第39話 脆弱

休息日の日付がもうすぐ変わろうとするころ、もうひとつの騒動が、ビバークで起こっていた。


 行ってみると、ディレクターの柴田氏が、膝をかかえて、地面に座り込んでいた。

 スタッフがしゃがみこんで、彼の肩に手をかけようとするが、子供がイヤイヤするように、その手を払いのける。


「柴田さん、どうしたんですか?」


「どうもこうもないよ。こんな風になるなんて僕は聞いてない!」


 そう言うと、彼は僕を睨みつつ続ける。

 

「車は尋常じゃないくらい揺れるし、モンゴル人の運転手は不親切だし! 

トイレ休憩もないなんて信じられないよ!朝5時からずっと走りっぱなし!

で、止まってみたらトイレもないし、そのへんでしろだ!そんなことできないよ!」


「あの人たち、お昼も用意してくれないんだよ。お店で買ってもくれない。言葉が通じないから、僕は買い物もできないんだよ!

僕はお金払ってるお客だよね?おかしいと思わないか?!」


呆気に取られている僕を無視して、彼は続ける。


「とにかく、もう、冗談じゃない!」

「ここから返してくれ!」

「日本へ返してくれ!今すぐに!」

「もういやだ!」


尋常じゃない怒鳴り声を聞いて、場の空気が凍りつく・・・・。と思いきや、周辺のラリー関係者。特にベテラン勢はやれやれ。という感じでこっちを見ている。


「わかりました。でも、ここから、すぐに帰るなんて言うのは不可能だってわかってますよね?飛行機で帰るにしても、一番近い飛行場まで300KMはある。そこに行くまでは、クルマに乗らなきゃいけないし、舗装した幹線道路もない。」


「・・・・・。」


「ラリーもあと四日です。もう少し頑張ってください。」


うつむいて、涙目になった彼は、


「・・・それにしても、ここはやな国だよね。遊牧民の人達って、素朴で明るい人ばっかりだと思ってたのに、みんなムスッとして無愛想だし。

うっかり、スマホ置いといたら、持ってこうとする人もいたんだよ。

買い物しようにも英語も通じない。

モンゴルっていうから、大草原をバーッと走るって聞いてたのに、山の中とか、なんにもない荒地ばっかりだし。」


「尋常なく揺れるし、景色もずっと茶色で、ちっともきれいじゃない。ずっと埃っぽい。

ゲルで寝るのも、中は地面がむき出しだし。虫はスゴイし。

僕、日本じゃテントに寝たこともないんだよ。もう冗談じゃないよ・・・。」


モンゴルの人は、総じて悪い人達ではない。

ただ、僕も最初に感じたように、むやみに愛想よくするわけでもないので、日本人は誤解しやすいと思うのはわかる。


ただ、こういった環境に適応できない人材を送り込んだ、テレビ局サイドにも問題があると思う。


言いたいことを吐き出して、少し落ち着きを取り戻した彼を、仮設テーブルの食事エリアに連れて行って、夕食を取らせる。

ああ、もう、こういう食事もこりごりだなあ。という彼をなんとかなだめすかす。


彼のケアを終えて、マシンのところへ戻ると、ライディングウェアを脱いだみづきが心配そうな顔で、こちらにやってきた。

主催者から貰ったTシャツにジーンズ姿だ。

大きなフリーサイズのTシャツは、彼女のウェストの細さでは生地が余ってしまうようで、腰の辺で生地を結んでいる。


「はると、何かあったの?」


「なんでもない、みづきは気にしないで明日の準備をして。特に明日は砂丘超えと、ナビゲーションがかなり難しいルートらしいから、マシンの整備は手越さんにしっかりまかせて、ルートマップの下読みをしっかりと。GPSポイントの入力間違えもないかどうか、確認するんだ。

明日のルートはGPSポイントの打ち間違いがあったら、大変なことになる。」


「・・・・わかった。あたしはあたしの仕事をする」。


「うん、まあ、相反することをいうようだけど、早く寝ろよ」


「うん、わかった。」


みづきはジェネレーターがうなる、マシンの整備をしているテントに戻って行った。


慣れない450ccの車体を駆って、前半のきびしい山岳や枯川ルートを走ってきたみづきは、相当疲れている。

ただ、明日を乗り切れば、ハイスピードのピストが続くルートになるから、大分楽になるだろう。


さらに、彼女も慣れないゲルや、テントで、よく眠れていないようだが、ラリーというフィールドにおける彼女のタフさはディレクター氏とは圧倒的に違っていた。


食欲は旺盛で、羊肉だろうが、モンゴル名物のどんぶりからはみ出したうどんだろうが、がばがば食べる。

主催者の用意する、日本食の朝食は、お代わりをしまくるので、ここ数日、みづきが行くと、山盛りご飯をよそってもらえるようになった。

彼女がケータリングに行くと、一気に雰囲気が明るくなるので、スタッフも楽しそうだ。


食事中は、現地の人だろうが、日本人だろうが、他の国から来た人だろうが、会話を楽しんでいる。

英語もまだまだだが、身振り手振りと、魅力的な大きな瞳で相手をじっと見つめてのコミュニケーションは、彼女のファンをどんどん増やしている。

ラリーの様子をフェイスブックやツイッターにあげている欧米のエントラントのタイムラインにも、彼女の笑顔はたびたび登場する。


時々、一緒に走ることになるという、シェリルによると、レストタイムのCPに集まってきた周辺住民と、言葉もわからないのに、一緒に写真を撮ったりしているらしい。

彼女のスマホの画像を見ると、とても楽しそうだ。

ディレクター氏も、こういうことを取材すればいいのに。と思う。


ラリーに限らず、「タフさ」というのは、筋力があるとか、勉強ができるという表面的な者だけではなくて、目の前の状況をいかに受け入れ、それを自分の中で「おりあい」をつけて、前に進む力があるかどうか。ということだ。


筋力があるとか、勉強ができる。いい大学を出た。いい会社に勤めている。会社の社長だ。そんなことはここでは何の関係もない。


そういう意味では、みづきは必死に現在の状況と戦って、前に進むタフさがあるといえる。


国公立大出、大手広告代理店務め、TOEFL  何点なんていうディレクター氏の経歴なんかは、まったく役に立っていない。


それでも、みづきはこんなわずらわしいことに巻き込みたくない。


ああ、でもまいったなあ。


ーーーーーーーーーーーー


ビバークの喧噪から離れ、空を見上げる。

もう、慣れてしまったが、恐ろしいくらいの星空だ。

流れ星が流れまくるので、お願いし放題だが、それでも、現状をクリアするほどの御利益は届きそうもない。


みづきに付き合って、こんな地の果てまで来てしまったけど、普通の高校生とは、大分違う青春を送ってるなあ。


「お疲れ、大丈夫かい?」


声をかけてきたのは、このラリーに何度も出場し、ダカールラリーの常連でもある、神田伸一郎氏だった。

パリダカは第3回から出場し、齢70を越えているそうだが、現在も現役のラリーストで、今回は4輪のジムニーで参加している。

日本から海外ラリーに出場する人たちの日本事務局といった業務を行う、ジャパンラリーアソシエイツという組織を運営しているため、エントラントには、〈会長〉と呼ばれ、ラリー参加者の相談役といった感じの人物だ。


地元住民から買ったという、を勧めてくれる。


「ありがとうございます、大丈夫です。」


受け取って、プルタブを開け、一気に飲み干す。

よく冷えていてうまい。荒野のまんなかで飲む冷えたコーラはなんともいえないぜいたく品だ。


「あのテレビ局の彼、大分、こたえてたみたいだね」


会長も、見たことのないブランドの缶ビールを口に運びながら話す。


「すいません、お騒がせしちゃって」


「気にすることはないよ。キミが言った後も、彼、ワーワー騒いでたけど、ここにいる連中は、みな、から大丈夫だ。」


「ボクがパリダカールに出ていたころは、バブルまっさかりだったから、ああいうコはたくさんいたんだ。日本人は、周りの人が常に自分に気を使ってもらって、誰かになにかを〈やってもらう〉ことが当たり前になっているかから、誰もまったく自分に関心をを払ってもらえないフィールドに身を置くと、ほんとにつらいんだ。


さらに、カネを払うと、どうしても自分は〈お客さん〉だと思い込んでしまうところがあって、〈やってもらえない〉ことへのストレスがすごくなる。それはそれはつらい。


パリダカールのときは、期間も長いし、モンゴル以上に簡単に日本には帰れないから、精神を病んでPTSDみたいになったテレビの取材スタッフもいたよ。」


「年少のキミが、大人のカレに気を使って。というのも、ちぐはぐな話しだけど、なるべく彼の相手をしてやって、キミが彼に<やってあげている>という姿勢を見せてあげるといいと思うよ。」


「腹立たしいとは思うけどね。」


会長はビールを飲み干すと、


「キミは将来、スポーツマネジメントの仕事をしたいんだって?」


「はい、そのつもりですが、今回のラリーでは、マネジメントをするべき対象に負担をかけまくりですし、周辺のみなさんにもいろいろご迷惑をかけている。

そんなユメ語っていいのかどうか、自問自答の毎日です。」


「まあ、ボクができることはたかが知れてるし、とにかくあと4日、なんとか乗り切ってよ。でもね、頼り切ってしまうことはいけないけど、助けを乞うことは、いけないことではないんだ。

君のこれからの人生、特にスポーツマネジメントなんて仕事には、こういう場面はたくさんあると思う。悪い言い方をすれば、なんとか、使える人を使って、現状を乗り切ることを考える。

頭をさげまくってもいいし、卑屈にこびへつらってもいい。

ラリーだけじゃなくて、人生にはそんな場面がたびたび訪れる」


日本でラリーレイドがほとんど認知されていない時代に、パリダカールラリーやユーラシア大陸横断ラリーに参加した、会長の言葉には重みがあり、圧倒される。


彼のおくってきた人生のすさまじさにくらべれば、今の自分の状況なんか、どうしようもないくらい簡単な案件に思える。


「ありがとうございます。なんか元気が出てきました。」


「そういえば、君、小林君って言ったね。もしかして、小林昌樹さんの息子さんかい?」


「いえ、小林昌樹は、父の弟です・・・。」


「そうか、彼には、ユーラシア横断ラリーの時に、大分世話になったんだ。ドライバーとしてもなかなかだった。知ってるかい?」


ユーラシアラリーの時は、商社が主催だったため、さまざまな法務の業務を昌樹叔父が行ったことは知っていたが、参加したことは知らなかった。


「そうか、昌樹さんに会ったら、神田がよろしく言ってたって伝えといてよ。」


ーーーーーーーーーーー


翌日は、会長に言われたとおり、積極的に彼に声をかけてやることにした。

しかし、彼は完全に心を閉ざしてしまっているようで、話しかけても、一瞥するだけで返事もしない。

むずかる彼に、朝食を食べさせ、主宰者にもらったごはんで、おにぎりと缶詰の「ランチパック」をつくってやって、持たせ、車におしこんだ。


本当は一緒に同じクルマに乗ってやりたいが、割り当てがきまっているので、そうもいかない。


そして、困ったのは、彼の仕事。撮影だ。

彼は素材の撮影をするのが仕事だが、きのうから、まったく撮影をしていないし、これからも無理みたいだ。


「柴田さん、お仕事なんですから、なんとか撮影を頼みますよ。」


「もう知らない。撮影がやりたければ、きみがやればいい。」


そういって、カメラを僕に差し出す。


格闘技の選手のような筋骨隆々のモンゴル人ドライバーが「もう行くぞ!」とこっちを見て、現地語で怒鳴っている。


しかたなく、カメラを受け取り、ドライバーの顔が見えるよう、車の前面を回って運転席に回って、運転席のドアを開ける。


「なんとか彼を頼む。彼は、ミヅキ・・・。彼女のチームメイトなんだ。」と伝える。


このラリーに関わっているドライバーなら、英語よりも日本語が多少は分かるかも・・・。とドライバーに日本語で話しかける。

朗らかで、きれいな彼女は、ビバークでは大人気だ。彼女の知り合いと言えば、少しは印象が変わるかも。と伝える。


「・・・・英語でいいよ。わかるから」


「え!英語わかるの?」と僕も英語で返す。


「あいつが、あんまりうるさいし、いやなやつだから、現地語しかわかんないフリしてたのさ。俺は本職は医者だけど、2輪のラリーパイロットさ。友人がこのラリーに出場してるから、サポートも兼ねて、ドライバーをやってる。

だから、アメリカやヨーロッパのレースに出たこともある。

来年は、ダカールに出るつもりなんだ。だから、英語もわかる。」


「そうですか。彼女も将来の夢はダカールなんだ。」


「うん、彼女なら数年もすればダカールにいけるんじゃないか?彼女は速いし、クレバーだ。」


「・・・・それに、キュートだ。お前は、彼女のLOVERなのか?」


「いや、違う違う!僕は彼女のマネージャーみたいなもんだ。彼も含めたプロジェクトの監督だ。・・・・一応・・・・。」


「じゃあ、メンバーの選定をもう少し考えた方がいい。テゴシは腕も確かだし、お前も、若いのに有能だ。ただ・・・・。」


彼はディレクター氏を見ながら、


「アイツはダメだ。マネジメントどころか、自分の仕事もできない。モンゴルではな、自分に課された仕事を放棄するやつが一番嫌われる。」


「・・・・。」


黙り込む僕を見て、彼は運転席から降り、いきなり、ヘッドロックをかましてきた。

とんでもなく太い腕と、ごっつい骨格になすすべもなくホールドされる。

必死でタップして抵抗するが、びくともしない。


「心配するな。あいつは気に入らないが、お前はいいやつだ。みづきとお前に免じて、あいつは、ウランバートルまできっちり「配達」してやる。


「バ、バイラルラー・・・・。」


ホールドされながら、モンゴル語で感謝を伝える。

彼は運転席にもどり、


「じゃあな。ウランバートルに戻ったら、一杯やろう。」


太い腕をウィンドウから出し、ディレクター氏を乗せた青い四駆ははかっとんで行った。


「・・・未成年なんだけどなあ」


困ったのは、撮影だ。

テレビ局との契約で、ユーチューブ等の媒体へのUPを禁じられている以上、テレビの素材に頼るしかない。

僕が撮影するしかないが、参加者のサポートカーでは、いい場面に追いつけない。


「おい!小林くん!」


厚田さんに声をかけられた。


「よかったら、今日はスタッフの車に乗るかい?撮影もするんなら、こっちの方がいいだろ。」


渡りに船だ。助かった。


「ありがとうございます!よろしくおねがいします!」


ラリー後半戦が始まった。

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