第57話 業務依頼
「新規のクライアントですか?」
個人オフィスへの引っ越し準備と、アソシエイツ業務の引き継ぎに忙殺される日々を送っていたはるとは、この事務所のもう1人のボス、ボリス・クライドに声をかけられた。
コネは関係なく、セレクションに応募して、入ったはずの事務所だが、昌樹叔父と旧知であるこのボスは、頼まれてもいないのに、後見人を気取っているのがうっとおしいので、正直あまり関わりたくない。
「さっさと済ませてしまうか。」
独り言を言って、廊下から中が見通せるガラス張りの部屋へ赴く。
「おまたせしました。」
はるとは日本のクライアントに対してだけ行う、お辞儀をして、会議室に入る。
「久しぶりだね。」
聞き慣れた声に顔をあげる。
「神田会長?」
待っていたのは、モンゴルで何度も会ったこともあり、株式会社ダカール時代にも協力してもらっていた、ジャパンラリーアソシエイツの神田会長だった。
会長は立ち上がり、僕に握手を求める。
「お久しぶりです。でも、なんでNYに?」
「話したことなかったかね。わたしの本業は、金融と投資だよ。ラリーだけじゃ、生活できないからね。東海岸の企業の買収と投資の業務でこっちに来たんだが、優秀な弁護士のハナシを聞いてね、ぜひ、窓口になってほしいと思って来たわけだ。」
会長は椅子に再び腰を下ろし、日本人クライアントということで、アシスタントに用意させた、緑茶をすする。
「まあ、つもる話は仕事のあとにしようか。資料を出してくれ。」
会長がそういうと、立ったまま待機していた背の高い女性は、書類が挟まれた、青いバインダーを僕に差し出す。
彼女は、僕が受け取ろうとすると、それをサッと引っ込める。
「?」
女性はため息をつき、「まあだ、わかんないかなあ?」
とバインダーをひらひらとあおる。
「??」
女性は腰に手をあて、斜め右の向きに僕を見据える。
会長は面白そうに僕を見ている。
「あたしよ。」
「あたしって・・・。」
この人を食ったような口調、細長いが、しっかりと立つ、長身の体躯。
忘れるはずはない、吊り上がり気味の大きな瞳。
「み、みずき?」
「正解。」
肩にかかるぐらいの長さの黒髪。
目元のシャドウは濃いめで、ゆったりと仕立てられたパンツスーツ姿に、高いヒールで、すっかり雰囲気の変わったみずきに僕はまったく気づかなかった。
「なんか、かっこつけてるなあ。」
そういうと、高いヒールでさらに僕よりも高くなった体躯を折り曲げ、いつかのように、大きな瞳で僕を見据える。
「似合ってないね。高級スーツ。」
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「このコロナ禍で、ダカール以外のラリー
はほとんどが開催されてないし、暇でしょうがなかったときに、神田会長に声かけてもらったのよ。」
そういうと、みずきはずずずっと音をたてて、緑茶をすする。
「みずきちゃんは、英語とイタリア語ができるし、段取りとか、マネジメントもうまい。連れてくと大体仕事がまとまるから、助かってるよ。」
日本にいたときは、モデルの仕事の時以外は、カジュアルな服装と雰囲気しか見たことがなかったので、変わりように驚く。
「ラリーライダーは常識人でビジネスマンであれ。きみが教えてくれたことだよ。あたしはそれを実践してるだけ。」
僕の戸惑いを見透かしたように、すっかりビジネスウーマンの装いのみずきは言う。
「まあ、つもる話はあとでな。まずは、ビジネスのハナシをやっつけようか。」
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商談が終わり、エレベーターホールまで2人を見送る。
「わたしたちは来週まで、こっちにいるから、時間をつくるといい。」
神田会長が言う。
「いや、今はなかなか忙しくて・・・。」
渋る僕に、会長は続ける。
「手越君のことは聞いてるよ。残念だった。でもな、いつまでも引きずってたら、いかん。」
「いや、別に引きずってるわけでは・・・。」
いろいろ見透かされたようで、僕は戸惑い、気持ちがざわつく。
「あとで連絡するからね!」
みずきの言葉が合図のように、エレベーターの扉が閉まった。
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