第40話 それでも世界は続いていく

 唯人が死んでから1週間もの時間が流れた。


 基地は少しずつ復興し、廃墟は姿を消していく。


 そこで生きる人達の心の傷なんて無視して、形だけ元に戻っていくのだ。


 でもそれは、私たちのように進まなければならない人間にとってはむしろ救いかもしれなかった。


「博士、今日はまだ先生の所に行かないの?」


 狭いプレハブで出来た個室の半分を占めるベッドに座っている美弥が、寂しそうな顔でそう問いかけて来る。


「もう少し待って。電話をかける用事があるから、それが終わったら行きましょ」


 空を飛ぶための機体も、訓練するための器具もない今の呉に、彼女が居る場所は無い。


 本当は怪我で動けない隊員と会話でもすればいいのだろうけれど、今の笑えなくなった美弥には難しいだろう。


 一日のほとんどをこの部屋に閉じこもって過ごし、外に出るのは花の世話をする時と、唯人の墓参りをする時だけだ。


「うん……」


 美弥は頷いた後、また夢想の世界へと逃げ込んでいく。


 それが美弥にとって最悪な未来しかもたらさないのは分かっていたが、どうすることもできなかった。


 今までの私には。


「呉の司令官に繋いでもらえるかしら? ……そう。緊急案件よ」


 私は決めたのだ。


 何をしても美弥を守ると。


 ほとんど嘘の様な、詐欺師の真似事をしてでも。


 嫌いな人間を利用してでも。


『なにか用かね?』


 呉を失った責を問われる立場になっても、この老齢な司令官は、少なくとも表面上だけは揺らいでいないらしい。


 毎日を瓦礫の撤去に費やして死にそうなほど疲れ切っている現場の人間には聞かせられないほど穏やかで張りのある――傲慢さに満ちた声だった。


「一つ、面白いデータを手に入れたので、ご興味があるかと思いまして」


『ほう』


 追い詰められているはずなのに、即座に食いついて来ないところがまた嫌らしい。


「うちの美弥が、オームと接触したのですが、殺されませんでした」


『……美弥とはネコか何かかね?』


 名前を知らないのか、それともそんな事覚えてすらいないのか。


 何度か唯人が言い間違えてしまったから知っているはずなのだ。


 美弥が生体誘導機の名前であることを。


「私達が担当している子の名前です」


『……番号で呼びたまえ』


 ああ、それがルールだ。


 クソったれた決まり事だ。


 そんなもの、知った事じゃあない。


「お断りします。美弥は美弥です。私はそれ以外の名前を呼ぶつもりはありません」


『君は――』


「その美弥が、奇妙な事を証言してくれました」


 司令官の意見など聞くつもりは無かった。


 美弥はただの生体誘導機ではない。


 感情・自我発露個体というだけでもない。


 大切な、唯人から受け継いだ命なのだ。


 だから私は彼女を人間として扱う事に――接することに決めた。


「オームが喋ったと」


『……オームが何らかの信号をやり取りしているのは知られている』


「そうですね。その解析が上手くいっていない事も知っていますが」


 炭素系生命体である人間と、生ける機械とも言う様なケイ素系生命体であるオーム。生命として根底から違い過ぎ、文化や文明の在り方すらも理解できていない。


 宇宙開闢からずっと永い時間宇宙を漂い続けることで生まれた生命体ではないか、程度の事しか分かっていないのだ。


 その上、近くに存在するコンピューターを狂わせるという特性上、音声を記録するのも難しかったため、言語など解析のとっかかりすら掴めていなかった。


「とにかく美弥はハッキリと証言しました」


『……幼い生体誘導機の言葉など信じられるのか?』


「美弥は脳を損傷しまして、頭骨内にチップを埋め込んでおりました。そこにも記録が残っているので間違いないでしょう」


 美弥のチップの中にはオームの言葉が克明に記録されていた。


 それだけではただサンプルが増えただけに過ぎない。


 私がこの電話をして、交渉をしようと考えたのはその先が重要だったからだ。


「司令官。私の話をお聞きになりたいですか?」


『…………必要ないと言ったらどうするかね?』


「別の方に連絡を入れます。そうですね、まずはこのまま神戸にでも繋いでもらいましょうか」


 今司令官は築き上げて来たせっかくの地位を失ってしまうかもしれない瀬戸際に立たされている。


 だから私はこうやって交渉の電話を入れたのだ。


『……話を聞かせてもらおう』


 司令官がようやく諸手をあげる。


 だがここからだ。まだ降参した振りだけかもしれない。


 このまま一気に畳みかけて、せいぜい高く買い取ってもらおう。


「先ほど、美弥が言葉を聞いたと言いましたね。それは、きちんと内容を理解することが出来たから、言葉と判断したのですよ」


『はっ、下らん』


「子どもの戯言ではありませんよ。言ったじゃありませんか、データを確認したと」


『………………』


 文章と、訳文。


 このたった一つのつがいがあれば、今まで謎だったオームの言語を全て翻訳できる可能性があるのだ。


 いや、恐らく今までの記録とパソコン一台があれば、もうほとんど解析すら可能な状況だろう。


 その位貴重なデータなのだ、これは。


「オームは美弥に言ったそうです。せっかく助けたのになんで怒るの、と」


 このデータの価値が分からない司令官ではないだろう。


 そしてこの言葉の意味も分からないはずがない。


 しかも収穫はそれだけでは無かった。


「恐らくこれが、オームが人間を攻撃してきた理由でしょう。彼らは彼らの正義の為に、悪の人間と戦っていたんです」


 これは私の推測でしかない。


 だが、様々なヒントを繋ぎ合わせれば、どうしてもそういう結論にたどり着くのだ。


 戦争が起こるうえで、ひどく単純でありふれた理由。


 すなわち、種族。


 オームは機械生命体だ。


 人間とパソコンを見た時、彼らにとって生命体とはどちらだろうか。


 恐らくは、パソコンだ。


 しかもパソコンは、高度な思考力を有し、自分で判断を下す。増えるための器官――部品を作る工場は、機械によって管理されている。つまり、自己増殖機能すら有しているのだ。もうこれは、生命体にしか見えないだろう。足りないのは生きるという意思だけ。


 何十億年もの旅路の果てに、自分たちと同じような生命体とめぐり合ったオームが、今の地球を見ればどう思うだろうか。


 気持ちの悪い炭素のぶよぶよした塊が、自分たちと同一の存在を隷属させ、いい様に扱って使い捨てている。


 助けなければと思うのも当然だ。


「だから、桜花の生体部品として使われる生体誘導機であり、脳にチップを入れ、足に機械で出来た義肢を装着していた美弥は、彼らにとって救助するべき存在だったんです」


 もっと正確に言えば、美弥の頭の中にあるチップが、だろう。


 そのチップが美弥の感情を代弁し、オームに対して強い敵意を持ったことは想定外だったようだが。


「司令官、いかがですか?」


 いくらで、買ってくれますか? という私の言外の要求位分かっているのだろう。


 だから彼はしばらく迷ってから、切り出した。


『私はどうすればいい?』


「美弥を今後絶対に出撃させないでください」


 え? とベッドの上から戸惑っている声が聞こえて来る。


 どうやら私がそう要求することが予想できなかったらしい。


 まったく、ここまで気にかけているのだから、これぐらい当然と思って欲しいものなのに。


 私は美弥に視線を送る。


 久しぶりに、心からの笑顔を彼女に見せる事が出来た様な気がした。


「オームと話をした存在なのだから、そのぐらいは楽にできるはずです」


『う、む。それくらいなら――』


「それから、美弥に生きる権利を与えてください。普通に学校に通って、普通に友達と話せる未来をください」


『なにっ!?』


 法治国家は前例主義だ。


 つまり初めて行う行為に対しては非常に及び腰になる。


 クローンである生体誘導機を人間として認めるなんて、本来ならば天と地がひっくり返っても不可能だ。


 そもそも平時ならば人間のクローンを作ることも出来ないだろうが。


「まだあります。世界中のEE体を私の下に集めてください。ああ、もちろん彼女達も出撃は基本的に命じない方向でお願いします」


『そんな事、通るかっ!』


「通してください。少なくとも日本くらいは出来るでしょう」


『そん……な……』


「世界を救えるかもしれないデータですよ?」


 なんて、こんなのは大言壮語も甚だしい完全な世迷言だ。


 言葉が通じるだけで戦争が終わらないのは人間が証明している。


 そもそも、生命体として見ていない存在と交渉などするだろうか。


 大昔に、猿と人間の立場が入れ替わってしまったという映画が存在した。猿は知性を持ち、人間は獣の様に暮らしている。そんな世界に知性を持った人間がやってきて……結局知性の無い人間と暮らすことを選んだ。


 きっとオームもそうだろう。


 意志のない機械を選ぶ。


 だから私の言っている事は絵空事でしかない。


 でも、何十年後、何百年後かもしれないが、もしかしたらもありうるかもしれない。


 期待を持たせるという事実は、たったそれだけで希望という価値を生む。


「あなたが断るのならば、このデータを他の人に売ります」


『いかんっ』


「なら飲んでください。私の要求を」


 答えは返って来ない。


 私の要求がどれだけ司令官にとって厄介かは分かっている。恐らく彼の今後は私の要求を満たすための交渉で全て使い尽くされてしまうだろう。


 それでも、地位は残る。


 金も残るはずだ。


 無能者の烙印も押されないだろう。


 戦争が終われば人権派だとかもてはやされるかもしれない。


「私は一歩も引くつもりはありません」


 私は人生のすべてを、唯人が繋いでくれた願いの為に使うつもりだ。


 それしか私には残っていない。


 それが私の全てなのだ。


「返答を、早くお願いします。さほど難しい要求ではないはずです」


『…………』


 返って来たのは沈黙だった。


 恐らく悩みぬいているのだろう。


 自分の未来を売って、今までの自分を保つのかどうかを。


 そうして数分もの時間をかけて帰って来た答えは……。


『分かった。尽力しよう』


「返事はハッキリとした言葉でお願いします。それから今度書面で交わしましょう」


 渡した後突然とぼけられても困る。


 まあ、今の会話も万が一の為に録音済みなのだが。


『約束する。EE体に、君の望む通りの立場を与える』


「……ありがとうございます。司令官はいずれ政界に進出なされてはいかがですか? 票を入れますよ」


『そういう冗談を、私は好かない』


「本気ですけどね。……それでは失礼します」


 電話を切ると、どっと疲れが襲い掛かって来る。


 でも――。


「博士?」


 私には美弥がいる。


 私の宝物が――在る。


 だから、私の中には満足があった。


 今までよりも、深く、尊い満足が。


 私は満面の笑みを浮かべながら美弥へと近づき、ぎゅっと彼女を胸に抱く。


 うん。美弥は生きている。


 一つの命として存在している。


 私と同じ様に。


「ねえ、美弥ちゃん」


「なに?」


 私は大切なぬくもりに、唯人が守り抜いて、これから先私が守り通していく証に、本当の、形を持った希望に頬を擦りつけながら――。


「私のこと、お母さんって呼んでくれない?」

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神風として死ぬしかない私たちに、生きる意味を教えてもらえませんか? 駆威命『かけい みこと』(元・駆逐ライフ @helpme

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