第33話 命に正解はない

 僕と恋がハンガーに着くと、今まで見たことも無い三人の男の人たちが待ち構えていた。


 一人はとても大きな体で、筋肉の塊みたいな男の人だ。


 頭を短く刈り上げて、よく日に焼けているのか浅黒い肌をしている。顔つきは怒っている様に強面で、視線だけで人を殺せそうなくらいに鋭い目つきをしていた。


 もう一人は整備士のツナギを着た、老齢に片足を踏み込んだくらいの男性で、帽子からはみ出している髪の毛には灰色の物が混じっている。顔は目じりにシワが多くてちょうど福笑いみたいな優し気な感じなのだが、その奥にある瞳からは感情の色が消えうせている様に見えた。


 最後の一人は、僕が水原誠と接触した時に一度顔を合わせたことのある3等空佐。


 小柄でありながら、日本刀の様に無駄なく研ぎ澄まされた体つきをしていて、水原誠と少し雰囲気が似ている。


 特徴的な細い目で終始周りを警戒しており、何を考えて居るのか分かりにくい顔つきをしていた。


 誰も彼もが長く荒事に関わってきているのが一目で分かる人たちであり、恋を連れた僕は、酷く場違いな気がしてならなかった。


「自分は田所一等陸佐であります。今回の殿を任された中では自分が一番階級が上だと認識しますので、以後、全員が自分の指揮下に入ると考えてよろしいでしょうか?」


 強面の人――田所一佐が僕達の合流と同時にそう告げて来るのだが……。


「指揮下、ですか? 申し訳ありません。私はここへ来るように指示されただけですので何をすべきなのか、この場でどのような扱いなのかも理解しかねるので、申し訳ありませんがご説明願えませんでしょうか?」


 僕は気持ち恋と繋いだ手に力を籠め、彼女を僕の背後に隠す。


 恋がここに連れてこられた意味は一つしかないだろうが、出来る限りそれを遅らせるとそう心に誓う。


「何も、ですか?」


「はい」


「……分かりました。では自分が知りうる事を全てお話いたします」


 そう言って、田所一佐は声と体を潜ませて事情を説明し始める。


 前回の作戦で敵基地を破壊したが、破壊できたのは上部と地下の一部で、地中深くに埋まっていた半分以上が破壊できなかったらしい。観測によると、地上侵攻用のオームが数百万体まだ存在していて、それが侵攻を始めてしまった。


 もう間もなくそれがこの基地にまで達するとの事だ。


「……つまり私達は捨て駒にされたというわけですね」


 全てを聞いて、浮かんできた感情は――嘲りと達観。


 平然と人間の命を駒として数えられる、あの老獪な司令官らしい行動だ。


「捨て駒ではありません。殿しんがりです。一部高官は既に退避を開始しておられますが、まだ完全ではありません。ですから我々がそれをお守りするのです」


「なるほど、理解出来ました――」


 物は言いようだ。


 どちらも同じ、顔も知らないような高官たちの為に、戦って死ぬ。


 僕たちは死に、彼らはぬけぬけと生き残る。


 その事がさも当然であるかのように考え、疑問すら抱かないのだろう。


「私がここに集められたのは、桜花部隊で最も階級が高いのが私だから……」


 多分、ここに居る人達も色んな部署におけるもっとも階級が高い人なのだろう。


 そして、僕と同じ様に、理不尽に死ねと命令された人たち。


 人間も、生体誘導機も、お構いなしに、平等に同じ未来へ向かって歩けと言われたのだ。


 全てを理解して僕は――。


「ふざけるな!」


 爆発した。


 繋いだままの恋の手が、少し怯える様に熱くなる。


 ――ごめん、と心の中で謝罪しつつ、それでも僕は続けた。


「自分の命欲しさに他人に死ねだって? 生体誘導機このこたちだけでは飽き足らず? ふざけるな!」


「相馬担当官、滅多なことを言うな。それにまだ死ぬと決まったわけではない」


「はっ」


 そんな事。


 死ぬと決まったわけではない?


 こいつらも一緒だ。自分たちしか見えていない。


 何にも理解していないんだ。


「あなた達はそう思えるからマシでしょうね。でも――」


 僕は背後のぬくもりに意識を向ける。


 何よりも大切にしたいのに、決してそれが叶わない、矛盾した宿命を持った存在を。


「この子には死しか待っていない。使われる立場であるこの子は、戦って生き残るという選択肢すら許されていない。この子はようやく生きるという意味を知り始めたばかりなんだ。それを取り上げる事なんて、僕には出来ない」


 昔恋は言っていた。必死に、狂うほどに。自らを傷つけてもなお叫び続けたのだ。


 ――死にたくないって。戦うのが嫌だって。


「ふざけたことを抜かすな! 生体誘導機はそのために作られた存在だ! 使って何が悪い!」


「ならお前は自分の子どもを差し出してから同じことを言え! 僕はこの子に命令は出さない。コソコソと敵の前から逃げ出す連中のために死ねなんて言わない。絶対に」


 小柄な3等空佐が肩をいからせながら食ってかかって来る。


「混同するな! そいつは生体誘導機だ! 子どもと比べられるものではない!」


「この子も命だろう!? 違うという考えの方が欺瞞なんだ! どこが違う? この子はさっきまで絵本を読んでいたんだ。この前は安寿さんや僕の似顔絵を描いてくれた。笑いながらボール遊びをしたし、花に水やりだってしている。アンタの子どもとどこが違う? 言ってみろ!」


「そいつは作られた命だろう! 女の腹からではなく、カプセルから生まれたっ。材料は合成たんぱく質だろうがっ。一緒な訳があるか!」


「ならアンタだって合成肉を食って、体は合成たんぱく質から出来てるだろうが! 自然の命だからそんなに偉いのか? カプセルから生まれただけで使われなきゃならないのか!?」


 分かっている。僕が言っている事はただの我が儘だと。


 現実はそんなに甘くない。


 誰かが進んで死ななければ、誰もが死ぬ。オームに殺されてしまう。


 みんな死ぬよりは、急造の命が死ぬ方が理にかなっている。


 その為に恋たちは、生体誘導機は作られるようになったのだから――。


「僕は絶対に、絶対にこの子だけは……」


「先生、私、乗るよ」


「え…………?」


 聞き間違いかと思い、振り向いて恋と視線を合わせて――それが間違いなく恋の言葉だと、彼女の本心から出た想いであることを知る。


 恋は、もうすぐ決壊してしまいそうなほどに憂いを帯びた瞳で、それでも懸命にこちらの目をまっすぐに見つめて、僕の手を震える手で握り締める。


「みんながそれで生きられるかもしれないんでしょ?」


 本当は泣き出したいほど怖いはずなのに。


 叫び、暴れ回って拒絶したいほど嫌なはずなのに。


 それなのに恋は自分の足でしっかりと地面を踏みしめ、そこに立っていた。


「…………恋」


 ようやく絞り出せた声は、僕でも自分の物だと分からないくらいしわがれて、震えていて……。


「先生。私は大丈夫だから」


「だめ……だ……。イヤ、なんだろ?」


「嫌だけど、仕方ないから」


 恋の中には諦めがあった。


 でもそれは暗い感情ではない。


 決意に満ちて、前を向き、未来を見ているからこそ出せる、最期の輝き。


「人を犠牲にして生き残る様な、最低な奴らの為に死ぬ必要はこれっぽっちもない」


「でも、博士さんも居るんでしょ?」


 そうか、安寿さんだけ別に司令室へと呼ばれた。


 その意味は多分、一つしかない。


 しかし、だからこそ僕には別の光明が生まれた。


「――安寿さんっ。安寿さんなら……」


 僕は腰から通信機を取り出して安寿さんへと呼びかける。


 だが、サーっというノイズが流れるだけで、何度呼びかけても返答は無かった。


「なんで……」


「本人が断っても無理やり連れて行く手筈になっていると、聞いている」


 それまでずっと無言を貫いていた整備士が口を開いた。


 その声は重く、年季が入っていて、全ての音を押しのけて僕の耳に届く。


「まあ、俺は断ったがな」


「なら、安寿さんも……?」


 整備士が無言で首を縦に振る。


 それで、僕の光明は、完全に閉ざされてしまった。


 恋は、死ぬ。


 顔も知らない人の為に。


 ――僕の為に。僕を生かそうとするために。


 それは絶対に受け入れたくなくて……でも受け入れるしか無くて――。


「嬢ちゃん、本当なら俺みたいな爺が死ぬのが自然なのに悪かったな」


 整備士がゆっくりこちらへ歩いてくると、恋の頭に節くれだってゴツゴツした手を置く。


 不思議な事に、あれだけ人見知りをしていた恋が、この時ばかりは恐れも怯みもしなかった。


 恋の頭が揺れるくらいグシグシと強く撫でながら、ぽつりとつぶやく。


「他人の死体の上に胡坐かいて生きるなんてのはどっかおかしいんだよ。それを当然と思うんじゃねえ。ただ、必要な時もある。それが現実ってもんだ」


 それだけ言うと、整備士さんは背中を向けて歩いていく。


 恐らく、整備士さんの出来る事をするために、現場へと戻るのだろう。


 その背中を見送る僕たちへ、お前達もやれと急かす様に、甲高い警報が唸り声を上げ始めた。


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