第2話

 気が付いたら森の中に居た。

 そのままでいるとパニックを起こしそうになるし、動物に襲われたらどうなるかは予想するまでもない。

 だから見つからない内に身を隠せる場所を見つけよう。あわよくば進むうちに森を抜けられるかもしれない。


「そう思ってたんだけどな……」


 見渡す限り木、木、木。あと草。


「どうしよう……」


 動き始めて体感的に2時間くらい。公園にいた時は17時過ぎくらいだったからもう19時になっているのではないだろうか。しかし木々に覆われているためか僅かでしかないが未だ日は差している。ここが日本内ならとっくに周囲は暗くなっているはず。つまり時差があり、ここは日本ではないということになる。


「いや、考えるな。考えるな…………おなかすいたな」


 不穏な思考が脳裏をよぎる度それを振り払い、足を進めてきた。

 周囲を警戒し、物音を立てないようにゆっくりとだが、確実に元いた場所から距離を離してきたはずだ。

 それでも視界に入る景色は代わり映えせず、その上、通常なら夕飯時であることから空腹を強く感じてしまう。

 そもそもすでに肉体労働をこなしてきているのだ。ただでさえ腹の減る勤務内容に加え、ここまで周囲を警戒しつつ歩き続けているのだ。消耗が激しいのは決まっていることだった。


「何か……食べられそうなものは」


 一縷の望みにかけて周りを見渡しても、そんな都合よく見つかるはずがない。

 しかし、足を止めたのが功を奏したのか、ある音・・・が耳に入った。


「これは、水の音……?」


 はやる気持ちを押さえつけ、慎重に音の下に近づいて行く。

 次第に緑の臭いにとはちがうソレを鼻孔が感じ取る。

 それまでの代わり映えのしなかった景色が嘘の様に終わり、代わりに大小様々な石が敷き詰められた地面と、その先に流れる緩やかな川があった。

 駆け出しそうな足を懸命に抑え、木の陰から辺りを見渡す。

 やがて危険がない事を確認してから、速足気味に川の下へ向かう。


 石だらけの河原に膝をつき、水を手ですくうと、透明で変なにおいもなかった。

 ゆっくりと水を口の中に注げば、その美味しさに驚いた。

 水道水なんかとは比べ物にならず、天然水として売られているよりも遥かに美味いと感じるそれに、たまらず顔を川に突っ込み直に飲んでいく。

 

 自分で思っているよりも乾いていたのだろう。満足するまで水を飲むころには、腹からチャポチャポと音がなるほどだった。


 はあ、と一息を吐き、その後あわてて木の陰まで逃げ込んだ。

 あまりに無防備すぎた。あの時襲われたらひとたまりもない所だった。と反省し、同時に少し安心した。


 当初の目的とは違うが、とりあえず水場は確保できた。あとは食べ物と安全な場所だ。

 木の実でもないものかと川辺から離れ、再度森の中を歩く。

 ある程度川から距離をとったら、水の流れる音が聞き取れる程度のところで横に曲がり、川に沿って歩く。

 水は生物にとっての生命線である。せっかく見つけることのできた水場を見失うという愚は犯さない。


 これまでと同じように慎重に歩みを進めていくうちに、朽ちて倒れた一本の木を見つけた。


 根元から折れ、地面の苔と同化する様に苔むしている。

 倒れた木と地面との境、まばらではあるが苔が生えていない場所に、ソレはあった。

 まるでそこだけ苔が避けるように、民衆が統治者にひれ伏すかのように、雄祐とそそり立つ――そう、キノコだ。


 キノコが、生えていたのだった。


 しかもただのキノコではない。これまで何度も見慣れた、親しみすらあるありふれたキノコ。シイタケそっくりの見た目をしていたのだ。


 賢はごくりと生唾を呑んだ。何を隠そう、賢はシイタケが好物であった。

 炒めてよし、焼いてよし、煮てよしの万能食材。しかも年中手に入る。

 三日に一度は必ず食卓にあがる。何なら今日の夕飯の野菜炒めにも入れるつもりであった。

 ありふれたキノコシイタケは食材最強。森野 賢はシイタケ信者だったのだ。

 今すぐにあのシイタケ様をもぎ取りその肉厚な傘をかじってしまいたい――!


「いや、生はまずいだろ」


 寸でのところで踏みとどまれた。あまりの空腹に頭がおかしくなっていたのだろうか、あと少しで指がシイタケ(仮)に触れるところで動きをとめた。

 冷静さを失っていた頭を左右に振り、熱くなっていた熱を冷まそうとする。


 しかし、依然指はキノコから離れようとしない。やはりどこか惜しむ気持ちは残ったままであり、何よりこれを諦めたとして他に食べられそうなものが見つかるかは分からない。

 木の実があればと思って探してみれば、最初に見つかったものがキノコとは、洒落が効いている。


 くだらない考えを隅に追いやり、思考を深める。


 ――店売りのものなら知らず、天然物のキノコを似ているかと言って素人が判断してもいいのか?

 そもそも自分はキノコに詳しくないし、知っているものだって10を超えない。

 知らない物の中にシイタケそっくりなものがないなんて、誰が保証できる?

その知らない物が毒をもっていたら?


 いや、それどころか、シイタケ自体ここに存在するのか?

 日本じゃない森の中で、見たことない木や草ばっかりで、もしかしたら地球ですらなかったら――


「考えるな。考えるな。考えるな……」


 フゥーと息を吐き、思考をリセットする。


 一旦頭を空っぽにするために空を見上げる。木々の隙間から見える青空が思考をすっきりさせてくれるのだ。


「――あ」


 頭上に広がる緑と茶色に空いた穴から覗く青。そこに鮮やかな黄色が混ざっていた。

 大声を上げそうになって慌てて口に手を当てる。

 その間も視線は黄色に向けられたままである。枝から垂れる様にして実った細長い形の木の実。一つではなく何個もぶら下がっている。しかも、良く見れば何か所か小さな穴が開いている。何かが齧ったのだろう。

 他の小動物が食べている木の実。それが示すのは、おそらく自分も食べれるという事だ。


 胸の奥からいっぱいに喜びがあふれる。


 キノコが食べれるかどうかなど頭の隅に追いやり、目の前の木の実を入手することだけを考える。


 ――そう、木の実を食べるには、それを取らなければいけない。

 自分が今立っている地面と木の実までの距離は、目測でも3メートルはありそうだ。

 賢がこの15年間の人生の中で木登りしたことはあっただろうか?

 答え。――皆無。


 胸いっぱいに膨らんだ喜びが萎んでいくのをはっきりと感じていく。

 抑え込んでいた手から覗いていた釣りあがった口端が下がり、表情が無となる。


 しかし、せっかく見つけた安全に食べられるであろう食物を諦める選択肢など無かった。

 幸運にも木の実が生えている木は太く、湾曲しながら上へと延びている。更に、地面から手を伸ばせば届きそうな位置から枝が生え始めている。

 登れられない事はなさそうだ。


 早速昇ってみることにする。木に抱き着くように腕をまわし、足で挟むようにして体全身を使って上に上がっていく。枝に手がかかる様になったらそれを掴み、体を引き上げる。落ちないように、慎重にそれを繰り返していく。


 今の賢の服装は仕事上がりのままで、白の半そでシャツにジャージのズボンだ。

 そんな恰好で木登りしようものなら、節だった木の皮で腕が傷ついていくのは当然の事である。それ以前に草木茂る森の中を歩いたことで葉のフチで腕に生傷を多く作っていた。

 それらの事には気にも留めず、ただ怪我しないように、目の先にある木の実を手にすることだけに集中して上へ上へと登っていく。


 そして、辿り着いた。目線の先には木の実が実る枝。しかしそこまでに2,3メートルは離れている。幸い木の枝は太く、ちょっとの事では折れそうにもない。

 行かない、という選択肢はない。ここまで来たんだからあと少しだけだ。

 そう自分を鼓舞して木の枝を抱くようにして木の実の近くまでにじり寄っていく。

 下を極力見ないようにして手を伸ばす。

 ひねり、ねじりを繰り返して手にした木の実は拳より一回り小さい位の大きさだった。そこそこの固さの皮を持つ実をジャージのポケットにねじ込み、別の身に手を伸ばした。左右のポケットに二つずつ、ヘタから伸びる茎を口にくわえ、計5つ木の実を手に入れると、巻き戻る様にして後ろに下がっていく。

 なんとか木の実を手に入れられた事、木の実に近づく際に、他の木にも同じように身が実っていたことに気付いたことに、緩みそうになる気を引き締め、昇って来た時とは逆に気を降りていく。


 なんとか地面に降りると、深い安堵の息を吐き――ガッツポーズをする。

 叫び出したいほどの喜びが全身を襲う。しかしそんなことは出来ない。だから今は噛み締める様にして全身を震わせ、感情を発散させる。


 さあ、すぐに行動を開始しよう。

 食料が手に入った。水もある。後は安全な場所だけだ。

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