赤い薔薇
黒白の空間は動きを止めた。
サチコが訪れたときは本当に美しかった花園は荒れに荒らされた。
林檎は傷ついた身体を野に晒したまま立ち上がらない。
「どうしてこうなってしまったのだ。何が悪かったのだ。どうしてこんなことになるのか」
林檎は頭を抱え込んだまま立ち上がらない。
サチコはどうすればこの花園を抜けられるのか考えていた。どこをどう見ても花園しかなく出口は見当たらない。サチコも頭を抱え込むしかなかった。
サチコは青空を眺める。こんなよくわからない世界にも青空がある。そのことは唯一の救いのように思えた。
空に黒点が浮かぶ。サチコは首をかしげる。一体何事だろうか。少しずつ黒点が大きくなってくる。これはいけない。
と思う間も無く黒点は大きく地面を爆ぜた。サチコは悲鳴をあげる。
黒点は与える暇もなく赤い薔薇を食べ始めた。林檎はそれを止めようと必死に身体を動かすがかわいそうなことに傷んだ肉体は少しも動かない。
「わしの! わしたちの! 花園を奪わないでくれ」
悲痛な叫びは黒点に届くことなく、花園から薔薇は消え失せた。
サチコは悲哀そのものの林檎の背中を憐れむ。いくら自身の敵とはいえ、ただのおじいさんに過ぎない。老人虐待にしては超過してはないだろうか。
「流石に命運尽きたか。じいさん」
サチコは背中をブルブル震わせる。宇宙のブラックホールを思わせるユウラクの声。
「残念ながら僕の努力の甲斐なくして花園が朽ちてしまった罪、どう崇め奉ろうか」
「貴様がせっせとまた赤い薔薇を摘んでくれればいいのだ。手始めに目の前の処女から」
「そうですね。そうしましょう」
ユウラクはサチコの方を振り向いた。
「すみません。佐藤さん。死んでください」
サチコが言葉を紡ぐ暇もなくユウラクはサチコの腹に手を突っ込み、赤い薔薇を掴み出した。
赤い薔薇の鮮血が世界を赤く染めている。サチコは突然の死の誘いに唖然とする。
しかし美しい。美しすぎる。サチコは瞼に涙をためながら意識を失う。
「なんだ、なんなのだ。この量は。どういうことだ」
林檎はサチコの腹から絶え間なく誕生する赤い薔薇を信じられない気持ちで見つめていた。
「じいさん、赤い薔薇が必要だっていうから」
「もう十分だ。十分に美しい」
「まだ足りないよ」
「なんと」
「美しくなるにはまだ足りない」
ユウラクはサチコを抱き抱えて背中を優しく抱いた。
「じいさん。あなたのおままごとごっこはもうおしまいだ。僕が永遠となる。あなたの想い人、並びに親友の妻であり僕の母であった彼女と僕は一つになるのさ」
「貴様、なんて親不孝なことを」
「ざけるな。貴様の夢はもうおしまいなんだよ。赤い薔薇が器を全て満たし、もう何もいらないただの赤として僕は永遠と彼女と踊り続ける」
「貴様、許さん」
林檎はユウラクへ向かおうとするがサチコの腹から飛び出る赤い薔薇に押しつぶされて姿を消した。
「お母さん。もう少しだよ。もう少しで僕がそこに行く。寂しかっただろう。辛かっただろう。もう大丈夫。僕がすぐそこに行く。だからね。もう少しの辛抱なの」
「その必要はないわ」
ユウラクの頭に拳銃が突きつけられている。
「なんで、貴様が」
「私を甘く見た罰よ」
清水先生は悠然とユウラクに拳銃を突きつけている。
「貴様、銃弾が私を撃ちぬけるとお思いで」
「可能よ。こいつは私の命を賭けた銃弾が籠っている。たった三発。一発は」
拳銃は放たれた。ユウラクは頭から血を吐き無様に前に倒れこんだ。サチコはユウラクに押し潰されてお腹から出る赤い薔薇ごと天へと登っていく。
「待ってね佐藤さん。もう少しだから」
「待ってください」
清水先生が二つ目の銃弾を込めたとき、林檎が足を引きずりながら姿を現した。
空間全てが赤い薔薇に染まりつつある。赤い薔薇の雨が地に降り積もる。
「私はこの場所が好きなのだ。この場所は私の大切な友人が愛を誓ったその純潔を永遠とした場所なのだ。
世界にはこのような場所は必ず必要なのだ。ここがあることによって保たれる命もあるのだ。だから撃たないでくれ」
「そうね。その通り。
だからといって私の姉を奪っていい道理などなかったわ。
林檎さん」
清水先生は躊躇なく二発目を放つ。林檎は背中からたおれる。
清水先生は三発目を装填する。
一息はく。
そして三発目を空に向かって放った。
秘密の花園は即座に全てが破壊された。
その日赤い薔薇が空からたくさん降ってくる模様は全国ニュースに報道された。子供たちは赤い薔薇を掴みとりバラ合戦を繰り広げた。恋人たちは赤い薔薇を優しく握り合った。母親は赤い薔薇を飾り、父親は赤い薔薇を母親にプレゼントした。祖父母が自宅から目に映る赤い薔薇を見つめて優しく微笑んでいた。
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