第三十二話 近習のお仕事

「それでは、勇輝には、今日から、楓様の近習見習いとして私の下についてもらいます」

「よろしくお願いします」


 勇輝は、『近習になってもいい』とは言ったものの、近習が何をするのか知らなかった。いわんや楓をや、である。

 それで、近習について青羽に教えてもらうことになった。


「我々は、一様に『近習』と呼ばれていますが、渾天院における『近習』は、普通の『近習』とは異なります」


 青羽は、武家のことは何も知らない勇輝に、基本的なことから丁寧に説明してくれるようだ。

 楓の居室の居間にある大きな机の前に立ち、教師よろしく説明を始める。


「普通、近習といえば、その主な役目は『身辺警護』です。しかし、渾天院では近習以外のお側仕えが認められておりません。ですから、渾天院における近習は小姓や右筆などのお役目も担います」


 ふむふむ、と勇輝は頷きながら、教えてもらったことを帳面に書きつけてゆく。

 その隣で、楓も、神妙な顔をして頷いている。


「近習の中にも、身分があります。それは、基本的に家の格だと覚えておいてもらえれば、間違いはありません」

「基本的には?」


 いい質問だ、というように、青羽が頷いた。


「えぇ。私は、家の格は高くはありませんが、楓様の乳兄弟ですので、特別に近習頭のお役目をいただいております」


「そうだ。だが、それだけで重用しているのではないぞ。青羽はとても優秀なのだ」

 と、自分のことのように楓が自慢した。


 勇輝には少し冷たく感じる時もあるけれど、楓は青羽に信頼を置いているようだ。確かに、青羽も楓のこととなると、我を忘れる事がある。

 勇輝が考えるよりも、乳兄弟には強い絆があるんだな、と心和んだ時だった。


「また、それ以外にも例外はあります。それは、主人に重用されている者です」


 青羽はそう言うと、にっこりと微笑んだ。



 その含みのある物言いに、勇輝が口を開けた時、


「――それでは、具体的な近習のお役目について説明していきますね」

 一転して冷静な様子で説明を始める。

 その説明は、とても丁寧で淀みなく、先ほどの台詞はその中に流されて消えていってしまった。




   ◇ ◇ ◇




 近習のお役目 その一


「その一、としまして、まず身の回りのお世話が挙げられます。これは本来であれば小姓の職分になります」


 小姓とは、主人の側近くで召し使われ、様々な雑用を受け持つ者のことである。その雑事の範囲は広く、到底、一人ではできかねるため、何人かで作業を分担していた。


「楓様のご希望で、勇輝には楓様のお側に侍る介添えをしてもらいます」

「これで、ずっと一緒に居られるな!」


 楓が無邪気に笑う。


「介添えね。具体的には何をするの?」

「朝のお着替えから始まって、夜、楓様がお休みになられるまでの身の回りの雑事、ほとんどが貴方の仕事だと認識してくださって構いません」


 構いませんって、僕が構うよ! とは言えなかった。

 要は、朝から晩まで楓にひっついて回って、その世話をしなければならないらしい。


「朝から晩までって……、もしかして、部屋を移る必要がある?」

「えぇ。もちろん」


 青羽は、何を当然、と言う顔をした。


「勇輝の部屋は、俺の部屋から一番近くにしたかったんだが……、どうしても青羽がダメだと言うのでな。あの部屋を開けさせた」


 楓が指差した部屋は、すでに荷物が撤去され、次の住人を受け入れる準備ができていた。


「ちょ、ちょっと待って! 僕、引っ越すつもりなかったんだけど!?」


 一ヶ月間の期間限定だ。そこまで本格的にするとは勇輝は思っていなかった。

 驚いた勇輝がそう叫ぶと、楓はやや不機嫌になった。


「何を言っているんだ。お前は俺の近習だろ。なら、近くにいなきゃいけないじゃないか」

「だって、楓の近習で、この房に住んでいない人、たくさんいるでしょ」

「まぁ、入りきりませんからね。基本的に、この房は四人で住むように作られています。今回、勇輝がここへ引っ越してくると言うことで、松風まつかぜ――この部屋の住人はもう一人の近習、辰馬たつまの部屋へ移動してもらいました」

「そんな! 悪いよ!」


 遠慮する勇輝を、青羽は一蹴した。


「悪い? 何が悪いと言うのです。貴方は、片手間で楓様の近習をなさるつもりですか? それなら、そちらの方が悪いでしょう」


 いつも涼やかな視線の温度が更に下がり、勇輝は無条件降伏をする。


「……すみません。誠心誠意、務めさせていただきます」


 両手を上げて降伏の意を表明する勇輝に、青羽はにっこりと笑った。


「よろしい」




   ◇ ◇ ◇




近習のお役目 その二


「ちょうどいいですから、二人のことも紹介しておきましょうか」


 青羽はそう言うと、一室に声をかけた。


「松風、辰馬、少しいいですか」


 その声に呼ばれて出てきたのは、気の優しそうな少年と体格のいい男だった。


「彼は、入江いりえ松風まつかぜ。彼は、楓様の介添えを務めています。勇輝、貴方の具体的なお役目は、彼に教えてもらってください。松風、こちらは、白川勇輝。今日から楓様の近習になります。色々、教えてやってください」


 まず、青羽が紹介したのは、気の優しそうな少年の方だった。

 彼は何度も見たことがある。楓が勇輝を呼びつけるとき、よく使いに出されていた者だ。見た目通り、押しが弱く、勇輝が誘いを断ると泣きそうな顔になったのが、印象に残っている。


「えっと……、よろしくお願いします。白川先輩」

「よしてください。歳は一つ上だけど、近習としては、僕の方が後輩だから。勇輝でいいですよ」


 自分でも滅多に名乗らない養父の家名で呼ばれて、勇輝は反射的に違和感を覚えてしまった。養父達は悪い人ではないのだが、どうしてもあの家が自分の家だとは思えなかったのだ。


 ――家名など、ほとんど名乗ったことはないのに、よく知っている。


 青羽はさらりと勇輝の姓名を口にしたが、かなりの情報収集能力である。

 内心で青羽の情報収集能力に舌を巻いていると、松風の隣の大男がにかっと笑って自己紹介をした。


「俺はもちろん、呼び捨てでいいよな。――俺は、辰馬。これから、よろしく」


 そう笑った彼は、身の丈があるだけでなく、服の上からでもわかる鍛え抜かれた体をしていた。

 よろしく、と答える勇輝に、青羽が補足説明をする。


「この辰馬のお役目は、『身辺警護』です。これは、本来の近習のお役目と同じですよね。彼は警護の関係上、楓様のお部屋から一番近いところで寝起きしています」


 それで、楓の部屋から一番近い所へは、引っ越しできなかったのだ。楓も流石に警護のためと言われれば、我儘をつき通せなかったのだろう。


 紹介された辰馬は、どう見ても勇輝より三、四歳は年上だった。

 後日、青羽に尋ねたところ、楓の渾天院入学まで、彼自身の入学を控えていたらしい。つまり、彼は学年だけ見れば楓と同じなのだ。


 近習として、主家の子息と共に入学するため、一、二年入学を控えるというのはよくある話だが、彼ほど待つのは珍しかった。楓が特例で入学を早めなければ、彼は幾つでここに通うことになっていたのだろう。


 彼は、日野家の三男です、と青羽は言った。

 家督を継ぐ可能性はなく、だが、武に優れ、忠義心も厚い。そこをお屋形様に見込まれたそうだ。


「よろしくお願いします、辰馬……先輩」


 学年は下だが、年上の男を呼び捨てにするのははばかられた。それで先輩、とつけると、辰馬はその体格通り、豪快に笑った。


「ははは。まぁ、歳が歳だし、そう言いたくなる気持ちもわかるが。同じ楓坊ちゃんの近習だ。辰馬でいい。仲良くやろうや」


 なぁ、と笑う顔には、翳りはなかった。




   ◇ ◇ ◇




近習のお役目 その三


「最後に、私のお役目ですが、私は『近習頭』になります。近習を束ね、その采配をしたり、楓様の予定を調整したりする事が主なお役目です」


 そう言って、青羽の説明は終了する。


「……説明聞いて思ったんだけど」


 勇輝は帳面に書き付けられた文字を見ながら、言いにくそうに口にした。


「楓、何もしてなくない?」


 説明されたことを見返すと、着替えや洗顔など、基本的な身の回りの事をはじめとして、座学の準備、武具の手入れ等、何から何までそれぞれ近習が担当している。履物の用意をするためだけの近習すら存在するのだ。


 楓と一緒の隊になり、初めての野営訓練で火すら起こせなかったことを思い出す。そりゃ、こんな生活をしていたのなら、当然だ。

 だが、青羽は言う。


「楓様には、そのようなこと求められておりません」


 貴族の中でも伊吹は特別だ。自分でなんでもできるようになりたいと、近習をつけずにいる。勇輝などは、貴族のことをよく知らないからそんなものか、と思うのだが、青羽達からしてみれば、伊吹ほどの家柄で、近習をつけていないのは、本来、あり得ないのだそうだ。

 だから、青羽は、楓が火を起こせなくても、何も問題はないと言い切る。


「楓様に求められている事は、陣を張り、飯を炊き、妖に突撃することではありません。戦略を立て、兵を指揮し、妖を討ち取ることです。それさえできれば、他の事は些事なのです」


 実際に、お屋形様、つまり楓の父親もそうだっただろう、と青羽は言った。


 青羽が言っているのは、八ノ瀬山の毀猩討伐のことである。哨戒任務の際に、伊吹隊が大物の妖『毀猩』に遭遇し、それを三条家が討伐するまで見守ったことを青羽は言っているのだ。

 その時、討伐の指揮を取ったのは、楓の父親だった。彼は後方に張られた陣から一歩も出ることなく、三条家の私兵を動かし、見事、妖を討ち取った。


 陣に勇輝達、見学者がいたから、彼もずっと陣の中にいたのだと思っていたが、よくよく考えると確かにそうだ。大将が先陣切って、妖に斬りかかる姿というものはあまり見たことがない。


 だが、それとこれとでは話が違うのではないだろうか。

 身寄りがないため、独立独歩で生きてきた勇輝からすると、自分で身の回りの事を何一つ、満足にできないというのは、ひどくいびつな事のように思えた。


 隣に座る楓を見ると、なんだ? と見返してくる。

 ふっくらした頬に、長い睫毛。声は高く、喉仏が目立たないすっきりした首をしている。

 外見から見ても、楓は大人になりきっていない。そんな彼の心は、まだ柔軟で、いかようにも形が変えられる、と勇輝には思えた。


 いつだったか、伊吹は言っていた。楓を真っ直ぐな人に育てたいと。

 それを聞いた時、伊吹がなぜそんなことを言うのか、勇輝にはわからなかった。少し生意気ではあるものの、向上心があり、努力家で、不器用ながらも思いやりがある楓は、そんなに悪い奴に思えなかったからだ。

 だが、楓の家を知り、楓を取り巻く環境を知ったことにより、伊吹の言葉の意味が勇輝にもわかった。


 朧の、彼らだけの都合で作られた理論を鵜呑みにし、それを疑うことなく行動に移す楓。


 『臣下の理想』が根底にある青羽達近習の行動に、疑問を持つことなく受け入れる楓。


 このままでは、彼の持つ良さは失われ、いつしか、大人の、そして周りの圧力により、ゆがんだものに変わってしまうだろう。


 なんでもないよと、ニコッと笑うと、楓も笑い返してきた。

 その笑顔を見て、もし、自分が本当の近習になるなら、楓のための近習になりたいと、勇輝は思った。

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