第32話 悪夢は止まず

 私が隊員に連れていかれたのは司令室ではなく、作戦立案室だった。


 6畳程度の少し狭い部屋に机やプロジェクターなどが雑然と置かれている部屋だ。


 その一番奥に老齢の司令官がふんぞり返っていた。


 彼の態度はいつも以上に傲慢で不遜に見える。それもこれも勝利のせいに違いない。お前のお陰ではないんだと怒鳴りつけてやりたかったが、心の中だけに留めておく。


 自分の感情を満足させるより、ゴマでもすって美弥の命という対価を勝ち取る方がよほど有益だからだ。


 私はなるべく明るい表情を顔に貼り付け、司令官の前へと出る。


「どのようなご命令でしょうか?」


「うむ」


 司令官はチラリと私を連れて来た隊員に目配せをすると、その意向を汲んだのか、彼らはすぐさま部屋の外へと出て行ってしまった。


 重苦しい雰囲気が司令官を中心に押し寄せて来る。


 それで、私は自身の考えが誤っていたことに気付いてしまった。


「中村管理官、君は得難い人材だ」


「ありがとうございます」


「本来破棄対象であるEE体の有効活用。生体誘導機の性能向上や、EE体の発生率を下げるメカニズムの構築と、数え上げたらきりがない」


「…………」


 何故、ここまで私を持ち上げるのか。


 何故、今そんな事を言わなければならないのか。


 私にご褒美をあげようという様子では絶対にない。ならば、考えられることは一つ。


「お断りさせていただいてもよろしいでしょうか。私は前線を離れるつもりはありません」


「それは認められない。君には神戸に行って……いや――」


 その先の言葉の意味を、私は一瞬理解できなかった。いや、違う。したくなかったのだ。


 それはあまりにも、下種にすぎたから。


「共に避難してもらう。近いうちに、敵の攻勢が始まるからな」


 荷物を運ぶ事をあれだけ急いでいたのはそのためなのだ。


 しかも、私だけ呼ばれたという事は、唯人はその避難の対象から外れてしまっているという事。


 あろうことかこの司令官は一部の高官や替えの効かない技能を持っている人間だけが先に避難し、それ以外を犠牲にしようと、肉の壁にしようとしているのだ。


「…………」


 目の前に居るはずの司令官が、肉の塊に白い毛が生えているだけの汚物か何かの様にしか見えず、吐き気すらこみ上げてくる。


 あまりに下種すぎて脳がそれの考えを想像することすら拒絶してしまっていた。


「何故か君への伝達が遅れていてな。少々慌ただしい出発になるのは許してくれ。私物に関しては余裕があれば後から持って来させよう」


 唯人が調達屋に頼んで手を回していたから私への伝達が遅れたのだろう。


 どうせならもっと完璧に情報封鎖して一生こんな最低な事など知らずに、唯人や子どもたちと共に置いて行かれた方がよほどマシだった。


「……お断りします。私にはまだこの場所でやる事がありますから」


「君の自由は認められていない。命令だ」


「司令官は何時から敵前逃亡を命じられるようになったのですか」


 私のうっかり滑ってしまった口は、よほど司令官の神経を逆なでしたらしい。


 司令官は座っていた椅子のひじ掛けに拳を叩きつける。


「中村管理官……口を慎め。貴様は現実を知らないからその様な口を利けるのだ」


 それから司令官は現実とやらを滔々と語って聞かせてくれたのだが、だいたい私が司令官の表情から推察した事と変わらなかった。


 曰く、まだ6割程度地下に潜っていたオームが残っていた。それが今現在進撃してきており、富嶽を始めとした航空戦力をほとんど失った我々に抵抗する力はない等々。熱弁を振るって今がいかに絶望的なのかを語り、自分に酔いまくって私をそんな地獄から救い出す仏様であるかの様に言ってのけたのだった。


 私からすれば、だから何だと吐き捨てたくなるようなものである。


 私は命を使い捨てられる存在と常に寝食を共にしてきたのだ。自分のも含め、命に対してドライにならなければやっていられない。


 というか、自分が死ぬ覚悟すら出来ていなかったのかコイツは。


「それで何でしょうか? 一兵卒にその情報を知らせず、一部の人間だけで逃げると? お断りします。私はクローンによって作られた命を弄んでいますが、そうじゃない命まで使い捨てる様になったらそれこそ本当に終わりです」


「君の意見は聞いていない!」


 なら私の好きにさせて欲しいものだが、そうはいかないらしい。


 理由も大体想像がつく。コイツは功を焦った結果、被害を拡大させてこの基地を一つ失うのだ。立場は相当悪いものとなるだろう。


 だから金の卵を産む……可能性のある私を手放したくないのだ。


「今すぐ屋上に行きたまえ。ヘリが用意してあるからそれで撤退するんだ」


 そして、そこに私が付け入る隙がある。


 ……ああ、そうだ。私も結局、唯人やあの子たちと違ってこちら側・・・・の存在だ。


 薄汚れて穢れた人間だ。


 でも、だからこそそうなってでも守りたかった。


「司令官。相馬担当官とEE体2名の同行を許可願えますか?」


 司令官の眉がピクリと跳ね上がる。


 これが交換条件であると理解しているからだろう。


 もしもこの提案を飲んでもらえなければ、私は暴れてでもこの基地に残るつもりだった。


「EE体が2体居るとは聞いていなかったが?」


「先の作戦での生き残りです」


 あえてあいまいな言い方で煙に巻いておく。


 美弥は本来即座に廃棄されてもおかしくはないのだ。新しく生まれたEE体だと勘違いさせておいた方がいいだろう。


「……相馬担当官だけだ」


「今居るEE体が私の研究に必要不可欠なのです」


「EE体はここで使えば撤退の時間が稼げるだろう」


「無理です。まだ使える様になっていません」


「ならばここで廃棄しても問題はないはずだ。別のEE体を用意すればいい」


 戦場は呉だけではない。日本国内では北海道や横浜もある。国外も含めれば更に存在していた。


 かなり低い確率でしか発生しないEE体だが、それでも何千何万と世界中で生産されるのだから、望めばいくらでも手に入るだろう。


 しかしそれでは意味がないのだ。


 私は恋と美弥を守りたいのだから。


「新しいEE体ではまた処置をはじめからしなければなりません。大幅な時間のロスは避けたいのですが」


「ヘリにはそれほど追加で搭乗できない」


「大人1人と子ども2体です。さほど重いものでもないと思いますが?」


「もともと限界なのだ。大人一人でも重量オーバーになってしまう可能性もある」


 一瞬、司令官の下腹部についている無駄な肉を切り落としてやりたい衝動に駆られたが、小さく深呼吸をしてその衝動をやり過ごす。


 それから冷えた頭で考えをまとめれば……簡単な話だった。美弥と恋は二人合わせても私くらいの重さだ。いや、義肢を置いていけば更に軽いだろう。


 重さは問題ではないのだ。


 EE体。つまり生体誘導機は人間として扱われない。


 そんな存在の命を助ける余地があるのなら、人間を助けろ、という話になるだろう。そうなれば我も我もとなってしまう。


 私達は多くの命を見捨てて逃げ出すのだ。


 それを忘れてはならなかった。


 私は頭の中にある天秤に命を乗せて考え……。


「分かりました。では――」


 結論を出そうとした瞬間、敵襲を知らせる警報が鳴り響いた。

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