第12話 口出ししたくもなるよ!

 車両の洗浄が始まった。

 車庫に入りきらないほどの編成数に、むしろやる気が増したようだ。

 まずは先頭車両から。温かく湿ったスポンジが優しく押し付けられる。上下、左右、円を描くように、ねっとりとスポンジが這い回る。

 下の連結器部分は特に入念だ。こじるようにグリュグリュッとスポンジを弾く。

 先頭車両は、車庫に迎え入れられた。

 ぬめる車庫の扉を、二号車の境目に引っ掛け往復させる。機械的な往復とリズムを合わせるように、先頭の連結器をスポンジで強めに突き、弾き、こね回す。

 徐々に、格納される車両が増えていく。

 べちゃりとパンタグラフを撫でたかと思えば、ジュルジュルと下部を押し上げ、車体を車庫の天井に擦り付ける。

 縦横無尽にぬるぬると温かいスポンジが高速で暴れ、どこが洗浄されるか予測できない。押し付けるように洗われ、車庫の内壁と挟まれて逃げ場などない。

 車両が軋みを上げる。

 編成が限界まで車庫に納まった。いよいよ仕上げに入るようだ。

 車庫の扉をせばめ、べったりと車両全体を天井に押し付ける。先頭車両は車庫の奥で周囲からキュッと円く緩衝される。

 柔らかいスポンジで塗られたワックスの潤いが、激しい前後運動で擦り込まれていく。

 車庫の外に溢れるワックスは、ズゾッズゾッと車両ごと吸引され解放は許されない。

 幾度とも知れない執拗な擦り込みを受け、車両全体がふやけるほどワックスが馴染む。

 洗浄への感謝で車体が震え、連結器は酸欠の魚のようにパクパクとわななき、声にならない断末魔の呻きが噴出する。

 暴れ回る車両。洗剤かワックスかわからない大量の白濁が、車庫内に熱く迸った。


         ☆


 きっと、頭がおかしくなったのだろう。

 穴からジャンプしたとき頭を強打して、そのまま穴の底で夢を見ているんだ。

 今日を振り返ってみよう。


 山中に掘った穴を抜けると魔法陣であった。腹の底が面白くなった。

 やることすべて闇の中である。あるところは勧められるまま指輪をし、あるところは誘われるまま焼肉を食べ、あるところは流されるまま豚を斬る。

 ではみなさんは、そういうふうに洗剤だと云われたり、ワックスの流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。


 違う違う、少し飛んだ。その前だ。

 ちっちゃい子に何か言われたんだ。

 妖煌炉ようこうろで男女が営むと。

 リン少尉は、何か言っていたんだ。

 続きはオフ炉だねと。後で連絡すると。

 まとめると、俺と少尉が営む?

 なんで?

 夏休みに入る前、二つ隣の席の奴がわざわざ近付いてきて、コソコソと自慢話を始めた。どうしても話したかったんだろう。挙動がもう目立つ目立つ。家庭教師で致したんだって。適当に「おっほー」とか言っといたけど普通に引いた。相手の親は何やってんの。夏休み明けに会えないような事件起こすなよ。てか俺は戻れるのか?

「どうした。あの子が嫌いなのか?」

「嫌いなわけねーし!」

「ビビったのか?」

「ビビってねーし意味わかんねーしハァ?」

「童貞だからか?」

「はい」

「童貞なのはみんな知ってるよ。好みの顔、体型、プレイとか、そっちの世界のキミの部屋にある携帯型電子式デバイスに消されず保存された動画とキミの記憶を照合して何がお気に召さないのかも、クラスの子を眺めてもう少し胸が大きければなとか考えてることもみんな知ってるよ」

「ファー! 心のエロフォルダー! 聖域だよ! こんなの許されるのコンプライアンス的に!」

「じーちゃから輪枷りんかの説明されただろう」

「されたよプライバシーないって。俺も隠すことないって。でもここまでおかしいとコンプライアンスとやらに口出ししたくもなるよ!」

「秘匿されなかったってことは、キミも本心では知って欲しかったってことだよ。おっぱい好き」

「そんな次元じゃない情報漏洩だよ。プレイだよ? てかお嬢ちゃんそんなこと口にしちゃだめでしょ」

「ただの大人同士の会話じゃないか。ちなみにこっちは五歳で成人だからな」

 頭がパンクした。


 呼び出された先は妖煌炉ようこうろ。中央の建屋の地下に黒い軍服のリン少尉が居て、眼鏡は外して、下ろした明るめの茶髪は背中ほどだった。近付いて、無言で腕を組んで、もうわかるでしょうと。

 光に満ちた螺旋のスロープを下っていくと、徐々に重力が消えていく。肉体の認識だけが残っていく。衣服の感覚が薄れていく。二の腕に接している温度も滑らかさを増していく。

 彼女は歩みを止めた。光の中に二人の裸しかない。

「初めてキミを見たときに、初めては私だって思ったの。ねぇ、キスして?」

 何かを考えていたはずだけど、向かい合って、何もなくなった。

 おそるおそる、ついばむ。吐息が当たって、ああ空気の壁の内側なんだって。

 ふっくらした唇の感触を、下側を挟んだり上側を挟んだり詳しく知る。

 くっつきたくなって、両手を腰に回す。重力を感じないが、思い通りに身体を支えられる不思議な感覚。身長差を感じず、唇を重ねる。

 歯が当たって、一旦離れる。

 上気した顔は、視線を下にやる。

「余裕ないでしょ。楽しめないと勿体ないし、約束のご褒美あげようか」

 唇をべろりと舐められる。豊かな胸を擦り付けながら、頬、首筋、乳首を吸われる。

 列車は谷間を抜けた。

「必死に耐えてね。我慢するほど凄いことになるから」

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