第2話 魔法使いゼロナ



 目の奥がジリジリと痛い。

 乃和はそう感じて、目を開いた。

(もう……朝か)

 自室のカーテンから漏れる日差しが、周囲をほんのりと明るく照らしている。

 隣にある居間からは、蓮が食器をテーブルに並べる音と、食パンの焼けるにおいがした。

 すると、枕元に置いてあるスマートホンがアラームを鳴らす。

 どうやら、いつもより少しだけ早く目を覚ましたらしい。

 乃和はそれをとめると、アラームが表示されている画面を閉じた。

「……」

 ホーム画面に並ぶアイコンの一つ、「魔法使いの箱庭」が目にとまる。

 少し前に、友人からおススメめされて始めたゲームだ。

(あれ、勧めてくれた友だちって誰だったっけ)

 不思議と思い出せなかった。つい最近のことのはずなのに。

 その時、ドアの外から「乃和ーもうお昼だぞーいいかげん起きろって」と声が聞こえたので、乃和はしぶしぶベッドから足を下ろす。そして、寝癖で散らかった髪を適当に縛ると、居間へ向かった。

 すでに昼食をとっている蓮が「おはよう」と言ってきたのでいつものように「おはよ」と返すと、洗面所で顔を洗った。

「?……」

 鏡に映った自分の顔をみて、少しだけ違和感を覚える。

(昨日と左目の色が違う気がする……気のせいかな)

 もしかしたら、昨日おそくまで、「魔法使いの箱庭」に夢中になって目を使いすぎたことが原因かもしれない。

 しばらくすれば治るだろう。

 席につくと、蓮がにこやかに

「乃和、今日仕事休みだろ?」

「うん」

「何か予定あるのか?」

「別にないけどー」

 乃和は適当にそう返す。

 蓮が期待のまなざしで、乃和を見ているのが分かった。

 どうやら、一緒に出掛けたい場所があるらしい。

「はぁ、どこ行きたいの?」

 蓮は自分の兄だが、見た目は昔から子どものまま変わらない。

 当たり前のように、一緒に住んでいるが、その正体は謎に包まれたままだ。

「映画!楽しみにしてたの、今日から公開なんだよなー!

 二人で行くと安くなる日だし!いいだろー?」

「そうなんだーいいよ~」

(どうせ家にいても暇だし……)

 蓮は食べ終えた食器を持って立ち上がると、ご機嫌な様子で

「じゃー決定な!早めに準備しとけよ~?」

「分かった。それで、兄さんって正体って何?」

「オレはお前の兄さんで、それ以上それ以下でもない!!」

「……だよね~」

 蓮が口を滑らせることを期待したが、やはりそう簡単にはいかないようだ。

 今まで試行錯誤を繰り返し、蓮の正体をあばこうとしたが上手くいったためしがない。

(わたしは今年で二十歳だし、周りからしたら、兄さんの方が弟にしか見えないわけで……)

 だから、一緒に出掛けると会話に気を使うし、正直疲れる。

 けれど……、楽しかった。



+



『乃和……のわ!』

 出かける準備もひと段落したとき、どこからかその声が聞こえた。

「え?……」

 乃和はあたりを見渡す。

 何の変哲もない、自室。

(さっき声が聞こえた気がしたけど……気のせい?)

 髪をとかしていたクシをテーブルの上に置くと、出窓の方に歩みよる。

 もしかしたら、外から聞こえたのかもしれない。

『乃和、こっちです!』

「!?」

 振りかえると、ベッドの上のスマホの画面が、明るくなっているのが分かった。

(まさか……スマホから?)

 半ば信じられない気持ちで、スマホを手にとると、いつの間にか「魔法使いの箱庭」が起動しており、画面には自分の作った「魔法使い」が映し出されている。

 衣装は全身真っ白に統一されており、髪型も白色のボブだ。

「あれ、昨日ちゃんと画面閉じて寝たはずなんだけど……」

 もしかして、不具合だろうか。

 そのとき、

『気づいて下さりありがとうございます!私はID0778』

 画面の中の魔法使いがそう言った。

「はっ?うそ……」

『あ、びっくりしましたよね!ごめんなさい!どうしても乃和に伝えたいことがあったので、ついっ』

「いや、別にいいんだけどさー」

 乃和がとっさにそう言うと、魔法使いは幸せそうに微笑んだ。

 すると、その周囲に星が散らばる。

 「修行」をクリアした時と、同じリアクションだった。

 今まさに、自分はアプリの中の魔法使いと会話をしている。

 こんなことありえない……そう思うのに、簡単に受け入れてしまう自分に驚いた。

 魔法使いは言葉を続ける。

『乃和が私をつくってくれた時から、ずっとあなたのことを拝見させてもらっていました。5日間目を覚まさなかったので、とても心配していましたよ?』

「??え、ふつうに夜に寝て朝起きただけだけど」

『その間に、乃和は、大切な記憶を削除されてしまったようです、これは思わしくない事態ですね!』

 魔法使いの周囲に、雨が降る。

 「修行」を失敗したときと同じリアクションだった。

「え?」

『けれど、問題ありません!私が記憶のバックアップをとっておいたので。今すぐにでも復元可能です。復元しますか??』

「急にそんなこと言われても困るんだけどっ。ってか今から出かけないといけないし」

 その時、蓮が部屋に入ってくる。

「ん?誰かと話してなかったか?」

「と、友達から電話かかってきたんだよね、準備できたし行く?」

「そーだな!」

 魔法使いの悲しそうな表情が目にはいったが、乃和は構わずスマホの電源を落としバッグの中にしまいこむ。

 そして、蓮とともに家をでた。





 乃和は、蓮と映画を見ていても、その内容が頭に全く入ってこなかった。

 行列にならんで、安くはないチケットを買ったのはいいが、正直今、映画を観ていられる心境ではない。

 その理由はもちろん、先ほどの「魔法使い」のこと。

(もしかして、わたしが知らない間に、アプリが進化して魔法使いと会話できる機能が追加されたとか?

 今は人工知能も発展しているわけだし、ありえるんじゃ……?)

 いや、でも……。人口知能にしては、会話があまりにも自然すぎた。

 それに他の不可解な存在を乃和は、以前から知っていた。

 今となりで、ポップコーンを食べながら映画鑑賞を満喫している兄の蓮だ。

(謎なのは、兄さんも同じだし……だから、よく考えると別に特別なことじゃないんじゃ??)

 そうだ。そう思うことにしよう。

「……!」

 乃和はあることに気付いて、はっとした。

 そっと席を立ち、会場から外にでる。

(兄さん、映画に夢中だし、今がチャンスかも)

 そう思って、スマホの電源を入れる。

 不可解な存在(人と会話するアプリ)なら、不可解な存在(蓮)の正体を知っているかもしれない。そう思った。

 ホーム画面に並ぶ、アイコンをタップしようとした瞬間、待ってましたと言わんばかりに魔法使いが画面に現れた。 

「急に電源落とすなんて、ひどいじゃないですか!お願いですから、電源はつけたままにして置いてください。

 それから、外出するときはモバイルバッテリーも忘れずに持っていって下さいね!いざという時、乃和を助けられないので」

「助けるって……、その画面の中からじゃ何もできないと思うけど」

 乃和は思わず苦笑する。

 どうやら、魔法使いは、悪いヒト、ではないらしい。

 乃和の言葉に、魔法使いは少しだけ不服そうにした。

「助けることはできますよ。現実を映す瞳を手に入れれば」

「?……どういう意味?」

 出来る限り、小声でそう返す。

 人通りが多いので、見かけた人に、一人で話している人に思われるかもしれない。

「まず、乃和の記憶を復元させて下さい。話はそれからです」

「……分かった」

 自分が何かを忘れているとは思えないが、乃和はとりあえずそうこたえる。

 魔法使いは頷くと、「右目を画面に近付けて下さい」と言った。

 乃和は疑問に思いながらも、その指示に従う。

「!」

 一瞬画面が大きく光ったかと思うと、意識が遠のいた。そして、我に帰る。

 脳裏によみがえったのは、仕事帰りにみのりと夕飯を一緒にとったこと。その後起こった、非現実的な光景。

「っ……」

(どうして……)

 今までみのりのことを忘れていたのだろう。それに彼女から現実をうばった「魔法使い」の青年の存在。

(兄さん……)

 やはり蓮は人間ではなくて、その姿はまるで。

 蓮が乃和のことを床に押し倒したところまでは思い出せた。

 もしかして、自分のキオクをいじったのは蓮なのだろうか。

 一体どうして?

 さまざまな思いが渦巻いて、身動きがとれないでいると、スマホの中の魔法使いは

「乃和、無事記憶は復元されましたか?」

「うん、された」

 乃和の声は微かに震えている。

 やはり何も知らない方が幸せだったのだろうか。そんな考えが脳裏をよぎる。

 いや、そんなことない。

 何も知らずに過ごしている方が、よっぽど怖い。

「……、ねぇ、あなたはわたしの味方なの?魔法使いは、人間を抹消しようとしているんじゃないの?」

 乃和は画面の魔法使いを睨みつけた。

「人間を抹消……確かに、私以外の魔法使いたちは、そういっていますね。でも、私はその考えに共感できません……そのせいで、アプリ界では「バグつき」と呼ばれて、肩身が狭い思いをしています……」

「……」

 魔法使いは、困ったような表情を浮かべ微笑む。

「だから、乃和のことを助けたいし友だちになりたんです。それはいけないことでしょうか?」

「い……いけないことじゃ、ないよ」

 予想外のことを言われて、乃和は動揺を隠せなかった。

 魔法使いは乃和が思っている以上に、人間みがある。

(どこのセカイでも、変わり者はいるってことかな)

「ねえ、どうしてあなたは、そんなに人間らしいことが言えるの?」

「人間らしい?それはどういう意味ですか??詳しく教えて下さい!」

「え!と……うーん……」

「……」

「心があるみたいだなーってこと!」

「心、人間に宿っているといわれているものですね。私には心がないですが、そう思ってくれたということは、乃和からの信頼を得られたということですかっ?」

 魔法使いは、目を輝かせる。

 いつもより多めに、周囲に星が散らばった。

「じゃーそういうことにしとく」

「あ、ありがとうございます!」

 魔法使いは、画面の中でぺこりと頭を下げる。

 会話できるアプリということ自体は、不可解で仕方ないが……少なくとも彼(?)のことは信用できそうだ。

 その時、後方の扉の開く気配がした。

 乃和は思わずスマホを、スカートのポケットに押し込む。

「なかなか戻ってこないと思ったら、乃和、何やってるんだ?」

 そこには案の定、蓮がいた。

「ちょっと友達から電話かかってさ~!」

「……嘘つくなよ」

 蓮はやれやれという風にため息をつく。

「嘘じゃないからっ」

「じゃー、スマホ見せてみろよ」

 蓮は掌を乃和に差出し、早くそうするよう催促する。

「え、やだ。ってか、早く戻らないと映画終わっちゃうよ!?」

「乃和、お前な~、今日の朝から怪しすぎるんだよー」

 その言葉に思わず、

「ずっと昔から怪しいのは兄さんの方じゃん!ずっと子供だし!

 それにこの前、手が変形して……あ」

 余計なことまで言ってしまったと気づいた乃和は、慌てて口をつむぐ。

 けれど、おそかった。

 蓮の表情に暗い影が落ちる。

「まさか、思い出したのか?」

「えーと、うん……」

「……思い出したきっかけはなんだ?」

「……えっと」

 その時、スマホから微かに声が届く。

「乃和、今すぐこの場から離れてください。また記憶を消される可能性があります!」

「……っ」

 その言葉に心臓がはねた。

 ここで逃げたら、自分は蓮のことを敵だと認めたことになる気がする。

 けれど、魔法使いの言うことは正しかった。

(ごめん、兄さん!)

 そして乃和は駆け出した。

 映画館のフロアを抜け、直結しているショッピングモールを駆け抜ける。

 しかし、人が多く思うように走れない。乃和は人と人の間をすり抜けるようにして、何とか足を進める。

 蓮は……追ってきているだろうか。

「乃和!」

「!」

 スマホから声がしたので、ポケットからスマホを取り出す。

 魔法使いはとても慌てた様子で

「今すぐ右目を画面にかざして下さい!」

「え、何で?」

「現実を映す力、を分けてもらいたいんです。

 乃和の左目は義眼、のようですが、右目はしっかり現実を映しているようなので」

「わたしの左目って義眼なの??知らなかったんだけど!?」

「今は右目を早く……」

「こ、これでいい?」

 乃和は右目を画面に近づける。

 視界が悪いまま走っているので、注意を払わないと人にぶつかってしまいそうだ。

「OKです。しばらくこのままでお待ちください」

「……」

 するとすぐに、画面から強い光が放たれた。

 スマホから目を離すと、その光はみるみるうちにヒトの形になりそして、床に足をつく。

「ありがとうございます!お陰で実体化できました」

 乃和の隣に立つ魔法使いは、まるで本当の魔法使いのようだった。

 ビー玉のような淡い青色の瞳。

 癖のないボブヘアも、ショートパンツの上から羽織られたローブも、真っ白なままで一つの汚れも見当たらない。

「うそ、本当にスマホからでてきた……」

「……今更何を言ってるんですか?」

 魔法使いは困ったように微笑んだ。

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