第三十三話 部屋温し

「楓……様。楓様、起きてください。朝です……でごさいます」

 勇輝がぎこちない口上とともに、布団の上から楓を優しく揺すった。


 近習の仕事の一つ。楓を起床させ、身支度を整えるのを、松風指導の元、実践しているのだ。

 ちなみに、いつもの砕けた口調は近習として相応しくないと、青羽に禁止された。


 勇輝に揺すられて、楓がうーんと呻きながら目を覚ます。


「うん……? 勇輝? なんで……」


 と言ったところで、思い出したのだろう。おはようと挨拶をしたので、勇輝もおはようと返す。

 楓は、布団に入ったまま、勇輝に尋ねた。


「今日から、毎日勇輝が起こすのか?」

「そうだよ」

「……俺の近習だからな」

「うん。楓の近習だからね」


 鸚鵡返しにそう返すと、楓は嬉しそうに、にこぉっと笑った。

 それにつられて、勇輝が笑顔になった瞬間、腕を取られて、布団に引き込まれた。


「ちょ、楓!」


 勇輝は慌てた声を出すが、楓はどこ吹く風だった。ぎゅうと勇輝にしがみつき、あろうことか二度寝の体勢に入る。

 布団の外では、松風が主人を止めるべきか、部屋から出るべきかわからず、オロオロしていた。


「楓! 起きて!」

「少しくらい、いいだろう」


 寝ぼけた顔を猫の匂い付けのようにぐりぐりと擦り付けてくる。楓の顔が揺れるたびに、勇輝の喉元に髪がふわふわと当たり、くすぐったかった。


「ダメだって! 僕は朝の禊を済ませたし、皆で朝のお勤めをしようと思って、青羽も辰馬も外で待ってるから!」


 その言葉を聞いて、楓が葛藤する。それを好機と見て、勇輝はさらに言い募った。


「今日、いつもより早いのは、松風に楓の着替えのやり方を教えてもらおうと思ったからなんだ。もう少し寝ていたいなら、寝られるけど、その場合、慣れてる松風一人に着替えを頼むことになるよ」


 その言葉を聞いて、動きがピタリと止まる。そして、暫し逡巡した後、「……起きる」と拘束を解いた。


 流石に、朝のお勤めを蔑ろにはできなかったらしい。

 ……単に、勇輝に着替えさせて欲しかったわけではない……はずだ。




   ◇ ◇ ◇




 勇輝と青羽は、一年先行して渾天院に入ったため、座学中に付き従うことはできない。

 それで、座学中は、楓と同期である辰馬に一任することになる。

 それでも、昼ご飯は一緒に食べるし、訓練や実習、演習などはできる限り随伴する。

 特に、勇輝は小隊が一緒なので、小隊訓練の際、これ幸いとばかりに青羽にお世話を頼まれた。

 と言っても、いつもより楓を気にかけてやるくらいだったが。

 それで、いつも、無意識のうちに楓の世話をしていたのかと思うと、ちょっと凹んだ。

 放課後は大輝達を交え訓練をし、皆で賑やかに夕ご飯を食べて、特に問題なく勇輝の近習一日目が終わろうとしていた。




   ◇ ◇ ◇




「楓、様。苦しいところはないですか」

「うむ。大丈夫だ」

「なら、寝間着の着付けはこれで完了、……でいいのかな」

「えぇ。意外とお上手ですね」


 夜、楓の寝室で着替えの手伝いをする。と言っても、寝間着は簡素な着物だ。それほど大変な作業ではない。松風の教え方も丁寧で、勇輝は戸惑うことなく、楓の着替えを完了させた。


「この部屋着は……」

「こちらに掛けておいてください」


 勇輝は、楓のやり方が全く分かっていなかったので、全て尋ねる必要があった。

 特に楓の持ち物は全て一級品で、勇輝には武具以外の手入れの仕方などまるで想像もつかない。

 「片付けておいて」という指示一つでも、拭いてから片付けるのか、払ってから片付けるのか全く分かっていなかった。

 勇輝の戸惑いをいち早く気がついた松風は、早い段階から、全て言葉にして指示してくれるようになった。それがとてもありがたい。


「それでは楓様、お休みなさいませ」


 松風と二人、退出しようとすると、勇輝だけ残るように声がかかった。


「楓様?」

 何か粗相があったかと焦る勇輝と松風に、楓はそうではない、と言った。それでもなお、不安そうに動かない松風を、楓は言葉一つで退出させる。


「あの、楓様――?」

「――その言葉遣いはもういい。二人っきりなんだ。今まで通りで構わん」


 楓はそう言って横になると、布団の傍をポンポンと叩いた。どうやらここへ来い、という合図らしい。


「でも、他の者に示しが……」

「二人っきりなのに、他の者もあるか。青羽みたいなことを言うな」


 あいつは優秀だが、融通が利かなくて云々と続ける楓に、先程の台詞が青羽の受け売りだと言うことは黙っておく。


「どうだ? 近習は」

「う〜ん。覚えることが多くて、大変かな」


 一緒に布団に横になれと言う楓を無視して楓の傍に座ると、寝転ばないなら膝枕をしろとにじり寄ってきたので、座る位置を調整して膝枕をしてやった。


「……俺との生活は大変か?」


 楓が少し不安そうに聞いてくる。だから、そうじゃないよ、と勇輝は教えてやった。


「楓との生活が大変じゃなくて。楓が使っている物って、どんな小物でもいい物使ってるじゃない。だから、それをどう扱うのか覚えるのが大変で」

「……なんだ。そんなことか。物なんかどうでもいい。多少、雑になっても構わんぞ」

「そう言うわけにはいかないって」


 いくらすると思ってるんだよと、これは松風の受け売り。


「今日はずっと側にいたのに、いつもより遠く感じた。言葉のせいか?」


 勇輝も思っていたことを楓が素直に口にした。

 そして、昼間の距離を埋めるようにゴロゴロと甘えてくるので、髪を梳いて撫でてやる。


 そんなことをしながら、今日あったことをぽつぽつ話す。

 勇輝は近習の仕事のことを。

 楓は、勇輝と離れていた時にあった出来事を。


 夜、こうやって二人きりで穏やかに話すというのは、不思議な感じがした。

 だが、嫌ではない。

 最近は、朝晩冷え込むようになった。しかし、今、この部屋の中は、暖かい空気に満ちているように感じられた。隅に置かれた行灯が、二人を優しく照らす。


 とりとめもないことを話していると、楓がうつらうつらし始めた。

 膝枕をやめて、布団の外に添い寝して、ポンポンと背中を叩いてやる。

 最初は力なく「俺は子供じゃない」と抵抗していたが、そのうち瞼が落ちきってしまった。


 寝入った楓を見て、勇輝は胸が温かくなるのを感じた。頬にかかった髪をさらりとかき上げてやると、幼いながらも整った顔が露わになる。

 起きている時は、多数の近習を従える次期当主の顔を崩さないが、こうやって寝ている時は年相応に見える。


 もっと、僕に甘えればいいのに、と言う願いは、果たして近習として適切なのだろうか。

 そんなことを考えているうちに、勇輝の瞼も下がっていった。


 今日は慣れないことをして、疲れていたのだ。

 急速に落ちていく意識に、あぁ、自分の部屋に帰らなきゃ、と思う間もなかった。





 次の日の朝。

 勇輝が自分の部屋にいないことを不審に思った松風は、それでも、楓の着替えを済ませてしまおうと、主人の部屋の襖を開けた。

 そして、声にならない悲鳴を上げ、真っ赤になって襖を閉める。

 一瞬、覗いてしまった松風の目には、楓と勇輝の気持ち良さそうな寝顔が写っていた。

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