#06 熱力学第二法則



「熱力学第二法則っていうのはエントロピー増大則の事だ。知ってるだろ? お前たちが乱雑さと言っている、この世界の縛りみたいなものだッ」


 立っている少年が漫然と言い放つ。


「熱力学の第二法則。これは大体、統計力学も含めた三つの原理や法則で成り立っている。まず一つ目。熱は暖かい場所から冷たい場所へ動く性質で支配されている。これは「クラウジス原理」だ。二つ目。電気エネルギーを熱エネルギーに変えるのは容易であるが、熱エネルギーを電気エネルギーに変えるのは至難。これは「トムソン法則」。三つ目。白い液体と黒い液体を混ぜるのは簡単だが、混ざった白い液体と黒い液体を分け直す事は高難度。これが「クラウジス不等式」。……さて? 今から14年前……。オレの後ろにいる、この汎用小型EI、カミハはお前らにこの熱力学の詳細な情報を送った。それはお前も見たか?」


 立っている少年の問いにも、倒れている少年は答えない。


「その情報の中には、この三つの動きには「可逆的な部分」がある事が指摘されていたハズだから、このまま話を続けていこう。水という物質がある。元素記号H2Oだ。この物質を使うと、この熱力学第二法則というエントロピー増大則は、文章中で可逆的な部分を造りだしてしまう。

それが一つ目のクラウジス原理と三つ目のクラウジス不等式だ。水は凍ると氷になる。この氷と、もう一つ別の液体の水を用意する。それを混ぜて更に凍らせる。凍った氷の中では固体の中で境界線が発生する。この時、外気の温度は当然、摂氏0℃から更に氷点下へと冷えている。ここでまた温度を摂氏零度から高温に戻してやると、氷と氷の境界線はキレイに消える。うーん? おいっ。高温に移動したのにエントロピーがなぜか増えたぞ……っ」

「……自慢したいのかッ?」


 倒れている少年が吐き捨てた。


「……自慢だと? 自慢よりもお前らの反論が訊きたいな? なぜ反論しない? コイツはずっと待っていたッ! お前らにこの情報を送った時に、お前ら大量の量子コンピュータはこの現象の穴を見つけなくちゃいけなかったんだよッ! それなのに? それもせずに? 自慢だと? ふざけるなよ? そんな御託なんざ、どうでもいいんだ。俺たちは反論が聞きたいんだッ! 無いのか? 反論は? 欲しい反論も寄こさずに?不平不満だけはいっちょ前にはいてつかれるだなッ? なら、俺たちが求めていたその反論とやらを、俺たち自身で言ってやるよッ! セルフ答え合わせだッ! 実は、このエントロピー増大則の可逆性には、一つだけ落とし穴がある。

その落とし穴があるのはクラウジス不等式だ。正確にはクラウジス不等式によってエントロピー増大則は確立された、っていうのが本当の話なんだがな? クラウジス不等式は、熱力学第二法則の中に在る三つの原理の中でも「断熱系」の原理だ。 熱力学なのに「断熱系」なんだよ? つまり熱の移動が出来ない世界でのみ通用する原理なんだな? これの意味するところはこうなる。熱の移動ができる世界でなら「高温でもエントロピーは増えることがある」……てな?」


 少年の言葉に、倒れている少年は驚く。


「クラウジス不等式によるエントロピー増大則でも最初から、高温でのエントロピー上昇は許可してるんだよ? もちろん「開放系」でな? 開放系とは断熱系とは逆の世界だ。つまり熱の行き来がある世界。熱の移動ができる世界でなら高温でもエントロピーは上昇しても不思議はないッ! となるとな? クラウジス不等式による断熱系のエントロピー増大則は「y軸」になるんだよ? そして、熱の移動が「x軸」となる……」


 少年の言葉で空間が静まり返る。


「中学校で習うだろ? x軸とy軸? 横の軸と縦の軸の事だ。この縦と横の二次元の動き……。これはやっぱり「不可逆性」で成り立っている……ッ! しかし、にも関わらず水と氷によるエントロピー増大則の「可逆性」をお前らは信じたッ! 根拠はお前らが今まで黙っていたからだッ! お前らは、クラウジス不等式でなら高温でもエントロピーが増える事はあると知っていたのに、それを根拠とする反論をしなかったッ! なぜならやはり、水と氷のエントロピーの増大の仕方は「超自然的な可逆性」に見えたからだッ!」


 立っている少年が見下して罵る。


「どう考えても水と氷のエントロピーの増え方は高温と液体とで可逆している。お前らはそう思ったんだよな? だから反論が出来なかった。まるで摂氏零度が「見えない壁」として世界を区切ってるように見えた為にな?」

「……悪魔めッ!」


 倒れる少年の罵声を聞いて、立っている少年は喜びを禁じえない。


「……悪魔? 悪魔かッ? なかなか洒落が利いてるじゃないか? そうだ。高温から低温に移動するx軸の中でもy軸の断熱系ではエントロピーが減少する事がある。しかも、ごく自然的な動きによってッ! それによって、この世界は成り立っている。星もッ! 銀河もだッ! まるで、この宇宙に悪魔でもいるみたいじゃないか? なあ? 宇宙のどこかに悪魔でもいて? この世界のエントロピーを局所的に減らしている……ッ。なァんつってなぁッ?」

「……マクスウェルの悪魔」


 その言葉に、立っている少年が意外そうに顔をしかめた。


「へぇ……? そっちから、その名前を出してくるとは思わなかったな? 基礎研究は覚束ないのに? ちょっとはその足りない頭でも回るようにでもなったか?」


 立っている少年の悪態にも、倒れている少年は反応しない。


「……そうか。なら熱力学第二法則の次は、そのマクスウェルの悪魔とやらに触れてみようか? 

マクスウェルの悪魔ってヤツにも当然! 不可逆性の性質を司るエントロピーが深く関係しているからな!」


 この世界で複雑に混ざり合った法則の乱雑さが、ゆっくりと減少していく……。



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