第2話 目覚めたヒーロー

 足を引きずりながら彼は外を目指していた。奴等の蛮行は、学校内から出れば終わる。何故なら、奴等がそう約束したから。

 始まりは15分も前のこと。駒田こまだはいつも通り授業が終わった後で小坂達に呼び出された。


「駒田、昨日のあいつ、あのヒーロー気取り野郎の名前は何て言うんだ? どのクラスの生徒で、どの部活に所属してる?」


 小坂こざかが一言、一音言葉を浴びせる度に震える身体を抑え付けながら、駒田は声を絞り出す。


「そ、それを聞いて、どうするつもりなの?」


「はあ?」


 質問に質問で返すな、と言わんばかりに威圧的な言葉を上げる小坂。しかしそれでも駒田はやはり震える身体を抑えながら小坂を睨む。


「はあ、お前あいつに何か吹き込まれたのか?」


 大きくため息を吐きながらどんどん不機嫌になっていく小坂の後ろで、風見たちは青ざめた表情で駒田を睨む。頼むから小坂を不機嫌にさせないでくれ、と言わんばかりに。


「あいつを捻り潰す。徹底的に、もう二度と他人を助けようなんて思えない程に」


 自分の真後ろを飛び回るドローンを指差した小坂の不機嫌そうな顔が一転、口が裂けるのではないかと思われるほどに口の端が伸びて吊り上がる。

 それを一瞬笑顔だと認識出来なかった駒田は、それが笑顔だと理解した瞬間に悟る。

 小坂に結城弘人ゆうき ひろとの情報を与えてはダメだ、もう一度彼と小坂が会う時、きっと彼は死んでしまう、と。


「ぼ、僕も知らないよ、だって……」


 面識無いし、そう言いかけている最中に駒田の腹に蹴りが飛ぶ。駒田は視界が真っ白になり、立つことすら出来ずその場にうずくまる。


「お前あいつのこと結城って呼んでたろ? 面識はあるか、それかあいつがよっぽどの有名人でも無いと知ってるはずがねえ、どちらにせよ俺の欲しい情報をお前は持ってる、だろ?」


 口裂け女を思わせる笑みを顔に浮かべたまま、小坂は喋り続ける。


「まあお前のそういう強情な所が気に入ってるから俺はお前を選んだんだ。お前が喋らないことはわかってる」


 小坂の口が更に横に伸びたように駒田は空目した。こいつは今から、何かヤバいことをする気だと思ったその心がそう見せたのだろう。


「だから、お前を餌にあいつを釣り出そうと思うんだわ」


 ルールは簡単、そんなよく聞くフレーズからルール説明が始まる。駒田が小坂たち6人から校外へ逃げ出すことが出来れば駒田の勝ちとして駒田を見逃す、その前に結城弘人が来れば駒田の負け、駒田は人質として捕まえる。

 とことん自分に不利なルールを設定され、辟易する駒田。しかし、彼には否定も抵抗も許されなかった。

 気付けば駒田は走り出していた。自分を少しでも助けようとしてくれた弘人には迷惑をかけるわけにはいかない、そう決意して走り出した。



 配信の内容の異様さに慄きながら、弘人は「結城ぃ、どこだぁ、早くこいつを助けに来いよぉ!」と叫ぶ小坂の声を聞いた。奴は自分を誘き出す気だ、そして今その為に奴は駒田を追い立てている。そう確信して弘人は走り出す。

 自分が昨日助けられなかった駒田を今度こそ助ける、一度駒田を助けようとしておきながらそれを放棄して状況を悪化させたのは自分だと、そう責任を感じながら弘人は小坂の配信を手がかりに駒田を探す。


「おい、弘人、何がどうなってるんだよ!? 何で小坂がお前を探してんだ!?」


 後ろから屋久が混乱した様子で追いかける。それを気にして一瞬立ち止まり、しかしまた闇雲に走り出そうとする弘人の肩を掴み制止する。


「止まれ猪野郎! 良いか、これは罠だ。何があったのかは知らないが小坂は強い、今の配信でももう既に500は票が集まってんだ。お前が小坂に勝てるわけないだろ!」


 ヒーローにとっては票こそが力、100票ですら普通の人間には太刀打ち出来ない程の身体能力を得るというのが通説で、500ともなると猛獣ですら片手で殺せる程と噂されている。

 そんな相手に勝てる道理は無い。しかし、弘人は勝てると思っていなくても行かなくてはならないと思った。


「それでも、俺は行かなきゃいけない! 勝てなくても良い、俺が駒田の代わりになれば良い、屋久やく、俺がやられてる間になんとか駒田を逃がしてくれ」


 ヒーローとしての配信で一般人を追い立てた、それはヒーローといえど法に則って裁かれるべき行いだ。判例も当然ある。なら弘人は今駒田の代わりに一般人として小坂にやられることで小坂を刑務所送りにする。弘人の命が保証されない代わりに、それで駒田は助かる。その考え自体は屋久に伝える気は無いが、屋久は察した。

 狂ってると言えるほどの自己犠牲の精神が彼を突き動かしているのは明白だった。


「だからそれをやめろって言ってるんだろ」


 だからこそ、屋久は今弘人を止めるしかなかった。取り返しがつかなくなる前に、彼を救う術を考えるために。


「俺が、策を考えてやる。だから少しだけ冷静に、落ち着いていけ。なるべく時間を稼げ」


 冷静さを欠いたこの親友を止めるには、自分が頭を使うしかないと、屋久は経験で理解していた。



 手下の配置を考えて上手く駒田を誘導する、校内全てを廻れば配信を見ていなくても必ず結城あいつは俺の前に立つだろう、そう思っていたのに、拍子抜けだなと小坂は溜息を吐く。

 もうそろそろ校内を全て廻り終わる頃だろうとぼーっとしながら考える。

――――期待外れだったか?

 そんな考えが心の奥底から浮かび始めたのを感じて、小坂は自分の胃がむかむかするのを拳で叩き抑える。逆流しかけた胃液を唾液で押し戻し、駒田に向き直る。

 そんなことをもう三度は繰り返しただろうかとうんざりし始めた頃に、小坂の手下の一人が急いだ様子で走ってくる。


「小坂、ちょっと中庭の方見てみろよ!」


 その様子を見てようやく小坂の顔に口の端を引き裂いたような笑顔が戻る。


「やっと来たか……何か準備でもしてたのかねえ」


 駒田を追いかけ始めてから実に30分、駒田の動きにも疲れが見え始め、最初は策を練って抵抗してきた駒田もただ逃げるだけになり始めていた。

 今まで何度も経験したようなそのパターンには小坂はもううんざりだった。だから、その一報を聞いて途端に心がざわつき、身体中に血液が流れ込んでうなりを上げるのを感じた。

 そのまま心臓の高鳴りを胸に秘め、期待を持って中庭を見る。


「小坂、俺はお前を倒す」


 そこにはドローンを背後に飛ばした弘人が小坂を見上げて立っていた。



「俺がヒーローになる?」


 弘人が駒田を助けるための作戦として屋久が提示したのは、弘人がヒーローとなって小坂を倒すというものだった。

 実際、ヒーローに勝てるのはヒーローだけ、ヒーローに対して復讐するためにヒーローになるなんて人間もいる世の中だ。その方法は小坂を倒す手段として最も理にかなっていると言えた。しかし……


「まあ確かにその手は使えるけど、あいつは票をさっきは500持っていて、今となっては600に届こうとしてるんだぞ? ……無理じゃないか?」


 実際、ヒーローネットは賑やかだ。あらゆる国民が古くから親しんできた制度なだけに、利用者も投票を行う人数も国民の7割程と言われている。

 だが、それと同時に配信を行うヒーローも山ほどいる。だから数多くある配信の中で話題性も無く埋もれてしまえば投票数ゼロなんてことも当たり前にある。

 そんな中で突如配信を始めたごく普通の男子高校生が600もの投票数を獲得するなんて、それこそ不可能だ。


「だから、これを利用する」


 屋久はとんとん、と今手にしている端末を覗き込む。そこに写っているのは先ほどからずっと変わらない、小坂の例の配信画面だ。


「あいつは今学校中を配信しながら走り回ってる。つまり今この高校ではあいつはかなり話題の人物になっているはずだ」


 ふと、二人は時計を見る。今は放課後、藤見の授業はその日最後の授業で藤見の授業が終わってからは実際はそこまで時間は経っていない。まだ部活動の準備などで校舎に残っていた人物は多かったはずだ。

 だから今、小坂が校舎を走り回っている姿を見かけた人物は多いはずだ。そしてそれを見たのなら、同時にその異様な様子に寒気を覚えた人もいるはず。


「なるほど、つまり今校舎内にいる人間に屋久が喧伝して、そこで票を得ると……けど」


 屋久が頷く。弘人の高校に在籍している人数はおよそ600人、多くもないが少なくもない。今この状況でそこから配信を見てくれると考えられる人数は多く見積もっても半分程度。その全てから票が得られたとしても小坂に勝つには足りない。


「確かに正直な話300対600なんて数字上では無理な話だと思う……けど、それだけの差を覆す方法だって無いわけじゃない」


 弘人が眉をしかめる。確かに世間的には3桁以下の票数のヒーローの戦いは票数の差の戦力差に対する影響が少ないとは聞く。しかし、それ以上に純粋な身体能力での勝負が物申すのだ。


「俺、喧嘩は苦手なんだけど」


 弘人は産まれてこの方誰かと喧嘩で戦って圧勝した覚えはない。どこでも辛勝する程度にとどまっている。決して喧嘩のセンスや喧嘩に適した身体能力があるわけではない。


「別に勝てなくても良い、俺はただお前が死ぬリスクを減らしたいだけ、時間が長引けば通報があって介入が入るはず……本来ヒーロー同士の決闘はご法度だからな」


 そもそも弘人は死を覚悟して駒田を救うつもりだったのだから、生存確率が上がるのは望ましいことだった。


「……わかった、そこはお前に任せる。なるべく多くの人に俺の動画の視聴者になってもらえるように頑張ってくれ、俺は俺でなんとかする」


 屋久は頷き、走り出す。弘人はドローンを起動し、配信のタイトルを「打倒小坂」に変更して配信を始める。まだ視聴者は0。これがどこまで増えて、どれだけの票を得られるかは屋久次第。不安を感じながらも、どこかワクワクしているのを自分の胸の高鳴りから感じながら、弘人はゆっくりと歩き出す。

 時間制限は小坂が学校中を巡り終えるまで、そこまで来たら弘人は絶対に駒田を助けに行かなければならない。今すぐにでも走り出していきたいのをこらえながら、弘人はただじっと自分の携帯端末の画面を眺めていた。



 中庭から声が聞こえた。


「小坂、こっちだ!」


 それは駒田にとってあまり聞きなれていない声だったが、忘れようと思っても忘れられない声だった。結城弘人、彼はまたも彼を助けるために自分の身を犠牲にしようとしているのだと、そう悟った。


「結城君……」


 ダメだ、そう言おうにも疲労からか上手く声が出せず、駒田は苦悶する。どうして自分はこんなに弱いのか結局彼に迷惑をかけるしかないのか、そう思い膝から崩れ落ちる。小坂の不気味な笑顔を見ることですら恐ろしく、小坂の方へ向くことが出来なかった。

 自分が身を呈して小坂を止めればまだ最悪の結果にはならない、自分を嫌いにならずに済む、そう分かっているのに、身体は恐怖と疲れで動いてはくれなかった。

 小坂の歩く音がゆっくりと廊下に響き渡る。少しずつ自分に近づいていることがわかり、駒田の身体は更に恐怖で縮こまる。


「おい、駒田。お前の役割はもう終わりだ」


 小坂が駒田の頭を右手でむんずと掴み、耳元で囁く。その声は頑張って抑揚を消そうとしたせいか、それとも武者震いのせいか、震えていた。いつも退屈そうにいじめを行っているこの男がそれほど嬉しそうにしているのを、駒田は初めて見た。その様子から一瞬助かったと思ってしまった。

 だが、小坂は機嫌が良い時ほど、興奮していればいるほど残虐になる男だった。そのまま駒田を片手で持ち上げ、窓ガラスに向かってその身体を投げつける。薄いガラス板の割れる音とともに、肉と服の裂ける音が駒田の頭蓋にこだまする。

 何が起こったのかわからないまま、駒田はその身体が宙に投げ出されていることに気が付く。先ほどまで駒田達がいたのは三階。だから彼は今三階から落ちている状態に他ならなかった。

 小坂の笑い声と駒田の叫び声、そして弘人の慟哭が中庭に響き渡る。こうなったのはきっと、全部自分が弱いせいだ。そう嘆きながら、駒田は大怪我、最悪の場合は死を覚悟し目を閉じる。


「駒田、無事か?」


 そう弘人の声がすぐそばから耳に聞こえてきたのは、夢かと思い、駒田は目を開く。辺りを見回すと、すぐ目の前の窓枠の向こうで小坂が目を見開きその声の主を見つめていた。

 そう、駒田が落とされた場所は三階のはず。だからこんなにすぐに、中庭から小坂を見上げていた弘人が駆けつけられるはずがないのだ。だが、弘人はその右手でしっかりと窓枠を掴みながら、左腕で駒田の脇を挟み込むように持ち上げていた。


「え、嘘でしょ……どういう」


 言い切る前に弘人は駒田を校舎内に投げ込む。そしてその動作のついでのように左腕で小坂の首を掴み、中庭に向かって引きずり出すように放り投げる。

 小坂はそのまま地面に軽々と着地する。その顔は、やはり裂けるような笑顔に満たされていた。


「おい、お前も”ヒーロー”になったんだな」


「お前がヒーローを名乗るんじゃねえこの外道」


 嬉しそうに弘人に声をかける小坂に対して、憤りを隠さない弘人。弘人はヒーローという存在自体に今はそこまで拘りを持ってはいないが、それでも小坂の行動は許容範囲外だった。


「お前もわかってんだろ? ヒーローに大事なのはヒーローらしさじゃねえっての」


 弘人の発言を小馬鹿にするように笑う小坂に、弘人もまた笑う。


「ああ、そうだな。けど、視聴者もそう思うかどうかはまた話が別だよな」


 ヒーローに力を与えているのは視聴者とその投票。だから視聴者の意向に合うかどうかがヒーローの強さに直結してしまう。だからまず弘人は小坂ではなく視聴者に揺さぶりをかける。


「俺のところの視聴者がそんな温い”ヒーローごっこ”に賛同するとでも? 俺たちが求めるのはもっと残酷な暴力だ」


 実際そうなんだろう、と弘人も顔に出すことなく肯定する。小坂の視聴者はそんなに簡単に減りはしない、彼のように犯罪すれすれの活動をしたり、犯罪者を一方的に叩きのめすなど残酷さを売りにしているヒーローの数は圧倒的に少ないからだ。


「ふーん、じゃあ昨日俺を叩きのめした方が良かったんじゃないか?」


 一日経てば誰だってある程度の対策は立てられる。弘人のように冷静に考えを巡らせるタイプならなおのことだった。なのに何故その日のうちに小坂が手を出してこなかったのか。弘人はその違和感に気が付いていた。


「お前、昨日はドローンを持ってきてなかったんだろ」


 ニヤリ、と挑発的な笑みを浮かべながら弘人は窓枠から手を放す。今の弘人の配信で手に入れている票は100。ギリギリヒーローとしての体面を保っている程度で、三階からの飛び降りともなれば流石にダメージがある。弘人は歯を食いしばりそれを表に出さないように必死に話を続ける。


「俺が思うに、普段のいじめはお前の配信の”売り”とは少し違うんじゃないか?」


 小坂の眉がピクリと動く。その隙を見逃さず、小坂が発現する前に弘人は畳みかける。


「お前の配信履歴、さっき見たよ。どれもこれも、イメージ的には弱い者いじめとは程遠かったよな」


 とあるヒーローとの一騎打ちや、痴漢した男を一方的に打ちのめしたり、汚職政治家と言われている男を脅したり、とにかくその内容は社会的弱者に対して暴力を振るう内容ではなかった。不良は不良なりにその辺りに関しては思うところがあるんだろうか、そう思いながら見ていたが、今回だけはとにかく異質だった。


「だからさ、お前が駒田をいじめる配信、よく思ってない奴も結構いたんじゃないか?」

 

「あの鬼ごっこ配信、随分と楽しそうに駒田をいたぶってたじゃねえか、お前らしくないよな?」


 疑問を示すと同時に彼の視聴者を奪えれば、そんな目論見での発言はしっかりとドローンの向こうの視聴者に届いたようだった。一瞬だけ小坂の身体がバランスを崩す。弘人が携帯端末で小坂の配信を見ると、画面の下に「結城弘人目の前の男をぶっ倒す」というボタンがある。選択肢は提示せず、ただ賛同だけを募っているようだ。そしてその投票数は今500に落ちている。弘人の票数に比べれば圧倒的に少ないが、しっかりと数は落とせていた。


「おめえに何がわかるんだ、なんて陳腐な言葉を言うつもりはねえがよ。おめえと俺じゃ性格が全然違うからよ、分かり合おうとするだけで無意味じゃねーか?」


 やはり小坂の余裕そうな表情は崩れない。それどころか笑みが深まっているように感じ弘人は背筋にゾクリと何かが走るのを感じた。このまま戦えばもしかしたら自分は死ぬかもしれない、と。


「わからないけどさ、お前が嬉しそうな理由がわからないから気になるんだよな。俺みたいなの、お前嫌いだろ?」


 弘人はなんとか話を引き延ばして自分の配信の視聴者が増えるのを待つ。戦う前に差は少しだけでも減らしておきたかった。


「ああ、お前みたいなのは俺は大嫌いだ。だから嬉しいんだよ」


「は?」


 訳が分からない、という顔をする弘人に小坂は一瞬で距離を詰める。手にはいつの間にかナイフが握られていた。小坂の手元から一瞬も目を逸らさなかったはずなのにそれを見逃した弘人は、仰天しながら後ろに下がる。ナイフは空を切るかのように見せかけ、後ろに下がった弘人めがけて投擲され回転しながら飛んでくる。

 弘人はそれをギリギリで避け、転がりながら小坂と距離を取る。


「お前みたいに俺に本気で勝てると思って立ち向かってきてくれる奴、お前みたいなのしかいないからさ、貴重なんだぜ?」


 嬉しそうに小坂が呟く。ここで弘人は理解する、小坂はただ戦いたいだけだということに。本来ヒーロー同士の戦いはご法度、明確な理由が無ければヒーローネット利用禁止ということもある。

 だから小坂は戦いに飢えていたのだ。ごく普通の不良時代からずっと付き合ってきた暴力で全てを解決するに。ヒーローに立ち向かう一般人なんてそれこそ世界中探してもほんの一握りなうえ、ヒーロー同士の戦いも滅多に起こらない、たまに相手になるのは犯罪者くらい。それもレベルの低い配信者に任せられるのは大した装備も持たない一般人が殆ど。

 小坂は飽き飽きしていた。早く配信で票を稼いで暴れようにも自分のスタイルは少数派、固定ファンを得るのは容易でもより多くのライトユーザーを捕まえるには、彼の配信はニッチだった。


「だからよ、もう少しだけ俺のことを楽しませてくれよな」


 静かに小坂が吠える。その両手には大きめのナイフが握られている。ナイフを取り出す瞬間を二度も見逃したことで、弘人は半ば確信めいたものを得る。

 ヒーローは票を得るごとに段階的に身体能力が向上していくが、それとは別に個人個人が生まれ持った特異な能力も少しずつ解放されていくように設定されている。本来小坂の身体能力でも難しいと思われる駒田の救出劇を弘人が軽々と行えたのは、これが理由だ。

 小坂はこの特殊能力を警戒して積極的に戦闘を継続しようとはしていない。政府による制限で投票数の差が絶対の差になるように調整されているとはいえ、3桁レベルのヒーロー同士の戦いは個人の能力による差が顕著に出る。弘人から見れば小坂の能力は物を移動させたり作ったりする能力、一方弘人の能力は小坂から見れば瞬間移動やスピードアップ、あるいは身体能力の強化などだ。武器の代わりになる物が近くに大量にある以上戦いとしては少しの油断で小坂の方が不利になりかねない。

 そして同時に双方自分の能力がそこまで自由の利かないものだということも理解している。実際は小坂はただ単に単純な構造の小さな得物を制限無しで一瞬で作れるというものであり、そして弘人の能力はというものだ。ヒーローとしてこれ以上ないほど優れた能力だが、これ以上戦闘に向かない能力となると殆どが他人を補助する能力ばかり。この能力で戦うには相手よりも数倍上の票数を得ている状態が本来理想的だが、実際は小坂の方が票数は遥かに上。弘人が小坂に勝てる道理は無かった。


「お前じゃ俺には勝てないよ。わかるだろ? だってお前の能力は相手に直接ダメージを与えるものじゃないからな」


 啖呵を切り、自分の優位を装うことで小坂の攻め手を限定する、それでもなお弘人に出来ることはただ逃げ回り時間を稼ぐことだった。


「はっ、一対一の能力はそっちが上だろうがこっちは票数が上だ。勝てない道理はねえよ」


 じりじりと小坂は距離を詰める。このまま勝負を仕掛けられれば弘人の負け、そのまま弘人の票数が小坂のそれを倍以上上回れば勝ち。他のヒーローの介入があるまで弘人が粘れれば引き分け、弘人の勝ちの目はかなり薄いが今必死に頑張ってる親友を信じて耐える策を考える。

 そしてそれは、小坂にもわかっていた。だから小坂は弘人に能力を使わせてその弱点を知る手立てを考えていた。

――――そういえばこいつが能力を使ったと思われる場面は駒田を救出する瞬間だったな。

 その場面を思い返し小坂は考える。弘人は他人を救うためならある程度の制限があろうと助けられるなら助ける。そういう奴だと。そこに思い至り小坂は走り出す。駒田を襲うふりをすれば弘人は確実に能力を使うと。


「結城弘人ぉ、てめえの能力も暴いてやるよ!」


 跳躍し、窓の縁に足をかけすいすいと上に登る。その目論見に気が付いた弘人は小坂の想像通り、能力を使う。喧嘩慣れした小坂ですら見失うほどの速度で小坂の足元に飛びつき、弘人はその左足首を掴む。

 ぶおん、と重く空気が鳴ると同時に、小坂の身体が地面に叩きつけられる。


「だから言っただろ、お前じゃ俺には勝てない」


 小坂の口から血液や胃液の混じった吐息が零れる。身体を地面に思いきり打ち付けられ意識も飛びかけた状態でなお、彼は笑った。


「ああ? そんなわけねえだろ。おめえの能力はもう看破したわ」


 はったりではなく、小坂は確信した。小坂ですら反応できないレベルの身体能力の向上、スピードが上がるだけならまだ彼にとって不利だと思われた。しかし、スピードだけでなく筋力まで向上していることをその一撃で理解した小坂はその時点で自分の考えを繋げ始める。

 そこまで強力な能力なら、当然制限は大きい。小坂が攻撃を仕掛けた時に弘人がその能力を使わなかったことからもそれは簡単にわかる。そして制限があるなら、その制限を看破され不利を背負ってしまう前に地面に打ち付けられ無防備になっていた小坂を攻撃するべきだった。あれほど大きな隙を見逃す理由は、おそらくその制限が理由。


「お前の能力の制限は……おそらく他人を傷つけないように出来てる。かといって自己防衛に使うことも出来ない。そこからわかるお前の能力の制限は、他人のために能力を振るうことだけ許される……ってところか?」


 一瞬で自分の能力の弱点を看破され弘人は眼を見開く。その行為自体が肯定に繋がることに気付き目を伏せる頃には、もう遅かった。小坂が一瞬で距離を詰め、片腕を振る。弘人がそれを間一髪で避けるが、小坂はもう片方の腕で追撃をかける。弘人がどれだけ避けようと、小坂は攻撃を止めることなく弘人を追い詰める。とうとう弘人は壁際まで追い詰められる、もう逃げ場は無かった。


「もう、決着だよ。お前じゃ俺には勝てない」


 退屈そうに小坂が呟いた。



 小坂はナイフを振り下ろす瞬間、悲鳴が後ろから聞こえるのを聞いた。それを駒田の声だと認識するが、振り下ろされたナイフは止まらない。

――――こいつはしぶとそうだからな、頸動脈をサクッと切って病院送りだ。……今回は中々面白かったな。

 だが、その瞬間小坂の腕からナイフを弾き飛ばされ凄まじい勢いでその腹に蹴りが飛ぶ。チカチカと目の前に星が散り、血液の混じった胃液が口から溢れ出す。状況が把握できないまま、それが目の前にいた弘人から繰り出されたものだと察し次の一撃に対して身構える。見誤った、奴の制限はそうじゃなかったのか、このままだとやられる、まさか奴の票数が自分を上回ったのか、そんな考えが巡るまま小坂はその場で身体が回復するまで十数秒は身構えていた。


「何も……してこない?」


 小坂が辺りを見回すと、目の前に弘人はおらず、後ろから弘人の声が聞こえる。


「おい、俺はこっちだぞ」


 その声にまた身構え後ろを振り向き、その光景を目にした小坂は悟る。


「ははっ……おい、やってくれるじゃねえかてめえ、駒田ぁあ!!!!」


 青ざめた顔で弘人の横に立つ駒田、駒田は先ほどまで三階でこちらの様子を見ていたはずだ。なのにそこにいるということに、小坂の思考は一つの解答しか導き出せなかった。


な!?」


 その言葉に駒田がコクリと頷く。こちらの様子を見ていた、なら二人の会話もある程度聞こえていた、あるいは小坂のように弘人の能力を推理したのだろう、そこまでは小坂は納得できる。しかし、だからと言ってこの結果には納得がいかなかった。


「てめえ、いかれてるんじゃねえかとは思ってたがマジでいかれてやがるな!」


 怒りのままに小坂が叫ぶ。確かに、あの場で弘人を駒田が助けることが出来るとすればその方法しかない、しかし弘人の能力に対する考察は実際には確証の無い考察で、それを信じて三階から飛び降りるのはリスクが高すぎる。もしそういう能力ではなかったとすれば、駒田は下手すれば死に、弘人も駒田を守れないまま病院送りだ。


「でも、これで完全にこっちの勝ちだ、だろ?」


 駒田が震えながらニヤリと笑う。そう、この状況は小坂にとっては殆ど勝ち目の無い状況だ。小坂が弘人を攻撃する瞬間に駒田が二人の間に割って入れば弘人はその能力を発揮できる、かといって駒田を倒すことは弘人の能力がある限りかなり難しい。


「はっ、俄然、燃えてきたじゃねえか!」


 しかし小坂は構える。そんな不利な状況でも、彼は常に戦ってきた。彼にとっては、喧嘩こそが生きがいだった。


「はい、良いところですが残念ながらもう時間切れです。校内でヒーロー同士の決闘なんて度胸があるねお前達は」


 三人の死角から聞こえてきた声に三人が同時に身構える。屋久が通報してくれていることは分かっていたが、民間ヒーローの登場には早すぎる。弘人はそう思いながらその少し聞き慣れた声に耳を澄ませる。

 壁の裏から聞こえてきたその声にまさか、と思う三人、互いに状況を好転させるべく別々の考えを巡らせてはいるが、同時に「何故あいつが」という思いは共通していた。


「どうも皆さん。校長先生が呼んでるので来てくれるね?」


 そこにいたのは、弘人たちの高校きってのダメ教師、藤見良哉ふじみ りょうやだった。

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