第9話 副作用


 あれから七日くらい過ぎただろうか。俺の『視野拡大』スキルもかなりのレベルまで到達した。背後にいる者の姿や表情まではっきりとわかるようになって怖いくらいだ。


 リリアやロッカの悪戯には手を焼いていたが、最近はそれを未然に防げるようになった。それはそれで嬉しいんだが、アビリティ発現の兆候が未だにまったく見られなくて、正直焦っていた。最初の頃は閉じ込めることができていたマイナス思考も徐々に頭をもたげてくる。


「ダリル……俺、本当に覚えられるのかな……」


 いつもの見晴らしの良い場所に俺たちはいた。もう大抵のことはわかる。遠くで楽しそうにさえずっている鳥のくちばしの色や羽の模様まで。なのに、なんで……。


「ウォール君……。確かにここまで『視野拡大』スキルが上達しているのに発現してないのは想定外だけど、まだ可能性はある」

「……なんでそんなことがわかるんだ?」


 ダリルもリリアもロッカも『視野拡大』スキルがある程度進んだ状態でアビリティを発現させていると聞いた。この時点で発現させてないのは俺だけだ。それだけに、完全なノーアビリティだったという最悪の結末もあるように思えた。


「わかるからこそ言ってるんだ。知識を集めたからね」

「知識……?」

「リリアに弟子にしてほしいって言われたときは、まだ僕にはなんの知識もなかったから断ったんだよ。でも、あまりにもしつこかったから条件も出してる。アビリティについて書かれてる本を集めてきてくれたら考えるって言ったら、彼女がすぐに持ってきてくれた。中には古代語も含まれてたから解読するのに苦労したけど……」

「なるほど……」


 教会図書館でバイトしてたリリアならすぐ集められるだろうな。ダリルが行けば目立つし、フードを被ってたら怪しまれるしでリリアに頼むしかなかったんだろう。あいつ、今何してるかと思ったらまたキャーキャー言いながらロッカと追いかけっこしてる。よく飽きないな……。


「それでダリル、ほかにどんな方法が……?」

「ノーアビリティを覆す最終手段が、眠っている願望を呼び覚ますことらしい」

「眠っている願望……」

「ああ。でもそれにはリスクも伴うとか」

「リスクって……死ぬとか?」

「いや、そこまでのことじゃないけど、ちょっと正気じゃなくなっちゃう可能性もあるらしい。そこから先は何故か破られちゃって読めなくなってるけど……」

「……やろう」

「ああ、そのつもりだよ」


 ダリルは笑ってうなずいた。正気でなくなる可能性があるとはいえ、このままアビリティがない状態が続くほうがおかしくなりそうだ。何が何でもアビリティを発現させて早くみんなとダンジョンへ行きたい。




 ※※※




「……願望……潜在的願望……」


 この潜在的願望を引き出すことこそ、アビリティ発現に直結するのだとダリルは言っていた。目を瞑り、自分が本当に望んでいるのはなんなのかを探ろうとする。


「――ダメだ……見えてこない……」

「ウォール君、それなら自分が幼少のときから何を思って生きてきたのか、それを思い出すだけでいい」

「うん……」


 俺の幼少のとき、か……。そうだ。俺って喧嘩が弱くて、いつもセインやルーネに守られてたんだっけ。そのくせ、誰よりも強くありたいとか思っていた。とにかく負けん気だけは強かったんだ。父親を見返すためにも、強いアビリティを持つことを夢見ていたんだったな。


 ……なんだ……。何かが脳裏に浮かんできたと思ったら、自分を見下ろす父親の冷たい目だった。


『お前の躾が悪いんだ! 甘やかすから!』


 う……悲鳴が聞こえてきた。母さんの悲鳴だ……。見たくない、聞きたくない……。


 ……ん、誰だ? 俺に語りかけてくるのは誰だ……?


『ウォール』

『セイン? どうしたんだよそれ……』

『このナイフ、親父の形見なんだ……』


 もういい。あいつのことなんて思い出したくない。嫌だ。


『ウォール! 聞いてる?』

『なに? ルーネ』

『あたしね、大人になったらウォールのお嫁さんになってあげようと思うの……』

『ルーネって暴力的だから嫌だ……』

『もー、あたしがいないと守ってあげられないでしょ!』

『そんなの、アビリティ貰うまでの我慢だし……』


 やめてくれ、もう終わったことだ。やめてくれ……。


 畜生……何もかも手に入れてやる。何もかも覆いつくしてやる。俺が……この手で……。


「はぁ……はぁ……」

「ウォール君、大丈夫? かなり顔色が悪いけど……」

「……てやる」

「え? なんて言った?」

「う……奪ってやる……」


 なんだ、俺、なんでこんなことを。気が付いたら俺は月光のナイフを構えてダリルに襲い掛かっていた。


「ぐ……ウォール君……?」


 ナイフの先からポタリ、ポタリと赤い雫が落ちているのがわかる。ダリルは苦しそうに脇腹を押さえていた。やった、命中だ……って、俺何を考えて……? やめろ、やめてくれ……。


「やめてえええっ!」

「……あ……」


 リリアが涙を流しながらダリルの前に立ちふさがっているのが見える。俺、なんてことを……。ううう、鬱陶しい……。


「に、逃げっ……殺すうううう!」


 何度も何か所も刺して命を奪ってやる。俺の力を見せてやる。


「させません」

「うっ……?」


 リリアを刺す寸前のところで誰かに弾き飛ばされた。ロッカだ。こんなチビガキに不覚を取るとは……。


「どけ……ガキ……」

「どきません。あなたの相手は私ですから」


 なんだこいつ……いつもと様子が違う。リリアに脱がされてべそをかいているロッカではない。この妙な空気が気に入らないな。どいつもこいつも俺を愚弄している。舐められたら奪われるしかなくなる。だから奪うしかないのだ。


「ロッカよ……このナイフでお前の体のあらゆる箇所を刺し、蜂の巣にしてやろう」

「やってごらんなさい」

「うおおおおおおっ!」


 血まみれのナイフを掲げた俺の雄叫びによってロッカは気絶……しなかった。なんだこいつは。平静そのものだ。ハッタリだとでも思っているのか。


 ならば遠慮なくこの世で最も風通しの良い遺体に変えてやる。


「突き刺す抉る切り刻むっ!」


 体が熱い、軽い。突きや斬る動作をするたびにナイフが歓喜し、鋭さを増していくのがわかる。この幼子の血を一秒でも早く浴びたいのだと。なのに……全然当たらないのはどういうことだ。


「当たれ、当たれ当たれ……当たりぇえええっ!」

「当たりません」


 このガキ……ナイフがまったく怖くないというのか? 少しでも避けるのが遅れれば命が尽きるというのに……。死を微塵も怖いと感じていないかのような動きだ。まったく無駄がない。ふざけやがって。


「今です、ダリル」

「――はっ……」


 肩に強い衝撃が走った。しまった。夢中になりすぎていた。このガキは囮に過ぎなかったのだ。意識が遠くなっていく。無念、無念だ……。

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