第四幕 白き羽との闘い
皇族として就任してから二百年の時が経った。
父上は私の最側近の家臣として日々働いている。彼の仕事ぶりは非常に素晴らしく、国民への向き合い方、国の管理の仕方、皇族としての姿勢など生きていたころに習わなかったことを背中で教えてもらっている。
私は本当に嬉しい。この国の皇族として精進できることに感銘を受ける。この国は弱者に対するケアが充実しているように思う。
もちろんこの国は決闘に勝った者が強者として過ごすことができるがもう一つの理念として強者が弱者を守るというものがある。
その理念に基づいて、私たちは様々な政策を日々講じている。例えば衣食だ。もし国民が衣食の不足を話したならば、担当の役人や皇族が支給する。万が一、役人がそれを奪い取ったなら国法を破った罰として処罰を与える。
食糧に関しては食糧管理大臣のタイン兄上が管理している。生前農家だったこともありその経験を活かしているのだ。そんな国に住んで、幸せをかみしめながらこれからを過ごそう。
また朝に目覚め、陛下へのご挨拶を済ませると仕事に取り掛かるのだ。普段ならね。
今日の報告によると神界から【土地供給令】が発令された。我が国の輝かしい文明を発展させるのに不可欠なものは領土だ。
人間界とは違って死の世界にはもともと土地なんてない。土地を手に入れるためには神に与えられる機会を伺わないといけない。
ここ二百年間で全くそういう気配がなかったのにも関わらず、訳の分からないタイミングでこの発令をするのは気まぐれな神ならではだ。
そして、この土地を手に入れようと画策しているのは我々だけではない、そう天界もだ。天界は我が国とは正反対の国で生前善い行いをした者のみが来る世界である。
私はその境界は曖昧なものだと認識しているため彼らのことを完全なる善人だとは思えない。おまけにあの天使たちは私たちをひどく見下して、蔑み、差別をしてくる。
昔から嫌われ者を演じてきた魔界の者にとってそれは慣れていることではあるが、腹が立たないはずもなく、我々は天使が大嫌いだ。
それに貴族時代のアレもこの考えを支えているしな。天界は我が魔界の上にある世界で度々ちょっかいを出される。
しかも管理卑怯な手口で。この発令では、両界は基本戦いをして勝った方が土地を得るという条件も付随して発令されている。そのため今日からはそれに対する策を企てるのだ。
皇族全員を本宮の会議室に招集する。
「姉様、また同じ格好をしているの?」
アメシスが不満げに私の服装を見る。
「同じって言っても色は違うわよ」
「色だけでしょう?お姉様、少しはおしゃれに関心を持った方がいいよ。皇族なのにみっともなく見えるわ」
「そ、そんな……」
「じゃあ今度妾の街で買い物をしましょう、おしゃれな民が貴方をお洒落さんにするのよ」
「た、楽しみにしておくよ……」
と入ったものの、アメシスの買い物は非常に、すごい。という記憶を持っている。空中に積みあがった買い物袋は天に昇ってしまいそうなほど高かったな。
私たちがそんな会話をしていると会議室には皇族が集まっていた。シャンデリアに長テーブルにそろった複数の椅子が並んだだけのシンプルな造りで飾られたこの会議室にはこの国の精鋭が揃っている。
皇族たちは統一感のない服装をしていて、ラズワード兄上は長い頭身を活かしたゆったりとした服装をしていて、ラピスラズリをブローチとして上着に取り付けている。
反対にガーネット姉上はかなり露出の高い服装をしていてそのしなやかな筋肉を存分に見せつけている。赤いその髪に似合う宝石もつけているし。
タイン兄上に関しては基本半袖、半ズボンでその大きな体に密かな宝石、ターコイズを映えさせている。妹のアメシスはフリルとリボンを織り交ぜたピンク中心の服装でいかにもな格好だ。
ちなみに髪はピンクだ。スマラカタはいつもの片丸眼鏡を忘れていない服装で来ていた。
「さあ、会議を始めます」
そんな皇族たちを観察し、会議は始まった。
「議題は天界への対策、だね」
ラズワード兄上が話す。
「はい。司会進行は私が担当します」
「よろしくね、じゃ、早速私から行こうかな。……彼らの特徴を言う」
ガーネット姉上はまとめられた紙束を私たちに手渡した。
「彼らは天使の名を持っているが、かなり卑怯である。二百年前、なんの宣言もなく我が国に襲撃したあの一件がその象徴よ。それに対して怒りを覚えた神が天使に我々への奇襲を禁じた。それが解禁されるのがちょうどこの時期なのよ。……そして彼らは知っての通り我々の魔術とは性質が完全に異なる天術を使う」
ガーネット姉上は私に目配せをした。……実演しろ、と言うことか。私は杖を取り出して杖先から白い光を出した。そしてそこから炎を灯して王宮内の蝋燭に火をつけた。
「これが、天術。何もないところから物体を作る。それがその性質よ、これに最も相性が悪いのが破壊の魔法を持つ闇の魔術でこれを中心に天使とは戦うわ」
「……相手の数は?」
「私たちの百倍はいるわね。……いつだって有利な条件で高みの見物なのよ、だから彼らは私たちには絶対に勝てない。自信を持って彼らを叩きのめしましょう」
ガーネット姉上はその場で着席した。
「ありがとうございます。……では具体的な作戦を立てましょう」
「まずは今回の指揮官を選ばないといけませんね」
そう語ったのはスマラカタ。
「そうね、……みんなふさわしいとは思うけど……やっぱりガーネット姉様じゃないかしら?」
「ラズワード兄様も悪くないよ」
タイン兄上
「ロアイトは?」
そう言い出したのはラズワード兄上だ。
「いいんじゃないかしら?」
アメシスは賛同する。
「え、」
「お姉さまは強いですし、闇の魔術にも長けてるわ。なら、天使との対抗にふさわしいでしょう」
「あの……」
「だったら、作戦も任せていいね。……生前は軍師もやっていたそうだから安心さ」
タイン兄上までも賛同してしまった。
「まっ、待ってください!いいのですか?私は彼らとまともに戦ったことなんてないですよ」
「え?……あるじゃないか。ほら二百年前」
「あれは私が勝手に参戦しただけです。正式戦ったわけでは……」
「だが、君は勝った。そして私たちを守ったんだ。……頼まれてくれないか?」
ラズワード兄上はその深い青の瞳で私の心を捉え真っ直ぐに見つめてくる。その見目麗しい顔を私に向けてその返事を心待ちにしている。
「……しかたありませんね、では今後軍の全指揮権は私が行使します。よろしいですね?」
「ああ」
会議はそのまま進行し、やがて戦闘の当日になった。舞台は我が国、空は青く、雲などひとつとして存在しない。
私は眼科を見下ろし、国民が全員避難したことを確認する。配置についた皇族たちに目配せをし、彼らに緊張感を持たせる。そして、陛下は……話される。
「白き有象無象よ、我らの繁栄を阻むと言うのならば容赦はしない!恐れ慄くものはここでひれ伏せ!……闘うものは飛び回れ!我らが武族、貴様らを血の運び人にしてやる!」
こんな物騒なことを笑顔で悠々と言ってしまう。やはり彼もここの住民だ。
私は王宮の屋根に座り込み、彼らを眺める。敵の数は数えるだけ無駄、と思えるほど溢れかえっている。いったいどこからこれだけの天使を集めたのだろうか。
そんな疑問が頭を走り抜けたが、気に留めることはない。なぜなら彼らはここで堕ちるのだから。
低い角笛がさらに響いた。……開戦だ!勢いよくなだれ込む天使軍、その流れを食い止めるのが我ら皇族家の第二皇子、タイン兄上。
彼は植物への愛情から植物の枝や毒性を自由自在に操ることができる。まるで人が中に入っているかのように。
その葉は天使たちに降り注ぎ、巨大なそれで天使どもを叩き潰す。そして地面に平伏した天使たちを土から急速に生えた蔦が絡みつき拘束する。
身動きの取れなくなった天使たちの羽を一気に抜き取る。……すると彼らは死ぬ、でもなく堕天する。この世界において死ぬことはありえない。神が消さない限り。
天使が死んだとき、それは堕ちた時。闇に落ちた時だ。ちなみに我々が死ぬ時は神に殺される以外ない。
なぜなら我々にはもう一度死ぬと言う権利なんて与えられていないからだ。天使が堕ちた後、兵に回収をさせる。
完全に我がものにするためだ。その阿鼻叫喚な姿に呆けている白い者たちをガーネット姉上が空から大火をもって燃やし尽くす。
地上は焼け爛れ、天使の皮膚は赤く色づいて燃えていく。
それを運よく逃れた天使たちの相手はラズワード兄上とスマラカタだ。スマラカタの弓の腕は私が知る限り世界一だ。
彼の打った矢は真っ直ぐに天使を貫いてどんどんと、おとしていく。ラズワード兄上はその矢に簡単な魔法をのせて共に打たせる。
こうすることで威力と死ぬときの痛みが増す。……戦場において最も大切なのは兵の士気だ。いくら戦術が優れようとも、いくら武器が強かろうと結局闘うのは人間だ。
人間には弱い心がある。それをうまく壊せば簡単にその烏合の衆はカラスになるのだ。しかし、不思議なのがここまでうまくいきすぎていることだ。
戦場では作戦の一つや二つ失敗するものだ。……彼らが弱すぎるのかそれとも、隠し球を持っている、のだろうか。
そう思っていると有象の中から真っ直ぐに白き羽が貫いた。それは私の元に来て刃を突き立てた。
私はそれをひらりと交わし、持っていたナイフをその天使の首元に当てようとした。しかし、それはすぐに距離を取った。
「あれぇ、もうはじまってたのぉ?……ん?君、めちゃめちゃ可愛いじゃん!……名前は?」
と、陽気な天使が戦闘中であるにもかかわらず私の顔をまじまじと見る。
「……」
あの皇族たちを掻い潜り私に剣を突き立てるなんて、初めての経験だ。
「貴方こそ誰なのよ、名前を求めるならまずは自分からでしょう?」
「あ、そっか……、僕はミカルス、熾天使の一人さ」
熾天使……、天界に存在する天使でもかなり強い部類に入る。おそらく魔界に来る天使の中では最強だろう。そもそも天使の役割とは闘うことではないしな。
「ねえ、君は?名前」
「私は……ロアイトよ」
「ロアイトちゃん!かわいい名前だねぇ」
すると彼は私の肌にその手を這わせた。密かに虫唾が走る。
「……」
この男、こういうことに慣れているな、触り方がそれを示している。
下手な人はがっつりと触る。……初手から、しかしこいつは表情一つ変えず、私の顔を伺っている。むかつくタイプの男だ。
私はその手をつねって引っぺがすと、少し距離を取った。すると、遠くから声が近づいてくる。そしてその声の主は二人でミカルスに対し剣を突き立てた。
「黒川!アルファード!」
私の大事な使用人たち。
ミカルスはその大きな羽で二人を叩き落とすと一気に私の体を固めた。
「気を抜いたね……、確かに君は強い。でも弱い、君はここにいるべきじゃないよ」
首元に暖かなしわがあてられる。
「君は優しいんだ。とてつもなく、人に気を使うことができて他人に優しくて自分の持っている強さを自分のため意外にも使える。そして僕を目の前にして彼らの名を呼ぶ信頼度。ねぇ、君はどうしてここにいるのだろうねぇ?」
「さあね、神が決めたんだから私の知ったことではないわ」
息のしない喉が閉まる。彼のしわがぐっと私に引き寄せられる。
「……っ、貴方に……こういう趣味が……あった……とはね……」
息をしないはずの私の体が苦しいと叫んでいる。ああ、そうだ。辛いのだ。死ぬという解放が永遠に来ないから。
「ねえ、僕と一緒に来なよ。天界へ美しい君にはそこがふさわしいよ」
白き羽は私の体を包んでいく。ああ、優しい暖かな幸せだ。でも、
「そうね……その方が幸せを手に入れられるかもしれないわ……でも!」
私は懐からナイフを取り出し、左胸に突き刺した。赤黒い液体がドバドバと口と胸からあふれていく。
「ちょっ!」
驚いた拍子に彼は私を解放した。
「エンゲル、下の黒川とアルファードの治療を頼むわ」
【わかったわ!】
私の胸から飛び出た紫蝶は一目散に二人の元へ飛び立った。
「君……!」
「下を見なさい!」
彼は下を見た。そこには天使たちの亡骸が転がり、血の海と化していた。
「私たちがよく知る世界よ。……私はねこれを一人で作ったことがあるのよ」
「一人で?」
「そう、簡単よけっこうね。人の体を壊し肉片から血しぶきをいっぱい出すの。それを数十回こなしたら血の海の完成。私はこれを大切なこの国で、大切な人たちに命令してやらせているのよ。優しいはずはない。……それに私、ちっともきれいじゃないわ」
「いいや、綺麗だよ。君はこの国は。ここが魔界なんてありえないよ。ロアイトちゃん、また会いに来るよ。今日は勘弁する。それじゃあね」
彼は白い羽を大きくバタつかせ天使たちに示した。「帰るぞ」と。天使たちは傷ついた体を抱えてこの国を後にした。土地は我々のものだ。
「ふう、よかった。みんな、守りきっ……」
私は真っ逆さまに落ちていった。
お前は悪魔の子だ!お前など生まれてこなければよかったのだ!
違う、私は悪魔じゃ、……いいや悪魔だ。でも、生まれてきてよかったんだ!
はっ!と目を覚まして外の空間を眺める。またあの悪夢を見た。でももう悪夢じゃない。悪夢じゃないんだ
「殿下、……ご無事ですか?」
心配そうに私の顔を覗き込む彼は温かく私を見つめている。
「ええ大丈夫よ。……あなた達は?」
「殿下……!」
「……っ、」
私の顔に一気に近づいて覆いかぶさったその人は唇に噛み付いて舌を絡めてきた。息がこぼれ、蜜が溢れて微かに瞳が濡れる。
「あのぉ、熱くなってるところ申し訳ないけど、私もいるよ?」
そう言って熱を割ったのは使用人のアルファードだった。よかった。どうやら無事みたいだ。
「ロアイト様、私もよろしいですか?」
「……、仕方ないな」
私たち魔法使いは体全身に血に見える魔力が流れている。無理やり動かした心臓がそれを全身に巡らせ空気中に含まれている魔力を少しずつ肺によって体に取り込む。
でもこの魔力は本当に微弱である。我々穢れし魔女は欲望を晴らすことが最大の魔力回復になる。優しい科人は楽しげにこちらを見下ろして私の反応を楽しんでいる。
獣を操る獣者はその汁をこぼしながらじゅるりと私を味わい尽くすのだ。
「……ふ、……っ」
この行為に意味などない。愛情の確かめ合いでもない。ただの力の回復だ。
何も見出したりしない。ただ骸で相手を愉しませればいい。昔から身についた悲しい性癖がそうさせる。
その日の夜、私は昼に目覚め魔力を回復した後は夜になって戦闘の事後処理に陥っていた。
「はあ……黒川のやつめ」
腰が……痛い。おまけにアルファードも加わってかなり疲れてしまった。盛り上がり愉しくもあったけれど、やりすぎはいかんな。
しかし、思っていたよりも事後処理には時間がかからなかった。そもそもこの国は闘いなんでザラにある。偶に馬鹿が決闘場外で喧嘩をして国内がボロボロになったりするしな。
慣れと言うものは怖いものだが、対応を適切にできるようにもなるし、楽ではあるのだ。
仕事が終わったので私は皇族専用のバーに行くことにした。タイン兄上が自分の作った酒を提供したいと創り出した酒場なのだが、月替りで当番が変わる。私がそこに行くと淡い明かりと茶色いカウンターが、出迎えてくれた。
「お、珍しい。ロアイト、いらっしゃい」
優しい言葉で迎えてくれたのはタイン兄上だった。グラスを拭いているここのオーナー、そして今日の当番だ。
彼は新しいボトルを取り出してワイングラスにトポトポと注いでいく。その赤紫の液体を差し出された。カウンターに沿い並ぶ赤いクッションの椅子に座りそれを一口飲む。
「……美味しい」
「それはどうも」
彼はニコリと笑った。
「うっ……うう……」
突然の呻き声が側から生えた。その声の根本に赤い髪が見えた。ガーネット姉上
「姉上、また酔っ払っていらっしゃる……」
「姉さん、ロアイト来てるよ、起きなよ」
しかしなかなかテーブルに突っ伏したままその葉を広げようとはしないのだ。意地の悪い姉を見かねて姉上の腕を引っ張り上げた兄はその流れでその唇にキスをした。
「え……」
「ん?……あ、タイン、私何してた?」
「寝ていたよ。ほら、水飲んでよ」
タイン兄上は手に持ったグラスに水を汲んでそれを姉上に飲ませた。
すっきりしたように見える姉上はこちらを見てニコリと笑った。ほのかに酔ったその赤い頬と赤い瞳、燃えるように赤い髪をサラリと流して色めかしくこちらを見据える。
「ごめんね、だらしないところを見せて」
「……いいのです。家族ですから」
「……、ロアイトが家族なんて、ね。嬉しいよ……やっと家族と思ってくれたんだね?」
「はい……」
「もう怪我はいいの?」
先ほどまでだらしなく根を張っていた姉が水を与えられて真っ直ぐにこちらを見ている。
「はい、ご心配おかけしました」
「本当にね、……まあロアイトの気持ちもわかるよ。大切な人の無茶ぶりに体が止まらなくなるのは」
彼女は一瞬タイン兄上のことを見たように思える。
「おかわりはいるかい?」
「頂きます」
「了解、……ワインにする?」
「はい。あっ、ワインなんですけど……アレをお願いします」
「アレ?……ああ、アレね持ってくるよ」
彼は酒庫に入っていった。
「アレってなに?」
姉上が訪ねてくる。
「ふふ、……内緒です」
しばらくすると彼は戻ってきた。手にワインボトルを持って。そのラベルには紫色のインクでロアイトと書いてある。
「これって……ロアイトが作ったの?」
「はい。兄上に教えていただきながらですが」
「すごいんだよ、ロアイト。要領をつかむのがすごく早かったんだ。ブドウの品種に育て方良い環境から水を与える時間帯まで全て自分で管理しているし、あと最近はお茶の葉も作っているんでしょ?」
「な、なんで知っているのですか?」
「この間偶然本殿内でお茶畑を見つけちゃってね。キッチリ育てる枠を分けてるところを見て君しかいないと思ったんだ」
「……」
割と簡単に見破られていた。明らかに私の不注意で、だが。
「まあ、いいじゃん。いっただきまーす」
そう言うとガーネット姉上はグラスにワインを注ぎそのまま飲み込んだ。
「んん、……これは……」
「どうでしょうか?」
「んんー!美味しいわ!」
と言ってガラスのワインを飲み干した。私はそっと胸を撫で下ろして姉を見た。
「甘みと酸味のバランスが完璧で、口当たりも軽いし飲みやすいわ」
そう言ってまたグラスにワインを注ぐ。それをタイン兄上へ手渡した。
「いただくね、……美味しいなあ」
柔らかな笑みを赤くした。ほのかに酔ったのだろうか。
「喜んでいただけて良かったです」
「……すごいね、ロアイトはどんどん新しいことができて」
「いえ、兄上の教えの賜物です」
「またまた、謙遜しないの。……もっと自信を持っていいのよ、自分を誇りに思って。だから……ここにいて」
あの話、知っていたのか。
それはそうだろう。見られている気配はしていたんだ。私がうまく逃げると思って見守っていたことも全てわかっている。
「わかりました。……ここにおります。姉上」
私は姉上の手を握ってそっと微笑んだ。
「よっし!じゃあ今日は飲み明かすよ!お酒、ジャンジャン持ってきて!」
「はあ……、仕方ないなあ」
今日は酒の踊る夜。偽りの月は顔を隠し夜を静かに彩る。私がお酒に溺れるのはいつぶりだろうか。こんなにしあわせな世界でここに入れることを私はどう思うべきなんだろうか。私は……ここにふさわしいのだろうか。
翌日、目を覚ますと私は皇帝に呼び出された。身なりを整え息を整え、いざその玉座の間へ。厳かに座る私の王。いつもの優しい顔を崩して少し苦しそうな顔をしている。
「ロアイト・ヴィ・ヴァシレウス、ただいま到着しました」
「そうか、……ふむ、よくぞ参った。おはよう」
「おはようございます」
「此度お主を早朝から呼び出したこと、失礼した。だがお主に話さなければならぬことがあるのじゃ」
「それは一体なんでしょう?」
すると彼は長く伸びた白い髭を触り、目をあちらこちらに向けている。……何かを悩んでいる、いや緊張している証拠だ。
私より強い彼が恐れのために緊張するなんてあり得ない。なら、どうして?
「……お主は人間界に行きたいか?」
「……行きたい……です」
「そうか、……ならば良いのか。いやすまぬ、お主の意思が聞けたなら良いのじゃ。実はのう、この国の皇族は五百年就任すると人間界に行く決まりがあるのじゃ。今のお主は二百年、あとたったの三百年で人間界に行くのじゃ」
「……御命令とあらばどこへでも行きます」
「本当に良いのか?……死んだお主が、……生きている人間を見るのは辛いと思う……」
「そうでしょうね。……でも、私はこれまで生きていた罪をロクに償いもせずにのうのうと生活してきたのです。……辛く立って構いません」
「しかし……!……まあ良い。ならば行ってくれるか。我が娘よ」
「はい、仰せのままに」
ロアイトはそのままこの部屋を後にした。本当に良かったのだろうか。ラズワードやガーネットは強いから大丈夫であった。
しかし、ロアイトはロアイトの心は繊細なんだ。天使でさえも認めるほどの繊細さと虚弱さ。本当に行かせていいのだろうか。
「……貴方」
そう言って現れたのは私の妻、ディヤメント皇妃。深い青の瞳に黄金の長い髪、サラリと高いその美しさに見惚れてずっと愛している存在だ。
「後悔しているの?」
「……少しな」
「貴方らしくもない。……安心なさい、あの子は私が育てた子、人間の様子に心は揺らがないでしょう」
「本当にそう言えるか?」
「……曖昧ですけれど」
「ロアイトは優しいのだ。とてつもなく。どうしてこの世界に来たのか、なんて私だってわからない」
「きっと……神の思いでしょうね」
「ふざけるなよ!……人の……人生が……そんな!」
「……ごめんなさい」
私の、悪い癖だ。彼女は悪くない。単なる推測を語っただけなのだ。
「いや、こちらこそすまない。……そうだな信じてみようか。我が娘を」
「そうです。……さあ、もう寝ましょう、私と。嫌なことを忘れられるくらい荒く抱いてね」
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