第23話 先生――

 感情の籠らない声で、先生が告げる。


 いつもは遊んだり勉強をしたりする楽しい場所であったはずの訓練室が、今日だけは何故か灰色に見えた。


「反抗作戦は1週間後になる事が決定した」


 とうとう、来た。


 ずっと来なければいいのにと思っていた日が、予想通りに来てしまった


 私はと号生体誘導機・38番。美弥なんて名前で呼んで貰っているけれど、人間なんかじゃない。


 だから、こんな日が来るのは絶対に避けられないのだ。


「参加するのは美弥と由仁、だ」


 参加、という言い方をしているが、本来は違う。


 私達は使用されるだけで、先生が手にしている書類には、先生に対する命令が書いてあるはずだ。


「各自、思い残すことの無いように私物をまとめなさい」


 ああ、今回はこちらから攻めるからそういう時間があるんだ。なんて他人事のように思ってしまう。


 現実感がないわけではない。


 作戦に使われて、一週間後に私は死ぬ。


 ……死ぬのは嫌だ。


 でも、そんな願いが叶わない事は分かっている。


 私は使われるために生まれて、たまたま感情を持ってしまい、こうして生きている事を感じられただけ。


 どんなに抗っても、その事実は変わらない。


 そう、私は諦めてしまっているんだ。


「以上、だ」


 先生がそう締めくくる。


 それに合わせて由仁ちゃんが敬礼をしながらはいっといつも通りに声をあげた。


 でも私はそんな事する気になれなくて、ボソッと呟く様に返事をすることしかできなかった。


「……それから、何か欲しい物があったら言ってほしい。出来る限り用意するから」


「ありがとうございます」


「…………」


「それじゃあ、今日の訓練は無し。明日からまた最新の情報を加えたシミュレーションを行っていくからね」


「はいっ」


 先生の言葉が、がらんどうな私の中を通り抜けていく。


 何を言われても、音が聞こえているだけにしか感じられず、私の心にはこれっぽっちも響かなかった。


「先生。今、恋は調整室ですか?」


「安寿さんと一緒に居る事になっているからそのはずだね」


「では私物の一部を恋に譲ってもよろしいでしょうか?」


 あれから由仁ちゃんと恋ちゃんはとっても仲良くなっていた。


 恋ちゃんは尊敬とか憧れみたいな感じで由仁ちゃんの事を見ている。由仁ちゃんも、妹の様な感じで恋ちゃんの事を可愛がっていた。


 そんな二人の関係を、少し羨ましいなって思う。


「もちろんだよ」


「分かりました。では失礼します」


 そう言って由仁ちゃんが訓練室を出て行って……私と先生の二人だけが残された。


 先生はただ黙って私の事を見ていて……でも気まずそうとかそんな事はなくて……。


「……美弥」


 先生がようやく口を開くと、私の頭にゆっくりと手を乗せる。


 大きくて暖かくて、優しい手。


 私はこの手が大好きだった。


 この手で撫でられて、頑張ったねって褒められるのが何よりも好きだった。


「何が欲しい?」


 でも、死んだらもうそんな事言ってもらえない。


 何よりも先生に会えない事が――。


「先生っ!」


 辛くて辛くて、心臓が張り裂けてしまいそうなくらい苦しくて。


 暴れ回りたくなる様な衝動が、私の中でグルグルと渦巻いていて。


 でも、どうしようもなくて。


 だから私は思わず先生にしがみついてしまった。


「――先生、先生、先生っ」


「うん」


 先生は、腰のあたりにしがみついている私を、包みこむようにして抱きしめてくれる。


 いつもならそれで幸せな気持ちになるのに、今はどうしようもないこの現実のせいで、私の中は悲しいって気持ちでいっぱいになってしまっていた。


「わたしは……わたしは……」


「うん……うん……」


 頭の中が水浸しになってしまったんじゃないかってぐらいに、あとからあとから涙が溢れ出して来てしまう。


 止めたくても止まらないから、先生のお腹に顔をぎゅって押し付ける。


 そんな私を先生は撫でてくれて……。


 それで分かった。私の欲しいものが。


「私は……私の命が……欲しい」


 それは今ここに在るもの。


 いずれ必ず失われるもの。


 そして、認められていないもの。


「由仁ちゃんと遊びたい。恋ちゃんとも一緒におべんきょしたい。安寿博士にお話し聞かせてもらいたい……」


 今までやった色んな思い出が、頭の中で次々と浮かんでは消えていく。


 楽しかった事、悔しかった事、嬉しかった事、恥ずかしかった事、色んな事があった。そのどれもが私の中では信じられない位に光り輝いていて、たった一つでもかけて欲しくない宝物だ。


 それから一番大事な事。


 私の中に芽生えた、とってもとっても大切な感情。それは……。


「先生と、離れたくないよぉ……」


 安寿博士から聞いて、一番ワクワクしたお話、それは恋の話だ。


 お互いの事を大切に想いあう二人が織りなす物語は、本当に素敵な話で、考えるだけで私は幸せな気持ちになった。


 そんな物語に出て来る人達と多分同じ気持ちを、私は先生に対して抱いていた。


「せんせぇ……」


 先生が私の事をそんな風に見てくれないって分かってる。


 先生はきっと安寿博士とお互いを想いあっているから。


 それに、人間と生体誘導機だし……。


 ……それでも私は、先生の事が……好きだった。


「美弥、ごめんね」


 熱い何かが私の頭や首筋に触れる。


 それが何かは分かっていた。


 だってこんなにも先生は私の事を大切に想ってくれているのだから。


 武器として使われるんじゃなく、人間が死ぬって考えてくれるんだから。


 そうだ、先生はずっとそうだった。


 私の事を考えてくれて、私に楽しいという感情を教えてくれて、私に生きるって事を教えてくれた。導いてくれた。


 そして今はこんなにも悲しんでいてくれる。


 私の為に、泣いてくれる。


 こんなに素敵な人と離れ離れになるのなんて嫌だ。


 私は先生とずっと一緒に居たい。


「それは、無理なんだ」


 分かってる。


 この世界の状況も、私の状況も。


 どんな物でもきっと先生は手に入れてくれるだろう。


 でも私の一番欲しいものだけは、私の命だけは、無理なんだ。


 色んな人がみんな、自分の命が欲しくて……それで私が生まれた。


 生体誘導機が生みだされた。


 誰かの死を、私に押し付けるために、私が背負うために、私は存在している。


 だから私は死ぬしかない。


 それが、私の役目だから。


 足を切り落とされて、逃げる事すら出来ない私の運命だから。


「ごめん」


 先生はまたその言葉を呟いた。


 血を吐く様に、何度も何度も。


「ごめん……ごめんね」


 先生がどれだけ後悔して、もはや数えるのも馬鹿らしくなるくらいにその言葉を口にしている事を、私は知っている。


「許さなくていいから。恨んでくれていいから。君たちにこんな酷い運命を課したのは、僕の責任だから……」


 先生はもう傷だらけだった。


 体がじゃなくて、心が。


 傷ついて傷ついて、傷口の上に更に新たな傷が出来て。膿んで腫れて腐って。


 痛みが痛みと分からなくなるくらいに傷ついて。


 それでもそれが終わらなくて。


 なのに私を、私達を笑顔にしようと頑張ってくれるんだ。


「恨んでないよ。許すよ。ううん、先生は許してもらう必要なんてないんだよ」


 分かる。


 感じる。


 こんな事を言っても何にもならない事を。


 先生の傷は絶対に治ったりしない。だって先生を傷つけているのは先生自身だから。


「先生、ありがとう」


 それから私は、通じないって、男女としてではなく家族として受け取られると分かっていながら、それでもその言葉を口にした。


「先生、大好き」

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