第22話 嵐の前にも風は吹く
今、司令官私室の前で立ち尽くしている私の手の中にはUSBメモリが存在する。
その中に入っているのは……シミュレーションのデータだ。
何万何十万というオームを突破し、その先に存在する基地型のオームを攻略するためのシミュレーション、その、成功例の。
無理だと思われていた設定を、由仁がやり遂げてしまったのだ。しかも一度だけではなく、二度三度と。
これでもう、作戦を引き伸ばす理由が無くなってしまった。
それは、あの子たちが使われてしまう、死んでしまう事を意味している。
死。――別れ。
もう二度とあの子たちに会えないという意味だ。
「違うわね。生体誘導機なのだから、壊れる……か」
そうして心をコントロールしなければ、間違いなく私の心が壊れてしまうだろう。
今この場に居ない私の一番大事な人、唯人の様に。
彼が居ないのは私が止めたからだ。
自分の手で、子ども達の未来を閉ざすような真似は出来ないだろうから。
私は一度心を落ち着けるために、深呼吸をしてから、
「司令、よろしいでしょうか?」
ドアを叩いた。
うむ、と重々しい声が返ってくる。
相変わらずの偉そうな態度だったが、実際に偉いのだから文句も言えない。
失礼しますと断って、士官の物よりも少し重い扉を押し開け、部屋の中へと入った。
部屋は、この呉地方隊最高権力者が寝起きするにしてはかなり手狭な部屋で、せいぜいビジネスホテルより少し広い程度である。
ただ、床に敷かれた絨毯や、備え付けの机や椅子を始めとした調度品は、今のご時世手に入れるのが不可能なくらい高級品だった。
長く白いまつ毛が特徴的な老齢の司令官は、そんな椅子に腰かけ、ティーカップを片手に私的な時間を楽しんでいる最中のようだ。
「司令、重要な事がございますので直接報告にあがりました」
「うむ」
重要な事は本当だが、それだけが理由ではない。
私がこんな事をしたのは唯人の為、そして……。
「あのシミュレーションをEE体の二人が行った結果、ゆ……へ号生体誘導機・1番が見事突破をいたしました」
「ほぉ……」
あのシミュレーションは、非常に難しく、水原二尉を始めとした人間のパイロットであってもクリアするのは困難だった。
「しかも、今では70%超える確率で突破できております」
「なるほど。つまりその生体誘導機を用いれば、かなりの高確率で作戦は成功するとそういうことだな?」
「そうです」
「よくやった。早速作戦を進めるとしよ――」
「ですが」
嬉々として立ち上がろうとした司令官を、私の言葉が縫い留める。
私の目的はここから。
通信機を使って連絡を入れるか、報告書一枚ですむのにわざわざ足を運んだのは、交渉がしたかったからだ。
「この優秀な生体誘導機をこの作戦で使い捨てるのはどうかと思われます」
そう言って私は持っていたUSBを司令官に見せる。
「1番から抽出した操縦パターンの記憶と行動アルゴリズムです。これを、通常の生体誘導機にインストールすることで、完璧とはいえませんがかなり近い挙動が出来る様になります」
「……つまり君はそのEE体を使用せずとっておき、バージョンアップした通常の生体誘導機を作戦に使用すべきと言いたいのかな」
司令官の瞳が一気に鋭いものへと変わる。
心の奥底まで見透かされるような眼光を前に、それでも私は抗い、言葉を続けていく。
「はい。今後も彼女たちは有用なデータを生み出すことが出来るでしょう。そしてそれはこれから先の作戦には必要不可欠なはずです」
大丈夫、これは本当の事だ。この言葉に嘘はない。
由仁や美弥が今後腕を磨くことで操縦技術の様な非陳述記憶を作り上げて行けば、これから先生み出される生体誘導機の性能は、劇的にあがるはずだ。
「……かなり近い挙動とは言うが、具体的にはどの程度の数字だね?」
「はい。……シミュレーションの成功率は約1割といったところです」
本当は5、6%程度でしかない。
ただ、全員にインストールして全員の動きが向上すれば、間違いなく成功率はあがるはずだ。
あのシミュレーションは、単騎で敵陣を突破という設定なのだから。
「1割と70%は随分と差があるように聞こえるが?」
「それでもバージョンアップした生体誘導機を20機も投入すれば、計算上は87.84%と、確実に70%を上回ります」
ちなみに6%でもギリギリで70%を上回る。
もっとも、確率で戦場が語れるはずもないが。
普通は一つの存在が戦場を決定づけることはない。
だが、戦略兵器は別だ。
一発当たるだけで勝敗を決めてしまう。
だから司令官は簡単に私の提案を受け入れてはくれないのだ。
当たるかもしれないものをたくさん撃つより、確実に当たる物を撃った方がよいのではないか。そう考えているのだろう。
「……デメリットは無いのかね?」
「デメリットと言えば、感情や自我に目覚めてしまう可能性が上がる事でしょうか」
「初期型ほどにか?」
生体誘導機は段々と進化してきている。
感情が無くなり、より進んで使われる事に疑問を持たなくなってきたのだ。
そうなるまでの生体誘導機、特に初期型は……ほとんど人間と変わる所がなく、幼くはあっても意志があり、感情があった。だから反抗もしたし、ときには逃亡だって試みたのだ。
そこまで行けば、軍として成り立たなくなってしまうだろう。
「いいえ。そこまでではないと思われますが……実際には試したのが3体ですのでまだ結論を出すのにはデータ不足です」
表面にこそ出なかったものの、脳波レベルでは大きく変わっていた。
今後どうなるかは未知数としか言いようがない。
「そうか……」
司令官は一瞬だけ考え……いや、きっと考えてなどいない。
結論は既に出ていたはずだ。だって……。
「では両方を使用する。作戦発動直前にアップデートするならば、デメリットもほどんどないだろう」
そう迷いなく言い切ったから。
「司令、お待ちください」
「これは決定だ。中村管理官」
「いえ、待てません。これは間違っています! あの子たちはこれからも成長を続け――」
「それが間違いなんだっ!!」
力でもって無理やり私の反論は切って落とされる。
「君は今あの子たち、と言ったな」
「――――っ」
失言だった。
つい感情が高ぶり、絶対口にしてはいけないことを、私が彼女たちに対して情を抱いている事を悟らせるような事を言ってしまった。
気を付けていたのに。そういくら悔やんでも、もう遅い。
これで決定は――。
「君は明らかに、あの生体誘導機へ肩入れをしている様だな」
「いえ」
――覆らない。
「例えるならば、ペットの様なものです。お気に入りのペンでも構いません。捨てるには惜しいというだけ……」
言い訳を連ねても、自分すら騙せず言葉が上滑りしていく。
当然、司令官には通用するはずがなかった。
「ならば何の問題も無いな。命令を受領したまえ」
「………………」
せめてもの抵抗として、私は出来る限り無言で立ち尽くした後、
「はい」
感情の乗らない声で、命令を受領したのだった。
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