第31話 私は道具

 訓練室で簡単な運動であったり、勉強をする日々が続いた。


 外にあまり出させてもらえないのは、ちょっとだけつまらなかったけれど、たぶんみんなが忙しいのだから仕方ない。


 でも、先生や博士さんはずっと私の傍に居てくれたから、私は全然寂しくなかったし、ちょっとだけ独占できたみたいで嬉しかった。


「美弥さんは何時になったら起きるの?」


 勉強の合間に、私はまだ寝たまんまの美弥さんの顔を眺める。


 美弥さんはカプセルの中でチューブだらけになりながら目をつぶって身じろぎ一つしないため、私はだんだん心配になってきていた。


「脳細胞を増殖させるお薬を入れて、チップも取り付けたから、最適化したら目を覚ますのよ」


 ……博士さんの説明は難しくって分からない。


「美弥はいつも元気だったでしょ。でも騒ぎすぎて疲れちゃったから、元気を溜めてるんだよ。それには時間がかかるんだよ」


 ……先生の言う事もちょっと抽象的過ぎて理解できない。


 でも二人共もうすぐ目を覚ますよって意味だと思う。


「……そういえば安寿さん。美弥って体拭いてあげなくて大丈夫かな。もう五日目だよね?」


 美弥さんが私にじゃあねって言ってからまだ五日しか経ってないんだ。


 もっと長いこと、美弥さんの声を聞いてない気がする。


「確かに拭いてあげた方が良いかもしれないけど~~」


「な、なんだよ」


「女の子の体に興味深々とか、唯人のロリコン」


「なっ!」


「ロリコンって、水原誠の事じゃないの? 先生もロリコン?」


 なんて私が言ったら、先生は顔を真っ赤にしながら口をパクパクして何も言えないみたいだった。


 博士さんは一瞬言葉を失った後、弾ける様に笑い出す。


 博士さんがこんなに楽しそうに笑ってる所を見たのは本当に久しぶりで、由仁さん達と一緒に居た頃みたいで胸がほんのり温かくなった。


「唯人、私の胸も美弥ちゃんみたいにちっちゃいからそれで我慢して?」


「こ、子どもの前でなんて事言うんだよ、安寿さん! というか僕はロリコンじゃないっ!! 恋、いいね?」


「わかった、先生はロリコンじゃない」


 というかロリコンってどういう意味なんだろう。


 悪口みたいなんだけど、誰も教えてくれないから分かんないや。


「ホントに~? 最近あんまり私の事に興味ないみたいだし~。ちょっと信じられないなぁ~」


 なんて博士さんは言っているけど、たぶんこれ、先生の気を引こうとしてるんだと思う。


 だって、美弥さんが先生に構ってもらいたい時と同じ目をしてる。


「この前時間取ったじゃないか」


「あれじゃ足りない~。もっと~」


 ほら。やっぱり博士さんは先生に構って欲しいんだ。


 なんだか、ちょっと……子どもっぽい?


 博士さんの今まで知らなかった面を見て、また私は胸が温かくなった。


 こうやって色んな事が分かっていくのはとっても楽しい。このままこの時間がずっと続けばって、そう思っていたのに――。


『中村管理官、中村管理官。応答せよ』


 そんな、私の幸せな時間を邪魔するかのように、武骨な男の人の声が割って入って来た。


 博士さんはちいさく「あ~も~」と呟くと、嫌そうに顔を歪めながら通信機を手に取る。


「はい、なんでしょうか?」


『至急、EE体に関する全データを持って出頭したまえ』


「全、データですか……?」


『そうだ』


 博士さんと先生が、思わず顔を見合わせて首を傾げ合う。


 こんな命令は一度もされたことがない。2人の表情は、明確にそう言っていた。


「個体それぞれの身体データや日記の様なものなどの、研究などとはあまり関係もない種類の物もございますが……」


『全部だ』


「それですと私一人では持ちきれません。ゆ……相馬担当官と二人でも恐らく無理だと思われますが……」


 訓練室にある棚や机の引き出し、この部屋にも沢山書類が存在している。


 それを全部運ぼうと思ったら、2人でも無理じゃないだろうか。


『ならば人を寄越す。急いで準備をしたまえ』


「は、はぁ……」


 博士さんがそういうと同時に、ぶつっと不快な音を立てて通信が切れた。


「なんでそんな、夜逃げみたいな事……?」


 先生も困惑しかないみたいで、不審を顕わにしている。


 そう。私達は由仁さんのお陰で勝利した。


 勝利という事は、逃げる必要なんてないはずだ。


「順当にいけば、九州へ攻め入るために戦線を押し上げるから、新しい基地に移動するってところだと思うけれど……」


「まさか美弥の事がバレたとか?」


「それにしてもデータ全てを持ってこいなんて変よ」


 いずれにせよ、いくら額を突き合わせていても結論は出なかった。


 仕方なく先生達は荷物をまとめ始める。


 もちろん、私もお手伝いとして棚から色んな紙やディスクを取り出して先生達に手渡していった。


 そんな風に片付けていると、迷彩服を着た男の人が5、6人ほど、挨拶もせずに部屋の中へと入って来た。そのうちの数人は、折りたたまれた段ボール箱を手にしている。恐らくアレに全部入れて持って行くつもりなのだろう。


「資料はここにあるものだけか?」


 一番偉そうな髭を生やした男の人が、能面の様な無表情で尋ねて来る。


 私はその人の事がなんとなく怖くて、思わず先生の後ろに隠れてしまった。


「……訓練室にもあります」


「三人行ってこい」


「はっ」


 短い命令で、入って来たばかりの男の人数人が忙しそうに走っていく。


 みんな、不自然なくらい急いでいて、私は一層怖くなって来てしまった。


 それに気づいてくれたのか、先生が「大丈夫だよ、僕がついてるから」って言いながら私の頭を撫でてくれる。それでも私の心はずっとざわついていて、治まることは無かった。


「それは大切なものよっ! 手荒に扱わないでっ!!」


 博士さんが悲鳴のようにも聞こえる大声で叱責する。


 その理由は、男の人が棚の中に在ったファイルを乱暴に引っこ抜き、まともに見もせずに段ボールの中へと放り込んだからだ。


 だがそう言われた男の人は、怪訝な顔で、


「紙束ですよね」


 なんて悪びれも無く呟いている。


「あなたにはそうでも私には違うのよ」


 そう言った博士さんは、段ボールの中から一つのファイルを大事そうに取り上げると、それを開いて中身が無事な事を確認し、あからさまにほっと溜息をついた。


 ……私はそのファイルが何か知っている。


 あのファイルは、授業で私達が描いた博士さんのお顔や自分自身の絵が綴じられているファイルだ。私がちょうど昨日先生と博士さんの絵を描いてプレゼントしたら、とっても喜んでくれたからよく覚えている。もちろん、その後にそっとファイルにしまった事も。


「いいから丁寧に扱いなさい」


「……はい」


「中村管理官!」


「なんですか?」


 髭の男の人が博士さんを呼びつける。


 彼はカプセル――美弥さんが眠っている調整用のポッド――に手を置き、難しい顔をしていた。


「どういうことだ? EE体は一体じゃなかったのか?」


「墜落寸前の富嶽から、み……と号生体誘導機・38番の搭乗……搭載している桜花が落下した結果、彼女だけ一命を取り留めたのです。報告はしていたはずですが」


「……こちらに上がって来てはいない」


「私は報告しました。命令が返って来なかったので、38番には即座に延命処置を施しましたが何か問題が?」


「生体誘導機にその様な処置など必要ない。次を補充しろ」


 次を補充。


 その意味に気付かないほど私は馬鹿ではない。


 美弥さんなど殺してしまえ。そうこの男は言っているのだ。


 私は覚えている。こんな男の事を。


 私がまだ感情を持っていなかった時、こんな風に私も扱われ、使い捨てられていた。


 それで、気付く。


 私の中に、今まで無かった感情が生まれていたことに。


 恐怖ではない。同じ様に胸がざわざわするけれど、隠れようとか思ったりはしないから。


 むしろ、男に向かって行きたい、そんな不思議な感情だった。


「お言葉ですが、38番は優秀な生体誘導機です。替えはききません」


「――まあいい。私の管轄ではない」


 そう言って顎をしゃくる。


 恐らくは先生に資料を早くまとめろという意味だろう。


 本当に失礼なヤツだ。


「中村管理官はこのまま司令室へ。それから相馬担当官は資料をまとめた後、EE体を伴ってハンガーへ行くように」


「え……?」


 なぜ、私があそこへ行かないといけないの?


 大きな作戦は終わったはずなのに。


「待ってください。恋……この個体はまだ戦闘には耐えられません」


「命令は以上だ」


「意義を申し立てます!」


「認められない。ハンガーへと行き、次の命令を待て」


「ですが…………」


 先生が、博士さんが、私の為に色々と口を出して守ろうと必死になってくれる。


 でも、男の人は頑なに命令だと繰り返すばかりだった。


 分かってる。決まっている事なのだ。


 先生達がどれだけ反対しても、絶対に逆らえない流れというものが存在する。ましてや生体誘導機である私が抗えるはずもない。


 私は、私の事なのに終始蚊帳の外で、まるで居ないかのように扱われ続け……こんなにも唐突に、そして理不尽に、私の終わりが決まったのだった。

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