第五章 ある決断


ギンギツネは先に温泉からあがっていった。

でもあんな風に濁されると気になってしまう。


周りの女性観光客がキタキツネを見て、可愛い!だとか、すごい!だとか囃立てる。

が、キタキツネはそれを気にも留めない様子で体をぶるぶると振るわせた。


「ん…これどうやって元に戻すんだっけ…」




「まったく…あんな格好で走ってくるなんて何考えてるのよ…」


「だってぇ」


キタキツネは見えるか見えないか(見える)デタラメな服装でギンギツネの部屋へと戻って来た事を咎められていた。

慣れた手つきでギンギツネがキタキツネのブレザーのボタンをとめていく。


「…はい。次からしっかり自分でやりなさい、恥ずかしくないの?」


「…だから走って来たんだよぅ…」


キタキツネの着直しが終わると、ギンギツネは部屋を出てどこかへ行ってしまった。

入れ替わりでアカギツネが入ってくる。


「キタキツネさん、お茶にしません?」


「うん!ボクきんつば食べたい」


「はいはい、ちょっと待ってて下さいね!」


アカギツネは部屋の端のテーブルに置いてあるポットに手を伸ばす。

障子の少し間が空いたところから冷たい風がピュウと入ってくる。

閉めに行くのも面倒だし、風が収まればうるさくもないだけだから何もしないでおいておく。


茶葉に熱い湯が注がれる。

茶漉しからはみ出てしまった小さな緑がクルクルと回り、やがてそこに沈んでいく。

その間に湯は鮮やかに色付き、ほんのりと柔らかく、どこか懐かしい香りを漂わせた。




マグカップに注がれるお湯。

インスタントコーヒーの袋の中で泡が立つ。


使用済みのバッグをゴミ袋に投げ入れ、ゴクゴクと飲み干す。

舌を火傷したようだ。


「あぁ…」


胃の中に急に熱いモノが入って、体がビックリしている。

暖房を付けたがまだイマイチ効いていない。

手っ取り早く体をあっためるにはコレしかないだろう。


スマホを取り出してTwitterを開く。

長い間ログインはしていなかった。


「えーと…なんだっけ…」


パスワードを忘れてしまった。

Kanta0116、Sasaki0116…


Kitakitune1224でアカウントは開いた。

アカウントには8000人くらいのフォロワーがいたが、あの日から半年間ずっと起動されていない。

通知欄が20+を指している。

殆どはリプライ。


『キタキツネちゃん可愛いですね!でも最近見てないような気がするなぁ…どこに行けば会えますか?』『キタキツネ、風邪かな?』『フレンズ殺すとか飼育員クビだろ』『クソじゃんタヒねよまじ』『フレンズを殺すという罪はフレンズの権利を著しく損なうものとして刑法23ノF条に抵触するので飼育員は無期懲役確定では?🤔🤔🤔』『#拡散希望 #フレンズ虐待』


「よく知りもしないくせに…殺してねーっつーの…」


今でも感触が残っている気がする。

あの子の手が触れた口周りを撫でた。


「…殺してねーっつーの…」


スマホも、自身も、机に伏せる。

心無い矢はもう半年前のものばかり。

その後は誰一人として見向きもしなかった。




「カンタ、カンタ、朝だよぉ…ごはん…」


「ん…キタキツネぇ…あと5分…」


「5分休ませてくれたらボクも死ななかったよ」


見上げる。

キタキツネの顔がある。


「どうして?」


「…ごめん、そんなつもりじゃ無かったんだ!本当なんだ!君があんなことになるなんて俺は!」


キタキツネが力なく首を横に振る。

悲しい顔をしている。


「もう、遅すぎるんだ」


雪の中だった。

雪崩が起きた。


「待って!待ってくれ!」


キタキツネが振り向く。


「カン


大量の雪に飲み込まれた。




「はっ!」


時計はもう6時を指していた。


「夢か…」


何故か目元から涎が垂れてきていた。

拭って夕食を作る。


「…カップでいいか」


チリトマトヌードルを開けて湯を注ぐ。

テレビの電源を入れ、深いため息を吐き出した。


やり直せるならもう一度。


「あ…あえるなら…もう一度…」


今度は涙。

なんで泣いているんだろう。

ネットで叩かれたから?

怖い夢を見たから?

違う…俺の心は——




「おいしかった!」


「ウフ、そーう?じゃあまた今度もきんつば用意しておくからね?」


「ありがとうアカギツネ!」


アカギツネが嬉しそうに微笑む。

カチャカチャと茶器が音を立てる。

キタキツネはこたつの中で温まりながら微睡んでいた。




「…お客様かしら、アカギツネー!チェックインが済んでないお客様っていたー?」


「いーえー!今日はもう全員入っています!」


ギンギツネが玄関の近くに立ち止まると、そこには月明かりに照らされた人影があった。

リュックもなく、何も持っていなさそうだ。


門の前でタジタジとしているようで、入る気配がない。

もしかして不審者?


そっと戸を開ける。


「誰…?」


扉の向こうには見覚えのあるジャンパー。

カンタだった。

刹那、脳裏に沢山の思い出が浮かぶ。

それに素直になることは、今の自分にはきっと許されない。

だから…


「…何しにきた訳?」


冷たくする。


「お、俺…キタキツネに会いにきた。会わせて…くれないかな?」


目元が凍り付いている。


「嫌よ、寒いわ、不愉快、帰って!」


ガラガラと勢いよく戸を閉めようとする。

間に黒い二つの手袋が挟まった。


「痛ってぇ!…ちょっと待てって…!」


強引に扉を開けようとしているようだ。

アニマルガールであるこちらが全力を出す必要は全くない。


「イデデデデ!!」


「さっさと!帰りな!さい!」


ギンギツネは言葉と言葉の間に体重をかけて戸を押した。


「ギンギツネさーん?」


まずい!アカギツネが!


「どうされたんですか…って本当にどうされてるんですか?!」


「あ、アカギツネ?!ちょっと痛いから開けてマジでお願い指千切れる!!」


更に力を入れる。

扉の奥から悲鳴が聞こえる。


「ギ、ギンギツネさん落ち着いてください!」


アカギツネが私と逆方向に扉を開け始めた。

メリメリと木が歪み始め、少しずつ戸が開いていく。


「か、館長命令よ!やめなさいアカギツネっ!」


「い・や・で・す!」


「ふぬぬぬぬ…抜けたっ!痛ぇ…」


痛すぎて涙がで、出ますよ〜!


「ねぇ〜…何の騒ぎ?」


キタキツネが奥の廊下から出てきた。


「キタキツネ!来ちゃダメ!」


ギンギツネが叫ぶ。

キタキツネとカンタの目があった。


「あ、変な人」


「…やぁ…」

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