多数決ヒーロー

松神

第1話 多数決ヒーロー

 ヒーロー、それは人のために生き人のために生きる存在。西に困っている人がいればそこに参上し颯爽と助けて名前だけ名乗り去っていく。そして東に悪党がいればそれを打ちのめし改心させる。時には殺し、時には救う。

 自分勝手だが、誰かのために存在したいと己の生きる意味を熱く語る心意気、それがヒーローの核たるものだと、結城弘人ゆうき ひろとは思っていた。かつてはそれが彼の憧れるヒーローというものだった。


「コンビニ強盗立てこもり事件だってよ、このご時世に。よくやるねぇ~」


 授業中、教室備え付けの端末を弄りながら弘人と北条屋久ほうじょう やくは食い入るようにモニターに顔を近付けながら「ヒーローネット」の真っ赤な全身タイツを思わせるコスチュームに身を包む女性、ヒーロー「メルティソルト」の配信に見入っていた。

 件のコンビニの近くには事件を一目見ようと多くの野次馬が集まっているが、彼女の周囲だけはぽっかりと人が避けるように穴が出来ていた。

 そして彼女自身はその周囲に目もくれず、外から様子を見ることの出来ないよう閉め切られたコンビニを、何かを待つように仁王立ちで凝視している。


「やっぱり良いなぁ、メルティソルト。特にこの尻のラインが。」


 ニヤニヤと鼻の下を伸ばしながら、最近ヒーロー業界でも特に勢いのある女性ヒーロー、メルティソルトの下半身を熱心に見つめる屋久に対し弘人は歯を剥き出す。


「また尻かお前は、彼女のスーツは胸の方が……というか配信に集中しろよ、週に一度あるかないかの大事件なんだぞ」


 今の時代、あらゆる事件はヒーローが解決する。その圧倒的な力でどんな大きな事件、そして些細な事件も簡単に解決してしまうのだ。コンビニ強盗という代表的な犯罪だけでなく、迷子の犬探しや近所のゴミ清掃、要人警護まで民間のヒーローにより行われているほどだ。そしてそんな時代、圧倒的な力を持つヒーローに対抗する術を持たない一般人がコンビニ強盗をする、それ自体とても珍しいことだった。

 たとえ人質がいても一般人が相手ならヒーローはそれを簡単に救い犯人だけを制圧する力を有しているからだ。


「わかってる、そろそろ始まるだろうしな。彼女の尻が見れるのは今のうちだけだからこそ今のうちに見ておくんだよ」


 そろそろ始まる。そう、今から始まるのはヒーローによる一般人の制圧ショーなどではない。もっと視聴者の心を鷲掴みにする、究極のエンターテイメントだ。と弘人は一人ニヤニヤとする。何故なら今のご時世一般人ならこんな大きな事件は絶対に起こさない、立てこもりをしている彼か彼女、あるいは彼らには何かヒーローに対抗する術があるはずだから。


「うん、許可が降りたわ。さあ皆さん、投票タイムです! 私は今からこのコンビニを裏からこっそり制圧しに行くか、それとも正面から堂々とあの犯罪者どもを潰しに行くか……勿論人質も無事に救うわ! 投票で決めてね」


 画面内の女性とは別の女性らしい高めの愛らしい合成音声がアナウンスする。と同時に画面内に選択肢が現れる。

 国民は全て、産まれた時から特別な力を持ち、その身体にナノマシンを埋め込まれて政府によって監視、制御されている。あまりにも強すぎる、かつ個体差の大きすぎる個々の力は政府にとってとても制御の難しいもので、その力を抑えながら効率的にその力を得るために政府はある制度を導入した。

 ――――多数票による能力制限の解除。それが今弘人たちの見ている公的ヒーロー活動広報機関……通称ヒーローネットの本当の趣旨だ。ヒーローとしての活動をネットで配信すると同時にそこで得られる投票結果と数を基にそのヒーローが扱える力を決定する。個々人の能力は普段の日常生活では機械と薬によって制限され、「投票を集める」という特殊な条件を満たした時のみに段階的に解除される。

 そしてその投票を行うのが、今弘人と屋久の目の前のモニターに映る投票パネルだ。これに投票するには個人のナノマシンに登録した端末が必須で、このモニターは学校の持ち物なので生徒のナノマシンは利用者としては登録されていない。


「おーい、そこ2人。この端末での投票は法律違反だから気を付けろよ~」


 弘人たちの3mほど前からスナック菓子をぼりぼりとかじりながら情報の授業を行っている不良教員、藤見良哉ふじみ りょうやの声が聞こえる。彼はその生活態度の悪さから常に寝癖を疑われるその癖っ毛を気だるげに弄り、こちらに目を向けることなく話しかけてきているようだ。これだけ態度が悪い教員である彼は、何故か弘人たちの通う高校で未だに解雇されるどころか公的に厳しい審査の必要なヒーロー活動部の顧問などに収まっているらしい、それを怪しむ生徒たちによる黒い噂は絶えない。

 そんな教員故に彼の授業はまともに行われるわけが無く、ヒーロー活動の授業と言いながら彼は生徒たちに思い思いにコンピューターを弄らせている。この注意喚起もおそらくは真面目に授業を行っていますよと周囲に見せるポーズだろうというのが伺える。そもそも、目の前のモニターに投票する機能が無いのでこんな注意は意味が無いのだがこの不良教員はそれを知ってか知らずか、心底面倒そうに二人を現実世界へ引き戻した。


「わかってますよ、というか今良いところなので黙っててください」


 ”良いところ”で茶々を入れられ不満そうに屋久が言う。本来教員に対してこんな態度を取るのは許されないが、生徒たちにとって藤見はそういった枠に当てはまる人物ではなかった。藤見は気にしないといった様子で手をひらひらと宙で動かしながら低い声で呟く。


「おっけー……お前らの感想文だけ二倍だ」


 余計なことを、とぶー垂れる屋久を小突き、弘人は視線を目の前のモニターに戻す。気付けば投票は終わっていた。え、どうなったんだ?と二人は顔を見合わせながら固唾を飲んでヒーロー、メルティソルトの動きを見つめる。

 藤見はもう既に興味を失ったのか他の生徒にちょっかいをかけに行っていた。


「投票の結果、正面から叩き潰すことになったわ。投票数は2万ちょっとね、昼なのに皆投票ありがとー♡」


 甘ったるい猫なで声を上げながら彼女はモニターに向けて投げキッスをする。これから彼女が取る行動は一歩間違えば沢山の人が死に、下手すると自分までもが死ぬものだというのに、彼女はどこか余裕そうだった。

 画面端には絶え間なくネット配信特有の視聴者からのコメントが流れている。屋久の言っていたような下品なものから、彼女を心配し、応援する声。その全ては彼女が今ヒーローとして抱えている専属投票者の声だ。

 これだけ人気のあるヒーローだとどんな相手にも勝てるんだろうな、と思いながら弘人は名残惜しそうにモニターの電源を落とす。その数秒後にその日最後の授業の終わりを意味するチャイムが鳴った。


「おい、見なくて良いのかよ」


 と屋久が彼の肩を掴む。藤見に邪魔され、親友にモニターの電源を切られ彼の不機嫌度合いは頂点に達していた。


「家帰って自分の端末で見ろよ。授業は終わっちまったしこれ以上見ようとしたらあの不良教員に更に感想文増やされるぞ」


 ふと、屋久と藤見の目が合う。藤見はにっこりと笑いながら感想文の用紙を俺たちに必要以上に持ってこようとしている最中だ。


「え、お前まさか、逃げる気か!?」


 逃がさないぞと言わんばかりに弘人の肩を両手でがっちりと掴もうとする屋久の先手を取り、その手を引き剥がして弘人はそのまま出口へと向かう。


「俺は一枚分しかしないでも許されるだろ、余計なことを言ったのはお前なんだからお前がやんなきゃダメだろ?」


 ニヤニヤと、うなだれる屋久に背を向け意気揚々と廊下に出る弘人。それを見送りながら藤見は屋久に授業開始時に配ったはずの用紙を屋久の目の前にすっと出す。

 『ヒーローネットの社会的重要性と有用性 感想用紙』まともに授業が行われなかったのにも関わらず屋久に二枚も用紙を提出させようというその様子から屋久は察する。

 ――――ああ、きっとこのダメ教師はまともに授業やってないことを俺の感想文で誤魔化せと言ってきてるんだな。

 屋久は面倒な役割を自分一人に押し付けた藤見、そして弘人の出て行った扉を恨めし気に見つめる。その目は復讐の色に満ちていたと後に彼の同級生は語った……。


 屋久には悪いことをしたが、不良教員はあの生贄だけで満足してくれるだろう。そんなことを思いながら弘人は早く例の配信の続きを見るべく帰路を急いでいた。弘人が配信やニュース、コメントを見た限りでは、強盗には特別な装備や罠は見られなかったらしい。そして隠れた罠を設置するのはコンビニ強盗立てこもり事件、しかも人質付きという性質上、不可能に近い。つまり相手はナノマシンを不正に摘出して能力の制限自体が存在しない犯罪者だろうと想像できる。今回のメルティソルトの戦いはきっと熾烈を極めることだろうとワクワクしながら小走りで下駄箱へ向かう。

 が、下駄箱ももう近いというところで廊下の角で小さな影とぶつかる。弘人の方の勢いが強かったからかその小さな影は尻もちをついて倒れてしまう。駒田至こまだ いたる、彼の同級生だが、先ほどの藤見の授業でトイレに立ってから授業が終わるまで一度も姿を見せていなかったはずだ。小柄で痩せこけている彼は身体が弱いのか学校を休みがちにしている。弘人も表面上は心配するがもういつものことだと思っている節があった。


「ああ、悪いな駒田、急いでて。身体は大丈夫か?」


 弘人が手を差し伸べると彼は質問に答えず焦った様子で弘人に何度もごめんなさいと頭を下げて謝り始めた。彼の周囲には缶の飲み物が散乱している。

「いや、無事なら良いんだよ。それじゃあ」

 弘人は駒田の落とした缶を拾いやすいようにまとめてその場を去る。彼の様子のおかしさに大きな違和感を覚えたし、パシリ、最悪の場合虐めの類だろうと大体の予想はついていたが、今の弘人の頭の中ではヒーローネットを見ることの方が優先順位が高い。

 泣きそうな顔で缶を拾い上げる駒田を見て、そのことが尾を引くように感じながらも弘人はそのまま小走りで校門を出て行った。


「流石に可哀想だったかな」


 校門を出て5分ほど歩いたあたりで弘人は冷静に思い返す。缶を持っていくのを手伝ってあげるくらいはした方が良いだろうか。しかし、缶を持ってこさせている相手によってはそれは悪手だろうか。

 足を止めてそんなことを考える。こんな時ヒーローならどうするだろう。

 今でこそ打算的なヒーローの多いヒーローネットもかつては人助けに全力を尽くす人ばかりだった。しかし弘人が生まれた頃にはそういった「お人好しヒーロー」の人気は陰りを見せていた。

 ――――彼らならきっと誰が相手だろうが関係なく駒田を助けただろうな。

 お人好しヒーローというものがどれだけ割に合わない存在か、と考えながらフンッと少し小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、弘人は来た道を戻り始める。

 まずは様子を見て、自分に出来る範囲内でのことならやってやろう、駒田を助けるために自分を犠牲にするほど俺は馬鹿じゃない、と弘人は先ほど駒田とぶつかった場所へ向かう。


 案の定と言うべきか、駒田と缶は消えていた。既に彼は缶を運び終えただろうことは目に見えていた。しかし日々の楽しみであるヒーローの配信を見逃してまで戻ってきてしまった手前弘人はそのまま手ぶらで帰るわけにはいかなかった。一旦近くの自動販売機でコーラを買いながら呟く。


「まったく、どこに行ったんだか」


 弘人には大方の予想はついていた。一階の下駄箱に近い自動販売機に行かせたということは、そこでしか買えない飲み物を買わせに行ったか、彼に嫌がらせを行う目的だろうと当たりを付ける。後者なら大抵の場合屋上にでもいるだろう。

 単純にその場から近い場所の場合もあるが、そうだとしたら探すのが面倒だし、助ける必要も無さそうだからという理由で弘人は帰るつもりだった。そんな考えで弘人が屋上へ向かうと、案の定屋上手前の階段を上る最中で下品な笑い声が聞こえる。


「おい駒田ぁ、あれだけ落とすなって言ったのにやっぱ落としたんだなてめえ」


 駒田の持っていた飲み物には炭酸飲料も入っていた。それを落としたことに文句を付けているのだろう。

 ――――落とすと思っていたから行かせたんだろうに……まあ落としたのは俺のせいだけど。

 溜息を吐きながら弘人は肩を竦めた。わざわざ校内の生徒が一斉に動き出すタイミングで、しかも10以上はある飲み物を買いに行かせた時点で、わざとだということは明白だった。弘人がぶつかったのが階段でなかったのは運が良かったとしか言いようがない。下手すると大事故もあり得たのだ。

 不良たちの明確な悪意に少し腹を立てながら、手に持った飲み物を掲げながら屋上へ入っていく。


「おーい駒田ぁ、お前これも落としたぞ」


 そう駒田に呼びかけながらさりげなく屋上へ入る。不良の人数は男4人と女2人、見るからにありきたりな構成だった。よく見ると弘人の知ってる顔が二人ほど、それは一番後ろで偉そうに構えているリーダー格のように見える少年小坂信也こざか しんや、そして弘人から見て一番手前にいる下っ端らしい少年風見亮かざみ りょう、二人とも弘人の同級生だが授業には最低限しか出席しておらず、藤見の授業に至っては一度も出席していない生徒だ。

 しかし彼らは許されている。それは彼らがヒーローだからだ。ヒーローと言っても多少の知名度が無ければ力は無いに等しい。

 しかし彼らは犯罪者を一方的に叩きのめすなどの過激な配信を繰り返して再生数を稼ぎ、多くの不良から支持を受ける、いわば「不良ヒーロー」だ。しかも、それなりの知名度がある。

 そんな彼らに逆らえる人間は、ヒーロー活動部の活動がそれほど盛んではない弘人の高校には誰もいなかった。


「あ、結城……君」


 か細い声でその声に応える駒田を見て、少し後悔を覚えながら弘人はその光景に驚いた様子を見せる。その状況は明らかに気弱な少年を取り囲むいじめっこの絵面だからだ。小坂たちにしろ流石にこの状況は他の生徒や教師に見られるとまずい状況だという自覚はあるはずだ。弘人はそう考えわざとらしく驚いた表情を見せた。


「あ……あと、お前最後の授業さぼってただろ、先生が呼んでたぞ。か、感想文二倍だってさ、お前も大変だな、ははは」


 そう、若干ひきつった笑いをしながら弘人は語り掛ける。余裕そうな表情を一瞬でも見せたらこの不良たちはきっと自分にも目をつけるぞ、という恐怖心を胸に更に笑いを引きつらせ緊張した表情を作る。

 一方駒田は嬉しそうな表情を隠せていなかった。今すぐにでもこの場から飛び出したい、そんな考えを外から容易に読み取れる表情だった。


「じゃ、じゃあな」


 そして駒田に対する助け船だけをして、缶を地面に置き後ずさるように立ち去ろうとする。


「待て」


 しかし小坂は弘人の置いた缶に触れると、目ざとく違和感を見つけ出したようだった。


「この缶は、俺が買ってこさせたものじゃねえ……冷たいからな」


 小坂はそう言いながら弘人の手に缶を戻そうと近付く。確かに、と弘人は思い返す。駒田は両腕で缶を抱えていた。三階建ての建物の屋上まで行くとなれば、どの缶も温くなっておかしいことはない。


「まあ、今回はお前のその心意気に免じて駒田を連れてくのを許可してやるよ」


 小坂は弘人の手に缶を戻しながら、その耳元で囁く。


「次やったら今度からお前が標的になるぞ」


 不良の癖に無駄に賢い、そう評価せざるを得ないまま、弘人は引き下がる。その後ろをよろよろと追いかけるように駒田もその場を後にする。


「なあ、帰らせて良かったのか?」


 風見がツンツンと尖らせた髪が風で靡かないように手でガードをしながら小坂に話しかける。


「ああ、飲み物はちゃんと買ってきたしな。それに面白いもんも見れた」


 珍しく機嫌が良いな、と風見が嬉しそうに呟くのを聞いて小坂の眉がピクリと動く。


「ああ、そう見えたか?」


 振り向いてニヤリと顔に薄ら笑いを浮かべる小坂に、不良達はたじろぐ。彼がそうやって笑う時は、決まって少し遊び過ぎるきらいがあることを、彼らは経験として理解していた。


 見通しが甘かったことを反省し屈辱感を噛みしめながら、弘人は保健室で駒田の手当てをしていた。彼の身体に付けられた傷のうち、どれが缶を落とした罰と称して付けられたものか分からないほど大量の生傷の痛々しさに、弘人は顔を歪める。


「ごめんな、助けられなくて。俺じゃあいつらには勝てないから」


「そ、そんなことないよ! かっこよかったよ弘人くん、ヒーローみたいだったよ!」


 心底悔しそうに呟く弘人に駒田は首をぶんぶんと振りながら興奮気味に話す。ヒーローみたいだ、と言われて弘人はビクリとする。

 そんなにかっこいいわけ無い。結局自分は何も出来なかった、力も知恵も無いヒーローなんてお笑いものだ、と。


「でも、俺はもう駒田に助け舟は出せないと思う。俺だって自分の身は可愛いしさ……」


 情けない気持ちでいっぱいになりながら申し訳ないと謝る弘人に、しかし駒田は落胆も怒ることもしなかった。


「わかってる、しょうがないよ。それが当たり前だもん……一回助けてくれただけでも嬉しかったよ。凄い勇気だと思う、だから、その、勇気を貰ったというか……」


 弘人は目を丸くして駒田の顔を見つめる。こんなに話せる奴が、こんなに冷静で強い奴が何故あんな奴らにいじめられたまま黙っているのか、弘人には納得出来なかった。


 「ごめん」


 そうもう一度小さく呟き、弘人は逃げるように保健室から出て行った。


 それから彼はずっと当初の予定通り家でヒーローネットを見ていたが、お気に入りのヒーローの配信を見ても弘人の瞼の裏から駒田の今にも泣きそうな表情は剥がれず、集中できないまま惰性で時間の感覚を忘れただただ画面を眺めるだけだった。


――――君はヒーローになるんだ、君の能力はそのためにあるんだよ、良いね。


 何かの声が聞こえた気がして、弘人は驚いたように飛び起きる。既に8時を過ぎようとしている時計の針と、日が照っている外の様子、そして目の前のモニターに映し出されるヒーローたちの活躍を見て、自分が駒田と不良たちのことを気にするあまりまともに寝ることが出来なかったのだとわかると不快そうにあくびをする。


「今のはどこの誰の台詞だっけ」


 寝ぼけ眼を擦りながら、興味なさげに曖昧な夢の記憶を思い出そうとする。もやもやとした頭をすっきりさせるべく顔を洗いに行くと、弘人の母、由紀子ゆきこが朝食の準備を終えて仕事に行こうとしているところだった。


「あら弘人、珍しいわねこんなに遅く」


 実際、8時は高校には間に合うか間に合わないかのギリギリで、弘人としてはかなり遅い方だった。


「ああ、昨日ちょっとヒーローネットで面白い配信があって……」


 誤魔化すようにそう答えながら弘人はやってしまった、という顔をする。由紀子の前では、弘人はいつもヒーローの話題を口にしないようにしていた。ヒーローという職業は危険で実も少ない仕事、いつも弘人は母にそう言われて育ってきた。

 弘人はそうとも限らないと思っていたし、由紀子も本当はそう思っていると知っている。しかし、弘人の父がヒーローの仕事の最中に死んだことを知っているから弘人は決してそのことを口に出そうとはしなかった。


「ふーん、そう」


 そう呟くように言うと、由紀子は逃げるように荷物をまとめて出て行ってしまった。弘人はバツが悪そうに頭を掻きながらまだ温かい朝食に手を付ける。


「大丈夫、俺は危ないことはしないよ」


 誰に向けてでもなく、言葉を投げる。誰もその言葉を拾ってくれないことに、若干の安堵の表情を見せながら。

 危ないことをして親に心配をかけたくない。それは本心だったが、それと同時にそれを情けないと恥じている自分がいることに弘人は困惑していた。


 体育館にいくつもの撮影用ドローンが飛び交う。AIで自動的に操作されるそれは各生徒の後ろを飛び回りながら移動するが、決してドローン同士でぶつかることはないようだ。

 一昔前のヒーローは治安維持のための存在として存在していたが、現在のヒーローの仕事は多種多様で、あらゆる仕事をヒーローが取り仕切っている。そしてその多様性から政府はヒーローの育成に力を入れている。

 今やどこの高校でもヒーローの育成は義務だ。

 そして、今弘人たちの周りを飛んでいるドローンはヒーローネットを配信するための専用機材だった。弘人たちの通う高校はヒーロー育成の一環で授業時に生徒一人一人にこのドローンを配布している。しかし、特に力を入れているというわけではなく、世間ではこれくらいが一般的だ。


「この授業ももう三回目なので、既に説明した部分は省くが、このドローンは現場のヒーローの邪魔をしないように遠すぎず近すぎない位置で常にヒーローの監視を続けてくれるんだ」


 その場でゆっくりと回転しながらドローンをじっくり見せるようにして藤見が生徒に語り掛ける。一クラス分のドローンを飛ばすスペースの確保のために用いている体育館では、いつもの藤見の小さな声では足りないらしく、珍しく大きな声で話す藤見の様子は生徒たちにとって新鮮なようだ。生徒たちも同様に珍しく藤見の話をしっかりと聞いていた。


「そして今も自動的にヒーローネットに配信を届けてくれている。俺の場合はタイトルは普通にヒーロー活動の授業、だな。因みにドローンには指向性のマイクもついてるから少し遠くてもヒーローの声をばっちり拾うぞ」


 そう言って、藤見は小さな声で「ドローン停止」と呟く。その音声を拾ったドローンはゆっくりと高度を下げて藤見の足元に止まった。


「こんな風にな。ドローンの停止と起動は登録された人間の声だけで出来る。もしヒーローとして活動するならしっかり覚えとけよ」


 そう言いながら、藤見はいつもの調子でだらけ始める。これはこの授業では恒例の「後は自由にやれ」という合図だった。


「あの、先生」


 ここで生徒のうちの一人が声を上げる。聞き覚えのあるか細い声に弘人が若干驚いた表情でそちらを見る。駒田だった。そちらにクラス全員が視線を向けると駒田は途端に縮こまり、声は少しずつ尻すぼみになっていく。


「何だ、トイレか?」


 いつもより少し優し気なトーンで藤見が呟く。一見良い教師に見えるが、彼はただ効率的に話を進めたいから彼を委縮させないようにしているだけだと、このクラスの全員が知っていた。


「い、いえ、あの……」


 そんな藤見の努力も虚しく駒田はやはりもじもじとしている。その視線は自分の腕にはめられた端末とドローンを行ったり来たりしていた。その状態が暫く続くと見たのか藤見はすぐにめんどくさそうに宙を眺めはじめる。

 クラスの全員がそうし始める直前になって、駒田が意を決したように声を上げた。


「ひ、ヒーローになるにはどうしたら良いでしょうか!」


 駒田の意外な質問にクラスがどよめく。駒田の口からそんな言葉が飛び出すとは誰も予想していなかった。彼はその見た目から争いを好まない小動物のような存在だと認識されていたからだ。


「ヒーローネットに動画を投稿して票を集める」


 しかし、駒田の努力も虚しく、藤見の冷たい対応によって一蹴される。藤見はもう既に授業内で”その方法”を示している、だからこそ、それ以上のことを聞くのは無駄だと言いたげだ。


「そ、そうですよね、ははは、何言ってるんでしょうね僕は、あははは」


 駒田が愛想笑いを始める。その様子を見兼ねたのか、もしくは昨日助けられなかったことの負い目からか、弘人が口を開く。


「そんな答え方無いでしょう先生。駒田は本気で悩んでて……」


「だからなんだ、本気でヒーローになりたいなら今この場で配信しろ。力が欲しいんならつべこべ言わずやれることをやれって言ってるんだよ俺は」


 やはり藤見によって一蹴される。しかしそのことに弘人は悔しさより先に違和感の方に目が向いた。

 ――――力が欲しいだって?

 普通に考えれば、駒田の質問はヒーローに憧れる子供の質問そのものだ。決してそこに力が欲しいといった目的意識は感じられない。

 だが、この教師は言い切った。「力が欲しいのなら」と。

 駒田は不良たちによって虐められている。その不良たちの虐めから脱却する手段として手っ取り早いのは当然ヒーローネットで票数を獲得して力を得ることだ。

 だが、それに他人が思い至るのは駒田が虐められていると確信する以外に無いと弘人は思った。

 だから弘人は許せなかった。教師がいじめを容認していること、そして自分がそのことに憤りを感じていること。それなのに昨日駒田の様子を見て彼を救おうとしなかった自分のことが。


「先生、あんた……」


 顔に憤りを乗せて、藤見に対して握りこぶしを作りながら一歩踏み出す弘人を、屋久と駒田が止める。


「やめろよ、お前が熱くなることじゃないし、駒田は今の答えで納得してる……だろ?」


 屋久は駒田に同意を求めながら、弘人の肩に手を置く。


「う、うん。そうだよ。僕は大丈夫だから落ち着いて結城くん」


 駒田が震えながらそう言うのを見て、弘人は更に憤りを強める。彼は本当は強い、あれだけ酷い虐めを受けてなお、逃げるよりも戦うことを選択しようとしてる。

 そんな彼の選択を小馬鹿にしているような、そんな態度を見せる藤見が弘人には許せなかった。

 その様子を見て屋久は弘人を抑えようと更に強く肩を掴む。


「どうした、お前らしくないぞ、そんなに取り乱して。少し冷静になれよ」


 今の弘人は冷静とは程遠かった。昨日駒田と話してから、弘人は自分の中で何かが熱く自分の胸を焦がそうとしている、そんな感覚にずっと襲われていた。

 それが何か弘人にはわからない。それが弘人には怖かった。


「冷静、冷静だよ俺は。だけどあいつは駒田のことを……」


 屋久は諭されてもなお抵抗するその様子を見かねたのか弘人の鼻に拳を打ち付ける。


「んが! んなっ、てめえ、何すんだ!」


 一切警戒をしておらず鼻にモロに裏拳をもらった弘人は鼻を抑え、涙でボヤけた視界で屋久を探す。


「先生、結城君が鼻血を出したので保健室に連れて行っても良いですか?」


 屋久は藤見にそう言い、そして藤見の返事を聞くことのないまま弘人を引きずるようにして体育館から出て行った。


 暫くして気持ちが落ち着いたのか、弘人は保健室でぼーっと惚けた様子でベッドの上に座っていた。


「なあ、藤見と何かあったのか? それとも駒田と?」


 駒田、という言葉にピクリと反応した弘人の様子を見て、屋久はそっちか、と呟く。


「正義感の強いお前のことだ、どうせ駒田が困ってる場面でも見て怒ってるんだろ」


 弘人は驚く、言い当てられたことに対してではなく、親友からの自分に対する評価に。


「正義感が強い?」


 きょとんとした弘人の様子を見て屋久は笑った。自覚が無かったのか、と。

 弘人の自身に対する評価は普通、だった。誰かのために何かしようと思うことは勿論あるが、だからと言ってそのために時間をかけたりそれで損をしても構わないとは決して思っていない。小坂と駒田の件だって駒田に悪いことをしたと思わなければ決して行動しなかった、いわばただの気まぐれだ。だからこそ、弘人のことをよく知っている屋久が何故自分の正義感が強いと評価するのか、弘人には理解できなかった。

 そんな弘人の様子に苦笑しつつ屋久は話を続ける。その目は弘人の心情を全て見通しているようで、弘人には少しむずがゆく思えた。


「まあとにかく、いくら藤見の態度が酷いからって藤見につっかかるのは違うだろ」


 頷く弘人。実際事情を知らなければ弘人の行動はただ藤見の態度が気に入らないから食って掛かっただけに見えた。


「そのことなんだけど……」


 屋久に事情を説明しようと口を開きかけた時、屋久が手に持つ撮影用ドローンが目に留まる。弘人は自分のドローンを停止させないまま保健室まで入っていたことに気が付く。駒田のことを話す前に停止して配信の記録も消した方が良いだろう、そう思いながら弘人は自分のポケットから携帯端末を取り出し、ヒーローネットを開いた。

 いつも通り沢山の動画が配信されては消えていく忙しい画面を見ながら、たった今配信されていた自分の配信を探す。


「先にこの配信の記録消した方が良いと思う。屋久も記録残ってたりしたら消しといてくれ。念のために」


 言われて屋久も携帯端末を取り出した。彼の配信の記録は弘人が保健室に入ったところで停止させているので屋久は本当に念のために消す形だ。

 めんどくさそうにヒーローネットを開き、ついでにお気に入りのヒーローの更新情報が無いか確かめ始める。


「まあ俺はさっき停止してるから消す必要無いけど、お前の方の記録確認しとくか。お、『アヴェンジャー』の生存報告だ」


「あいつちゃんと生きてたのか、修行の為だとか言いながら雪山で死にかけてたのは知ってるけど」


 ヒーローネットを見ながら二人で談笑する。暇さえあれば、二人はいつもそうしていた。ヒーローに対する憧れやこだわりを最初に語り合った日以来、二人の関係はずっと変わらない。

 ふと、ずっと携帯端末でヒーローネットに夢中になっていた屋久が声を上げる。


「……あれ、今小坂の配信やってんじゃん。授業出ずに何やってんだろうなあいつら」


 世間話のように語る。実際屋久にとってはそれは単なる世間話の範疇だ。

 だが、弘人にとってはそうではなかった。


「何だって!? タイトルは!?」


 嫌な予感、弘人のそれはそう言い表すしか無い。とにかく嫌な予感を覚え、弘人は屋久の端末を急いで覗き込む。


「え、何だよ急に。あいつらに興味あんのか?」


 その様子に驚きながら屋久はその配信を見せる。

 鬼ごっこと題されたその配信は、しかしそのタイトルのシンプルさに対して異様な雰囲気を漂わせていた。

 6人の男女が笑い声や大声を上げながら何かを追い立てるように小走りで移動している。通路を通行する他の人間を押し退けながら、何かが自分たちから逃げていく様を愉しんでいる。

 それは鬼ごっこだと題するには余りに野蛮な、「狩り」だった。


 

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