#07 ラプラスの悪魔



「マクスウェルの悪魔。この悪魔は主に三つの学問上で棲息している悪魔のことだ。三つの学問とは、一つ目、熱力学。二つ目、統計力学。三つ目、情報科学。マクスウェルの悪魔は、この三つの学問の中で常に「同じ悪さ」をしようとする。それがエントロピーの減少。エントロピーの減少とは、分かりやすく言うと一つの部屋を二つに分ける事だ。例えば今、この場にはオレとカミハとお前とお前の相棒の二人と二機がいる。この一つの場所に、お前の勢力とオレの勢力が混ざり合って存在してるんだな? そして、この混ざり合った場所から、お前の側の二人とオレの側の二人の二つの部屋に分けようとする。すると同じ部屋だった筈なのに、オレの勢力だけの部屋とお前の勢力だけの部屋の純度の高い二つが出来上がるってワケだ。この純度を上げる現象を熱力学と統計力学、そして情報科学で行うのがマクスウェルの悪魔という仮定の存在。この現象が自由自在になると、この世界の性質である「不可逆性」を「可逆性」に変える事が出来ると予測されるだろう。例えば、可逆性の世界になれば、今のオレとお前のこの状況みたいに勝者と敗者が出来上がってる状況も、時間を巻き戻して戦闘前に巻き戻すことだって可能になるワケだな。なにせ混ざり合ったこの現在の結果を、過去のまだ混ざっていない状態に戻そうとするだからな? しかし、現実的にはそんなことはできていない。起きてしまった状態を起こす前に戻すことはできない。この世界では、起こってしまった後の世界が「何かの力」で固定されているッ!」


 立っている少年の断言で、倒れている少年が握り拳を作った。


「……マクスウェルの悪魔はその「何かの力」が何なのかを暴くために考え出された悪魔だ。熱力学では、熱の動きを。統計力学では、数の動きを。情報科学では、字の動きを。それぞれ、マクスウェルの悪魔がどう捉えているのかを考える事によってこれを解明しようとした。そして、お前たちの出した結論こたえは……、『マクスウェルの悪魔は情報を消すことができない』という物だった……。マクスウェルの悪魔は情報を消す時にエネルギーを必要とするんだ、と。それでお前たちは問題を解決した気になっていた……」


 見下げ果ててくる目が、倒れ伏している苛立ちをこれでもかと煽る。


「マクスウェルの悪魔。この悪魔の実在を、やっぱりこのオレの後ろにいるカミハはお前たちに伝えていたな? まあ、その中身をすぐに言うことはしない。もう少し、話を進めてからにしよう。知っているか? マクスウェルの悪魔にはもう一つの側面がある。いや、側面というか「もう一つの呼び方」があるんだよ? マクスウェルの悪魔には、もう一つ別の名前がある。もちろん、そのもう一つの方も「悪魔」なんだけどな? 結局、マクスウェルの悪魔は悪魔だったっていうことだ。じゃあ、ここで、そのもう一つの名前を教えてやろう。それが、ラプラスの悪魔」


 立っている少年の言葉に、倒れている少年の時間が止まる。


「マクスウェルの悪魔はラプラスの悪魔とも呼ばれる時がある。いや違うな。マクスウェルの悪魔はラプラスの悪魔になりえる時もある、って言ったほうが正解か。ラプラスの悪魔が何なのかは知っているか? ラプラスの悪魔は全ての状態を知っている悪魔……だ」


 立っている少年の言葉に倒れている少年も沈黙で応答を返す。


「ラプラスの悪魔は全ての状態を知る事が出来る。もちろん全てを知る事が出来れば、全てを知っているのだからその先の未来で何が起こるのかも予知できる! これがラプラスの悪魔の力だ。そして、マクスウェルの悪魔がラプラスの悪魔と呼ばれる時もあるのなら? 当然、ラプラスの悪魔もマクスウェルの悪魔と呼ばれても何も不思議じゃない。つまりだ? マクスウェルの悪魔は……全ての情報ねつを知っている……」


 立っている少年は当然のように断言した。


「ここでおさらいをしよう。基礎研究には「おさらい」がつきものだッ! おさらいもしない基礎研究にはまるっきり意味がないッ! これはよく憶えておけっ! おっと、また話がズレたな? おさらいをしよう。いいか? ラプラスの悪魔は全ての情報を知っている。一方のマクスウェルの悪魔は、情報を消す時にエネルギーを必要とする。という事は、ラプラスの悪魔は全ての情報を知っていながらも、その情報を消す時にはエネルギーを必要とする、ということになる。ここでオレとしては少し気になる事があるんだが? 全ての情報を知っていたら? それって情報を消す必要があるのか?」


 立っている少年の問いに、答えられる者はいない。


「全ての情報を知っておいて? それを消したい時ってどういう状況だ? 全ての情報を知ってるんだぞ? 全ての情報を知っていたら、消す必要なんて無いじゃないかっ。そう思わないか?

全ての情報を知っていたら、もうその状態だけで完結できる。過去も未来も思いのままだッ! それなのに? その全ての情報を消したい? あるいは、その中の一部分だけでもいいか? 全ての情報から、ある一部分だけでも消したい……。いやいや、まてまて。これもおかしいよな?

なんで全部知ってるのに、一部だけ消す必要があるんだよ? そんなことしたら……「わからなくなる」じゃないかッ? そう思わないかッ? 情報を消したらその消した情報はわからなくなる。だから、それをする必要がないラプラスの悪魔は全てを知っている。そこで別のもう一方の悪魔であるマクスウェルの悪魔は情報を消す時にエネルギーを必要とする。そして、この二つの悪魔は、実はまったく同じだ。つまり、ラプラスの悪魔は全ての情報を知っている限りエネルギーを発生させる必要はないッ! そしてこれは逆説的な根拠も生む。ラプラスの悪魔は……情報の一部を忘れてしまう時にエネルギーを無から生みだしてしまう悪魔だとッ!」

「……なんでそうなるっ?」


 倒れている少年の疑問に、立っている少年は呆れた目をしてみせる。


「全ての情報を知っているラプラスの悪魔は、全ての情報を知っているが故に、忘れた情報を取り戻そうと動き始めるんだよ。全てを知る為にだ! もちろん、その忘れた情報がどこに在るのかも分かっている。だからその忘れた情報を引き寄せるために発生させる引力エネルギーの方向性も正確無比で強力無比だ。なぜなら全てを知っているからな? ここで初めて、ラプラスの悪魔とマクスウェルの悪魔は表裏一体、ってことなるんだな? ラプラスの悪魔は、情報を忘れた時にエネルギーを発生させてしまう悪魔。そして、マクスウェルの悪魔は、情報を忘れる時にエネルギーを消費しなければならない悪魔だ。そして、この「情報を忘れる」という境界線が一つの悪魔せかいを二つに分けた」


立っている少年が清ました視線で、世界を見降ろしている。


「永久機関だ。これで永久機関が完成する。いつまでもエネルギーを発生させつづけて、それをさらにまた消費していく永久機関がな? じゃあ、今度はその永久機関の話をしようか?これからするのは、永久的に吸熱反応を発生させている永久機関の話だ。知っているだろう……? 水のことだよ」


 周囲の気温が、少し冷えた。



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