靴擦れ

痛い。また靴擦れした。


変な歩き方にならないように意識しながら、ゆっくり駅へ向かう。


最初の一回、二回を我慢すれば、大抵のパンプスは自分の足に馴染むのに、このパンプスは履く度に靴擦れしてしまう。今日こそはもう大丈夫だろうと思って履いてきたのに、またダメだった。


普段は飾り気の無いベーシックな色のヒール靴ばかり履いている。あの日も、いつも通りの歩き慣れたヒール靴の色違いを買うつもりで、馴染みの靴屋を訪れた。店に入ってすぐに展示されている入荷したばかりの靴は今年流行りの花柄がメインだ。可愛いけれども仕事には履いていけないし、何よりも私のイメージには合わない。白いTシャツにジーンズ、足元だけ花柄なんて素敵だし、それなら私でも…と、そこまで考えた時、赤リボンの付いた紺色のペタンコ靴が目に入った。うわ、これ好き…リボンが付いた靴なんて、社会人になってから一度も履いていなかった。花柄の靴よりも自分が履いた時のイメージは膨らまなかった。それなのに、何故か気になってしまって、何度もその靴のところへ戻ってしまっていた。気付けば、紙袋を大事に抱えていたのだった。


あの時は何だかわくわくした気持ちで紙袋を抱えていたのに。痛い。やっぱり、可愛い靴は君には似合わないと言われている気がした。


今の部署もこの靴と同じだ。もう一年が経とうとしているのに、今もまだ馴染めていない気がする。仕事はまだ残ったままだったが、思わずオフィスで弱音を吐きそうになって、慌ててパソコンの電源を切ってオフィスを出た。泣きっ面に蜂とはこのことだ。店から店へと梯子するサラリーマンの群れの中、帰り道に涙が落ちそうになった。きっとここで歩きながら泣いていても、誰も気にしないだろうけれど…


最寄りの駅から家までは約七分。人通りの少ない道を選んで、靴を脱いで歩く。昔見た裸足で外を歩く大人の正体は、泣きたくなるくらい心も踵も擦れた人だったんだ。『大丈夫ですか』って、声を掛ければ良かった。でも、今声を掛けられたら、大声を上げて泣いてしまうだろう。涙を堪えていても、優しくされると感情が溢れてしまうのは何故なんだろう。聞いてもらえるんだ、我慢しなくて良いんだと心が安堵するからだろうか…


悲劇のヒロインを演じているような気がしてきて、家まであと数メートルのところで可笑しくなった。家に入った瞬間に涙が溢れて、泣いているのか笑っているのか分からなくなった。



翌朝、案の定、目が腫れていた。温めたタオルと保冷剤を交互に腫れた目に当てる。化粧で何とか誤魔化せるくらいにまでは落ち着いた。


行きたくないなぁ、会社…

でも、休む勇気もないし、何より一度休んでしまったら、二度と会社に行けなくなるような気がする。無駄な抵抗はせずに、朝の支度を始める。電車を待つ間、いつかのテレビ番組を思い出す。駅で無作為に選ばれたサラリーマンがその場で会社に承諾を得て、会社とは逆方向の電車に乗って一日電車旅を楽しむ。そんな非現実は私には起こり得ないけれども、一縷いちるの期待を込めて周りを見渡す。いつもと何も変わらない朝の風景だ。


『おはようございます』

笑顔で挨拶して、足早に自席に向かう。まだ少し腫れている目に気付かれたくない。パソコンをすぐに立ち上げ、簡単にメールの確認を済ませ、昨日やり残した仕事に手を付ける。


気付けば、周りはランチに席を立ち始めていた。もう昼か…ふと、メールボックスを確認すると、トモキから『昼は?』とだけの簡単なメールでランチの誘いが入っていた。『行ける。ちょっと忙しいから、近場希望』とだけ返信して、少し一息吐く。トイレに行くのも忘れる程集中していた。


いつものように、オフィスロビーでトモキと合流して、近くの中華に入り、二人とも激辛担々麺を注文する。辛い物が食べたい時はストレスが溜まっている、というのが二人の共通認識で、『ストレス溜まってる?』と聞かれた。

『溜まってる。だけど、もう落ち着くはず』

本当は誰でも良いから頼りたいくらいに参っているはずなのに、強がってばかりな自分のことがまた可笑しくなってきて、慌てて胡麻化した。



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三十路の霹靂 @EmeraldAU

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