第2話 2
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「あーついにこうなったか。まさか自力で思い出すなんて思ってもみなかったな」
蓮は走り去っていく乃和の後ろ姿を見て、そう呟く。
人間は心が安定してくる時期に入ると、外部からの刺激に対応できるようになるのだろうか。
今まで、乃和の「心の成長を妨げる記憶」はことあるごとに削除してきた。
今回の「人間を抹消するアプリの存在の認識」なんて、もっての他だ。そのような記憶に伴う心の情報なんて博士の研究の邪魔をするだけだろう。
「黙って逃がすわけにはいかねーんだよなぁ」
乃和は自分の妹として、あともう少しだけ傍にいさせないといけない。
これだけは絶対に守らなければいけないのだ、どんな手を使っても。
++
「おい、バグつき!人間に化けないで実体化するなんて、バカなことするなよ」
乃和が魔法使いの姿に見とれていると、突然、周辺にいた男性がそう言った。
「……うるさいですね。今は、そんなことに構っている場合ではないんです」
魔法使いは男性をにらみつける。
「?……」
乃和は思わず眉をよせた。
(もしかして、この人も……魔法使い?)
乃和は、言葉を発した男性を食い入るように観察した。
……外見はいたって普通の人間なのに。
そうか、みのりに化けて生活していた魔法使いがいたように、それはごく当たり前のことになっているんだ。
よくよく見ると、その男性以外にもこちらを不審な目つきでみている人たちが大勢いた。
きっと彼らも、魔法使いだろう。
「っ……」
乃和はとっさに、スマホからでてきた魔法使いの手をとるとこの場から早足で離れる。
「乃和?」
魔法使いは動揺した様子だったが、乃和はそれを無視してひたすらに足を動かしつつ
「人の多いところはなるべく避けよう?兄さんと対面したら、余計騒ぎになるだろうし」
「別に私は構いませんよ?」
「わたしが気になるの!」
乃和が強めの口調で言うと、魔法使いは悲しそうに口を結んだ。
「……」
乃和は目についたエレベーターに近付くと、上へのボタンを押す。ほどなくして開いたそれに乗り込むと、屋上へのボタンを押した。
屋上の駐車場に到着する。つづいて乃和はできるだけ人通りの無さそうな端のスペースへ早足で移動し、近くにとめてある車の影に隠れるようにして立ち止まった。
さきほどまでとは、打って変わって静かなこの場所。
乃和はほっと溜息をつくと、ゼロナの方へ振り返る。
「兄さんはまだ追ってこないみたいだね、よかったー。
ありがとう、ゼロナ。助けようとしてくれて!」
乃和はできるだけ笑顔で、魔法使い、ゼロナにそう言う。
「ゼロナ?私のことですか?」
「うん、そう。確かあなたのID、0778だったよね。だからそう呼ぶね!適当に決めちゃったけど、何か名前があった方がいいと思うし」
不快に思われないだろうか、そう考えたが、ゼロナは大きく頷く。
「了解しました!これで乃和が私のこと、より認識しやすくなりますよね?それは私にとっても嬉しいことです」
「……はは、ならよかった~」
(ってかどうしよ……)
思わず逃げてきてしまったが、その選択は本当に正しかったのだろうか。
じわじわとその考えが頭の中に侵食していく。
それと同時に、少し前までの当たり前の日常は、壊れてしまったんだ。そう実感した。
成長しない兄という不可解な存在がいる限り、いつかその日がくるかもしれない、そう思っていたが、まさかそのいつかが本当にくるなんて思ってもいなかった。
ゼロナはあたりを警戒し、相変わらず蓮のことを敵だと認識しているようだ。
「乃和ー、アプリなんかと仲良くなるなよー」
「!」
弾かれたように振り返ると、蓮がこちらに歩み寄って来ていた。
「兄さん」
思った以上に時間が稼げなかったことに、乃和は失望した。
後方は壁。もう逃げることはできないだろう。
その時、ゼロナが手の中に「魔法使いの杖」を現した。
杖の先が光を放ったかと思うと、そこから現れた流れ星が蓮めがけ突き進む。
「ええ!?兄さん、危ない!」
すると、蓮は掌を前に突き出す。同時に、薄い壁のような透明のスクリーンが現れそれを弾き返した。
蓮は、スクリーンを消すと、深くため息をつく、そして
「乃和、もう今日は帰ろう」
と言った。
「!……」
「乃和、危険です。耳を貸してはいけません」
ゼロナは杖を蓮に向けたまま、隣に立つ乃和にそう言った。
「……」
「乃和がオレのことを信用できないのは、分かる。当然だよな。ごめんな。勝手に記憶をいじったりして」
「やっぱり、そうだったんだ」
心臓が締め付けられる思いがした。
少しだけ泣きそうになる。
「っどうしてそんなことしたの?」
「できるだけ乃和には、辛い記憶を持ってほしくないんだよ。心も体も健康に育ってほしい」
「何それ?辛い記憶も幸せな記憶もわたしにとっては同じぐらい大切だし、勝手なことしないでよ!」
乃和の言葉に、蓮は驚いたように目を見開く。
「乃和は、辛い記憶にも幸せな記憶と同等の価値を感じるんだな……?」
「……そうだと思う。辛い記憶も含めて自分だから、それをいらないっていったら今の自分のこと否定しているようなものだし」
乃和は戸惑いつつも、そう言葉を並べる。
はたしてこの言葉で蓮は納得してくれるだろうか。
すると、蓮は微笑んだ。
「なるほどなー。そういう感覚オレにはよく分からないんだよ。でも、ひとつの情報として心に留めておくから!
ほんと悪かったな。これからは、記憶をいじるのはやめるな」
「うん、そーして」
もしかしたら、今ならあの質問に答えてくれるかもしれない。
乃和の心臓がいつもより早めに波打つ。
「それでさ、兄さんって何者?どうしてわたしの兄さんなの?」
「ごめんな、それには答えられない」
「は?なんで?」
「だから、答えられないって言ってるだろー?」
蓮はいつも何も変わらない様子で、困ったように笑う。
乃和はその時、絶望に似た感情を感じた。
今こそが今までの中でもっとも可能性があったはずなのに。
もう何を言っても、蓮はその事実を口にすることはない。そう実感した。
「じゃーいいよ!わたし、もう兄さんとは一緒に暮らせない。ほんと信用できない」
乃和はいつ間にかそう口にしていた。
その言葉に、蓮の表情が固まったように見えたが、それさえも信用できなかった。
「いこう、ゼロナ」
乃和は踵を返し、歩き出す。
泣きそうになっているであろう乃和の顏を見たゼロナは、少しだけ不安そうだった。
ショッピングモールから駅までの歩道を無言で歩いていると、斜め後ろについてきているゼロナに声をかけられる。
「乃和、大丈夫ですか?」
「大丈夫……じゃないかも」
乃和は立ち止まると、ゼロナの方へ振り返った。
こんな人通りが多いにも関わらず、行き交う人々は人間離れしているゼロナに目を向けない。
きっと、魔法使いが見えるのは、同じ魔法使いか、蓮や自分のような変わった事情のある者だけ。
「乃和、私はこれでよかったと思いますよ?あの少年と同じ空間で暮らすなんて危険にもほどがありますから」
「それはそうなんだけどさー…はぁ」
考えることが多すぎて、本当に考えるべきことが何なのか分からなくなりそうだ。
兄の正体、魔法使いの存在、それに、みのりのこと。彼女は、本当にここに帰ってこないのだろうか。
そんなの嫌だ。
乃和の様子を気にしていたゼロナは何かに気付いたように空をみる。そして、沈みかけている太陽を指差した。
「乃和!見てください!日がもうすぐ沈みそうです」
「……」
乃和にとっては、何の変哲もない風景だが、ゼロナにとっては珍しいことなのだろうか。彼の目に反射する太陽の光は、とても輝いて見える。
「だねー……あ、今日の寝る場所どうしよ」
乃和は一番重要な問題に気付いてしまった。
家に帰れないというのは、当たり前だが寝る場所がないということだ。
「寝る場所ですかーやはりあった方がいいですよね」
「当たり前じゃん……お金あまり持ってきてないから、ホテルとかにも泊まれないし」
「オカネがなくても泊まれるホテル、検索しますか?」
「いや、そーいうのないと思うよ……」
ゼロナはうーんと悩む仕草をすると、
「私にいい考えがあります!」と笑顔で言った。
乃和は電車を降りるとゼロナと共に、みのりのアパートへ続く道を歩いていた。
ゼロナの考えというのは……
「あんなザコ魔法使いなんて追い出して、乃和がそこに住めばいいんです!」
というものだった。
「ザコって…そんな言い方しなくても」
乃和は思わず苦笑する。
ゼロナの言うザコ魔法使いというのは、みのりに化けていたシルクハットの青年の姿をしたあの魔法使いのようで。
ゼロナは自信に満ち溢れた表情を浮かべると不安げな乃和の顏を覗き込む。
「心配しなくて大丈夫ですよ!乃和がレベルを上げくれたお蔭で、あのザコには負ける気がしません。HPもMPも満タンですし」
「いや、わたしが心配してるのはそのことじゃなくてね!?」
「じゃぁ、どのことですか?」
みのりが今いない状況だとしても、人の部屋を勝手に使うことは気が引ける。
「みのりに断りもなしで、勝手なことしてもいいのかなーって」
乃和は呟くようにそう言うと、ゼロナは首をかしげた。
「何を言っているのですか?みのりさんは、もう現実に帰ってくることはないんですから、気にする必要ないですよ」
「!……」
「?」
「ゼロナも、そんなこと言っちゃうんだ……」
信用していたぶん、ショックだった。
しかし、今はそのことでもめている場合ではない。乃和は、言い返したい気持ちをぐっとこらえた。
そんなことを考えているうちに、みのりのアパートに到着する。
「乃和、つきましたね。念のため私の後ろについてください」
「うん、あ……あまり無茶しないでね?」
「大丈夫ですよ」
「……」
(ほんとに大丈夫かな??)
あまり信用できなかったが、自分は魔法使いに対抗するすべがないので、ここはゼロナに任せよう。
魔法使いの杖を手に現したゼロナは、それを目の前の扉へと向ける。
乃和はその光景を見て、ヒヤリとした。
「いや、ちょっと待って!?まずは普通に入ろう?」
「何故です?壊した方が隙ができないですし、いざという時の逃げ場にもなりますよ」
「でもさー……」
そんな会話をしていると、内側から扉が開いた。
そこには……
「みのり!」
不機嫌な表情を浮かべ、こちらを見ているのは間違いなくみのり。しかし、彼女は乃和の隣に立つゼロナを見るとその表情を引きつらせる。
「ひとんちの前で誰が騒いでいるのかと思ったら、お前か!ID0778!」
そう声を上げたみのりの周囲に電気の筋が走った。と同時に、その姿はシルクハットの魔法使いの青年に変化した。
「……」
(やっぱり、みのりじゃないんだよねー)
分かっていたはずだが、思ったよりショックは大きかった。
「つーか、魔法使いの姿のまま現実界にいていいのかよ……」
青年はゼロナのことを不審な目つきで見た後、彼の右腕に巻かれた包帯のようなものに目線を映す。
「バグつきがそんなことしたら、余計反感かうぞ。まぁオレの知ったこっちゃないが!」
「余計なお世話です!それよりさっさとここから出てってください。乃和が泊まる場所がなくて困ってるんです」
「泊まる場所がない?いい気味だ!」
青年はニヤリとして乃和を見る。
「お前もそいつに現実を映す瞳を全て渡したらどうだ?そうすれば寝る場所に困ることはないぞ!」
青年は乃和の右目に手を添える。
乃和はそれを振り払うと、
「そんなことするわけないじゃん。それより、みのりは?ほんとにもうここには戻らないの?」
乃和は少しの希望を信じてそうきいてみた。
「当たり前だろう。この瞳はもう完全にオレのものだ!」
青年は淡い銀色の瞳を歪ませる。
「っ……」
その時、ゼロナが杖を青年に向ける。同時に先端から光の筋が発射され、彼は、部屋の奥の壁の方へふきとんだ。
「ほら、さっさと出て行ってください!」
「くっそ、なんでこんなめに……この前から、ほんと散々なことばっかだ!」
壁に叩き付けられた青年は、そう呟きながらよろよろと身体を起こすと、シルクハットをかぶりなおす。
「でもあと少しの辛抱だ……」
「……」
「あと少しで、この世界から人間は消え失せるからな。そして、バグつき、お前は人間なんかと仲良くしたことを絶対に後悔する!そう絶対だ!」
青年はそう叫ぶと、その姿を瞬く間にかき消した。
「威勢だけはいいですね。アプリ界から離れた魔法使いのMPなんてたかが知れてます。しばらく戻ってくることはないでしょう」
ゼロナは乃和に微笑みかける。
「は、ははは……」
何だか青年が少し可哀そうに思えたが、ここはみのりの部屋。みのりのふりした他人が使っているのも不快なので、ここは有難く使わせてもらうことにしよう……。
奥に入り部屋を見渡すと、この前きた時よりは、少し家具が増えているようだ(冷蔵庫やベッドなど)。
魔法使いが人間界で生活するにしても、多少は家具などがあった方が便利なのだろうか。そんなことを考える。
「乃和大丈夫ですか?顔色悪いですよ?」
「やっぱり?今日はほんと疲れた……」
乃和は重い足取りでベッドの方へ歩みよると、膝をつきそのまま布団に顏を埋めた。
「あ、ゼロナは大丈夫?寝る場所……」
「私は乃和の端末があれば大丈夫ですよ」
「そっか、じゃあ、ここに置いとくね……」
乃和は、バックからスマホと取り出すとそれをベッドの上においた。
(疲れた……少しだけこうしていよう……)
乃和はベッドに再び顏を埋める。そして目を閉じた。
++
「乃和が、帰ってこない!」
蓮はとっくに冷めてしまった乃和の分の夕飯を眺めながら、そう叫んだ。
時刻を気にしだして、そろそろ二時間は経とうとしている。もうすぐ夜十一時だ。連絡もなしに、この時刻まで帰ってこないなんてこと今までなかったのに。
あんなことがあった後だが、蓮は乃和が何事もないように帰ってくるものだと信じていた。
「キオクをいじったことは、ちゃんと謝ったわけだしな……一体何がいけなかったんだ」
と、蓮はある重大な事実に気付いて、テーブルから立ち上がった。
「……もしかしてオレは、乃和に嫌われたのか?」
そうだとしたら、大問題だ。
今まで乃和を育ててきた上でいろいろな問題に直面してきたが、もしかしたら今回の問題が一番やっかいかもしれない。
今までの自分は乃和の兄として完璧な存在だった。そうなるように、全ての情報を駆使してきた。
……しかし、今では。
「来月は、乃和の二十歳の誕生日。それまでにどうにかしねーとな……」
その時、壁際に置かれてあるテレビの画面に、何かが映る。
……博士からの通信だ。
「博士~どうしましょう。オレは乃和の兄として完璧だったはずなのに」
蓮はそう呟きつつ、腕に顏をうずめた。
「~~~~」
「本当ですか!ありがとうございます!」
博士の返答をきいた蓮は、思わず顏をあげる。
画面の博士は微笑むと、
「~~……」
「そのことに関しましては、問題ありません。お任せください」
……そして博士の通信は途切れた。
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