第61話 ダカール再び
アソシエイツの引き継ぎ業務と、新規案件の書面作成でくたくたに疲れたはるとは、アパートの扉の前にうずくまっている人影に気がついた。
はるとの足音に気づいた人影は、すっくと立ち上がる。
「遅い!いつまで待たせるのよ!」
こいつは変わんないな。とはるとは高校時代を思い出す。
「どうやって入ったんだ?」
NYのほとんどのアパートメントは、オートロックだが、ここのエントランスには、門番のようなじいさんがいて、居住者でない者、不審者は容赦なく追い返す。
オートロックでないものの、このじいさんが、この建物のセキュリティを守ってて、外国人の入居者には評判がいい・・・のだが。
「簡単だったわよ。はるとの姉ですってウィンクしたら一発。」
あのジジイ、結局若いオンナにはノーチェックじゃねえか。
パートナーになったら、引っ越してやる。と考えていると
「もう!早くいれてよ!」
はるとはため息をついて、みずきを部屋に入れる。
「へえ、オトコの一人暮らしにしてはきれいにしてるじゃない。」
みずきは言いつつ、ソファに腰かける。
「なんの用だ?君との約束はもう果たしただろう?」
「まあ、つっけんどんねえ、久しぶりなんだから、コーヒーくらい出しなさいよ。」
初めて会った時と変わらず、自分のペースで話しを進めていくみずきに、なんとなく安堵を感じつつ、インスタントコーヒーをカップに溶かす。
「ええ?インスタントなの?NYの売れっ子弁護士なら、すごいいい豆使ってたりしないの?」
はるとはカップをどん!とテーブルに置きつつ、言う。
「な・ん・の・用・だ!」
そんなはるとの態度に全く動じず、みずきは両手でカップを持ち、話し始める。
「俊彦さんに会ったよ。」
俊彦がNYにいることは知っていたし、神田会長にくっついてみずきが来たことで、彼女が何をしに来たのか、はるとには察しがついていた。
「じゃあ、聞いたんだな、親のこととかいろいろと。」
みずきは黙って頷く。
「僕はもう子供じゃない。親のこととか昔のこととか、いろいろあっても、前に進んでいる。余計なおせっかいは必要ないね。」
「あたしは別におせっかいに来たわけじゃないのよ。」
みずきは立ち上がり、立ったままで話す、はるとに近づく。
そして、いつかのように、はるとをまっすぐに見つめ、人差し指で差す。
「また、お願いに来たのよ。」
「お願い?」
「そう、お願い。」
みずきはそう言うと、はるとの瞳をじっと見つめ、しばしの沈黙のあと、いつかと変わらない、澄んだ声で歌うように言った。
「あたしをダカールにつれてって。」
ーーーーーーーーーーーーー
「・・・ダカールにつれてって。って、君はもう、何回もダカールに出てるじゃないか。それに今のチームで次も出るんだろう?。」
みずきは再びソファに腰を下ろすと、首を振る。
「チームとの契約は前回で終わったの。なんか、仕事でラリー走ってるみたいで面白くなくて。」
そう言うと、冷蔵庫を開け、アイスクリームのカップを勝手に取り出す。
「じゃあ、ラリーはもう、やめるのか?」
みずきは皿にアイスを山盛りに盛りつつ、続ける。
「ううん、やめるんじゃないの。やっぱりね、あたしが走りたかったのは、〈ダカールラリー〉じゃなくて、昔、見た映像の、パリダカだったみたいなの。手越さんが言ってたように、〈リアルダカール〉を目指したいのよ。」
手越の名前が出たところで、はるともみずきのとなりに腰をおろし、彼女の次の言葉を待つ。
「南米、中東ってダカールって名前のついたラリーを走ってきたけど、やっぱりなんか違うのよ。あたしが中学の時から憧れてたものはこれじゃない。手越さんが言ってたように、あたしがやりたかったのは、ラリーって〈スポーツ〉じゃなくて、〈パリダカ〉だったのよ。」
はるとは黙って、カップをテーブルに置き、みずきに顔を向ける。
「なかなかな言い草だな。君がダカールに出たいと言ったから、僕は君を手伝ったんだぞ。」
「そうよ。あなたに手伝ってもらったからこそ、それがわかった。だから、今度は〈ダカール〉に行くのよ。」
「きみも一緒に。」
一緒にと言われたところで、はるとはうろたえる。
「僕も?」
「そうよ、もう、バイクなんかいいや、忙しいから、乗れない、なんてポーズとってるらしいけど・・・。」
みずきは部屋を見回すと、玄関ドアの脇のクロゼットの扉をあける。
そこには、Airoの黄色いオフヘルメットがあった。
「シェリルから聞いてるのよ。よく草レースとか、デュアルスポーツのイベントとか出てるらしいじゃない。」
みずきは、Airoのヘルメットをもてあそびつつ、言う。
「いや、それは暇なときに時々・・・。」
「へええ、そんな片手間で乗ってる人が、こんなとんがったバイクに乗るかしら?」
みずきはスマホを取り出すと、赤いGASGASというメーカーのバイクにまたがって、砂漠を疾走する、黄色いAiroヘルメットのライダーの画像をはるとに示す。
アメリカでこの車両を手に入れるのは簡単ではない。
「まだ、バイクもラリーも好きなんでしょ。」
片手でアタマを抱えつつ、はるとは下を向く。
「へんに悪役気取ってんじゃないわよ。一緒にダカールに行くの!そうすれば、いろいろうまく行くのよ!」
そう言うと、みずきはソファから飛び上がり、いつもの仁王立ちポーズを取る。
「なんだよ、その謎理論?」
相変わらず、自分のペースで勝手に話を進めるみずきに、はるとはムッとしつつ、みずきの手を強引に取る。
不意をつかれたみずきは、そのまま、ソファに押し倒された。
「そのつもりもあって来たんだろう?」
はるとは、片手でみずきの両手を頭の上で抑え、唇を合わせる。
シャツのボタンをはずし始めたはるとを、組み伏せられたまま、眺めつつ、みずきはため息をつく。
「調子に!のってんじゃないわよ!」
そう叫ぶと、はるとに組み伏せられた体勢のまま、みずきは強烈なボディーブローを放った。
背中が支点になって、まっすぐにみぞおちに入ったから、ひとたまりもない。
「ぐ、ぐええええ!」
ボディーブローをもろに食らったはるとは、ソファから崩れ落ち、木製フロアの上をのたうち回った。
「ふん!アマチュアレベルのハンパライダーが、ダカールのワークスライダーに勝てると思ってるの!」
はだけたシャツから覗く、ベージュの下着を気にもせず、みずきは叫ぶ。
「はるとくん、よっく考えといてねえ!」
のたうちまわるはるとをそのままに、みずきはわざとらしく、冷蔵庫にアイスクリームを戻し、さっさと出ていってしまった。
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