

「そうそう、あ、ちょっと待ってね」

 藍星は立ち上がると、乃和の首を絞めようとした男性に近付く。そして、彼の肩に手を置いた。

「?」

 何をしているかと観察していると、藍星の手と男性の肩の間から、青白い光が漏れた。

 よくよく見ると、その光の中に細かい数字や記号アルファベットが忙しなくうごめいており、それらは段々と動きを緩めると完全に停止する。

「よし、アップデート完了」

 藍星はそう呟くと、男性から手を離し、乃和の方へ振り返る。

「乃和、あたしはね。「魔法使いの箱庭」をアップデートさせるために五百年後の未来からきた人間なの」

「!」

「魔法使いの箱庭は、人間を抹消するためのアプリだけど、その人間に乃和が含まれているっていう報告を受けてね。だからわざわざ未来からやってきたわけさっ。博士の命令だから仕方なくね~」

 藍星はため息交じりにそう言った。

「五百年後の未来……本当なの?」

 心臓の鼓動が今までになく早くなるのを感じる。

 藍星は、全てを知っている、そう確信した。

「ふふ、信じられない?でも、ほんとは嬉しくて仕方ないんじゃないのかな、乃和」

 藍星は乃和の反応を観察するような目をこちらに向けた。

「そーだね、嬉しいよ。藍星がすべてを知っていそうで!」

「うんうん、知ってるよ、何も知らずに生きてきた可哀そうな子だよね、君は」

「藍星、わたしに全部教えてくれる?」

 そう簡単に教えてくれるだろうか、その不安が拭えきれない乃和だったが……。

藍星はその表情を笑顔にさせると

「もちろんだよ。美味しいもの食べさせてくれたしね~」

 当たり前のようにそう言った。

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