第2話 ナイフ


 俺がノーアビリティだったという噂はあっという間に近所に広がっていった。最も惨めな形で有名人になったわけだ。


 世界規模でいえば何人かいたらしいが、少なくともエイムトンの村出身者では俺が初めてだというからその希少性がわかる。


 町を歩いていてもまるで珍獣でも見るような視線を向けられ続けて、俺の精神は少しずつ削がれていった。こうして、パーティーの宿舎にたった一人で閉じこもるようになるのも時間の問題だった。


 神様……もしいるのなら教えてほしいです。なんで、なんで俺がノーアビリティなんですか……? 俺、前世で一体どんな酷いことをしでかしたんですか? 当然だが答えは返ってこなかった。


「……どうしたらいい? どうすればいい?」


 最近は部屋の壁に向かって同じようなことばかり呟いてる。俺、とうとう頭が変になっちゃったのかな。


 俺が出した金もこの宿舎を建てる費用に含まれているとはいえ、ダンジョンに行けなくなったのにここに居座り続けるのも気まずい。最近はセインとルーネと会ってもお互いに軽く会釈する程度だった。徐々に関係が希薄になっている、そんな気さえした。


 かといって故郷のエイムトンに戻るのだけは絶対嫌だ。


 村を飛び出したのは16歳の誕生日が来る半月前だったか。父さんと大喧嘩したのが昨日の出来事のように鮮明に思い出される。


『ウォール。お前みたいなひよっこがダンジョンなんかに行ってもすぐ泣き喚いて戻ってくるだろうよ』

『父さんはいつもそうだ。そうやって上から目線で……いつも俺を見下して! 大したアビリティも持ってないくせに!』

『なんだと……!?』


 かっとなって口論になったんだ。俺も言い過ぎたかもしれないけど、父さんの棘のある言い方が癪に障った。


『出ていけ。もう二度と帰ってくるな!』

『ああ、喜んで出ていってやるよ!』


 昔から父の暴力に怯えている母さんは涙目で見てるだけだった。あとで母さんだけ追いかけてきたけど俺の怒りは収まらなくて、つい酷いことを言ってしまった。


『こんな家に産まれてこなきゃよかった』

『……ウォール……』


 それを言ったときの母さんの悲しそうな顔が忘れられない。


『酷いこと言ってごめん……。俺、絶対にダンジョンで名を馳せて立派になって帰ってくるから』


 あんな言葉を残しておいて今更帰れるものか。


「……あ……」


 なんかいい匂いがするな。懐かしい香りだ……。これ、あれだ。ルーネの手料理だ。スパイスをふんだんに使った挽き肉料理ミートローフ。最高に美味しいんだ。あの日以降、作らなくなったけど……吹っ切れたのかな。


 もしそうなら自分も見習わないといけない。なんだかんだ言って俺は諦めきれなかったんだと思う。もしかしたら手違いがあって、アビリティが後から発生するんじゃないかって……。でも、そんなわけないんだよな。もう終わったことだ。行くあてはないけど、ここから出ないといけない。


 重い腰を上げて部屋を出ると、廊下の奥にルーネの姿があった。あのときとまるで変わらない笑顔で手を振ってきた。本当に吹っ切れたんだな。俺のことを引き摺ってるような顔じゃない。寂しい気はするけど、彼女のためにも俺は去らないと。ただ、別れの挨拶だけはしておきたくて俺も笑顔で手を振り返した。久々に笑ったから不自然に見えるかもしれないが。


「ルーネ――」

「――セイン!」


 ルーネは俺を素通りしていった。


「え……」


 振り返るとセインがいて、ルーネと手を握り合っていた。これって、夢とかじゃないよな。俺、今ここにいるんだよな……?


「あたしね、久しぶりにあの特製ミートローフ作ったんだよ!」

「おー、あれか、確か18種類のスパイス入りの? なっつかしいなあ……」

「でしょー! へへ……」

「ルー……」


 声を出そうとしたが止めた。より惨めになるような気がして。きっと気付いてないだけなんだ。俺を無視してるわけじゃないんだ。だからこのまま消えよう。俺の中にあるルーネの像を壊したくない。過去を一番引き摺っていたのは、もしかしたら俺なのかもしれない……。


 皮肉にも、外は快晴だった。青空が厭味ったらしく俺を見下ろしていた。


「ウォール、待てよ!」


 宿舎を出てしばらく歩くと、セインの声に背中を叩かれた。


「セイン……?」


 沈みそうになった声を強がりで持ち直す。


「どこ行くんだ?」

「……散歩だけど」

「そうか。ちょっといいか?」

「……何?」


 表情もそうだが、お互いにどこか引っ掛かりのある妙な会話だった。


「これ、やるよ」

「え……」


 セインが渡してきたのは、古代の魔術師が月の光を凝縮して作ったという青白いナイフ。確か、かなりの値打ちもので父親の形見だったはず。切れ味が鋭いのはもちろんのこと、持っているだけで身体能力が少し上がるんだよな。何度も自慢された上、貸してもらったこともあるからよく覚えている。


「これ、形見だろ? 大事にしてたのになんで? ダンジョンで他にいいのを手に入れたのか」

「いや、俺には必要なくなったんだよ。こいつで仕留めようとしてた憎いやつがいなくなったしな」

「え……」


 初耳だ。セインに仇がいたなんて。


「仇は、病気かなんかで死んだのか?」

「いや……まだ生きてるよ。俺の目の前にいるやつだ」

「……は?」


 周囲を見回したが、俺たち以外には誰もいない。


「まだわからないのか? お前のことだよ、ウォール」

「お、俺……? 冗談だろ。俺が何したって……」

「俺がルーネのこと好きだったの、知らないのか。お前らしいな」

「セイン……」


 セインの表情は、俺が初めて見るものだった。慕っていた兄貴分の顔じゃない。敵意を凝縮したような冷たい目をしていた。


「ルーネはいつもお前のことばかり見ていた……。俺は呪ったよ。なんで俺じゃなくてウォールなんだって。だから親父から貰ったこの形見のナイフで、お前を殺せたらって、ずっと思っていた」

「セイン……違う。俺たちはそんな関係じゃなかった。ただの幼馴染なのに……」

「相変わらずお花畑だなお前は」

「セイン……」

「まあいいさ。もうウォールは死んだんだし」

「……え?」


 わけがわからない。頭が真っ白になりそうだ。


「ここにいるのはもうかつてのウォールじゃない。ルーネに見向きもされない、殺す価値もないただのゴミだ」

「な、なんだと……?」

「いいことを教えてやる。あの日の夜、ルーネは変わった。泣きじゃくってたあいつを、俺がたっぷり慰めてやったよ。もうお前のことなんて頭の片隅にもないと思うぜ。じゃあな」


 挑発するような笑みを浮かべたあと、セインが宿舎に戻っていこうとする。


「――せ……セインンンンッ!」


 俺はもう自分を抑えることができなかった。気が付けば月光のナイフを持ってセインに襲い掛かろうとしていた。


「ぐ……?」


 だが、セインの背中目前で動きが極端に鈍った。こっちには月光のナイフがあるのに、一つ一つの動作が信じられないほど緩慢になり、振り返ったセインに頬を殴られていた。Aランクアビリティ【鈍化】でスピードを鈍くされたんだ。


「……あっ……」


 そう思ったときには青空を見上げていた。聞いてはいたけどアビリティってこんなに強力なのか……。


「ウォール。そのナイフで俺を殺すより、自分の首切るほうが簡単だぞ? それに、早く死んだほうがこのまま惨めに生きるより楽だと思う」

「……ち、畜生……」

「お、まだやるつもりか? ノーアビリティ」

「セインー? ご飯食べないのー?」

「おー、今行くー! んじゃ、俺はルーネとご飯食べてくるから。お前はそこで昼寝してな」

「……」


 何も言い返せなかった。曇り一つないルーネの声にとどめを刺されたような気がした。


「……セイン……ルーネ……」


 余計惨めになると思っても涙が溢れてきて止まらなかった。あんなに近くにいたのに、もう俺の声は届きはしない……。

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