第4話

 ――深く、深く沈み込んでいた意識が、ゆっくりと浮上していく。

 それはまるで昏い水底に沈んでいた体が光差す水面に引き寄せられていくかの様に。


 ここしばらく、意識はあっても靄がかかっているかのような、まるで別のナニカが自分の代わりに体を操作しているような感覚があった。

 それが今は嘘の様に、意識が浮き上がるごとに頭の芯から指の先まで、神経が張り巡らされていく錯覚を覚えるほどに鮮明になっていく。


 ――意識が覚めていく。


 指が一度痙攣する様に震え、ゆっくりと曲がり、拳を作る。

 重い瞼を持ち上げ、瞳に外の光を取り込む。そうすれば、視界一杯に広がる――



 ――イカツイ顔をしたオッサンのドアップ。



「ぎゃわぁぁああああああああっ!?」

「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」


 とっさに叫びあげるとオッサンの方も驚いたのか、のけ反りながら叫び出した。

 森の奥深く、男二人の太い声が響き渡る。


 考えるよりも先に体がこの場から離れようと動き出すが、なぜか全身を縛り上げられていて動かせなかった。

 なぜ気が付かなかったのか不思議に思うくらいしっかりと拘束されている。

 両腕は後ろに回され固定され、両脚は膝で折りたたまれ足首と太ももを締め上げるようにして細い何かが巻き付いている。


 自由に動かせる首を動かし、自分の体を見てみれば、緑色の細長い縄が全身を締め付けていて、胸から腹にかけていくつもの格子状の輪が作られている。


「えぇっ、何で俺亀甲縛りにされてるの!?」

「あ、それ私の趣味です」

「意味が分からない!」


 目が覚めたらオッサンの顔が迫っていたのも、体を縛られているのも、更にそれが別の男の手による特殊な縛り方なのも、全てが理解不能だった。


「――って、あれ?」


 そこで、なにか大きな違和感を覚えた。


 ――自分は今、何をした?


 誰かと会話していなかったか?


 これまでずっと一人で森の中でサバイバル生活だった自分が。

 言葉なんて独り言か、小動物に語り掛ける時くらいにしか発さなかったのに。

 ついさっき、口にでた疑問に返事が返ってきたのではないか?

 そもそもからして、まず最初に見たのは――


「に、人……間?」


 頭が真っ白になりつつも周りを見渡せば、四人の男が自分を囲むようにして立っていた。


 長らく見なかった自分以外の人が、そこに、居た。


「っっ……!」


 突然の展開に喉が引き攣り、目の奥が熱くなる。歪みそうになる視界をこらえつつも口を動かす。


「……あ、貴方たちは、一体……?」

「そうですね。まずそれを教えてもよろしいのですが、先にあなたの事を教えてはいただけませんか?」


 声を発すれば、言葉が返ってくる。

 それが、たったそれだけのことが、この森で暮らしてきた中で一番嬉しかった。


「お、俺は、気が付いたらこの森に居て、それからずっと一人で……あ、賢です。俺は森野 賢です。ずっと町の中に居たのに、いつの間にかここにいて、それで、それで――」


 支離滅裂だ。何が言いたいのか自分でもわからない。目の奥から涙があふれて止まらなかった。

 人は喜びの感情でこんなに泣けるのかと、グチャグチャな頭のどこかで思った。


「……私達は開拓者。『極夜の夜明け』所属の神官戦士、レリードと言う者です」


 レリードと名のったのは、賢と同じ黒髪を目の上辺りまで下ろした目の細い男で、こちらを安心させるように薄い笑みを浮かべていた。


「同じく、『極夜の夜明け』所属。グランツだ」


 最初にこちらを覗き込んでいたのは浅黒い肌の大柄な男で、グランツというらしい。その頭部には髪が一本もなく、代わりに刻まれた三本線の大きな傷跡がイカツイ顔を更に恐ろしいものにしている。


「オイラはパーティーの斥候役のベッグだ。よろしくなモリノケン」 

「アグーじゃ」


 それまで周囲を警戒していたのだろう、背を向けていた小柄な男が振り返って笑いかけた。クセの着いた茶髪に丸顔の男で、ニッと開いた口からは前歯がないことがわかる。歯抜けも相まって愛嬌がある。

 それに続けるように更に小さな背丈の、鎧を装備した髭面の男が言葉少なくも名を告げた。四人の中で一番小さいが重そうな金属製の鎧を着こみ、鎧が覆ってない首回りなどの太さが彼の体格を物語っている。


「モリノケンさんですね。会話ができるようで安心しました。拘束されて苦しいでしょうが、もうしばらくそのままでいることを了承してください」

「いや、あの……森野は名字、姓で、名が賢です。……なんで俺は縛られているのでしょう?」


 男たちの自己紹介も終わり、感情の高ぶりが収まってきたところで、縛られていることに不安が沸き起こる。……亀甲縛りであることもそれを助長する。


「覚えてないのか? お前俺達に襲い掛かってきたんだぞ」

「それも奇声を上げながら、な」

「えぇっ!?」


 グランツ、ベッグと名のった男が答えを返してくれる。しかしその内容があまりにも予想外すぎて驚いてしまった。


「名字持ちとは……お主貴族か?」

「いや、俺は普通の一般家庭の生まれですが……」


 アグーと名乗る男は賢にそう尋ねるも、賢はその意図が分からなかった。

 自分がいた時代では誰もが姓をもっていたし、貴族なんて一部を除きもう存在してない。

 いや、分かりたくなかったと言うべきか。彼が着込む金属の鎧を見ていると心臓の鼓動が大きくなり、不安が胸の奥から沸き起こる。


 それはまるで何かが決定的になりそうで――。


「……あ、あの、ここから一番近い国って、何て言うんですか?」


 ふいに、その言葉が口から出てしまい、後悔した。


「……そうですね。ここはイェドの深き森と呼ばれる場所です。そしてそのイェドの深き森を有するのが、多くの国の中でも大国と名高きポステリオル王国です」


 ――貴族。金属鎧。ポステリオル王国。


 自分の人生になじみのない言葉の羅列が頭に流れていく。


 いつの間にか居た深い森。


 見たことのない植物。


 これまで対峙してきた多くの見知らぬ動物たち。


 本当は分かっていたが、必死で理解しないようにしてきたそれらの事が、ようやく出会えた人たちの言葉によって、裏付けされていく。


「……どうか、されましたか?」

「いえ……」


 レリードが笑みを顔に張り付けたまま、観察する様に賢の表情を眺めていることにも気づかず、何とか声を絞り出す。


「すみません、レリードさん」

「はい、どうされましたか?」

「……俺を、この森から出していただけませんか」


 そう、ようやく自分以外の人間に出会えた。そしてその人たちは明らかに文明の物だと分かる服や鎧を着ているうえ、国もあるという。つまり、発展した文明が存在するという事だ。

 もしかしたら、自分以外の人間はいないんじゃないか、そう考え込んだ夜は数えきれない。一刻でも早くこの森から抜け出したい。その思いが膨らみ続けて止まらない。


「いいですよ。そのかわり、あなたの腕は縛ったままにさせてください。出合い頭に襲い掛かられたので、まだあなたの全てを信用できないのです。それでもかまいませんか?」

「問題ありません。この森を出られるのであれば」

「わかりました。……ベッグ、お願いします」

「あいよ」


 レリードがベッグに言葉とともに頷くと、ベッグは短剣を手にして賢に向けて振るった。

 手が霞むほどの速度で賢の体を這うように幾線の銀光が閃けば、両腕を縛るもの以外の縄が切り刻まれる。しかし、むき出しの肌には傷一つつかなかった。

 それまで気が付かなかったが、体を縛っていた緑の縄は植物のツタのようだった。バラバラになったツタの断面と、対照的な無傷な体がベッグの腕を物語っている。


 自由になった体を起こし、賢は四人の男たちに向かって頭を下げた。


「よろしくお願いします」

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